子供たちが駄目なことを学ぶためには時には体罰(厳しめの教育)は必要なのではないでしょうか?
体罰が問題視され、モンスターペアレントという言葉が出始めた頃に義務教育を受けた世代の者です。もう20年ほど前になりますが、中学生の時同級生が授業中の態度が悪く、先生にビンタされたことで親が出てきて先生が辞職に追い込まれました。それ以降、先生から手が出ることがなくなるだけでなく、注意することすらも難しい風潮になってきました。(うちの子が怒られたとか騒ぐ親も増えて)
自分よりも20歳ほと上の世代の人は、「先生に逆らおうものならぶっとばされた」「忘れ物を一人がしたら連帯責任で並ばされ、全員ビンタされた」など聞きましたが。それだけ我慢強く忍耐力が養われた、悔しいから絶対次は気を付けるようになったと先輩方はおっしゃっていますし、皆さん当時の先生を恩師と呼び、今でも年老いた元先生方と交流をお持ちです。
忍耐力が良いかは人それぞれですが、「怒られたのならば次から気を付ける」は大事なことだと思いますし、それはビンタという恐怖、不快な思いを受けたから芽生えたことだと思います。
自分達の世代もそうですが、今の子供たちは先生をなめきっているとまで言われます。実際に教師として働いている親戚や友達、みんな苦労しています。
生徒の体や心を傷つける行為は絶対にあってはなりませんが、忘れ物や人の話を聞かないという放っておけば今後の人生においてもまずいことに関しては
怒鳴るくらいのことは必要ではないでしょうか。
怒鳴ると言っても人格否定は駄目ですが「何度言ったらわかるんだ。前も言っただろう!」すらも言えない教育現場に少し危ういものを感じます。
※暴力、暴言を肯定するという意味ではありませんので、誤解されないようお願いします。
No.10ベストアンサー
- 回答日時:
旧来の日本の教育にあった体罰、生徒の自己責任として教育から学習以外の部分を無くす欧米方式。
どちらも問題があり、現代的ではないと感じます。前者は体罰基準を個人に委ねる危うさがあり、後者は大人の理想が二極化(基本的なコミュニケーションが取れない大人が増えて逆転不可能な社会構造を作り出す)を生み出していると思えます。以下は長いので興味があればお読みください。
●社会問題となっている人格障害の理解
日本の教育の現場では、発達障害や人格障害などへの理解(遺伝的特質が原因であるが子供の頃の教育環境によって発症しない場合も多い。もっと気を付けていれば本人は普通の人として生きられたはず)が不足しており「発症を抑えるための環境」を大人たちが提供できていないという深刻な問題もあります。
「見て見ぬふりをしているのは科学的にも明らかである」
つまり「自分の教育方法は悪くない」と人道主義で考える前に「もう少し研究して科学を前提にして踏み込んでおくべき」だったという事です。「効果があり、抑えられていた部分」の保証されなくなれば、大人社会において残酷な事件を引き起こす可能性もあるのです(自己愛性人格障害の方の犯罪率は高く、犯罪の取り調べの中で人格障害が警察によって発見されるケースも多い)
●現在では何が違うのか?
幼児教育やメンタルに関する障害について研究が進み、理解が進んだこと。そして「反省しない犯罪者」という異常な事態に一般の人の興味が集まっていること。責任を嫌がる社会人が増えてきていること。色んな意味で「昔と何が変わったのか?」を多くの人が考えるようになったのです。「教育に痛いして自信が無くなってきている」社会の現れです。そのため「子供を守る」と言う観点では一致していても「方法が分からない」という悩みが付きまとっていると思えます。
●体罰があった時代の感覚はこんな感じ
何故「罰が必要なのか?」という基本的な問いになります。
多くの人は抑制効果として捉えています。しかし実際は「許される条件」
「カタルシスを得て前を向く」ための踏ん切りであり「もう、こいつを悪く行ってはいけない」と権威から保証される儀式でもあるんです。
そのため体罰があった時代では「よく耐えた」と仲間たちが集まり「本人の罪を追求しない」雰囲気が(子供たち同士で)出来上がったものです。そういった成功体験があるため「権威を信じる」「仲間を信じる」「ミスが怖くない」という自信を子供たちは得ていたと思います。
●体罰が無くなった時代ではどうなるか?
