アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

生物にとって一番の目的であり喜びは自身の遺伝子を数多く残せる事であるというのを、どこかで見聞きしました。
そのためにオスはメスを求めて競い争い続けるし、それは人間も同様であるだろうと。
ただ、本当にそうなのかなと自分は思ってしまいました。

例えばですが、皆さんが男性だとしたらこれから示すA案とB案のどちらを選びたいですか?

A.自慰で出した自分の精子を不妊治療機関へ提供することで、世界中の1万人もの女性たちが顕微授精や体外受精を用いて、自分の子を一万人以上も産んでくれる。

B.添付画像ような人間の美少女そっくりな子たち4名が、自身を慕ってくれてエッチも含めて奉仕してくれる、ただし厳密には人間ではないため妊娠出産は不可能。

皆様はA案とB案のどちらを選びたいですか?
A案の方は直接エッチはできないから性欲は満たせないけれども、世界中の1万人もの女性たちが自身の遺伝子を受け継いだ子を産んでくれるわけです。
生物としてこれ以上の幸せはないはずです。

B案の方は人間そっくりな美少女たちといくらでも恋愛とエッチできて、性欲を存分に満たせるけれども。 彼女たちは猫耳尻尾やキツネ耳尻尾や狼耳尻尾人間や角が生えてて、人間そのものではないから妊娠だけは出来ないために自身の遺伝子は残せず、精子はある意味ことごとくムダ撃ちになってしまいますね。

自分はどちらかと問われればやはりB案を望んでしまいますね、自分の遺伝子を産んでくれるよりも、添付画像のような 美少女たちに奉仕してほしいですからww。
それとも、A案の方が嬉しいという人の方が多かったりしますかね? 生物としての一番の目的幸福は自身の遺伝子を少しでも多く残すことのはずですので。

A案とB案どちらがより人気でそうかな? 皆様はどちらを選びたいですかね。
男性からも女性からも、皆さんからのいろんな回答を待っていますね。

「自身の遺伝子をより多く残せる事が至上の幸」の質問画像

A 回答 (2件)

こんばんは。



まず、

「生物にとって一番の目的であり喜びは自身の遺伝子を数多く残せる事である」

これはヒトも、それ以外の種も含めて明確に間違いです。「目的」や「喜び」という表現が誤解の元で、単なる習性と目的・快楽などを混同しています。アイオーンアコさんが挙げられている美少女の例よりももっとどうしようもない反例があり過ぎて、妥当かどうか議論するまでもありません(反例は最後に挙げますね)。

「遺伝子を複製する機能と、複製に向いた習性」を、確かに生物は持っています。でも、じゃあ生物はそれに「喜び」を感じるのか、あるいは「目的」を持っているのかというと、そんなものある訳がないです。それらは脳の機能であり思考の産物ですから、脳のない大腸菌に「目的」や「喜び」などというものはないわけで。

もっと言えば、「自己複製する機能を持つアルゴリズム」を何の目的もなく人工的に造ることも可能ですし、それを使って生物の繁殖を予測・シミュレートすることも可能です。目的も、喜びも、何一つないただのアルゴリズムであっても、「自己複製の機能」自体は持ち得るんです。

なので、人間が理解する「喜び」や「目的」(そんなものはごく限られた生物しか持っていない)と「自己複製の機能・習性」は明確に分けて考えるべきです。

そして、我々ヒトは、その「機能・習性」による諸々の衝動を上手く別のことに利用しています。「子孫を残すこと」が目的なのではなくて、「子孫を残したいという衝動を利用して何ができるか」なんですね。それは例えば美しい女性に衝動を感じてしまうことを芸術に転用したり、女性にモテたいという欲求を社会的成功に転化してみたり。今挙げたものは物凄く直接的で単純なものですけど、もっと複雑に捩じれた表現方法が色々とあり、結果としてまあ、種全体としてはそれなりに隆盛する方向に行っています。

「習性」と「目的」を混同することは、例えれば「西向きに風が吹くこと」と「帆船が西に向かうこと」を混同するようなものです。風が西向きに吹いているんだからすべての船は西を目的地とするはずだ、という推論が間違っていることは明らかですよね。
風が西に吹いている以上、船が西に行きやすい傾向はあるでしょうけど、帆船の目的地はそれぞれで、東に向かう船も北に向かう船もあります。

最初の命題の反例、軽く思いつくものだけ挙げますが、

・ 結婚も性行為もしたくない、という人は事実います。
・ 機能的に可能でも子供をつくらない選択をする夫婦も実際います。
・ ゲイをどう説明しますか?
・ 聖職者の性行為を禁じる宗教をどう説明しますか?
・ セックス可能な彼女や妻がいるのに行う自慰行為はどう説明しますか?
・ 少子化をどう説明しますか?
・ 自殺をどう説明しますか?
・ 私自身、子供は今いる一人で十分と思っています。

これらは、別の観点を持って来ればそれぞれ、それなりに説得力のある説明はできますが、「遺伝子を数多く残すことこそ目的であり喜び」という観点では説明できません。

生物には機能はあっても「目的」は別にない(あるかも知れないが、別になくても誰も困らないし、上で述べたアルゴリズムと同様、生物は存在できる)し、「喜び」はある脳の機能をヒトが勝手に名付けたもので、脳を持たない生物には存在しないので、

「生物には自分の遺伝子を残す機能と習性がある」
「ヒトに関してもその機能と習性はあって、社会的な行動もそれに引きずられるケースがある」
「ヒトはその機能と習性を社会的な行動に利用することがある(帆船が西風を利用して切り上がることがあるように)」

くらいが言える精々じゃないでしょうか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとう

「遺伝子を複製する機能と、複製に向いた習性」を生物は持っているけれども、それを幸せや目的に認識出来得るのは人間だけなんですね。
習性や衝動を人間は芸術や創作活動に向けることができてきたようです、文明の興隆に一役買っているんですね。 面白いです。
ベストアンサー差し上げますね。

お礼日時:2023/01/12 21:26

生物学者の人たちが A案のことをよく言いますよね それは 動物のオスの本能だみたいな



学者と議論すれば自分は負けるのは目に見えてますが やはり人間は他の動物たちとはちょっと違うと思ってますけどね だからA案は空想とか妄想に思えてなりません
    • good
    • 0
この回答へのお礼

助かりました

やはり生物学者さんたちが、A案みたいなことを語るんですね。
でも、人間は他の動物たちとはいくらは違うんでしょう、回答ありがとです。

お礼日時:2023/01/12 21:22

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!