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このサイトを見ている方に、比較的高齢の方がどれだけいらっしゃるかわかりませんが、お聞きします。社会的に成功を収めることもなく、子どもや孫も生きがいにまではならない人間の場合、50、60と年をとっていって良かった、と思えることって、どんなことなのでしょうか? できれば、個別の特殊な事例ではなく、普遍的かつ具体的な例で教えていただけると幸いです。

A 回答 (7件)

お幾つかの人か分かりませんが、50、60と言う年齢を高齢と考えるのは


少々不快に感じます。やがて貴方もその年齢になるのです。

いつでも自分は若いと思う人が大多数でしょう。成功を収める事も無い、子,孫に
生きがいを感じない、個別でない、普遍的、具体的、どれをとっても無理な質問です。

人それぞれに人生が有ります。そしてその人の過ごした生活の中に生活体験が
有るのです。個々の生活の中には普遍的でないものも多いでしょう。

具体的にすると、普遍性は薄くなります。また貴方の言う特殊な事例とは何でしょう。より分かりやすく何を参考にしたいのかの質問を期待します。

この回答への補足

不快さを生じさせてしまい、また、言葉の使い方が独善的で質問の趣旨が表現できておらず、たいへん恐縮です。「個別でなく普遍的、具体的」というところの、言葉を変えてみます。「極端に特殊な例ではなく、ある程度の誰にでも汎用がきくような例で、具体的に現在感じていらっしゃる内容」、これでいかがでしょうか? ぜひご意見お待ちします。

補足日時:2001/10/05 22:58
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自冶会から敬老の日に贈り物があるのですが、老人の実感が湧かず、いつも辞退している年齢のものです。


年をとっていく過程で良かったと思えることは、数多くあり、後から考えるとすべて良かったと言えるほどですが、これらは、年をとりながら、出来たことです。
年をとっていって初めて手に入ったと言えるもので普遍的かつ具体的なことは、次の三つだけです。
1.年をとる過程は、波乱万丈、良い人生だった。
2.自由に自分のしたいことが出来る時間がたっぷり出来た。
3.年金をたっぷり払ってきたけれど、今度は、いただく方になった。

この回答への補足

意図が伝わりにくい質問に回答いただきまして、ありがとうございます。もしよろしければ、その「年をとっていく過程で、年をとりながらよかったと思えること」も教えていただけませんでしょうか? よろしくお願い致します。

補足日時:2001/10/05 23:07
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下の方の回答にもあるように、個別でなく、普遍的かつ具体的な例とはどういうことか分かりません。

人の生き方は個別、かつ具体的です。普遍的、理論的な答えを期待するのであれば教えてgoo!は不適でしょう。この欄は学術論文や評論ではなくごく普通の人が参考意見や知っていることを教えてお互いに助け合うところと理解しています。

50-60代の人はこのような漠然とした質問はしないと思いますよ。人生経験がありますから。経験とは具体的なものです。
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年齢と老いとは個人差が激しいので、幾つだからどうだとかは言えないと思いますが、自分の場合は希望を持たなくなりました。

そこから来る気安さが良いです。狂牛病も怖くないし、テロだって、TVを見ていて腹は立つが、自分に降りかかった場合は、怖くないです。心境としては、天命を待つです。恐怖をマゼッ返す魂胆からかも知れませんが。
そしてまだ若い人に対して、口うるさくはなくなりました。自分もその頃にはもっと未熟だったろうと考えるようにするからです。自分が憲法にならないように心がけます。若いときとは大違いです。でも、まだ、時々、いろいろなことに、薀蓄を傾けるというか、偏見論理を披瀝してしまいますが、まだ未熟なのでしょう。
ご無礼しました。

この回答への補足

趣旨が不明確な質問に対し、意図を汲み取っていただいてご回答いただき、ありがとうございます。「希望をもたないことの気安さ」なんですね。それは、自然に、ではなく、意識的に、でもそういう心境になれるものですか? よろしければ、ご教示ください。

補足日時:2001/10/05 23:10
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No.2のものです。

