プロが教えるわが家の防犯対策術!

若者ですが、人間の質の低さに呆れてます

自分のことばかり、保身のためには長いものに巻かれてスケープゴートに全てを押し付ける

こういった殺人が世の中に溢れまくってます
とても身近です
そして誰も助けません

崖から落ちそうな人がいれば巻き込まれないように手を差し伸べるどころか落とそうとさえします

こういった傾向は全世界どこにでもあるものでしょうか?
助け合いの精神など本当に困った人からは何も得られないからと殆どありません

基本はギブアンドテイクで何も得られないなら冷酷なまでに利己的です

いつからこうなってしまったのでしょうか?
それともこれが人間の本質ですか?
どう思いますか?

A 回答 (11件中1~10件)

人間は基本的に弱い生き物。


悪いことをするのも、弱さ故だ。
自分の中の弱さを振り返ってみてほしい。

そして、助けるべき人がいるなら、あなたがまず率先して助けよう。
世界中で日々たくさんの人が理不尽な死を迎えている。それら全てを助けることはできない。それぞれが、自分にできる範囲で助けるしかない。自分で動かない限り、あなたの言っていることは絵に描いた餅だ。

社会で起きている様々な問題に関心を持ち続けることも、世の中を変える一助になる。基本的に、今の社会の仕組みは、法律の範囲内ならば、個々人が利己的に動くことを是としている。だからこそ、社会の仕組みとして弱い人、困っている人を助けることが必要になる。

「崖から落ちそうな人」はどこに、何人くらいいるの?
自分自身が今、何ができるのか、考えてみてほしい。あなたでは手が足りないなら、それを社会に訴えよう。
人間の本質は弱いが、それを変えていくことができるのも人間だ。
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そうですね、その通りだと・・。


結局人は我が身優先ですね、
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所詮そんなものかも。


お人好しは止めました。
自分優先が正しいです。
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人はどう頑張ろうと追い詰められた時にその本性が見えるもんだと思います。



信じ過ぎるのも考えもんです。
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これが人間の本質だと思っているのに、あなたのいう人間の質とは?


そもそもスケープゴートは山羊を指す言葉であり、山羊だって同じこと。

質の高い低いを見極められるのは、尺の正しい定規(基準)であり、
本質が見極められていない人に、正しい質を推し量ることはできないと思いますね。
特に人間が人間を測るのは、相対関係の主観であり、絶対的な客観基準を持ちません。
質の低さに呆れるとは、観測を正しく行わない怠惰ですしね。

思索が足りないし、見識が足りず、本質はそこではない。
知ったかぶりの全能感で、若者特有の意見だと思います。
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この回答へのお礼

ちょっと何を言ってるか分かりませんね
本質とは何か、理解してるならご自身で語ってみては?
人からの批評を恐れる人の意見など価値がありません

お礼日時:2021/05/22 09:16

本質ならば社会性は不要になるのだから、それは人であって人間とは言えない、現代社会では社会性を重視してこれを守らなければならないのだから、自ずと分かろうものだが、人は進化して人間になっている最中と考えればさして不思議なことでもない。


わかる人間から人間性と社会性を実現して人を導いていく必要があると私は思う。
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身内以外はそうでしょうね


昔からそうです
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わかった人から直していくの意見に同意。



わからない人は分かるまでわからないから直すのが遅くなる。

一生かかっても気付かない人はそのまま死んで行く。
当然次世代への価値継承は起きない。
家系的に気が付くのが遅くなる。
大体他人の痛みはわからない家であり、そういうことは考えなくても良い方針である。
気がつくはずはない。
それもそのはず、先代からの価値感基準を引き継いでいる。

全体の持続が可能かどうかの観点で考えるべきかと。
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こういう投稿をすると「世間知らず」つまり無知か原理主義者か引きこもりかのどれかだ、ということがバレるぜ。



自分自身が世の中に接すれば嫌でも分かることなのだからな。
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この回答へのお礼

まずは自分の意見言おうな
一丁前に批評家気取るのは小学生まで
恥ずかしいからやめようね

お礼日時:2021/05/22 21:57

「助け合い」というのは、それをする方が自身及び自身の子孫の生存に有利だから行うのです。


日本は比較的助け合いの精神が強いとされています。
これはなぜかと言えば、米作には村中の協力が必要だったということと、災害が多い国なので他人と助け合うことによって生存確率が上がるからだ、と言われています。
特に、同じ日本でも、東北地方はその傾向が強い。
何故なら、気候が厳しいため、助け合わないことには冬を生き残ることすら難しかったからです。
では、昔の日本人はどんな人にも「助け合いの精神」を発揮したのか?と言ったら、決してそういうわけではありません。
助け合うのは「仲間」であって、他の村、村の掟を破った者など、「仲間」じゃないもの=リターンを見込めない相手に対してまで親切心を発揮することは、そう多くは無いのです。
今の世の中で言うなら、「同じ日本人」「同じ人類」という広い範囲で「仲間」と思える人は人助けをするでしょうけど、「友人」などの狭い範囲の人しか「仲間」と思えない人が他人を助けることはしないのは、当たり前のことなのです。

一方、日本人が「利己的だ」とよく批判の対象にする中国ですが、中国人にとっての「仲間」は、基本的に親族です。同じ地域に住む人ではありません。
で、親族が仲間なので、偉い地位に就いたら親族を優遇するのは「助け合い」の一環なのです。
これは、文化などの違いによりますので、どちらが良いとか悪いとか、優れているとか劣っているとかの話ではありません。
日本と「仲間」の適用範囲が違うだけの話です。
アジア圏だけじゃなく、どの国であっても、大なり小なり「仲間」の「助け合い」はあって、逆に言えば、「仲間以外」への「冷たい仕打ち」もあります。

これが人間の本質か?と聞かれたら、人間の本質だし、人間以外の生き物もみんな基本的にそうですから、「生き物の本質」でしょうね、と答えます。
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この回答へのお礼

日本は世界一人を助けないそうで外国人も同じことを言ってました
まず日本は家と外で分けるそうです
例えばアメリカでは個室が子供に与えられますが、その外は家族含めて全員外です
比較的分け隔てなく接すると聞きます

お礼日時:2021/05/24 13:58

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