プロが教えるわが家の防犯対策術!

カテゴリーがわからなかったのですが、ここのカテゴリーで学問的宗教的なことに偏り過ぎない意見がほしいです。

小さいころよく、親とかから「人に意地悪したら自分に帰ってくるんだからね、意地悪しちゃだめよ」ということを言われたと思います。
日本的?、仏教的?考え方に基づくと思うのですが、本当に自分のした悪いことが自分に帰ってきますか。または、自分を通して、自分の周りの人にまで悪い影響を与えますか。
たとえば、不幸な家庭に生まれた人は前世で悪いことをしたのが帰ってきたのですか。
たとえば、過去に悪いことをした人が、今は改心してとてもいい人だけれど、貧乏で持病があり、医者にはいけず毎日痛みと戦う、というのは過去の過ちが帰ってきているのですか。
たとえば、その人物が素敵な人と出会い、婚約しようとした矢先に、婚約者の父親が入院というのは、その人物の「悪」が周りの人にも影響しているのですか。
この人と、この人の周りの人は幸せになれますか。

A 回答 (13件中1~10件)

科学的に考えると、


過去の行動から将来病気になるのは普通ありません。
生活習慣病みたいなものは除きますし、
生活習慣病は一度の過ちで起きるものではありませんから。

それに、悪い事しただけで罰が勝手に与えられるなら、
だいぶ罰を受けてる人がいるはずでですが、
どうもそうは思えません。

たとえ、過去に何をしていても過去そのものは変更できません。
ただ、現在苦しい状況にあるのは事実なのでしょうから、
その状況を変えられるように努力するしかないでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>科学的に考えると、
過去の行動から将来病気になるのは普通ありません。

ですよね。

>それに、悪い事しただけで罰が勝手に与えられるなら、
だいぶ罰を受けてる人がいるはずでですが、
どうもそうは思えません。

ですよね。
ということは、科学的には、いいこと悪いことというのは単なる運なのでしょうか。運って科学的に説明できるものなのでしょうか。

お礼日時:2005/09/18 00:14

過去が影響するにせよ、しないにせよ、今の不幸は、あなたを磨く試練です。

魂を気高いものに高めるための練習です。不幸に耐え抜いて、あなたの命の質が高められます。
つらいでしょう。「魂も、命の質もいらないよ。こんな辛いの嫌だよ」と言いたいと思います。しかし、耐えて生き抜くことには必ず意味があります。諦めず、運命と付き合いましょう。必ず何かが変わる時が来ます。耐え抜く生き様が、あなたの未来を開くのだと思います。あなたの未来の「帰るの」でしょう。
生きてください。
参考文献「稲盛和夫の哲学 人の何のために生きるのか」
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>今の不幸は、あなたを磨く試練です。魂を気高いものに高めるための練習です。

確かキリスト教で、神様はその人に乗り越えられない試練を与えない、というんですよね。
仏教では人は魂を磨いていて、輪廻転生して磨き続けるんですよね。
無宗教(多宗教?)なので、神様も魂も輪廻転生も結構信じています。

>耐え抜く生き様が、あなたの未来を開くのだと思います。あなたの未来の「帰るの」でしょう。

ということは、やはり過去の生き様が今(過去においての未来)を作っているんでしょうか。

>生きてください。
ありがとうございます。
決して深刻に死にたいと思っているわけではなく、現状がつらく、乗り越えることに意味や価値があるのもわかりますが、つらいです。

お礼日時:2005/09/18 00:11

幸せになれるかどうかなんてのは誰にもわかりません。


が、そのために努力することは出来ます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
大げさに説明させtいただくと、私は幸せになりたいと思い、努力をするので、いずれは幸せになるのだと思います。
世界はそれぞれの人のためにあり、私の世界は私のためにあり、あなたの世界はあなたのためにあるのだと思います。(自己中心的かもしれませんが)
人生は私の世界の私の話なので、自分である程度までストーリー展開できるのだと思います。(たとえば、周りから不幸に見えても、気の持ちようで本人は幸せだったりしますよね)ハッピーエンドの好きな私は、いずれ幸せになるのだと思います。
しかし現在の事実に納得できずに、気の持ちようで幸せになれないのかと思いました。

お礼日時:2005/09/18 00:04

あなたの命の恩人の子供と、あなたをひどい目に合わせた奴の子供がふたり並んでいた。



どちらもおなかがすいて泣いている。しかし、あげられるものは少しばかりのパンだけ。

あなたならどちらの子供にパンをあげますか?

