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厄年って信じますか?

37歳女です。
厄払いしました。
メンタルが辛いことが多くて、今年半分はキツいです…
厄年のせいにするのは違うのかもしれませんが
何か良い方向はないですか。

彼氏と去年知り合って、今年結婚予定だったのですが
色んなトラブルが発生して辛くなってます。
何で幸せだったのに…と思ってしまいます

A 回答 (5件)

厄年とは


昔の日本の風習で言う役年(やくどし)の事で
村単位で行われていた村の役が回ってくる歳の事です。
これは今でも田舎では風習として残っています。

この役(やく)は村の行事を全部しきる大きな役で
村の祭りを仕切って取り廻す大役の事です。
この大切な役の時に病気になって
役目が果たせなくなったら困るので
病気などにならないように
お払いをした習慣から来ています。

ですから、今の時代では全く無意味に
なっていますが厄年のお払いだけが
残ってしまっています。

厄年でお祓いなどの商売をしているのは
人の不安に付け込んだ
不安商法ですね。

厄年に悪いことが起こると思っているのは
悪いことが起こるのではないかと言う
目線で見ているから
少しの悪い事でも「厄年だから・・・」と
原因を厄年に結び付けて解釈してしまうからですね!
厄年とは全く関係無いです。

厄年には良い事が起こると
「どんな良い事が起こるのか?」・・・と
思っておられたら良いかと思います。
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あると思いますよ。



以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

「おまえそろそろ厄年だろ? 準備しているか?」

これは私が業界(先端分野の)で知り合った若手に向けて言った言葉です。「凄い怖いです。何とか覚悟して準備しています」と言っていました。企業規模が大きく人数が多いところでは当たり前に語られています。(人数が多いので)沢山事例を見ます。もはや無いと思う方が可笑しいという感じ。

大概はウツ症状が出ますね。ハチャメチャな行動を取ったりします。感情的に安定しませんし、常に気分が悪い。何故か事件や事故に巻き込まれやすくなります。自滅が増えます。

ちょっとした躓きのはずがドンドン影響が大きくなって止まらなくなる。

「なんでここまで酷くなるの? 酷いよ」

みたいな気持ちが収まりません。

実際にそういう事ばかり起きます。なのでやる気を出そうとしても「新しい嫌な事」が自分の気持ちを挫いてしまいます。そして八つ当たりをしたり投げやりな対応をしてしまう。ここで新たな事件の種(つまり自業自得が多い)を仕込んでしまうんです。それが忘れた頃に(誰かに助けて貰ったとかそういう時期)爆発して「やり直そうとした自分に水を差す」わけです。とんでもないネガティブループです。

「今まで幸せだったのは運の借金をしていただけ。
 本当は実力に対して分不相応の贅沢だったんだよ。
 そろそろ利息を付けて返してもらおうと思ってね?」

見たいな感じなのだと思います。

厄年はどうも脳の働き方が変わる(人間の脳は大きいので全てが常に使われるわけではない。新しい脳の場所を使いだすタイミングで不調となる)時期で起きるみたいですね。なので「正体不明の不快感と自滅」が主な症状だと思います。

「つまりこのまま助からない場合が多かったので人生
 50年と言われていたわけだ」

という分けでシャレに成んない話なんです。ここから脱出する(つまり脳の新しい機能を使って更に頭が良く成る)ためには「新しい脳の部分を使う訓練」をしないといけません。0か1か見たいな最終ジャッジが40歳近辺の厄年です。

「自分(自分の意識)は幸せに成るためにあるのでは
 なく、体を守るためにある。体さえ守れれば他は何
 もいりません」

この様に心から誓い続けていると抜け出せます。現代の若者のリベラルな発想ですと「都合が悪い」「もっと楽しいものがあって良いはず」と言う思いが強すぎて抜けれないと思います。なのであらゆる方向から警告していますが、40歳どころか20歳や30歳の厄年(強さとしてはそれほどでもないがやはりある)を抜けきれずドロップアウト(社会生活が出来なくなる)する人が増えているそうです。次の厄年が40歳ですから超えれないかもしれません。

