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質問です。

先日、ユダヤ人のことについて学ぶ機会がありまして。まだまだ学んでいる途中でございます。

それで、もうそれはそれは、とにかく神からの教えを厳格に守って生活をする大変厳しい民族だったのだなと知りました。

そこで気になったのが、自分たち以外の外国人や多神教を信じる民族に対しても排他的だったユダヤ人(と教徒たち)は、同じユダヤ人同士だとどんな感じだったのでしょうか?

例えば、
ユダヤ人の父親もしくは母親が、病気に罹って早く治療しないと亡くなってしまうかもしれないってなった一大事に、「いや、今日は安息日なので何もできません」といった風に見殺しにしてしまうのでしょうか?
もしそうなら、遺された家族や病気で亡くなる者はどういう気持ちだったのでしょうか?

また、
ついこの間まで仲良く遊んでいたユダヤ人の友達が、急な大雨で増水して氾濫した川の水に流されて亡くなったと知ったら、「ああ、きっと神への信仰心が足りなかったから神罰が下ったんだ」という風に受け止めていたのでしょうか?
全ての自然現象も神の御業によるものという考えですか?

質問が多くてすみません。

A 回答 (6件)

>・・・見殺しにしてしまうのでしょうか?



黒い服を着て、変な長い髪型で髭を伸ばし、黒いシルクハットみたいなのを被った正統派連中ならばそうするでしょうが、頭に変な丸いのをつける程度の連中ならなそうしないでしょう。
「ユダヤ人(教徒)の宗教観」の回答画像6
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>それで、もうそれはそれは、とにかく神からの教えを厳格に守って生活をする大変厳しい民族だったのだなと知りました。



原理主義者はね。原理主義者は多数派じゃないという当たり前のことを知っていれば、ひよこ並みのインプリンティングを恥じるところだけど。
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ユダヤ人同士。

新約聖書でイエスが、道端で怪我をしてる人の話をしています。同じイスラエル人はかかわりを避けて知らんふりで通り過ぎていった。民族的に犬猿の仲の他民族の人が医者に連れて行った。さて、あなたの隣人はどっちでしょうか。という問いかけですが、ユダヤ人同士だからこそ不親切なこともあるみたいです。

安息日に関しては、イエスが安息日に病人を治したことに関し、バリサイ人が安息日に医療行為をしたと批判しています。
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> 例えば、 ユダヤ人の父親もしくは母親が、病気に罹って早く治療しないと亡くなってしまうかもしれないってなった一大事に、「いや、今日は安息日なので何もできません」といった風に見殺しにしてしまうのでしょうか?



2023年10月7日はシャバット(土曜日のこと、一切の労働が禁じられる安息日)であり、仮庵の祭りの最終日である「シムハット・トーラー」(トーラーの喜びの意)と呼ばれる祭日でもありました。 この日に、救急、救命、治療の活動も、防空、反撃、警察、治安、行政など、いろいろの活動が行われたでしょう。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/internationa …
https://www.nids.mod.go.jp/publication/commentar …
2023 年 10 月 7 日早朝、パレスチナ自治区のガザ地区を実効支配するイスラム主義組織・ハマスの軍事部門カッサーム部隊が作戦「アクサーの氾濫1」を開始し、①大都市テルアビブを含むイスラエル各地に向けてロケット弾を多数発射し、②同時に、ガザ地区に隣接するイスラエル南部各地に戦闘員を侵入させて、イスラエル人(及び、イスラエル滞在中の外国人)多数を殺傷し、さらに、多数を拉致してガザ地区内へ連行した。イスラエル軍も同日から反撃作戦「鉄の剣2」を開始し、さらに翌日 8 日にはイスラエルは正式にハマスに対して宣戦布告しており3、日本時間 10 月 11 日現在、ハマスはガザ地区からのロケット弾発射を続けている一方、イスラエル軍は戦闘機、ドローン、砲兵部隊を用いてガザ地区を空爆・砲撃している。現時点で、イスラエル軍の地上部隊はガザ地区に入っていないが、イスラエル軍は予備役30 万人を招集したので4、今後、作戦の規模をさらに拡大させるとみられる。

> 早く治療しないと亡くなってしまうかもしれないってなった一大事に、「いや、今日は安息日なので何もできません」といった風に見殺しにしてしまうのでしょうか? もしそうなら、遺された家族や病気で亡くなる者はどういう気持ちだったのでしょうか?

たぶん、緊急事態や救命の行為は、安息の対象外なのです。
https://globe.asahi.com/article/11933002
1948年のイスラエル建国まで世界中にちらばっていたユダヤ人にとって、安息日は民族のアイデンティティーを確認する役目も担ってきた、とヨセフは語る。「ユダヤ人が安息日を守ってきたのではない。安息日がユダヤ人を守ってきた。そんな格言もあるのです」
神様が意図していたかは別として、話を聞くうちに現代社会ならではの「効用」も見えてきた。スマホやインターネットも電化製品。電気の使用が禁じられているため、週1回24時間、定期的にSNSやメールから隔絶されるのだ。
こう見えて、ヨセフもスマホのヘビーユーザーだ。「私は多くの信者から電話やメールで毎日100本を超える相談を受けます。できるだけスマホから離れていたいが、立場上そうもいかない。でも神のおかげで、安息日だけは解放される。『つながらない権利』? 我々はもう2000年以上前からやっていますよ」人口の約75%がユダヤ教徒のイスラエルでは、政府機関や役所、銀行、公共交通はすべて止まる。歴史的なイベントも影響を受ける。ただし、例外もある。「人命にかかわる」とみなされる場合だ。救急車や消防車、警察の車両などは出動を許される。そして、軍事行動もその一つだ。
だが、この国のユダヤ教徒全員が厳格に安息日を守っているわけではない。今年9月、地元調査機関がイスラエル在住のユダヤ教徒511人に行った調査では、安息日を守っていると答えた人は25%。部分的に守っている人は14%。60%は守らないと回答した。
https://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/20 …
でも、「なるべくならば、戒律や安息日の決まりを、大事にしようとする人」は多いようです。 日常的な習慣を大事にしていられる状況と、特別の用事や大事なこと、緊急事態の場合とは違うのが、普通でしょう。
「ユダヤ人(教徒)の宗教観」の回答画像3
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質問者さんはいい学びの機会を得ましたね。



