
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
詩を読めばぼんやりと意味がつかめるとは思いますが、「生ませたい」という希望より、もう少し強い意志をあらわした表現です。
つまり産婆さんの言った「生ませましょう」を言い換えたものです。
自分の命に代えても「生ませてみせよう」という決意と、新しい命が無事に「生れてほしい」という願望が同時に込められています。
限りなく気高いけれど、あまりにも悲しく、残酷な決意がこの一語に凝縮されていますね。
この回答へのお礼
お礼日時:2005/03/11 01:00
みなさまのご回答、大変ありがたく読ませて頂きました。
ひとまとめにお礼を書かせて頂きます事をお許し下さい。
みなさんが答えてくれたように、この詩を読んで、心で感じたそれが答えなのだと思いました。これからもこの詩を心に刻み、子供達にも伝えていけたらと思います。
どうもありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
文法的なものや絶対にこれという答えを求めてらっしゃるのなら
回答というほどのものではありません。
栗原貞子さんご本人の思いからして皆感じる事はそう違わないと思います。
産婆として「無事にとりあげたい、産ましたい、救いたい・・・」
と、私の心にはそう響き、感じます。
被爆から六十年を迎える今まで、
この詩がとてつもなく重い事実で人々の心を
大きく揺さぶり、影響を与えてきた、
そう思います。
詩をご存じない方のために、
許可を得て掲載されてるサイトです。
参考URL:http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/KU …
No.1
- 回答日時:
「生ましめんかな」の「ん」は意志の助動詞です。
また、「かな」は詠嘆の終助詞です。「生ませようよ」が近いと思います。
悲惨な状況の中で、新しい命が芽生えようとするときの、産婆さんの自らの仕事への誇りと、人間の決して希望を捨てずに自分より新しい命を大切にしようとする美しい気持ちが、感じられる詩だと思います。
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