
数学の天才とか、天才的コンサルタントが、政治の世界をさっさとビシバシ改革してくれれば、世の中はすぐに良くなるはずなのに、なんでそれがなかなか出来ないのかな〜?
と思っていた時期があるんですが、世の中を合理的にスピーディーに改革できないのってやっぱり、既得権益があまりにも強すぎるからですよね?既得権益を握っている人をどうやって動かすか?って、理屈通りに進まない世界ですもんね?

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A 回答 (18件中1~10件)
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No.14
- 回答日時:
数学の天才とか、天才的コンサルタントは力は持っていますか。
人を動かす力がないと、だれも理屈じゃ動かないよ、それは正論で終わってしまう。
それと人心をつかむ力、このエネルギーがないと政治の世界はうごかせないよ。
あと策略の力、カリスマ性も必要でしょう。
一人じゃ無理でしょう、そうなるとベクトルがあった仲間を集めないとなりません。
一つの天才だけで、政治の世界は変えられません。
No.11
- 回答日時:
石破氏のような「辞めない総理」を見ても明らかなように、歴代の総理大臣の多くは法学部出身者で占められてきました。
その結果、何事も法律(=前例)に照らして延々と議論ばかり。
法が整備されるまで決断も先延ばし。この“スピード感の欠如”が、経済政策にも現れ、経済は30年以上にわたり停滞し続けているのです。
今こそ、国会議員の専門性を見極めて投票する時代なんです。
経済・科学・技術・デジタルなど、未来志向の知識を持つ人材を政治に送り込むことで、ようやく成長の道筋が見えてくるでしょう。
実際、80兆円の契約において、契約書も交わさず、日本の利益はわずか10%、残りの90%がアメリカ側に・・という報道もあります。
こうした外交交渉の甘さこそ、“法律には強くても経済には弱い”政治家の限界ではないでしょうか、、
これからの政治には、法の知識だけではなく、「利益を守る力」と「未来を見据える感覚」が必要なんです。
No.10
- 回答日時:
あなたの〜でしょう?〜ですもんね?は何一つ共感できない。
政治の話も学校の話もごちゃ混ぜにしてるし。
青臭い中高生の弁論大会みたい。
国語の先生の既得権益ていったい何だい?
四方八方、当たるを幸いで楯突いてるように見えるよ?
No.9
- 回答日時:
>音楽、習字、美術などは、進学の必須科目!みたいに位置づけられているわけではないし、先生も必死で生徒に高得点取らせよう、なんてしてません。
古文・漢文もそれと似たような位置付けでいいでしょう?という話ですよ。社会で必要なことをしっかり学ぶ、という考え方ですよね?
それなら高校ではなく、専門学校や高専でもよいのでは?
英語だって、これだけ多くの人が中高(人によっては大学でも)で学んでいるにも関わらず、カリキュラムの問題はあるにしても、日本では誰もしゃべれないという現実もあります
繰り返しになりますが、学校は教養を学ぶ場所でもあり、社会で必要なことだけ勉強する場ではないです
個人によって教科ごとの要不要の基準が違うし、科目として存在してても、それを社会でどれだけの人が活かしているか?については、先の英語の件も含めて疑問です
教科ごとの必要性について議論するのは、あまり意味がないと思いまーす
(最後、ひろゆきっぽくまとめてみました)
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簡単な事例は身の回りに山ほどあると思いますよ?
例えば教育ですよ。中〜高の国語の時間に、なんで古文・漢文を習う必要があるんでしょうか?古文・漢文を学生時代に習っておいて良かった!と、心底感激した経験がありますか?
習うにしても、半年に1回の特別授業で習えばよい、と個人的には思います。毎週毎週古文漢文の授業をやって、試験まで受けさせられる、合理的理由は何でしょうか?
あれを維持しなきゃいけないのは、国語の先生の既得権益があるからでしょう?進学塾や教材会社の既得権益もあるでしょう。文部科学行政の担当官僚の既得権益もありそうですよね?
そんなことを教える時間があったら、例えば会計や税金、社会保険、労働法等を早いうちに学生さんに教えてあげた方が、学生さんの将来には1000倍くらい役に立つと思いますけどね。私の個人的意見というより、誰がどう考えてもそうだと思いますが。
数学だって必要とは言い切れないでしょう?ベクトルの概念を知っておくのは有用かもしれませんが、ベクトルの大学入試レベルの問題を解ける技術は、一般世間で生きていく上で有用でしょうか?複素数は?もっともっと科目の内容を分解して、自由選択制にするとか、メーカーの技術者を学校に呼んで、数学や理科の知識はこういう仕事の役に立つ!ということを講義してもらう時間を増やせばいいと思いますよ?なんでそういう方向に、さっさと動かないんでしょう?
それに教育は、世の中に山とある既得権益の、たった一例に過ぎません。
ひろゆき発言には共感しますが、パクってるわけではありません。私も昔から考えてたことです。マトモにものを考えてる人なら誰しも、似たりよったりのことを考えているはずでしょう?
音楽、習字、美術などは、進学の必須科目!みたいに位置づけられているわけではないし、先生も必死で生徒に高得点取らせよう、なんてしてません。古文・漢文もそれと似たような位置付けでいいでしょう?という話ですよ。
既得権益で同一線上の話なんだから、政治の話も学校の話もごちゃ混ぜにするのは当たり前ですよね?
なんで頭のいい人が議員をやらないのが、当たり前なんですか?
大前研一さんも、三橋貴明さんも、政治家に挑戦したけれど、なれませんでした。それも、そういうことだったんでしょうか?