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田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 不尽の高嶺に 雪は降りける

という万葉集にある山部赤人の歌がありますが、

百人一首には、これを原歌とした

田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

という歌もあります。これはなぜですか?

原歌を使った和歌が作られる理由が知りたいです。
結局、原歌が素晴らしいというか、それが原点なので二番煎じとしか思えないというか。その二番煎じとしか思えない作品を作る理由、そして百人一首に選歌される理由も知りたいです。
その時代の文化とかどういうのに価値を見出すのかいまいち分かっていないので、分かる方教えていただきたいです。

角川ソフィア文庫の百人一首を読んでいて軽く疑問に思いました。

A 回答 (4件)

一言で言うと時代の流行によります。


万葉集の時代には、力強く写実的な歌が好まれましたが、百人秀歌の時代には、優美で絵画的な歌が好まれたという事です。
細かく見て行くと、第一句は万葉では動的で実感を伴いますが、百人では静的で視覚を重んじている事が分かります。
第三句でも、万葉の感動を直接詠んだ表現に対して、百人の方は枕詞のように使って富士の雪を技巧的に表現しています。
第五句については、万葉は実際に見た雪の様子なのに対して、百人では雪が降っている様子を想像して表現しています。(細かい事ですが、富士に雪が降っている天気では田子の浦から富士の頂上付近は見えません。)
更に背景として百人秀歌の歌集としての並びも影響していまして、直前が人麻呂の「あしひきの……」で直後が猿丸大夫の「おくやまに……」という抒情的な歌の間に挟まれていますから、定家は、それらとのバランスも配慮したものと思われます。
わざわざ、この順に持ってきた理由ですが、新古今の時代にはすでに万葉は古典になっていまして、人麻呂と赤人は並び称される歌人と言う位置づけでしたから、歌もペアを組ませる必要があったんです。
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万葉集での山部赤人の原歌を紹介します。

それが次のものです。
「田兒之浦従打出而見者真白衣不盡能高嶺尓雪波零家留」
これをどのように漢字交じり平仮名和歌に読み解き、そして、藤原定家好みの平安時代末期の和歌口調で表現するか、これが問題です。
藤原定家は宇都宮頼綱の依頼に応じて小倉百人一首で、ご紹介のもので和歌を表現しています。これは平安末期での和歌人の口調の好みです。
「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」
一方、同じ藤原定家は万葉集全歌を読み解いて定家版万葉集と言うものを作っています。それがあなたが示した「原歌」と言うものです。これは歌学として万葉集原歌を奈良時代の発音ではこうだっただろうとして漢字交じり平仮名和歌に読み解いたものです。
「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 不尽の高嶺に 雪は降りける」
このように万葉集原歌、小倉百人一首、定家版万葉集ではそれぞれの歌を表現する背景や目的が違うから色々と種類があるのです。
ちなみに定家版万葉集の方は平安時代末期の和歌口調からすれば硬く雅ではないそうです、それを時代を代表する歌人定家が手をいれたものが小倉百人一首の方です。
さて、言葉とした時、どちらの方が好みですか、
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そもそも「二番煎じ」などではなく全くの別物です。

卑近な例ですが嘉門達夫の『替え歌メドレー』の各替え歌だって元歌とは全く別の作品ですし。
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No1さんがおっしゃるとおりです。


写実的であったものが優美なものが好まれるようになりました。

他にも
【春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山】(百人一首)
【春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣干したり 天の香久山】(万葉集)
などがあります。

ただ元歌は万葉仮名でかかれています。上記の持統天皇の歌は
【春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香久山】
と書かれています。これってどう読むかって難しいですよね。

現代の万葉集の読み方は文献学の研究成果により決まりました。
選者の藤原定家は改変する意図はなく平安時代の読み方でよんだいう説もあります。
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