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在来線鉄道に関する質問です。
関西本線名古屋口(名古屋・亀山間)というと、だいぶ昔では最大6両運転という黄金期があったと言いますよね。それが成されていたのは、西暦何年までだったのでしょうか?
各停でも特急でも、最大6連となっていたのでは…??

質問者からの補足コメント

  • ムッ

    >転換クロスシートで客を呼べるほど簡単な商売では無いのは分かりそうなモノですが、鉄道マニアの人達は盲目で気付かないものです。

    だったら、千鳥配置式セミクロスシートにしてしまえば良いようなもんでしょ。
    片方でロングシート、もう片方で転換クロスという配置にしておけば、充分。
    こういう例は、四国とかにでも見られるでしょうに。

    ロングシートは悪!!転換クロスこそ正義なり。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/08/01 07:47

A 回答 (1件)

こんばんは。



関西本線は最も活気があった頃は昭和30年代。西暦に直すと1959年頃になります。
伊勢湾台風が上陸し近鉄名古屋線が改軌する前の時期でした。

急行は9両編成や10両編成。
東京駅から直通で加太峠を越えて湊町駅(現在のJR難波駅)まで夜行急行が設定されていたり、京都から草津線を経由し、柘植駅から関西本線に直通し、名古屋駅や参宮線に乗り入れて鳥羽駅まで走っていました。

特急は「くろしお」(当時は天王寺↔️和歌山経由で名古屋)の合間運用で走っていた「あすか」。
東和歌山(現在の和歌山)↔️阪和貨物線、関西本線、奈良経由で名古屋を結ぶ列車だけでした。
昔は急行が殆どで特急など限られた線区しかありませんでした。
特急「あすか」、経路も所要時間も設定時間もよろしくなく、短命で終わりました。

普通列車は客車列車でしたが、1975年段階で荷物車+7両編成は普通に走っていました。
1982年の亀山電化で113系を投入。4両編成と6両編成でした。

6両編成で走っていた時期など、むしろ衰退期に入っていました。黄金期ではありません。

▪️東海道新幹線が出来た。
▪️東海道本線は電化と複線化が出来た。
▪️近鉄は改軌が完成し、京都↔️伊勢や名阪直通運転が出来るようになった。
▪️京都↔️名古屋で見ると、草津線を経由した方が米原経由より近いが、沿線に大きな都市がなく気動車急行で速達性が低かったので、電化出来ず所要時間が掛かってしまって衰退してしまった。
▪️名阪国道開通で自動車に負けた。

関西本線は上記理由で衰退してしまいました。
繰り返しになりますが、6両編成など衰退した時期のお話です。

165系3両が入ってきた1985年3月のダイヤ改正迄でしょうか。

近鉄名古屋線に旅客を取られ、起死回生をと213系5000番台投入したものの、効果はありませんでした。
2ドアゆえに乗降に手間取り、却って逆効果になってしまったのは記憶に新しいところです。

転換クロスシートで客を呼べるほど簡単な商売では無いのは分かりそうなモノですが、鉄道マニアの人達は盲目で気付かないものです。

あんな妄信的で現実を見ていない事を言うてたら、誰も耳を傾けないだろうに。
この回答への補足あり
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