アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

鬼滅の刃の世界の鬼が人を喰うのは食事をしないと死ぬから?それとも強くなるためだけに食ってるの?

A 回答 (6件)

>鬼滅の刃の世界の鬼が人を喰うのは食事をしないと死ぬから?



いいえ、「鬼滅の刃」世界の鬼は、食べなくても死にはしません。鬼たちは餓死ということがありません。
生き物はみな何か食べなければ死にますが、鬼滅の鬼はそういう「生き物とは違う何か」だということになります。

鬼が食べなくても死なないことは、最終選別で炭治郎が最初に出会った鬼が「久方ぶりの人肉だ」(=何カ月も食べなくても死なない)と言っていること、
作中で鬼を殺すには日光と、日光の力を蓄えた特別な武器による首の切断しかない(弱い鬼のみ藤の毒も)、と断言されていることからもわかります。


ではなぜ鬼滅の鬼たちは人を喰うか?
作中では、鬼は強い食人衝動を持つことが明かされています。
これが第一の理由に思われます。

>それとも強くなるためだけに食ってるの?

こういう理由で食べている鬼もいるでしょう。何しろ鬼たちが絶対服従を強いられている鬼舞辻は始終「私の役に立て。私の役に立つために強くなれ」という圧迫をかけてくるような創造者ですから。

また、上弦など強い鬼になれば「強くなること」に対して渇望がある鬼が多いため、強くなるためを意識して効率よく人を喰っている鬼がいることも描かれています。

しかし、「鬼滅の刃」の隠されたテーマが何か、ということを考えると、鬼たちが人を喰うのは
「人を傷つけ、殺したい、こいつを痛めつけていい気持ちになりたいという感情が湧くから」
でしょうね。

鬼滅の刃の世界で鬼が体現しているのは、リアル世界でも存在する人間の普遍的な感情です。
誰もが持つ悪の心です。
人を傷つけたい、こいつを殴りつけて泣き顔を見られたらどんなにすっとするだろう、人に優越しいい気分になりたい、こいつを殴りつけて泣き顔を見られたらどんなにすっとするだろう、こいつを殺したっていいんじゃないのか?…
等々。
そういう、利己的で、理不尽に他人を傷つけても気にしない感情、最終的には我欲のために他人を害してもかまわない良心のなさ、そういう悪の心を鬼という怪物の姿に転化し、娯楽作品として描いたのが「鬼滅の刃」です。

であれば、鬼たちが人を喰い殺す心にはこうした現実世界の人間の心を反映
しているでしょう。
鬼滅の鬼たちが「強くなりたい」という動機だとすれば、それは炭治郎や煉獄さんのような「理不尽に傷つけられる誰かを守るために」だとか、現実世界の大谷選手のような「もっと野球で良い成績を残したいから」だとかとは違うでしょう。
彼らが”強くなりたい”と言うのであればそれは、「強くなればもっと思うがまま人を殺し、人の幸せをせせら笑って馬鹿にできる力を手に入れられるから」という利己的な感情になるでしょう。

これは作中で鬼が悪とされているのと同じ理由でもあります。
作中で炭治郎は、鬼の「人間としての悲しみ」には寄り添いますが、人を傷つけることに良心の呵責を持たない鬼に対しては「自分のしたことの責任を取れ」「罪を償え!」と怒って叫びます。
ですが実を言うと、作中では人を喰い殺すこと自体は悪とはされていません。たとえばそれが「餓えから、人間を食べるために襲った人食いグマ」だとかは、争うのは利害の不一致であって、人食いグマは「罪を償え」と怒りを向けられる対象ではありません。
だから作中の人間も生きるために他の生き物を食べています。

でも鬼は違う。
なぜか?これは鬼が「人間の、利己的な悪の心」で人を攻撃する者だからです。
アニメ派の方のために伏せますが、作中でとある人物が、
「自分が命より大事なものでも、人は平気で踏みにじることができる」
と語る場面があります。
そのキャラクターの「自分の命より大事な者」を殺したのは鬼だということをそのキャラクターはよく知っているのにです。
「鬼滅の刃」の鬼は、元・人間です。
人を傷つけたいという悪の心だけになった何かです。

