海外旅行から帰ってきたら、まず何を食べる?

小説は読めるけど漫画は苦手です……

小説を読むことがとても得意という訳ではないですが読むのが好きです。
逆に漫画は読めなくはないのですが読み切るのが苦手です。
pixivのような所でちまちま読む分にはいいのですが単行本くらい長くなると疲れてしまいます……

小説は文字だけなので自分で情景をイメージするので済むのですが漫画だと情報量が多く感じてしまいます……(イラストにセリフにナレーションに効果音、作品によってはたまに注釈)

漫画を読むのが苦手な人をネットで調べるとコマを読み進める順番がわかって居ないからでは??と出てくるのですがそこではないとハッキリわかっています。

同じように感じている方はいますか?
なかなか理解されないので自分がおかしいのかな……と感じています

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A 回答 (3件)

同じ人は当然いるでしょうね


あとは多数決の問題だけ
おかしい、おかしくない、の話しではありません
ただの多数決
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僕は中1の時からマンガは読みません


世界の名作や古典の魅力にはまりました。

古典や名作は、歯応えがあります。必ずしも長いものとは限らないが、いずれにせよ、漫画本を読むように気楽に読み飛ばすわけにはいかない。難解な個所にぶつかり、再読三読、ようやく自分なりに納得できる場合もあるかもしれない。あるいは、その時は分からなくても、長じてその意味にハタと思い当たることもしばしばです。
 
それは、足元を確認し、周囲に目を配りながら、一歩一歩と山頂を目指す山登りと似ています
古典や名作は、ダイジェスト本や結論だけを要約したものを読んで事を済ますわけには、決していきません。
苦しく困難な登はん作業にも似た格闘を経て、初めて血肉となるのが良書です。

なぜ読書なのかといえば、第1に、それは読書経験が、ある意味で人生経験の縮図を成しているからです

映像などによって送り出されるバーチャル・リアリティーは、一定の利便性をもってはいますが、それは、
人間が人間同士あるいは自然と直に触れ合うことによって生まれる共感性のリアリティーとは似て非なるものです。
 のみならず、バーチャル・リアリティーは、その刺激性の強さゆえに、
リアリティーの世界にのみ育まれるであろう「他者」の痛みや苦しみへの共感性、
想像力を覆い隠してしまいかねない通弊を有しています。
 さらに、つくられたイメージを受動的に受け取る環境ばかりに身を置いていると、
能動的な諸能力――考える力、判断する力、愛し共感する力、
悪に立ち向かう力、信ずる力等、総じて内発的な精神性が、どうしても衰弱していってしまいます。

なぜ読書か。その意義として、蓄えられた読書経験は、巷にあふれ返るバーチャル・リアリティー(仮想現実)のもたらす悪影響から魂を保護するバリアー(障壁)となってくれるでしょう。

人生は短い
先ず、良書から読むべきです。
人間にも善人・悪人があるのと同じように、本にも良書・悪書がある。良書を読むことは、自分自身の中の命を啓発することになるのです。古典の良書は、古くならない。いつまでも新しい。二十一世紀にも色あせないでしょう。一生の財産です。

今、頭の腐る小説が氾濫しています。
エマーソンも「出版されて一年もしていない本など読むな」と言っている。要するに、出版されて何年、何百年たっても読み継がれている本は名作、良書と思っていいでしょう

トルストイやゲーテ、ドストエフスキーやユゴーを推奨します
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私の場合は、小学校の頃から少年向けのマンガ(週刊誌や付録たっぷりの月刊誌)とか、友人の家で少女マンガ誌などを目にしていたので、マンガを読むのが苦手と思ったことはありませんね。


また、昔の少年誌には、小説+挿絵って作品も掲載されていたので、小説を読むことに苦手ってことは出ませんでした。

なお、マンガは確かに「イラストにセリフにナレーションに効果音、作品によってはたまに注釈」がありますね。
さらに、回想シーンが挿入されたり、ページが変わると、場面が変わっていたり・・・。
ちなみに、この変化する部分の書き方は、アニメーターの方がマンガ家になったとき、戸惑うことになったと書かれていました。
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