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なぜ三大中華街の1つが横浜にあるんですか?

A 回答 (2件)

とある記事に、以下の様に書かれています。



幕末、1859年に横浜の港が開かれた頃、ここ中華街のあたりは横浜新田と呼ばれていました。現在の南門シルクロード、開港道、長安道はそのあぜ道の名残と言われています。港町横浜には世界各地の人々が訪れ、中国の広東・上海などからも大勢の人がやってきました。広東は華僑の故郷と言われ、古くから海外に人々を送り出した土地です。横浜華僑の多くは広東の出身で、今も中華街に広東料理が多いのはこのためです。 開港当時西洋人は日本語がわからず、日本人は西洋の言葉や商売についてほとんど知識がありませんでした。
一方、香港・広東・上海の西洋商館で働いていた中国人は西洋の言葉が話せ、また日本とは漢字で筆談ができました。そのため中国人が西洋人と日本人のあいだに立ち、生糸や茶の貿易で仲介者の役割を果たしました。また、華僑貿易商は北海道産の鮑、昆布などの海産物を中華料理の材料として香港に輸出したり、砂糖を台湾から輸入したり、貿易港横浜の賑わいを支えました。
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この回答へのお礼

詳しく教えて下さりありがとうございました!

お礼日時:2019/07/12 07:28

江戸末期に横浜が開港すると外国人居住地が整備されて、そこに多数の中国人商人もやってきました。


その後横浜と上海に定期航路が開通すると中国人貿易商も住むようになり、居留地の一角に廟、会館、学校などが建てられましたが、これが横浜中華街の原型です。
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