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【非常事態が日常になったとき人類は何を失うのでしょう?】


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参考
ユヴァル・ノア・ハラリ「非常事態が“日常”になったとき、人類は何を失うのか」 | 『サピエンス全史』著者が「コロナ危機後の世界」を予測 | クーリエ・ジャポン https://courrier.jp/news/archives/195233/

A 回答 (1件)

なにも失いませんよ。

あるは「パラダイムシフト」だけで、それは何度も経験していることです。

たとえば、大正時代は自由民権主義でしたが、昭和に入ると世界的な大不況が到来し、その結果第2次世界大戦になりました。大戦中の日本の状況は大正時代の自由で景気のよい時代に比べれば雲泥の差であり、いろいろなものを失ったし、現実に空襲などで命を失う状況にもなりましたが、そこで「何を失ったか?」を問うのは難しいものがあります。

私たちの時代でも昭和生まれの人々はバブルまでの高度成長期とバブル以降の低成長時代を経験しつつあります。高度成長の時代にあった「明日は今日よりももっと良くなる」という常識は失いましたが、だからといって「低成長が非日常」ではなく「成長しないことが日常」に変わっただけです。この時期に失ったものもたくさんありますが、同時に得たものもたくさんあるわけです。

その時代に生きている者にとって、すべては「日常」なのです。振り返ったときに「今の日常は過去の非日常で、今の非日常が将来の日常になる」かもしれませんが、何を失うのか?というのは非常に難しい問題です。少なくとも「今生きている私」として失ったものは若さぐらいしかありません(笑)

ユヴァル・ノア・ハラリ氏のいう「非常事態が“日常”になったとき、人類は何を失うのか」は、『サピエンス全史』を踏まえないと意味が見えてきません。彼の主張の根底にあるのは「人類の歴史はパラダイムシフトの連続」と言うことです。

それを踏まえて「コロナウイルスとの戦いで、監視社会がくるのではないか?(そういうパラダイムシフトが起きるのではないか?)」という心配と、彼の価値観から「監視社会は嫌だ、それよりも各国が協調するのが理想だ」ということを表明しているにすぎません。

つまり彼にとって「コロナウイルスがもたらす非常事態は「監視社会」という非日常が、今後の日常になる危険性がある」といっているだけです。

これはたとえばほんの10年程度前の監視カメラが世界中で設置され始めた時にも言われたことで、それまで「カメラに監視されない日常」が「カメラに監視されるという非日常」を通じてそれが日常になっていた経験があるわたしたちからみれば、その言い方は「危険性を警告したいのは理解するが、少しセンシティブにすぎるのではないか」と思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2020/03/29 20:16

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