「想像だけで逃げだす」「耐える事を讃える文化が無くなる」「法を犯しても謝れば許されると考える」「執拗に仲間を責める人が出てくる」「権威に対して反感を持つ」「仲間を信じられないと悩む」「失敗を恐れて動けなくなる」となるはずです。
体罰を経験した人は「体罰を恐れない」わけですが未経験の人ほど「想像だけで逃げ出す。恐れる。嫌がる」傾向があります。反対派の多くは「想像だけで怖い」と言うのが実情でしょう。パニックを起こしてしまえば頭も回らなくなります。そういう人と話し合う事を避けてきたのも現代人の罪であると思います。
●体罰の本当の意味
体罰の本質は「体の痛み」ではなく、「愛する人が自分に罰を与えなければならないと悩む姿」が子供にとっての真の痛みであり、学びの源となるという点です。これは、体罰を与える側もまた葛藤し、逃げずに向き合う必要があることを示しています。
体罰を与える側の大人たちは、自分たちが逃げていることを自覚し、子供に対して真摯に向き合う姿勢が求められます。体罰は単なる罰ではなく、子供に対する愛情と責任の表れであり、その過程で大人もまた成長するのです。
●では何が重要だったのか?
先生、親、生徒の3者で「ペナルティ」に対して合意を取ることです。社会を参考にすると「刑罰と刑の執行」に関してはあらかじめ定められています。
過去の体罰では「この罰の与え方」が個人の裁量となってしまうのが問題なのです。「誰にも減刑する権限がない」と子供が知り、諦めるというのが重要な学びになると思います。
そうしませんと「ネットを味方にすれば助かるのではないか?」と考える犯罪者が出てきてしまうでしょう。
●では何が問題だったのか?
大人達で「守るべきルールとペナルティ」というガイドラインを作ってこなかったことです。親の方針であったり、先生の方針であったり、学校方針であったりし、そこに不公平があったたことです。
また一定の年齢以上になれば「名誉を汚された」と感じて「想像以上にショックを受ける」のは当然です。思春期を過ぎた後の体罰は単なる暴力でしかないでしょう。体罰とは違う別のペナルティの方が有効なはずです。
こういった部分に踏み込んで検討し定めることです。いきなり刑法で罰したり、民事訴訟を受けて人生を失うのは優しいやり方ではありません。
●体罰の復活を唱えるにしても配慮が必要
体罰を受けてこなかった親(や相当する人達)が過剰に恐れるでしょう。
ですので「頭に軽くげんこつ。軽く触れて少し押す程度。教師は練習をすること」など体罰の標準を決めることです。また適用年齢も幼い子に特化すべきです。更に「ペナルティを受けた理由をルール違反として本人が親に説明すること」も加えて指導するべきです。そして「級友からの励ましや苦情も同時に伝えて親たちからアドバイスを受けること」など「コミュニケーション機械」とするのが大事に思えます。
旧来の不名誉な事件のイメージを払拭し、育成を行う大人達の不安を除去し「失敗から良い学びを得る」イメージに変えることです。それらを素直に学んだ我が子は「もっと可愛いくなる」と想像してもらう事でしょう。
●間違った議論
過去の出来事でイメージするのは間違った議論です。子供に暴力を振るいたい大人がいると思えません。まずはそういう人を想定しても仕方ないと思います。先生たちだって「そんなことやらされるのか?」と怯えているはずです。誰もが嫌がっているのに「復活させる」みたいに話すのは無益でしょう。
「俺が高校生男子を殴るの? 無理無理。恨まれたくないよ」
「いや。対象は小学校低学年くらいだよ。軽く頭を撫でる感じ。
だけど大人に罰せられたというショックは学びになる。その
後でよく我慢したと頭を撫でる」
「ああ・・・そういうのね。良い話だな?」
●体験談
