初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

海外旅行について。日本人が海外旅行に行けるようになるのはいつぐらいですかねー。2022年にコロナが落ち着いてもアジア人差別が酷くなってそうだし。。

A 回答 (3件)

私も旅行が好きです。


いろいろなタイプも。
乗り物を作る仕事をしてましたし、テッチャン(鉄道ファン)ですから。

でも、このコロナ禍。
感染が落ち着くのに、きっと3年ぐらいはかかるでしょう。
でも感染が止まるだけではダメで、治療薬と予防のワクチンが出来、それが普及して、もう再発がないという成果が出てなんぼですから。

その後、人々の生活が復旧し、経済も落ち着き、人種や移民問題なんかも落ち着いて、家族や友達で以前のように旅行なんかができるようになるには、最低でも5~7年、下手をすると10年かかるかもしれません。
冗談ではなく。

私はプロファイルに記したような者です。
今は昨年から最後の仕事で日本に滞在していて、今夏にリタイアしてアメリカに帰ろうとしていました。
毎年幾度となく太平洋をはさんで行き来し、その最後がこれと言うのも何かの因縁なんでしょうか。

なんとか帰れればいいのですが。

連休で暇で、あなたから『海外旅行』というお題をいただいたので、このコロナ禍が去って旅行を楽しめるようになった時のご参考に、経験をお話ししてみましょう。
私も思い出すのが楽しいので。

夏のオーストリアです。
結婚したての若い頃で、家内といろいろなところを貧乏旅行した時のことです。

家内と私にはいろいろ共通の興味があります。
旅行、音楽、食べ物、絵、歴史、踊り・・・
なので、ウィーンは格好の訪問先でした。

そういったことを楽しめる場所がオーストリアにはもうひとつあります。
ザルツブルクです。
映画サウンドオブミュージックの舞台になったことでも有名ですが、それ以上に、ウィーンにも勝る音楽の都でもあります。

普通、ウィーンからザルツブルクに移動すると言えば、西に向かって走るリンツを通るルートを使います。
ほぼ平地を直線的に走るので短時間で行けます。
でも私はテッチャン。
ずっと南を回る経路を取りました。
日本で言ったら、東京から名古屋に行くのに、新幹線を使わず、富山・金沢なんかを通っていくようなものです。

経路は、以下の通りです。
ウィーン ⇒ ウィーナーノイシュタット ⇒ レオベーン ⇒ シュピールベルク ⇒ ヴォルフスベルク ⇒ クラーゲンフルト ⇒ フィラハ ⇒ シュッピッタル・アン・デア・ドラウ ⇒ バート・ガスタイン ⇒ ビショフス・ホーフェン ⇒ ハライン ⇒ ザルツブルク
グーグルマップやガイドブックなどで見てみてください。

当時使った列車は、今はなくなったウィーン南駅を朝出て、ザルツブルクに夕方に着きました。
この列車はウィーンからザルツブルクまで直通するものでしたが、これは今はありません。
今は途中のクラーゲンフルトで乗り換えなければいけなくなってしまいました。

このルートは素晴らしいんです。
オーストリアの田舎の景勝地を串刺しにして走るからです。
どこが良いと言うのでなく、言ってみれば全部素晴らしいんです。
当時の列車は、天気がいいと、特に人気のある景勝地では速度を落としたり臨時停車してくれたりしました。
幸い私たちはいい天気に恵まれ、車掌さんは観光案内までしてくれました。

特段の見どころと感じたのはクラーゲンフルトを出た後の村々。
湖のほとりに尖塔の教会を中心にした小さな村々が散在しています。
草原と林が織りなす風景と相まって、中世の世界がそのまま残っていました。

そしてもうひとつが氷河が刻んだアルプスの谷にへばりつくように広がる牧場。
クラーゲンフルトから先、しばらく谷底の平地を走ると列車はだんだん険しい谷の壁を這いつくばるように登り始めます。
そして、駅でもなんでもないところに止まります。
列車が走る側とは反対側の谷の壁面をみると、まばらに見える牛のいる牧草地の斜面に、つづら折りの道と鮮やかな色どりで縁取られた建物が美しい。
それこそ、アルプスの村の景色を絵に描いたようでした。
窓を開けると、聞こえるのは鳥のさえずりだけ。
これが列車の旅かと驚きました。
家内とは、いつかはここに来てしばらく過ごしたいと話したもんです。
たぶん、マルニッツのあたりだと思います。