自分には知らないところで「運」が決められているというのは、ありえますね。前世というより一族の善行悪行が巡りめぐってくる。

でも、婚約者の父親が入院というのは因果応報とは関係ありませんね。

過去に悪いことをした人が毎日痛みと戦うのは報いを受けていると思います。なぜなら、人の恨みを買ってきたから、困っているのに誰も治療費を貸してくれないということだから。

前世があるかどうかはわかりませんが、親や祖父母ぐらいの善行悪行は報いを受けることはありますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>前世というより一族の善行悪行が巡りめぐってくる。

納得しました。それでは、たとえば母子家庭の母親が子育てをろくにせず、その娘も若くして母子家庭になり、その娘も若くして母子家庭になり、、、というのはどこで止められるのでしょうか。世代のどこかで、ある人が強い信念を持って正しく生きればとめられるものですか?
離婚がまったくの不幸とは言いませんが、離婚家庭の子供は離婚しやすいといいますよね。それも同じことのように繰り返し回っている気がします。

>過去に悪いことをした人が毎日痛みと戦うのは報いを受けていると思います。なぜなら、人の恨みを買ってきたから、困っているのに誰も治療費を貸してくれないということだから。

恩人の子供にパンをあげるくだりで、親の悪行が子供に帰ることがあるのは理解できました。
人の恨みを買い、その人が治療費を貸してくれないから、現在の痛みは報いだというのも理解できました。
でも、たとえば、現在はとてもいい人で、人にも好かれ友達もいますが、みんなお金持ちではないのでお金は借りられない、という場合はどうですか。現在の友人知人との関係にも報いがあるのでしょうか。

お礼日時:2005/09/18 00:30

因果応報って一般に宗教用語だと思われてますが、小生としては立派に社会心理学用語だと思ってます。



悪さをすれば自分に返る。
人が社会で生活する上で、アタリマエなんじゃないですか?
悪さをして回る人間にまで親切にする人なんて稀です。
そんな奴は、大概の人は相手になんかしやしません。
結果、悪さをして回るような奴は社会から阻害され迫害され、やがてはダメ人生。
当然至極の結末だと思います。

ただ、悪さをしても反省して改善したり、失敗してもそれを自分で責任を取って改善する。
これをやっていった人間は、例え遠回りでも廻りの人から信用され、大事にされ、幾らでも良い人生が送れるれるとも思います。

いずれにせよ、何をするにせよ、その行動によって周りの人が自分に対する態度・扱いを変えてくる以上、ちゃんとした行動を積み重ねるしか無いんじゃないかと。

ついでに云うと、外面が良いだけの狡すっからい奴の場合は、世の中アホばかりじゃないんだし、それこそ立派な人を前にしたときに軽く見透かされ、信用されずに大事な事も任してもらえずに、大して重要視されない人間用の仕事しか回してもらえないんじゃないですかね。

前世や来世に関しては知りません。
立証できないだけに、無視しても良いファクターだと思っています。
不幸な生い立ちだといっても、一生不幸だと決定されてる訳で無し、その不幸な生い立ちにメゲずに立派に生きてれば、死ぬまで不幸だなんてコトも無いかと。
メゲて悪さして回れば、一生不幸でしょうけど。
立証できない物の所為にして、僻んでいてもやっぱり一緒でしょうね。
客観的に幸福な生まれでも、僻みっぽい性格の所為でいくらでも不幸になれますし。

悪い事なんて単なる偶然か、または当人が呼び込んでるかのどちらかであって、運命なんぞと言う曖昧模糊とした物を信じてる悲観的決定論者(加えて自身では何もしない)人間の上には、余計に降って来るモンだと思ってます。

人生なんか、その良し悪しは死ぬまで結果なんぞ出やしませんて。

以上、些か長くなりましたが、私見に基く小生の見解です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>悪い事なんて単なる偶然か、または当人が呼び込んでるかのどちらかであって

悪いことを呼び込むって具体的にどういった状況ですか?