安息日の規定にはいろいろな意味がありますが、
労働からの解放を保証するという意味もあります。
聖書の律法にはこう書かれています。

「七日目はあなたの神、主の安息日であるから、
どのような仕事もしてはならない。
あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、
牛やろばなどの家畜も、町の中にいるあなたの寄留者も同様である。
そうすれば、男女の奴隷も、あなたと同じように休息できる。
あなたはエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が、
力強い手と伸ばした腕で、
あなたをそこから導き出したことを思い出しなさい。
そのため、あなたの神、主は、
安息日を守るようあなたに命じられたのである。
(申命記5章14~15節)

安息日を守るよう命じる掟が定められたのは、
奴隷の苦役から民が救出されたことを思い起こすためであり、
安息日には、自分たちの家にいる奴隷たちをも休ませなさい、
と神は民に命じています。
このような配慮をもって命じられているのであれば、
掟を守ることを優先して人命救出を軽視することは
むしろ律法の精神を蔑ろにすることであると言えます。

しかし、イエス・キリストが活躍した頃のユダヤでは、
宗教指導者たちが掟を形式的に守ることを重視しており、
安息日にも人々の病を癒そうとするイエスを非難しました。
そこでイエスは律法主義者たちにこう質問しました。

「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、
それが安息日に穴に落ちた場合、
手で引き上げてやらない者がいるだろうか。」
(マタイによる福音書12章11節)

「安息日に律法で許されているのは、
善を行うことか、悪を行うことか。
命を救うことか、殺すことか。」
(マルコによる福音書3章4節)

また、こうも言っています。

「安息日は、人のために定められた。
人が安息日のためにあるのではない。」
(マルコによる福音書2章27節)

「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、
安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、
水を飲ませに引いて行くではないか。」
(ルカによる福音書13章15節)

このようなイエスの発言に対して誰も反論できませんでした。

ここから類推しますと、
古代のユダヤ人の社会では、
安息日だからと言って、死にそうな人を見殺しにするのは、
ただ単に人道上の問題と見なされるだけでなく、
律法の趣旨にも反していると考えられるでしょう。
言い換えますと、
律法主義的な聖書解釈は本来的ではないということです。

そして、現在のユダヤ社会には、
(と言っても、ユダヤ人は世界中に住んでいますし、
信仰生活の実践も人によってかなり濃淡が異なります)
安息日に人命を守るための仕組みがちゃんとあります。
それは機械と異邦人に頼るやり方です。

例えば、安息日に出産をしなければならない場合、
救急車を呼べば来るそうですが、
運転手がアラブ人だったりします。

私が昔、旅行でイスラエルに行った時、
安息日にエルサレムのホテルに泊まったのですが、
日没と同時にエレベーターが止まり、
自動制御された異邦人用のエレベーターが動き始めました。
夕食は冷めた料理しか出ませんでしたが、不足はありませんでした。

何しろ、もう何千年も安息日の掟を守り続けているのですから、
そのための知恵もいろいろあるわけです。

あと、「信仰心が足りなかったから神罰が下った」と捉えるのは、
神に信頼する本当の信仰ではないと思いますね。
もちろん、聖書の神は創造主ですから、
全ての自然現象は神の御業です。
従って、信仰あるユダヤ人は、友人が洪水で流されて亡くなったら、
神がその人を御許(みもと)に召されたのだ、と考えるでしょう。
とは言え、そのユダヤ人も、突然の悲劇に理不尽さを覚え、
「神さま、なぜ私ではなく彼(彼女)を取られたのですか?」
と嘆き訴えるかもしれませんが、天罰だとは思わないでしょう。
人はいつか誰もが天に召されるのですから。
ただし、聖書には、
神に逆らって罰を受けた人が死んでしまう話はいくつもあります。
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ユダヤ人に限らず、キリスト教徒の真面目な信徒は、安息日に働くのは拒否でしょうね。

だから、ドイツなどで、休日に「ちょっと食い物が家にないから、スーパーで食べ物を買ってこよう!」と外出しても、お店は安息日だから休みで買えない、となるようです。

また、新約聖書のイエスの言葉を見ると、ユダヤ教の同じ信徒に対しても、「今日は安息日だから、病気の治療はできないよ」と言ったように思えますね。

なお、自然災害によって亡くなった人に対して「信仰心が足りないから神罰が下った」と考えていたのかどうかは、判りません。
単に「神のおぼしめしのとおりに・・・」って、諦めの境地ではないかと想像します。
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