私は体罰があった時代に育ちましたが、実際に体験したのは小学校5年生の頃でした。相手の先生は担任でとても怖い先生でした。体罰と言っても「頭に少しだけ手を置く程度」でしたよ。しかも後にも先にも一回だけでしたね。この時の記憶は覚えています。私は何かの集まりの時に浮かれすぎて騒いだようです。友達が必死に「シー」と言ってたのを覚えています。すると後ろで先生が見ている。「あ? だめだこれ。げんこつだ」と私は思って顔に出たようです。すると先生が迷った挙句やってきて「こつん」とされました。
「先生は罰を覚悟した私の素直さに応えたんです」
私の顔を見て「早く楽にしてあげたい」と思ったのは間違いありません。
●総括
ご質問に対して是非を述べる事は出来ないですね。とはいえ「体罰について色々語れる人生」を自分が歩めているのが不思議に思えます。まあ先生が良かっただけですかね。
「大人の葛藤も一緒に子供の記憶に残した。どういう時に
愛する者であっても罰を与えるのか? 子供は必死にな
って学ぶ。愛では超えられない秩序について知る」
親の苦しみや悲しみが子供にとって一番痛いんです。親や大人が悲しそうに罰を与える姿を見て、子供は罪の深さを知るんです。暴力の痛さではないんですよ。親が苦しみから逃げては子供に申し訳ないでしょう。
以上、ご参考になれば。
No.16
- 回答日時:
暴力は肯定するものです。
あなたは非暴力非暴言という宗教に染まっています。そうなのです。これは教育の狂った宗教なのです。口でわからない子供には当然体罰を加えるのが理にかなっているのです。ただその体罰はもちろん行きすぎてはいけません。体に傷やのちに影響が残るものなど御法度です。その点昔の教師は実に加減がうまかったのです。十分痛いけど傷も影響もないという絶妙さでした。
No.13
- 回答日時:
指導教育のスキルが高い人物が、あらゆる手を尽くし、それでもどうしようもない場合などを除いて、私は体罰否定派です。
体罰ってのは、指導教育者の個人的な処罰,制裁でしょ?
一方、学校などであれば、校則などで処罰の規定があります。
では、まず処罰規定に該当するかどうかで、判断すべきじゃないかと。
処罰規定に該当するのであれば、個人的な処罰をする必要はなく、規定に従って対処すれば良く。
逆に該当しないなら、処罰は不当と言うことになります。
まあ実際には、その中間あたりくらいの問題が多いのだけど。
それを上手く裁けるのが指導教育のスキルで、スキルが高ければ、学生レベルの問題など、ほとんど解決が出来る筈。
そもそも指導や教育をする側と、それを受ける側では、色んな面で圧倒的な実力差などがある前提だし。
逆に言えば、そのスキルが低いから、「厳しい」「恐い」などで、自分の実力を水増しする必要があるんじゃないでしょうか?
また「叱る」と「怒る」は、似て非なるもので、「叱る」は相手のことを考えてやる行為ですが、「怒る」は自分の感情をぶつける行為です。
従い、「咄嗟に手が出る」なんてのは、「怒る」じゃないですか?
冷静に相手のことなども考えた上で、「体罰」と言う答えは、なかなか出て来ないと思います。
私自身は、ビンタされるくらいは当たり前の時代で、当たり前なので、特にそれが不満ではありません。
体罰担当の教師もいましたし、挨拶がわりに回し蹴りする、脳ミソも筋肉みたいな体育教師もいたな。
体罰担当とか脳ミソ筋肉の体罰など、何で体罰を受けたのかも覚えていません。
いや、正確に言えば・・。
特に脳ミソ筋肉系は、理不尽と言う記憶でしかありませんが、「反面教師」です。
一方、その当時でも、まず手を上げない教師も少なからずおり。
そう言う教師から「一度だけ受けたビンタ」などは堪えて、今でも感謝しています。
こちらは恩師と言っても良く、恩師も私をビンタしたことは、覚えておられるのではないかな?
