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中世時代のヨーロッパの都市環境としては、当時の日本の都市と比べたらどう違ったのでしょうか?
またヨーロッパの都市は結構臭ったのでしょうか?

・道路は未舗装で排水が悪く、ぬかるみにはゴミや汚物が落ちていた。とくに小路はしばしば泥や汚物で通行が困難になり、雨が降ると下水道のようになった。

・14世紀のナポリでは牛糞が市内各所に落ちており、窓から汚物が投げ捨てられていた。パリも泥やゴミや汚物に溢れ、アヴィニョンの道路は排泄とゴミ捨ての場であった。

・ヨーロッパ各地の都市の法律で、窓からゴミや汚物を捨てることの禁止や規制(パリでは汚物を窓から捨てる際に「御注意」と叫ぶことが義務づけられ、中部イタリアのアレッツォでは「御注意」と三回叫んだうえで窓から捨ててよいのは、「汚水や臭いもの」以外のものであった)、染色業者が廃水を道路や川に捨てることの禁止、魚屋や肉屋が道路や広場に生ゴミを放置したり、川に投棄したりすることの禁止などが頻繁に見られるが、それはむしろ規制の効果の限界をもうかがわせる。

・シエナでは13世紀後半の都市法で、 教会や泉の近くや広場へのゴミの放置が禁じられ、北イタリアのヴェローナでも同時期に道路や広場での用便禁止が定められている。 14世紀のアレッツォにも道路の舗装、広場や道路の清掃、泉水の管理などを統括する役職があり、同市の都市法は、 金曜日ごとの市庁舎前広場の清掃、土曜日ごとの広場・道路の清掃を定めていた。 ボローニャでは都市当局によるゴミの組織的収集の制度があり、また、住民が自宅前の道路を掃除すること、毎週、公共の広場の清掃も行うことが規定されていた。

A 回答 (4件)

>ヨーロッパの中世都市のイメージとしては2階建てのような比較的高さのある家屋がひしめき合い、その間に道路があるという感じで、そこへ2階以上の高さから汚物を落とすイメージがあります。



おっしゃるとおりです。

ただ、今に残る中世ヨーロッパの都市の街並みって結構建物の高さはあるんですよ。4階建てぐらいはザラにあります。中世の技術で?ともおもったりするのですが、当時でも教会建築は数十メートルの高さがあるところをみれば建築技術は進んでいたでしょうね。

ですから二階建てよりも、もっと高いところから糞尿を棄ててたから跳ね返りもあり道路は悲惨な状態になりそうですね。一応声はかけては捨てていたようです。

>また各都市は周りが市壁で覆われていて、街の雰囲気としては賑やかで狭苦しい感じがします。

ヨーロッパは各都市は外敵からまもるために城壁を張り巡らしていましたからね。また道路もせまかったでしょう。その点日本は平和な江戸時代が長く続きましたので、都市に城壁を築くことはありませんでした。

もちろんそれ以前の戦国時代の集落では、環濠集落とよばれるように大きな堀を集落のまわりにめぐらしていましたが、巨大な壁というのはつくられていないですね。建築資材(西洋は石材、日本は木材)の差ということもあるでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど〜。ありがとうございました。

お礼日時:2023/10/23 21:27

中世のヨーロッパの方がはるかにひどかったでしょう。



No2さんがおっしゃるように便器の排泄物はそのまま窓から捨てていました
。路面に汚物は置き去り状態で一般的な靴では、スカートの裾が汚れてしまうためにハイヒールが生まれたという有力な説もあるぐらいです。

また、15世紀に至るまで中世の都市は井戸水に依存していました。その井戸水の近くには、汚物や排泄物を捨てるための縦穴が掘られていることもしばしばあったそうです。深さ10mといえば、地下水脈とほぼ同レベル。したがって、水を飲むことは病菌を飲むことに等しかったわけです。

その点、日本では糞尿はすべて農家によって肥料として回収されていたためはるかに清潔でした。また水量が豊富な日本は井戸水だけではなく玉川上水のような水道施設まである都市もありました。

もちろん、牛馬が通ることによる糞尿など、今の都市とくらべると江戸も臭かったでしょうが、中世ヨーロッパの都市に比較すればはるかに清潔だったでしょうね。
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この回答へのお礼

詳しくありがとうございます。
少し疑問なのですが、ヨーロッパの中世都市のイメージとしては2階建てのような比較的高さのある家屋がひしめき合い、その間に道路があるという感じで、そこへ2階以上の高さから汚物を落とすイメージがあります。また各都市は周りが市壁で覆われていて、街の雰囲気としては賑やかで狭苦しい感じがします。

一方の日本の都市は、ヨーロッパの都市のような高さのある家屋が狭いところにひしめき合うという印象がなく、街は広々と空間の多い印象があるのですが…

建物の密集度合いとしては、どう違ったのでしょうか?

お礼日時:2023/10/23 20:57

中世時代のヨーロッパは下水など整備されていませんでしたから、便器にとったウンチやシッコはそのまま窓から通りに投げ捨てていました。


なので、そのフン害を浴びないように、通りを歩くご婦人たちは晴れていてもパラソルをさしていました。

投げ捨てたブツは遠くまで届くはずはなく、通りの両端ほど汚いわけで、身分の低い人たちは通りの端を歩く決まりになっていて、身分の高い人は通りの中央を歩くわけです。
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日本の江戸だって相当に臭かったでしょう。


馬車は人や荷物を運ぶ、今の貨物自動車、バスです。
牛車のあったかもしれない。
武士の中には馬に乗っている人もいたし、犬猫は街中を自由に歩いている。
牛馬犬猫はそこらに糞尿をするし、それどころか人も立小便する。

生ゴミを川に捨てるのは当たり前。
江戸は運河が張り巡らされた水運の町なので、あっちこっちにゴミ貯まりがあったでしょう。

他の国の都市とそんなに違いはなかったでしょう。
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