遊郭編で謎の剣士が言っていた「なぜ奪う?なぜ命を踏みつけにする?何が楽しい、何が面白い、命を何だと思っているんだ」は、だから完全に人間の社会の中だけの話なんです。
人間だって家畜とか他の生き物を食べるじゃん、という話は鬼滅ではしていない。
あくまでも「人間が人間を傷つける傲慢さ」に軸を置いています。

そして「鬼滅の刃」がこれだけヒットした一因の一つでもあるのではないかと思います。
鬼の中にあるのは誰しもが持っている「他人をやっつけてやりたい」という気持ちです。
そして、多くの人が、他人から理不尽に攻撃されて傷ついた経験をしています。理不尽に他人を踏みにじっていい気持ちになりたい他人に傷つけられて苦しい思いをした経験を持っています。
見る人は鬼にも、傷つけられた人を守るために奮闘する鬼殺隊のどちらにも感情移入できる。
「鬼滅の刃」はバトル物と呼ばれていますが、その本質は人間ドラマであるゆえんです。

そして、劇場版「鬼滅の刃 無限列車編」が大ヒットした一因でもあるだろうと思います。
煉獄さんは鬼にならないかと誘われて「いかなる理由があろうとも俺は鬼にはならない」と即答します。
能力的には、猗窩座は煉獄さんを無理やり鬼に変えることもできたのです。(性格上、鬼舞辻が決して許可はしないであろうことや、さすがに柱に全力で抵抗されては難しいだろうという事情はさておき)鬼舞辻は傲慢ですから、鬼に変える際に相手の許可など求めません。許可がなくとも人間を鬼に変えることはできます。
なのに、煉獄さんは「鬼に変えられたくない」ではなく「鬼にはならない」と言います。
少し、不思議な言い回しです。
これは鬼とは何かを意味してもいるからこういう言い回しになったんだろうと思います。
煉獄さんの発言は、「鬼であること=悪の心に染まった人間にはならない」という意味なのです。
彼は自分の強さを人間を守るために使う道だけ選んで、理不尽な悪に驚嘆する精神力で立ち向かいました。
観客は、人生の中で他人を傷つけたい自分の心の弱さを感じたこともあるし、傲慢で利己的な他人から傷つけられ泣いた経験もある。その両方に寄り添いながら、悪の道を断固拒絶した煉獄さんの精神の強靭さは、大人にこそ理解でき、心惹かれるものです。
鬼滅は大人にこそ刺さると言われる理由だと思います。

話がとっちらかっていますが、こうした作品のテーマや哲学を考えた時、
なぜ鬼滅の鬼は人を喰うか?

作中の設定としては「鬼は人を喰い殺したい衝動を持つから」ですが、もっと掘り下げて言えば、
「人間を傷つけたい気持ちを持つから」
なのです。
そしてそれ以外の動機はありません。
    • good
    • 1

人口爆発に歯止めをかけるため

    • good
    • 1

飢える訳ではないようですが、渇望するようで鬼化した後は、まず人を襲って喰うようです。

禰豆子しかり、珠世しかり、不死川の母親しかり。
強さは食べた人の数だという無惨の科白もありますが、稀血は特に強くなるようです。
    • good
    • 1

わかりやすくいうと、ラーメンが食いたくなる感覚だとおもってください。

    • good
    • 1

強くなるためと腹が減るから、です。


ほとんど不老不死なので食べないからと言って死ぬことは無いようです。

本当に死なないのかどうかは描かれていませんが、禰豆子を見る限りでは無惨に抵抗する強靭な精神力と睡眠があれば、なんとか食べずにいられるようです。
    • good
    • 0

強くなるためと、人間の肉が一番美味しく感じるから。


鬼になったら、人間の食事はまずくなるから。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!