「最後の審判と言うのは個人毎に生じる」

という分けで「皆の陰に隠れて安全を確保する」と言う発想が通用しないんですよね。「生きるか死ぬか」みたいな強烈な話が自分の脳の中で生じますので。ズルイ考えでいると助からない。そのため、そう成らないようにと「道徳」などで若いうちから諭して「軽傷で済む」ように訓練させているわけです。

「厄年を抜けた時初めて全ての脳が活動する。
 子供の頃に憧れていた偉人とほぼ同等の能力になる
 ためその幸福感は想像以上である」

成虫とか成魚とか成鳥とか成獣とかありますよね。これらの生物は幼体と成体でまるで形も能力も変わります。人間は外見上であんまり変化がないんですが、実は脳の中で生じているという事です。人間種の武器が「智慧」であるためですね。外に見えない武器を内蔵しており、これの脱皮みたいなのがあるんでしょうね。

「脱皮やサナギで失敗すれば流石に死ぬ」

他の生物と同様に危険を伴います。ここでフルイにかけられてしまうわけです。私は厄年前に発明みたいな事を何度かやれてたんですが、厄年を抜けた後は日常でポロポロ出てくるようになりました。厄年前の能力は片鱗でしかなく、正しくぬけると大幅に能力が向上するみたいです。強烈な底上げです。

「40歳の厄年を超えて本物の大人に成る」

という分けなんでしょう。一般にこの年代が円熟していると言います。完成体に成るという事ですね。

ただし条件があって先ほども述べましたが「自分の夢」見たいな幻想を捨てる必要があります。

「こんなのじゃ満足できないよ。もっと素敵な物が
 世の中にあって欲しい。子供の頃感じた世界の広
 さや世界の意思みたいな不思議なものがあって欲
 しい。そして今以上の幸福な未来があると信じて
 何がいけないの?」

という気持ちがあると下手すると死にます。

「起きて半畳寝て一畳。死人に口なし。冥土にお金
 は持ち込めない」

という発想をつよく受け入れる事です。つまり子供の時に大切にしていた素敵な世界を「そんなのあるわけないだろ」と一括して捨てるんです。これで残ったもの(最初は凄く怖いですし寂しい感じがします)が「本当の実力」であり、断捨離して空いた場所に新たな能力が蓄積していきます。なので突然凄い人になる人が多いです。一旦「無駄なモノ」を捨てないと「素敵なモノ」が入る場所が無いという事です。

「自分の中の才能を探して必死に成る人は逆に厄年
 を抜けきれない。承認欲求があると確実に助から
 ない。自らの承認欲求を憎むことが鍵となる」

脳の中の「無駄なモノ」の候補が「怒り」「焦燥感」「自己憐憫」「承認欲求」「復讐心」「八つ当たり」など色々あります。これらは「捨てて良い物(後で使う事は無い)」とする。仏教では「使わないどころか害になる」もの列挙されており煩悩と呼ばれているようです。

逆に言えば先ほど挙げた部分(煩悩)を残そうとすると死ぬという事です。これは病死以外の自然死も含まれます。大概は自滅です。誰かが手を下すのではなく、自らの行為が原因で自滅してしまい、他の人は「仕方ない事」として不思議に思わない訳です。安部さんを襲撃した人物も厄年です。

事故や事件が少なく成った現代では、そうした自然の死が起きにくくなりますから「自殺」「凶悪事件」という形で(ほぼ無理やり)死ぬわけです。自殺が増えている原因については社会の安全対策が向上し、一方で「死」が「本人の我がままにより」確定しているからだと思います。自殺を皆で防止すれば「凶悪事件」を引き起こして自滅する。なので先に運命が確定し、これから逃れられないという事です。

「離婚する程度で収まる場合はまだ甘い方である」

あんまり承認欲求や自己愛が強いと「死」が確定してしまうわけですから、社会的な地位を失う程度ですと軽傷なんです。しかし、それでもまだ反省(自分の子供の部分を捨てる=煩悩を捨てる)していないと次の自滅案件が発動します。これが繰り返されて疲弊し「もう死にたい」となってしまうのだと思います。どこかで諦めないと行けません。

