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神社に鳥居がいくつもある理由はなんですか?山口県の元乃隅稲成神社のように赤い鳥居が連続して並んでいるのは、参拝信者が祈願するとき、または祈願成就の時にお礼奉納として寄付したお金で作るという話を聞きました。あの赤い鳥居ではなくて、例えば山口県防府市にある防府天満宮などでは青銅の鳥居と、石の鳥居が2つあります。鳥居の意味は神と人間の住む領域を区別するものだと聞いたことがあります。鳥居がいくつもある意味ってあるのでしょうか?

A 回答 (4件)

伏見稲荷大社の千本鳥居も寄付によるものなので例に挙げられた神社と理由は同じでしょうね。

くぐる参拝者の立場になれば、一鳥居くぐるたびに清められている気はします。

 大きな神社などには参道の始まりから「一の鳥居」「二の鳥居」などありますし、境内に入ってもそれぞれのお社に小さな鳥居があります。
それぞれが決壊だと思えばいいのではないでしょうか?
ようするに、一、二と鳥居をくぐるたびにより聖域に近づき、境内それぞれのお社の鳥居がその奥に鎮座まします神々との最後の結界ってことでいいと思いますよ。
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願いが「通る」ように奉納、あるいは願いが「通った」こと対する奉納として建てられます。


したがって鳥居が多い神社ほど、願う人、叶った人が多いことになります。
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稲荷神社は伏見稲荷もそうであるように「千本鳥居」で有名なところがいくつもあります。



たとえば東京の根津神社・花園神社・日枝神社にも鳥居が何本も建っている参道がありますが、すべて境内にある本社とは別の稲荷神社に向かう参道に限られています。

また鳥居が赤く塗られているのも稲荷神社の特徴です。(他にも赤い鳥居はありますが、稲荷は必ず赤い鳥居です)

で、以下は推測なのですが、稲荷神社に限って千本鳥居が多いのは「江戸時代庶民でも稲荷神社を勧請して各地に建てやすく、その結果庶民信仰が盛んで、商売繁盛などのお礼に鳥居を立てることが容易だったから」だと考えます。

他の神社の多くは、武家の管理や寺社領だったために、世俗的な形での「お礼」がしにくかったのでしょう。

>山口県防府市にある防府天満宮などでは青銅の鳥居と、石の鳥居が2つあります。鳥居の意味は神と人間の住む領域を区別するものだと聞いたことがあります。鳥居がいくつもある意味ってあるのでしょうか?

このような鳥居は「江戸時代ぐらいまでは神社や仏閣の敷地が広く、その敷地内でのテリトリーを分けるために建てた」ものが多いです。

防府天満宮の石の鳥居は「寛永六年(一六二九)に初代藩主毛利秀就の寄進により建立」とありますが、石の鳥居が建っている場所は当時の山陽道の目の前で、つまり旅人や商人などはこの鳥居を目印にし、また街もこの鳥居からつながっていったわけで、初代藩主がわざわざ石造りの大きな鳥居を置いたのは、街の発展のためにシンボルを置きたかったからでしょう。

それに対して青銅の鳥居は大石段の始まりの場所にあり、土地としてもここから丘になって「神の住処」を表す元々の鳥居だったのだと思います。

ほかの神社でも江戸時代まではお寺と同じ敷地内にあり、鳥居を設けることで「この先は神社境内」という意味を表し、そのために敷地内にいくつも鳥居がある、というところもあります。
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鳥居の多い神社は「願いを叶える」傾向が強い。


気分的にはサークルや互助会に入るような感じがする。
何にせよ 神としての「在り方」が こうした鳥居にも現れるのだろう。
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