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私は純文学のコンクールに応募しようと考えています。ところで、夏目漱石の『吾輩は猫である』は猫が人間たちについて語る物語であり、人生観や倫理観などとはあまり関係のないファンタジー小説のように感じるのですが、純文学なのですか?もし『吾輩は猫である』が純文学であるならば、「死後の世界とは、どのようなものか」という主題で物語が展開してゆくファンタジー小説も純文学になり得るのでしょうか?文学愛好家のかた、ていねいに教えて下さい。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

純文学とはエンタメ性よりも芸術性を重視するという。


何ですかね。このヒドイ定義は!

狭い意味では「現代社会の矛盾や闇に対する、個々の人々の理想と葛藤を鋭く描写する」みたいな感じなんでしょうね。

ご質問の趣旨は、上記の喩え文中の冒頭にある「現代社会」を「異次元世界や仮想社会」に置き換えても良いのか?
ということになるのでしょうか。

私的には何の問題ないと思いますが、「死後の世界」が「現代社会」の生き様に与える影響と、その影響に対する現代社会人の葛藤を鋭く描写する。というように現代社会を中心に描くことにすれば、誰からも「これは純文学ではない」という非難を浴びずに済みそうな気がします。
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純文学の対応するのは、大衆文学・通俗文学でしょうか。

『吾輩は猫である』は一応純文学の系列に入るでしょう。しかし、「ファンタジー小説」とは思えません。ただ、死後を語る「ファンタジー」は純文学に入れてもおかしくはないと思います。しかし、その具体象が浮かんできません。どのような例が考えられますか。『吾輩は猫である』は「ファンタジー」ではなく、学者達の世界を皮肉な目で捉えた写実的な作品だと思います。
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大昔から繰り返されるテーマです。


様々な人が、様々な立場から都合の良い理屈を出しています。
結論は、正解はない、ということです。

共通して言えることは、
「純文学とそれ以外との境界は明確ではないが、
境界があることは確かだ」
ということです。

もともと、文学の定義が不明瞭なわけですから、
純文学の定義が不明瞭なのは当たり前です。

例えば、「城崎にて」と風俗小説とを
同じジャンルだというような、
極端で、明らかに間違っている使い方以外は、
純文学か大衆小説か、どちらにしても、
誰からも文句を言われる筋合いのものではありません。

もし、小説の懸賞募集がある場合に、
その作品のジャンルとして純文学、
と表記しているものがあったとしたら、
作品を募集している団体は、
文学について全く理解できていないところであるといえます。
レベルの低い文学賞です。

純文学の代表である、文學界新人賞には、
ジャンルに純文学などとは書いていません。

源氏物語や谷崎潤一郎の作品を、理論的に風俗小説という人も少数ですがいます。
また、仏教の経文を純文学だという人もいます。

簡単に言えば、純文学か、そうではないかの区別は、
どうでも良いことなのです。

応募しようとしているコンクールが、
純文学を募集、と表記しているのなら、
レベルの低い文学賞だと思って、
常識的に考えればよいのです。
だから、ファンタジー小説も、応募ジャンルに入ります。
おそらく、選考者はそんなこと気にしてないでしょう。

常識的には、純文学というのは、
文学世界を創出することを目的として書かれた作品です。
小説の素材に何を使うかは関係ありません。

小説を、何かの手段、例えば、社会変革や思想宗教の宣伝などに
利用する作品は、純文学とは言わないのです。

だから、厳密に言えば、プロレタリア文学などは、
小説作品を手段として、共産主義社会を実現することを
目的にしているので、純文学とは言えません。
もちろん異論は多くあります。

下記など参考に。
http://www.kokoro7.com/
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その当時、ファンタジー小説というジャンルがなかったんです。



後からジャンルづけがアレコレされてきただけでして、夏目漱石の時代に「空想小説」は存在したかもしれないけれど「ファンタジー小説」というものはなかっただけなんですね。

後世の人がそのように言ってるだけで、夏目漱石はクソ真面目にお話を書いてただけだと言い切っても大丈夫なコトだと思います。
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