最速怪談選手権

子供の頃に聞いた「幸せ」とは、勉強をたくさんした先にあるものだった。両親や親戚、教師や同級生、環境がそれを裏付けていた。成績が良ければ褒められ、羨望され、一目置かれた。成績が悪ければ心配され、馬鹿にされ、軽く見られた。高校生になるとそれがより顕著になり、その環境の中で自然と難関大学に進学した。

大学では一流企業、難関資格、キャリア官僚が「幸せ」へのパスポートとされ、「安定、高収入、社会的地位」が「幸せ」なのだろうと思った。それで大学院を経て難関資格を取得した。

就職後は出世を目指した。そうせざるを得なかった。年功序列で出世できずに自分の後輩や部下が先に出世すれば職場に居づらくなる。自分と同じように「安定、高収入、社会的地位」を勝ち取った能力の高い人達の中で日々比べられ競争する生活だった。

高プレッシャーに高ストレス、「これが幸せなんだろうか」と疑問に思いながらも、ただ負けたくなくて目の前のタスクをこなした。しかし能力には限界があり、上には上がいる。逆立ちしても到底敵わないほど有能な人というのが世の中には存在する。劣等感や敗北感に耐えながらこのまま進んだとして、この先に「幸せ」があるとは思えなかった。辞職した。

「幸せ」を感じた。しかしそれは「幸せ」ではなく、ただの解放感だったので長くは続かなかった。すぐに経済的な不安を感じた。「幸せ」とは「経済的な安心感」なのかもしれないと思った。それで既存の知識を使って投資家になった。

すぐに小金持ちになった。普通のサラリーマンの生涯収入分の貯金が出来た。一生分の生活費を満たす額の預金通帳を眺めながら、「これが幸せなのだろうか」と自分に問いかけた。ただ虚しさだけ感じた。

お金は自然に増えていく。おそらく人生を大きく踏み外すようなことさえしなければお金に困ることはもう無いだろう。それに難関資格を保有しているためそれなりの社会的地位も保持していると言える。自由に使える時間もある。毎日が暇すぎるくらいだ。

つまり、お金があり、社会的地位があり、時間もある。
僕は幸せなのだろうか。
今「幸せ」の中にいる状態なのだろうか。
そう思えないのは何故なのだろうか。

結局「幸せ」とは何なのだろうか?

A 回答 (13件中11~13件)

「幸せとは何だろうか?」などとじっくり考える余裕のある生活ができていることが既に幸せなのです。


収入が無く生活が厳しい人にはそんな優雅なことをしていられる余裕はありません

今の幸せに感謝しつつ、更なる幸せはどうやったらつかめるのかじっくり考えて追求してみてください
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この回答へのお礼

>収入が無く生活が厳しい人
それは「不幸な人」であって、僕は「不幸ではない」というだけでは。

>今の幸せに感謝しつつ
僕は今幸せということなんですか?

お礼日時:2023/02/04 21:36

からいぢゃ無くて。

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幸せは、


辛いの隣にいます。
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