補足をありがとうございました。
今から思うと一番に良かったと強く感じたことは、25年勤務した会社をリストラで退職したことです。
それまでも何とか業績を回復させようとがんばってはきたので、自分では、全知全能を出して仕事をしてきたつもりでした。
その後、前の会社に比べて20分の1くらいの大きさの会社を5つほど自分に合うところを探して、転々として最後にやっと適職につけました。
このいくつかの会社の経験は、わたしに元の会社で、もうこれ以上出来ないと思っていたことが、色々出来ることを見つけさせました。
結局狭い会社の中での25年は、自分の可能性を狭めていたのだな。
退職もまた良いことだった。
と思えました。
なお、転々とした各会社にも、それぞれドラマがあり良い経験でしたが、長くなりますのでこれで失礼します。
過ぎてみれば、全て良いことでした。
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1番目のsdaruです。

補足拝見しました。私は良く、なって見なければ分からない。
と言います。特に苦境になった場合です。

周りの人々が励ましてくれる、有り難い事ですが、励ましがすれ違う、苦境に
居る本人がその事柄のみを考え、周囲の状況が分から無くなることが往々にして
有ります。

私はこのような場合はただこの人の言うことを聞いているだけです。話しているうちに気持ちが落ち着き、周囲の状況がわかるようになります。

そしてその人なりに進む方向を見つけます。そこで改めて自身の経験や知識を
元にアドバイスします。これでこの人がなったのです。言い換えれば経験を積んだ
ことです。

私自身が何回か繰り返してきました。これが高齢者の知恵でしょうか。このような
ことは結構多くの方が経験していると思います。

成功を収める。これも様様でしょう。大きな会社へ入ってせめて部長にはと思って
いたのが,リストラにあい係長で退職、これを転機に自分の好きなことを始める人
これはこの人にとって成功でしょう。

私は営々と50年自営をしてきましたが後継者がありません。店をどのようにするか
日々考えています。上手に形がつけば私の中では成功と思っています。

このような個人商店は多く有ります。若い時は子供に生きがい見たことも有ります。3人女、全て嫁ぎそばには今誰も居ません。時折孫を連れて帰ってきます。

3人とも帰って来るとお姫さま気分で居ます。母親と口喧嘩、孫は暴れ放題
それを眺めています。この子供ら家族の将来は?、自分で決めるだろうなと。

私の父親は50半ばで心筋梗塞で急死、母親は80過ぎまで生きましたが10年間はボケ
現在このような家族、珍しく有りません。

この様な中で現在もっと何か無いかと考え、前向きに進みたいと思っています。
貴方がお幾つか分かりませんが、平均寿命男75歳女80歳を越える今、50,60を
高齢といわれると抵抗を感じる人は結構います。

口ではそう言っても肉体の衰えは隠しようはありません。難しいのは肉体年齢と
精神年齢のギャップです。30を過ぎると殆どの人が感じると思います。

厄年通りでは有りませんが、30から40、40から50と大台を越える都度感じてきました。自分の存在の期間が少なくなるにつれ色々考えが変わってくるものです。

子供には言って有りま。すボケない限りこの状態で行くと。
ちなみに私は68歳。貴方の質問に満足いく回答では有りませんが。
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質問の回答では、ありませんが、ちょっと一言。



私は、50代の一人として、例え高齢・年寄りと言われたとしても、全く嫌な気分はしたしません。

高齢者でいいではありませんか! 高齢者・年配者のどこが悪いのでしょうか

私は、年を重ねることに対してたいへん誇りを感じています。

未熟であった自分が、(年を重ねるごとに)どんどん熟成していくのは喜びでもあります。

若いころできなかったことが今の自分にはできることもが数多くあります。
(20代の自分と50代の自分とでは、50代の今の自分のほうが好きです。)

もし他人が自分を高齢者とみているなら、それ自身は受けいれなければなりませんでしょう。
しかし、若さ=良い・美しい 年をとる=悪い・醜い ではありませんし、日本ほど年をとることをネガティブに考え、本人も社会もそう評価してしまう国はないかと思います。

世界のどの国を見て歩いても、年配の方々は堂々として生きておられるのが感じられます。

他人がどのように思おうと、本当の自分は、自分が自分をどのように感じるかではないでしょうか!
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