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信州善光寺で今年、御朱印を頂いたのですが、最後の字は、「宮司」と読めるのですが、寺は住職ではないのでしょうか?それとも私の読み間違えでしょうか。誰か教えてください。よろしくお願いします。

「信州善光寺で今年、御朱印を頂いたのですが」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • ラッキー!

    皆さん、ありがとうございました。おかげさまで解決しました。まさか読み方を間違え勘違いしていました。(^◇^;)どうもありがとうございました。

      補足日時:2023/08/04 23:14

A 回答 (4件)

既回答の様に「堂司」でしょう。


読みは、「どうす」ですが、「どうし」も有るようです。
https://kotobank.jp/word/%E5%A0%82%E5%8F%B8-2066 …


長野善光寺のサイトにも、説明が有ります。
ここのサイトの「堂司」の読みは「どうじ」ですが、「住職」の意味が有るそうです。
https://xn----107a39dz2cl6mlufhmp.jinja-tera-gos …


また、「堂司」は、人名の文字にも使われるようですが、読みはいろいろ。

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私は「長野善光寺」と回答しましたが、長野県には「善光寺」が複数ありますから、あえて「長野善光寺」としましたが、「信州善光寺」でもOKです。

本田義光が、難波の海から拾った「一光三尊阿弥陀如来」は、本田義光の故郷の信濃へ帰ると、本田義光の家に仮安置となりました。
その後、「一光三尊阿弥陀如来」は長野市へ移転となりました。
本田義光の家の跡地が、飯田市の「元善光寺」となり、ここの地名が飯田市の「座光寺」。
長野市への途中、宿泊?休憩?したの跡地が「諏訪善光寺」。
いま、飯田市の「元善光寺」の近辺は、中央リニア新幹線の「新駅」に決まりました。


また、山梨県甲府市の善光寺は、正式名と「甲斐善光寺」ですが、「甲州善光寺」「甲府善光寺」などとも言われるようです。
甲州の武田信玄が信濃を征服すると、長野善光寺の「一光三尊阿弥陀如来」を強制的に移転した場所が、「甲斐善光寺」です。

織田信長が武田勢を滅ぼすと、今度は甲斐善光寺の「一光三尊阿弥陀如来」を尾張に強制的に移転。
その直後に本能寺で織田信長が打たれると、今度は、太閤秀吉が「一光三尊阿弥陀如来」に強制的に京都へ移転。
太閤秀吉は、京都の方広寺の大仏の本尊に「一光三尊阿弥陀如来」をしたかったらしいが、大地震で大仏が建設途中で崩壊とか、家康が方広寺の梵鐘の「家康」の文字のイチャモン付けや、太閤政権の弱体化、大阪の陣などで、「一光三尊阿弥陀如来」が一時行方不明など受難。
家康が江戸幕府を開くと、「一光三尊阿弥陀如来」を長野善光寺に返したらしいが、それ以後は、住職さえも見れない絶対秘仏となった。

絶対秘仏なので、代わりに「前立(まえだち)本尊」が有る。

本堂の下の「御戒壇めぐり」で暗闇の中を歩いて、「一光三尊阿弥陀如来」の真下で大きな極楽への入口「鍵」に触れると、極楽へ行けるといわれる。
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「堂司(どうじ)」と読むそうです。


「僧堂を司る」と言う意味で、住職を表すそうです。
以下出典リンク↓
https://xn----107a39dz2cl6mlufhmp.jinja-tera-gos …
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「堂司」(どうす)じゃないかな…責任は持てんけど

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