もうひとつの経験をお話ししましょう。
ザルツブルクからの日帰り観光です。
観光と言っても誰かに連れて行ってもらったりバスツアーではありません。
私たちが良くやった旅です。

私たちはよく『じゃんけん』ギャンブルの旅をしてました。
2人でじゃんけんをし、勝った方が方向や乗り物を決めるんです。
でも、降りる場所は乗った後のじゃんけんで決めます。

その日はザルツブルクからで、家内が勝ってインスブルック方向へ。
乗った後のじゃんけんは私が勝ち、イエンバッハで見つけたローカル線のSL列車に。
次も私がまた勝ち、途中のツェルアムツェラーという田舎町で駅前にバスが止まっているのを見つけて降りることに。

行ってみると地元の小中学生が数人バス待ちをしているだけ。
地元の路線バスです。
運転手に聞くと東を指さして、あの峠にあるケーニヒスライテンまで行き、そこから向こうに峠を下ってツェルアムゼーまで行くとのこと。
ザルツブルクに帰れるかと聞くと、ツェルアムゼーからは直通の列車が出ていると。
なので、それで行ってみることに。

途中の景色はただの田舎の山道でした。
客の子どもたちも、ひとり、またひとり、通りて行き、ケーニヒスライテンに着いた時には客は私たちだけでした。

時は昼。
バスドライバーに出発時間を聞くと食事時間ぐらいはありそう。
聞けば、たぶん1件だけロッジが開いてるだろうと。
行ってみて聞いてみると、簡単なものなら食事は作ってくれるとのこと。
よくは覚えてませんが、ハムやサーモン、チーズなんかを肴にビールやワインと、リンギニかなんかのパスタをいただいたように記憶してます。

そこはスキー場でした。
レストランは広い立派なウッドデッキを持っていて、そこでいただきました。
冬なら大勢のスキーヤーが、それこそ映画のワンシーンのように集うところなんでしょうが、そのときは夏。
ここもまた鳥のさえずりだけしか聞こえない草原。
それを独り占めした静かな昼食でした。

峠を越えて下るとき、テッチャンの私には見捨てておけない線路を発見。
運転手に聞くと、この鉄道もツェルアムゼーまで行くと言います。
カミさんと交渉し、途中でバスを降りてこの鉄道に乗ることに。
後から知りましたが、結構有名なローカル線で、冬のスキーシーズンには大活躍するのだそうです。

そんな無計画な旅でしたが、無事ザルツブルクへ戻り、いい経験をしたと家内とは話し合いました。

ちなみに、オーストリアもドイツと同じ文化圏。
そんな意味で、ビール、ワインに加え、ジャガイモ、ソーセージ、ハム、チーズは特産物。
レストランではなく、町にはいくつかの公園があり、夕方になるとそこでは屋台が出て食べれます。
キャベツなんかをちょっと酸っぱく痛めたものなんかも併せ、レストランとは違ったオープンな食事が安く楽しめます。
楽隊や楽器を弾いてくれる人なんかも来てにぎやかで楽しいです。
それから、おやつやデザートのケーキなんかも楽しめます。
美味しいので、毎日いい気になって食べてると後が大変ですのでお気を付けください。

こういったことが楽しめる日がまた早く来るといいですね。
人々の文化や気持ちが萎えたり変わってしまっていないことを祈ります。
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先のことは誰にも分かりません。

それでも、おそらく今年中にはある程度の収束も見られるでしょうが、特効薬やワクチンの開発と、なによりもその普及が世界規模で達成できるまでには、まだまだ月日が必要でしょう。
ただ、アジア人差別が酷くなってそうだし…との心配は分かりますが、海外旅行の目的、行き先、そしてなによりもあなた自身の態度や慣れ、あるいは語学力などによっても、酷くなるかならないかが大きく違ってくると思います。日本人であっても、いかにもその滞在先で、長く住んできたような自然な溶け込みができるなら、まず差別などは受けることもないと思います。
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普通の日本人は海外旅行しない時代になるよ。



外国語堪能な日本人だけが海外旅行して、
外国語ができない日本人はVRメガネで楽しむ時代が到来するんやで。
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