体罰は、教員側にとって「それが最高の指導教育である」と言う、自信や信念と、覚悟も持ってなら、許容されると思います。
それ以外は、私は否定します。
No.12
- 回答日時:
体罰は時には必要です
聞いた話です
小雪の舞う冬休みのある日、“門付け”の母と女の子が家に来た。門付けとは、家々もまわって門口で芸能を見せ、金品をもらい受けること。母と娘は、そのようにして得たわずかなお金や食べ物で、細々と暮らしていたのでしょう。母親が三味線を弾いて歌い、女の子が踊る。
少年の目には「哀れな母子」と映ったようだ。曲が終わると、少年は、食べていた駄菓子の残りを女の子にさしだした。まさに、その時!-この方は、こう回想されている。
「庭隅で牛に草履をはかせていたが父が、半纏をひるがえして私に走りより、いきなり私を地面に殴り倒した。あっけにとられて門付けの母子にむかって父は、丁寧に頭を下げ、食いかけの菓子をさしだした私の非礼を詫びた。
そして私にも土下座をさせて母子へ謝らせた。さらにお父さんは、謝礼の穀物をあげた上で、少年のお菓子を袋ごと全部、女の子に渡した。そして、土下座して泣いている少年を残したまま、牛を連れて山小屋へ出かけて行った。
少年は成長してからも、その光景が忘れられない。「父は人間の平等を態度で私にたたきこんでくれた」と感謝の言葉をつづっている
No.11
- 回答日時:
子供なんて、動物に近い面が
ありますからね。
口で説明しても判りません。
時には、問答無用で叩く、という
ことも必要でしょう。
そうやって、人は、人間に
なるのです。
No.9
- 回答日時:
チンピラの子供は殴らないといけませんが
通常の子供たちを殴ることはいけません
非行ばかりする生徒などは、そのバカ親を呼び出し
全生徒と全教師 対 モンスターペアレント(バカ親ひとり)で話し合えば
仲間が居る時だけ強気の彼らは人前では何も言えませんよ
特に、ややこしい人権だとか差別などと綺麗ごとを言う方の場合は
モンスターペアレントと先生などと1対1で話し合いをするのではなく
できるだけ大勢の方々の前で相手を一人にし話し合いをすることが肝心です。
バカは死ななきゃ治らない、バカは殴らなきゃ分からない。
No.8
- 回答日時:
勉強が出来ない、スポーツでミスをしたから暴力を振るうのは間違っています。
一方、明らかに、誰の目から見ても悪いことをして、尚且つ言っても聞かなければ体罰を加えるのは有りだと思います。
人を舐めたような人間に対しては張り手ぐらい喰らわせても良いと思います。
No.7
- 回答日時:
躾は家庭の役割です。
小学校に上がるまでに、座って授業を受けられる社会性を身につけてくるべき。
問題児が授業を妨害するなら、出席停止にしてよい、毅然とした対応をとれと文科省も言ってます。
問題児にも教育を受ける権利があるため排除できないと考える人が多いですが、他の子どもの権利を侵害している場合は例外。
その子がどんな人間に育とうが教師には何の責任もない。
貴重な授業時間を問題児に使わず、発熱時と同様にさっさと親に連絡し、引き取りに来させたらいい。
それを見て、他の子も「うわあ、やばいな」とわかるでしょ。
ただでさえ教師は大変なので、これくらいしていいです。
教育現場に愛情のある躾まで期待するのは厚かましいと思う。
なお、恐怖で教える行為は合理的ではないと、なんかの研究で結論付いてます。ドッグトレーナーの世界でももはや常識です。
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