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学校で異文化交流または日本文化について意見を述べるレポートを書くことになって、私は葵祭について調べ、意見を述べることにしました。
そこで、みなさんに質問です。

葵祭についてどれくらい知ってますか?

何をするのかとか、前後の儀式とか、日付とか、はたまた葵祭って何?まで、何でもいいので、どれくらい詳しく知っているのか教えて下さい。

全国的な知名度をはかりたいので、よろしければ都道府県名を添えていただけると嬉しいです。

A 回答 (2件)

京都3大祭りですから



検索して下さい、、、多くの事が掲載されています
取り敢えず 1件です

この日は朝まで、、、やりますよ

参考URL:http://www.kyotomall.com/kanko/aoi.html

この回答への補足

すみません。私の書き方が悪かったのでしょうか。
葵祭について知りたいのではなく、
葵祭について全国的にどのていど知られているのかを調べたかったのです。
京都三大祭りなので、大抵の方は名前くらいは知っていると思いますが、
その歴史となると、知らない人はいるかも……と思ったしだいです。

でも、このページも参考にさせてもらいます。
ありがとうございます。

補足日時:2005/09/16 06:41
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 こんばんは。



 京都人です。すいません。

・祭の起源
 古墳時代後期の欽明天皇(540 ~571年)のとき、凶作に見舞われ飢餓疫病が流行したため、天皇が勅使をつかわし「鴨の神」の祭礼を行ったのが起源とされている。上賀茂、下鴨両神社の例祭で、祇園祭、時代祭とともに京都の三大祭に数えられています。

・名前の由来
 祭の当日(5月15日)、内裏神殿の御簾(みす)をはじめ、御所車(牛車)、勅使・供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉と桂の小枝で飾ったことからきています。

・祭の特徴
 装束の着付け、調度など平安期の文物風俗を忠実に保っています。
 本来、勅使が下鴨、上賀茂両神社で天皇の祝詞を読み上げ、お供えを届けるのが目的の祭りで、天皇が京都にいたときは、行列の飾り馬と出立の舞を見学したりしていました。
 行列は路頭の儀といい、長さ約1kmにも及びます。行列が上鴨神社、下鴨神社に到着すると、勅使の御祭文の奉納、東遊舞の奉納など社頭の儀が神前で行われます。

・歴史
 平安時代中期には、「祭り」といえば葵祭をさすほど隆盛を極めたそうです。
 しかし、鎌倉、室町時代には衰え、戦乱期に入ると行列は姿を消してしまったようです。江戸・元禄期に再興されましたが、明治2年の東京遷都で行列は中止となりました。
 その後、政府の京都活性化策として明治17年に復活しましたが、第2次大戦で中止され社頭での神事だけが続けられていました。
 戦後、行列が巡行するようになったのは昭和28年からで、斎王代の登場は同31年からだそうです。

○日程
 祭は5月3日に下鴨神社(京都市左京区)で前儀として流鏑馬(やぶさめ)神事に始まり、5日に歩射(ぶしゃ)神事、10日前後の斎王代御禊(みそぎ)の儀、12日に神霊を迎える御蔭(みかげ)祭、同日深夜の御阿礼(みあれ)神事と続き、15日の葵祭となります。

・5月3日 流鏑馬神事(やぶさめしんじ) 
 馬を走らせながら騎手が矢で的を射ぬく神事で下鴨神社で行われます。境内の糺(たたず)の森の馬場で狩装束姿の騎手が妙技を披露します。よくニュースでやってますよね。

・5月4日 斎王代・女人列御禊神事(さいおうだい・にょにんれつみそぎしんじ)
 葵祭の斎王代(さいおうだい)以下、女人列に参加する40人の女性が身を清める神事です。
 毎年、上賀茂神社(京都市上京区)と下鴨神社(左京区)の交代で行われます。

・5月5日 歩射神事(ぶしゃしんじ) 
 弓矢を使って葵祭の沿道を清める魔よけの神事。下鴨神社で行われます。

・5月5日 賀茂競馬(かもくらべうま) 
 競馬発祥の地とされる上賀茂神社で行われます。

・5月12日 御蔭祭(みかげまつり) 
 上賀茂神社の祭神賀茂別雷神が出現したといわれる比叡山ろくの御蔭山(左京区上高野・御蔭神社)に降りた祭神の荒魂(あらみたま)を下鴨神社に迎える神事。

 知り合いの方に、この祭りの役員の方がおられるんですが、約一ヶ月間は仕事にならないそうです。
 まー、自営業の方ですから、何とかできるんでしょうね。
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