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世の中で言う遅咲きの人間のことを大器晩成と言いますが、正直言って大器晩成とは聞こえはいいですが、何の得もなく死ぬまでの間は損ばかりだと思います。 大器晩成型の人の人生は決していいものではありませんし、晩成すらできない事すらあり得るからです。
その根拠として、以下に現代における大器晩成のデメリットを挙げてみます。

・大器晩成する前の人生の大部分が苦労や努力だけであり、大した楽しみもない

・晩成する前に病気で死んだり災害、流行り病等様々なイレギュラーが襲ってきます、そのイレギュラーにより今までの努力が水の泡に帰す可能性の方が非常に高い
現に、コロナ禍がその典型

・晩成した頃には今まで馬鹿にしてた人たちが亡くなっていたり、人格が変わって別人になっていたり自分より成功してる事がある

・晩成した頃には、自分を馬鹿にしてきた連中を見返したり復讐する対象が復讐に値しない存在になっていたりする

・晩成した頃には性機能が衰えています、
よって結婚できたとしても性生活に満足できなかったり、パートナーを満足させる事ができなくて不満を言われたり夫婦仲の問題にもつながる可能性がある
(そもそも結婚で自由を奪われるくらいなら独身の遊び人の方が有意義な人生を送れる)

・晩成した頃には新しい法律や価値観が出来て、女遊びができなくなる

・晩成した頃には自分の容姿がさらに衰え、大金を貢いでもろくな女性に相手にされず、結婚の相手は金目当てでたかりに来る婚活()女さんとや遊び人やチャラ男と遊んでた行き遅れオバさん

・晩成した頃にはオッサンまたはジジイ、
そんな自分を相手にしてくれるのもオバサンまたはお婆さん

私の持論では30歳になっても成功しなければ上記のうち1つくらいは起きて、理想とは程遠いものしか勝ち取れず妥協しなくてはいけなく、今までの努力が水の泡に帰す可能性が高いと思います。
それに加え、一定以上の経済力があっても、幸福度はそんなに変わらないでしょうから早熟の方が大器晩成より遥かに優れているし得だと思います。

現代のように複雑で要領が良く早さが求められる時代の場合、大器晩成系の才能を持つのは正直ご遠慮したいです。
あなた方はどう思いますか?

個人的に真剣に悩んで考えて見出した見解なので冷やかし、煽り、中傷はやめていただきますようお願いします。

質問者からの補足コメント

  • じゃぁあなたは親の七光りで病院やクリニックを引き継いだだけのろくすっぽ適切な治療もできないヤブ医者から薬漬けにされたり、手術が失敗して醜い姿でもいいんですね。
    司法試験が受かっただけでよちよち歩きのうだつの上がらない役に立つかもわからない弁護士に自分の身を預けられるんですね。
    すごいですね笑笑

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/12/12 02:10

A 回答 (4件)

ご質問者さんにとっての成功は、ご自身が満たされたと実感できるものならそれでよい気がします。

できるだけ若い年齢のうちに手に入れたい「成功」があるのでしたら、それでよいと。


やりたいことがあれば、よく考えて実行すればよいのではと。ご質問文からすると、「成功」というよりも「性向」もしくは「性交」のお話なのか、どちらとしても。



そもそも、私自身は「大器晩成」でも何でもOKです。「楽しみ」の有無は、本人のセンスやアンテナの感度の問題だと思いますし。蓄積してきた経験からわかる楽しみもありますから。



つまらないという場合は、自分から「楽しい」「面白い」といったことをしてみれば解消しますし。その人自身がつまらない人でない限りは。



人の数だけ、また年齢を重ねるにつれて、周囲の環境が変わってからも、「成功」の形は変わったり、増えていっても良いものだと思っています。他人を基準にすると、それに左右されるだけの話になるような。



「成功」の捉え方が人それぞれでしょうし、早い年齢で成功しようと、連続して成功しようと、本人が本当に求めていないものを周囲や世間の人が称賛しても、本人は満たされない状態も「成功」なのだと思います。



