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人も他の動物も錯覚(錯視)を見ていますね。
たとえば、線分の両端につける矢印の向きによって、その線分は短く見えたり長く見えたりしますね。(ミュラー・リヤー錯視)


質問は、この錯覚については、大脳(擬人化しております)はどのような意向を持っているのでしょうか?
1.正しいものを見せている(錯覚であろうがなかろうが)のでしょうか?
2.あるいは、良かれと思って、錯覚を見せて居るのでしょうか?

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A 回答 (7件)

生物の眼は個体差がありますので、誰一人として全く同じ映像が脳にインプットされるわけではありません。


そして、生まれたての頃は目がほとんど見えない状態です。おそらく最初はボンヤリした白黒の映像が見えるだけと考えられています。徐々にはっきり見えだして大人と同等の視力が備わるのは6歳頃と言われています。

乱視の酷いヒトなら経験があると思いますが、眼鏡で矯正すると少し離れた場所が良く見えるようになる反面、手元や足元がけっこうな斜面になって見えるなど慣れるまで少し時間がかかります。
つまり、時間の経過とともに、脳が斜面になって見える映像が間違いで、そこは本当は平なんだと補正してくれるわけです。

逆に云えば、眼鏡無しなら、目からは平らな床が斜めに傾いているような映像が入っており、脳が斜めは間違いで本当は平ですよと補正して意識上に見せてくれている訳です。
慣れると眼鏡をかけたりはずしたりしても、常に手元や床は平ですから、補正も瞬間的に切り替えられていますから、脳の補正能力は素晴らしいとしか言いようがありません。

程度の差は有っても、全員がこのように脳によって補正された映像を見せられているわけです。そして、たいていの人がミュラー・リヤー錯視など同じ錯視をしていることを考えると、その補正方法はほぼ全人類共通の方法・手順になっているのでしょう。
それがどのようなモノなのかはよく分かっていないと思いますが。
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見る、という行動は眼で行って


いるのではありません。

脳で見ているのです。

眼は光の通過点でしか
ありません。

錯覚という現象が生じるのは
それが人間生存に必要な場合がある
からです。

その意味で、「2」ですね。

脳は、人間生存に必要だから
例え余計なお世話だ、と罵られても
錯覚を見せているのです。


では、どういう具合に、生存に
必要なのか。

1,情報の効率的処理
 正確を期すことに固執すると
 多大のエネルギーをつかうことになる。
(放送大学 錯覚の科学)

2,錯覚は、例えば立体感を判断する際に
 役立ちことでも判るように
 環境をより便利に理解することに役立ちます。
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物は近くなるほど大きく見え、遠くになるほど小さく見えます


上記は光の特性による見え方でこれはあくまで見え方が変わるだけで物の大きさが変わるわけではありません 。つまり見え方と事実が一致していないということです
見え方を事実に一致させるために見え方に対する補正をかけます。これがミュラー・リヤー錯視が起きるその原因であると考えられてます

道路を思い浮かべて下さい

同じ道幅であっても手前側道幅が広がって見え遠くなるほど狭く見えます
これは手前側が道幅が外向きに引っ張られているように見え遠くは道幅が内側に押しつぶされるようにに見えると言う事です
図で表すしたのが下の図です
 >/ \<
</  \>
上記を下の図のようにすると

  >ー<
<ーーー>
となります。
この事から上段(奥側)の図は幅を広げるようにして下段(手前側)は幅を狭めるようにするのです
このような補正によって同じ長さであって内向きの矢印がついている方が外向きの矢印がついている方より長く見える(錯視)という事です
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・三次元の空間を網膜上で二次元化して脳内に送り、両眼の視差を利用して大脳で立体化しているため、そこで錯視が起きてしまうのではないかと思います。

大脳の意向とは関係なく起きてしまう事ではないかと思います。

ウィンブルドンを見ると、審判のアウト・インの判定は間違えることもあるようです。しかし、選手は素早いボールにうまく反応してラケットにあてていますので、認知機能と筋肉動作の連携において脳はスゴイことをしていると思います。

・錯視とは関係なく、こちらに歩いてくる人の左側の手は右手、向こうに歩いている人の左側の手は左手と、無意識に判断しており、これも大脳のなせる業だと思います。
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錯覚は見えているわけではありません、見えたものを解釈しているだけです。

つまり視覚的には正しく見えています。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
視覚的には正しく見ていて、それの解釈がずれて正しくないのですね。

お礼日時:2024/07/08 20:23

幼児に靴を履かせると、左右逆に履く子が結構いるそうです。


それは、靴の先が内向きではなく外向きだから、と思っています。
幼児は、左右逆の外向きに揃えた靴に解放感を、無意識に感じているのでしょう。

ミュラー・リヤー錯視は、矢印の向きというよりは、線の内側に“物”があるか、外側に“物”があるかで、閉鎖感・解放感という意向が大脳に現れるのではないでしょうか。

試しに矢印ではなく、線か点を線の内側・外側に付けて見てください。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
ミュラー・リヤー錯視は、<閉鎖感・解放感という意向が大脳に現れる>のですね。

お礼日時:2024/07/08 16:41

実社会の現実では、見えた実際の長さより、そう考えた(または捉えた)方が現実的に正しい(場合が多い)


っと思って解釈しているのでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<そう考えた(または捉えた)方が現実的に正しい(場合が多い)>ということですね。
現実対応ですね。

お礼日時:2024/07/08 13:34

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