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こんにちは。文学に造詣は深くないので(というか浅い造詣すらないので)素っ頓狂な事を聞いていたら申し訳ありません・・・と始めにお断りいたしまして・・・。

ズバリ「文学」の評価とはどのように決まるものなのでしょうか?

例えば芥川賞やノーベル文学賞で評価されるような「文学」とはどう評価されるのでしょう?例えば

・ストーリーの構成能力(?)
・どれだけ作者の哲学的な世界観が織り込まれているか(?)
・その世界観への評価(?)
・言葉の技巧的なうまさ(?)
・現代の政治や世界のあり方(?)などへの批評能力(?)

みたいなものなのかな、などと勝手に思っているのですが、全然違うところを見ているのでしょうか?またこのような「文学」への評価は「ストーリー展開など話自体の面白さ(?)」も評価されるのでしょうか?

文学と言う様々な主題を扱うものをどう評価しているのだろう・・・という疑問です。

もちろん賞によって違うのでしょうけれど、芥川賞と直木賞では芥川賞で言われるような「文学」の価値基準、評価基準(?)について(このような素人からの漠然とした質問には答えにくいのは予想が付くのですが、そこをひとつ)浅はかな私に噛み砕いてご教授願えますと幸いです。

(「文学は評価など気にせず楽しめばいいんだ」、とか、「あなたにとって価値がある事が大事なのだ」、とかの回答ではなく、賞などのにおいてどう評価されるかというような角度からのご回答をお願い申し上げます。)

A 回答 (1件)

誤解を恐れず一言で言ってしまえば「純文学」とは、特に芸術性を重視して文学を評価する言葉です。


ですから、基準は、「いかに純文学として優れているか」としか言いようがありません。自己矛盾的ですが、こう説明するほかないと思います。なぜか。

芸術とは、普遍的でありながら斬新で、かつ、それに触れるものの心になんらかのざわめきを引き起こすものの総体です。しかし、「芸術」という物体がそこにあるわけではないので、「芸術」の全体はわれわれには決して見ることはできず、その表象は個別にしかあらわれません。まさしくプラトンの言うとおりです。ですから、tincanadaさんが例としてあげておられるような

>・ストーリーの構成能力(?)
>・どれだけ作者の哲学的な世界観が織り込まれているか(?)
>・その世界観への評価(?)
>・言葉の技巧的なうまさ(?)
>・現代の政治や世界のあり方(?)などへの批評能力(?)

などの個別を見ていってしまえば、それらはすべて評価の対象となり、かつ、それらをいかに満たしていたとしてもそれだけでは評価されないでしょう。

しかしこれでは回答にならないかも知れませんので、わかりやすく説明できるようがんばってみます。tincanadaさんなさった質問の「文学」に関する部分をそのまま別のものに置き換えてみてください。総体として存在しているのに、個別にしか見えないもの。例えば、「芸術的な絵画」ではどうでしょう。

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「芸術的な絵画」とはどう評価されるのでしょう?
・画面の構成力?
・どれだけ作者の哲学的な世界観が織り込まれているか?
・その世界観への評価(?)
・絵の技巧的なうまさ(?)
・色使い(?)
絵画と言う様々な主題を扱うものをどう評価しているのだろう・・・という疑問
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どうでしょうか。

「男らしさ」ならどうでしょうか。

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「男らしさ」とはどう評価されるのでしょう?
・腕力の強さ?
・どれだけ独自の世界観を持っているか?
・友情を大切にする(?)
・夢を持っている(?)
・女性に対する優しさ(?)
男らしさと言う様々な主題を扱うものをどう評価しているのだろう・・・という疑問
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どうでしょう。「個別の事象がすべて評価の対象となり、かつそれだけでは評価の対象となりえないもの」が世の中にはあることがお分かりいただけるでしょうか。

賞という明確なものがあるのが混乱のもとではありますが・・・

質問を見ますと、授賞の基準を探ることで文学の評価の本質に迫ろうとしているように見受けられましたので、いちおう言っておきたいのですが、ある小説に対して「賞」が与えられる、ということとある小説が(批評家や同業者などに)優れた作品であると評価されるという事の間にはしばしば大きなずれがあります。この点を混同しながら文学の価値を探っていくと、あなたなりの答えを見出した時にひどく純文学に対して失望する事になります。

そんな事はわかっているよ!と言われるかもしれませんが、非常に大事な事です。現在の芥川賞は見ているこっちが恥ずかしくなるほどあからさまに利権にまみれていますが、それでも依然として「純文学」を扱うという建前をくずさない。しかし、「純文学」を扱う団体が様々な思惑で評価を下していたとしても、そんな事は「純文学」を否定する一抹の要因にもなりません。そのねじれが、混乱を引き起こすのでしょう。
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この回答へのお礼

こんにちは。
非常に丁寧に回答頂き恐縮しております。

>賞という明確なものがあるのが混乱のもとではありますが・・・

まさにこの点が私の「混乱」を引き起こしていたようです。

>どうでしょう。「個別の事象がすべて評価の対象となり、かつそれだ>けでは評価の対象となりえないもの」が世の中にはあることがお分か>りいただけるでしょうか。

そうなんです。私としては逆に、もともとそのように文学とは「個別の事象がすべて評価の対象となり、かつそれだけでは評価の対象となりえないもの」のはずでは、という考えから、それならばどのように「賞」があり得るのか、「純文学としての」賞がある以上、やはりどこかに基準(?)があるのかという疑問から質問して見ようと思いました。 

でもそうなってくると、確かに「文学そのものの評価」と「文学賞の評価(基準)」をやや混乱しながら、あるいはやや同一視しながら質問していたことに気づきました。ご指摘感謝致します。(それに芥川賞と、個別の作品に与えられるわけではないノーベル賞を一緒に例に挙げているところで私の思慮の浅はかさを露呈していますね)。

>そんな事はわかっているよ!と言われるかもしれませんが

いえいえ、そんなところを混乱しながら質問していたようです。
ご回答で私の頭の霧が少しずつ晴れてきました。

そして文学が「個別の事象がすべて評価の対象となり、かつそれだけでは評価の対象となりえない」奥の深いものである事を再認識しました。

改めてご回答感謝致します。

お礼日時:2006/08/24 09:09

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