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全体としても良く分かってはいないのですが、ある部分が特に不明です。
ちょっと長いのですが、そこを写し取ってみます。

《表示的擬人観》
《全宇宙を色心不二の大日と云い、神の本質を表示するに人格を以ってす。
汎神。世界は全一体。物質の万物は普遍の相関に統一せられ、内容生活もまた全一なり。精神に統一せらる。
六大は物質と意質の二質なり。この両面は同等の位にあらず。識大は真の実在にして、五大は意志に実現せられたる現象にすぎず。識大と五大、即ち色と心とは、元と一体の二属性と云うべし。これを全知全能なる如来一大精神に帰、せざるべからず。
故に、六大に全知全能、即ち絶対写象と絶対意志となり。これを統一せる精神を如来法身と云う。

汎神論に全一の如来身を論究する要点は、世界万物は普遍の相関に統一性を有し、全一体。【万物は内部より自発的の調和を保つものにして、外界より必然に律せられて活動するものに非ず。全体としての万有は外的の制裁を受けず。活動は自己の内部より自発的にして、外界より世界に伝うものなし】

汎神論の神は人格に擬するも、元より人類に有する内的生活を有するにあらず。人格の自己意識なる思考および意志の如きは、全一なる神に有りとは云うべからず。神には人の如く感情、自覚等の如き個人的人格の要素に非ざる事、言をまたず。

人間の不円満なる不完全なるに反し、神は完全に円満。如来を人格に擬するは、全知全能神聖等の属性なる唯、表号的の形容をなすのみ。これ全く如来の本質を人格なりと云うに非ず。宇宙精神を人間精神に比して、神にこれの如き精神有りとして写象し、最完全なる善美なる性質によりて、表号的に神を形容して人格に擬す。故に表号的擬人観とす。》
※ 全体としては何となく分かったような気になってはいるのですが、どうしてもわからない部分があります。
【万物は内部より自発的の調和を保つものにして、外界より必然に律せられて活動するものに非ず。全体としての万有は、外的の制裁を受けず。活動は自己の内部より自発的にして、外界より世界に伝うもの無し】
この部分が何度も読み返すのですが分かりません。
内部、外部、自発的、とはどんな意味なのでしょうか。
出来れば、全体の解釈も加えて説明していただきたいのですが。

宜しくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • 一旦は分かったかのようなお礼をしましたが、やはりイマイチ?と云ったところです。
    でも、頂いた回答は十分な助言でした。

    有り難うございました。

      補足日時:2023/04/23 09:03

A 回答 (1件)

直接の回答ではないのですが。



何の経典だったか忘れたのですが、多分仏典で、次のような喜寿を思い出しました。
「全一体への執著も離れて・・・」

全一性を知った人は、それに囚われがちになると言うのは本当で、この質問の文章を書いた人も、おそらく全一体に執心しているのではないかと思われます。

この文章で言いたいことはおそらく次です。

全一体は神格で在り、人格としてあらわすことは出来ない。仮に表す場合はあくまで擬人的かつ表号的に表す、という感じだと思います。

引用:万物は内部より自発的の調和を保つものにして、外界より必然に律せられて活動するものに非ず。全体としての万有は、外的の制裁を受けず。活動は自己の内部より自発的にして、外界より世界に伝うもの無し

これの意味は、万物に法は内包される、という意味だと思います。
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この回答へのお礼

喜寿を記述に、執著を執着と読み替えて見ました。

頂いた回答と質問文とを読み返し、照らし合わせて考えましたので、結論めいたことを述べて見ようと思います。

全一体とは、宇宙・世界は一つである、と云う事。
一つで在るから、外部と云うものは無い。
拠って、宇宙の活動は、この宇宙と云う内部のエネルギーの結果である。
また、回答の“万物に法は内包される”を、法=理性としました。

宇宙の現象は科学が証明しているように、理的に運動しています。
有機物も理的な反応である、と云ってよいかと思います。
精神の仕組みは、釈尊の四諦八正道で明らかにされていて、こうした心の活動・反応をも理的である、と云ってみたい。

このように考えました。
有り難うございました。

お礼日時:2023/04/22 10:34

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