私は45歳男性です。生まれつき血液が固まりにくい持病があって、遺伝する可能性がある病気なのですが、今も右肩の内部と右ひじの内部で内出血が起きていて、右半身が使えない状態です。貧血気味で動けないですし。



ただ、生まれてから学生時代、20代、30代と過ごしてきて、幼いころから変わらない自分の「成功」の要件があります。この持病を抱えたまま、体調を安定させること自体が私にとっての「成功」です。


私自身の独特な「成功」の中身は、同じ病気の人のことを調べても、ニュースで話題になる人たちの中にも【実現した人がいない】ので、私がどんなに称賛されても、経済的に豊かになっても、逆に【どんなに貧しい状態や苦しい状態になっても心が満たされないし屈しない】ということを自覚しながら生きてきました。


私の親族は母方がメインなのですが、母方の祖父が経済的に地元で影響力を持っていた人ですが、家庭内部の状況や親族との関係、祖父が愛人二人にそれぞれ土地と家とお店をプレゼントしても、それで【成功したという実感はなかった】という祖父の言葉がありました。


母方の叔父たちも、若いころから女性の方から関係を持とうと寄ってきて、生前の祖母が暮らしていた家に見知らぬ女性がやってきて「お宅の長男さんの子供がいるのですが…」と言ってきた話があって。祖母は女性の嘘を見抜いて追い返したらしく。のちに、叔父は女性と面識がなかったとわかりましたが、そういった話もいくつかあって。「モテるのもいい話ばかりでもない」というか。トラブルの元ですし。



お金があった叔父に嘘で言い寄ってきた女性もいた、というのは叔父が成功していた話なのかどうかもわからないです。うらやましくもないし。


私自身が求める「成功」は、どこを探しても参考になる生き方をしている人がいないので、【自分の歩みの中で実感するものが「成功」】だと思っています。


誰かから見て私が成功して見えることも、誰かに勝つことも負けることも、私の「成功」には全く関係がないです。



他の誰かを対象に生きるわけでもなく、引き合いに出すこともないし。


その代わりに、職業上とか幼馴染の間では互いに「ライバル」という感覚はありますが、勝ち負けの相手ではないというか。切磋琢磨の相手ならわかります。


学生時代が良かったという人もいますが、その瞬間はその当時だけですが、時間的な長さでいうと、学生時代から何度もその時間の長さを経験しているわけで、その中で感じられることがのちの人生に影響すると考えると、年齢を重ねてからの体験も、何度でも感動できますし。



大人になって、年齢を重ねていくうちに、だんだんと【自分オリジナルの感覚がマヒしていくと、他人と比べるしか自分が見出せくなる】気もします。



そうなると、どんなに恵まれても自分だけでは何も感じなくなるような。



成功って、【本人が感じ取るもの】だとも思います。




自分オリジナルの「成功」というものを達成して実感できると、結局年齢も時代も関係ない気がします。
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こつこつとやって来たことが晩年報われ遅咲きながら成功を納めることは素晴らしいことです。

大器晩成と言われる人はそこら辺の成功者とはレベルが違うのでは?

おそらく誰もが大器晩成など狙っておらず早々に成功したいはずですが、ほとんどの人間が成功などせずに人生が終わることを考えると、晩成でも何かを成し遂げた成功者が損なはずがありません。
器の大きい成功者は女がどうとか性機能がとか誰かを見返すとか復讐とか考えないのですよ。そこが大器なのだと思います。
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大器晩成した頃にはたぶん浦島太郎みたいにお爺さんになってしまいますね。

でも1度も晩成できない人生も何だか寂しいと思います。
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将棋や囲碁のプロの年齢制限があるように、


医師国家試験や司法試験も年齢制限はあった方がよいと思います。
遅咲きの医師や弁護士にお世話になりたいとはあまり思いませんね。
この回答への補足あり
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