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塩野七生が次のように書いています。
<神をもたない日本には姦通小説の傑作が生まれない、と嘆く良心的な知識人がいるが、>
この内容は他の人でも読んだ記憶があります。

質問は、”神をもたない”と”姦通小説”はどのようにつながるのですか?

A 回答 (1件)

実際そうかどうかはさておき、


姦通の醍醐味は背徳で、背徳とは厳然たる正義があってこそそれに背く愉悦があるものだから、という理屈じゃないでしょうか。
神を持たなければ神に背くことが出来ませんから。

「天使にラブソングを」で主人公デロリスを狙うチンピラたちが、シスターに扮したデロリスを殺すことを躊躇うシーンがあったと思いますが、あの感覚って日本人にはちょっと分かりづらい気がします(尼さんや巫女さんを殺すことに躊躇いを覚えるとして、それは「人を殺すことへの躊躇い+α」であって、荒事上等のやくざ者が恐れることでもない)。

だから同じように、シスターとの姦通の背徳性の強さは日本では理解されにくいでしょうし、他にも結婚の誓いを教会で挙げはしても真剣に神に誓うわけじゃなく、結婚を神の結びつけたものと心底は信じていない日本では、神の結んだ夫婦の縁を寝取ることへの罪悪感は生まれにくいですよね。

ただ、日本には日本の、神ではない規範意識やしがらみは色々あるので、さてそれが本当に姦通小説の傑作を生み得ない土壌なのかと言われると、どうなんだろう、と疑問には思います。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<姦通の醍醐味は背徳で、背徳とは厳然たる正義があってこそそれに背く愉悦がある>のですね。
神を持たない日本では、背く醍醐味を賞味しない、のですね。

お礼日時:2023/01/10 08:58

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