「子供の自分を捨てて体の安全以外を望まないと誓
 うまで落とされ続ける」

厄年が10年以上続く場合があります。これは本人が「嫌だ嫌だ」と頑張っているからです。その間中、トラブルを起こし続けるので社会復帰が難しくなります。そしてやる気を出そうとしても「あんなに失って。どうせ頑張っても」と考えるように成り自殺を選ぶという事です。

厄年がこんなに危険な物であっても「俺は体さえ健康ならいいかな?」と割り切っている子供もいるわけです。こういう人はスルッと抜けてしまいます。他人と比較して「もっと幸せなものがあるはず。皆が手に入れていて私だけ貰えないのはズルイ。私も欲しい」とやっている人が淘汰されるという事に成ります(考えを変えればイイだけですが)。

「つまり実は人間の脳内にジャッジする機構があり、
 本当に自分勝手な人はこの試験で脱落するため、
 社会が安全に保たれているという部分が大きかっ
 たのだ」

40歳を過ぎると本物の善人しか生き残れません。そうじゃない人が何とか凌いでも急激に老化し能力が落ち込みます。先ほど言ったような能力の華々しい開花が生じず、善人との能力差が激しくなります。そのため事実上の淘汰が起きるという事です。バイデンさんは70歳超えてます。岸田さんも60歳代ですよね。

20歳くらい年下なのに活力もなく外見が老人みたいな人が沢山いますよね。この差が出てしまうという分けです。若いうちは皆が老人に見えてしまい「年の割に凄い」「年の割に老化が凄い」みたいに思わないので気づきません。

また世界中でリベラルな発想が蔓延していますがこれは信じすぎては行けませんよ。私が厄年の時に自分で実験し分析した感覚では、

「体は社会に対して嫉妬している。
 これは妻に夫がいう『会社の付き合い』に対して
 妻が感じる感覚と似ている。度が過ぎれば離婚に
 なる。これが体内(脳)で生じれば死となる」

女性の場合は体を我が子と捉えたほうがいいでしょう。今のリベラルは博愛を唱えておりますが「その通りに従うと神様が幸福をくれる」みたいな感覚がもっとも厄年から抜けづらいです。

社会に向けて思う所を体に向ける事が正解です。実際の自分の子供であっても自分の体にとっては外のモノであり(体は)理解を示しません。また愛する人であっても同様です。

「本当の伴侶、友、子供は自分の体であると気づく
 ことである」

この様に発想転換をすると、意外と実際の行動がリベラルが提唱する物に近くなります。社会に対して向けるのではなく体に対して向ける。するといつの間にか社会に対しても同様に成っているという事です(コツです)

以上、ご参考になれば。
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まったく気にしないで生きてきたし


これからも気にしません。
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去年厄年でしたね。

その通りで1月は入院してましたし、2月に大学受験があり受かりましたが、入学辞退し就職。
職場にはセクハラジジイが3人と更年期ババア1人に目をつけられ、鬱病が悪化し6月に退職。
自殺未遂し精神科にぶち込まれ11月に退院しましたが、年末自殺未遂し12月31日にまた精神科にぶち込まれました。
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厄年とは 成長して社会人になって ひとからの信頼を受けて役職に付いたり 子供の体系から大人に変わりだんだん不調になって病が増えたり


高齢の家族が病気などになり亡くなっていく時期を言います
だから注意しましょうという時期です
神社ならお祓いを受けて祈祷をしてもらいます
祈祷とは貴方に変わって貴方の願いを神主さんが一定の期間毎日頼んでくれることで その間に嫌な事から神様がまもってくれる自体も変化していくことです
お賽銭をなげて手を合わせるものではありません
自分を変えたかったら 有難うポイントを貯めてください
ひとから有難うと言われることをすると幸せポイントが増えて神様のご加護が受けられます
大谷翔平はグランドのゴミを拾う事で人が居てた運を貰っているんだと言ってました。
あれが欲しいのに手に入らないのは
欲しいものに相当するだけの物を貴方が持っていないからです
誰も与えてくれないのは あなたが与えていないからです
人が有難うと言ってもらいましょう
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