>人生なんか、その良し悪しは死ぬまで結果なんぞ出やしませんて。

ありがとうございます。私もそう思います。死ぬまで幸せには貪欲に努力したいです。(その貪欲さがいけないのか、と思うときもありますが。
現状についつい僻みっぽく、周りの幸せに見える人間に嫉妬もします。情けないです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/18 00:40

自分や前世のした悪いことが、


将来的に自分や周りの人に必ず返ってくるかどうかはわかりませんが、
現時点の自分は過去の自分(前世は別)の努力やら何やらとが
つくっているものだと思います。

なので、いま自分が努力しているか怠けているか
人に良いことをしているか意地悪をするかという事実が
未来の自分をつくっているというのは同じことだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

補足をお願いしたいのですが、たとえば、質問の婚約者の場合はどう思われますか?
婚約者にも過去に怠けがあったのでしょうか。だから、自分に直接悪いことが回ってこなくても、合い方が持病に苦しみ、父親が入院ということになっているのでしょうか。
婚約者は因果応報的な考え方を持っていて、日々正しく生きようと努力してきた人です。

皆さんすいません。ついついお礼が愚痴っぽかったり、僻みっぽかったりします。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/18 00:45

6です。



婚約者の方について。
私は、婚約する(結婚する)ということは、お互いにお互いの過去を
一緒に背負うことだと考えます。
「背負う」というと重い感じだけど、それぞれが別々に持っていた荷物を
ひとまとめにして一緒に持つみたいな感じというか。
婚約者が何らかの持病をもっているのだとすれば、
その持病も自分のものとするということでしょうか。

ただ、いま起こっている悪いことを、
すべて自分や婚約者の過去の行動のせいにすることはないと思います。
詳しい事情はわかりませんが、お父さんの入院は偶然のような気がします。

もし仮に、過去に悪いことをしたせいで
いま悪いことが起こっているのだとしても、
過去の過ちを消せるわけではないのだから、
反省はしても、クヨクヨしててはいけないと思います。

事情がわからないだけに的外れかもしれませんが、
婚約者の方は、きっと一緒に荷物を持って歩いてくれると思います。
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この回答へのお礼

再びありがとうございます。

>過去の過ちを消せるわけではないのだから、
反省はしても、クヨクヨしててはいけないと思います。

ですよね。後ろを向いて歩いていても、足元取られることが多くなるだけですよね。大事なのは反省と実行と思います。

お礼日時:2005/09/18 10:19

私は、少なからず因果応報というものはあると思います。



でも、現実は、それだけではないとも思います。

例えば、その婚約者さんの父親が入院したこと。
もしかしたら、その婚約者さんがストレスを少しは与えていたかもしれない。それも、病気になった原因の一つかもしれない。でも、そのお父さん自身が、検診等の自己管理を怠ったのかもしれない。

そうしたら、全てがすべてその人が原因なんてことはないし、逆に、たとえストレスを与えても病気にならない人もいるし、検診等自己管理を怠っていても病気にならない人もいる。
人の体質も、遺伝しているものだからそれも確かに因果応報の中に組み込まれているのかもしれないですけれど、でも、その遺伝だって、何通りもあるもので、その確立たるやすごいものです。

その物事がそこにあって、原因は何であれ、あったにせよなかったにせよ、そこにあっておこっているって私は思います。

所業無常というのも仏教できな考えかもしれないですけれど、形あるものは壊れるのが自然だし、幸せになるも慣れないもどういう状況になったら幸せ、不幸ではなくて、どういう状況にしたら、もしくは、する努力をしたら幸せになれるかだと思います。

どうなるか?じゃなくて、どうするかだと思います。

そして、たとえ回りによくもわるくも影響したところでそれは自然なことだと思うし、深く考える必要のあることでもないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>どうなるか?じゃなくて、どうするかだと思います。

どこかで聞いたのですが、どうなるか?ばかり心配していたら出来るはずのことも出来なくなってしまう。
そうではなく、どうしたいのかを常に考えれば、自然と道(どうするか)は開けると。

>その物事がそこにあって、原因は何であれ、あったにせよなかったにせよ、そこにあっておこっているって私は思います。

物事には常に原因があるってことですか?
私はどんな些細なことでも物事には必ず原因があると思うんです。
婚約者の父親は、彼の喫煙による癌で入院しています。相手が持病で苦しみ、父親が入院して、婚約者(または婚約者の家族)は悪いことをしていないのに、周りの人間によって悲しませられる、苦労を強いられるというのはどういうことが原因でおこっているのかと考えています。

お礼日時:2005/09/18 10:31

私は、良くも悪くも、その人らしい人生を送ってしまうんだと思います。

つまり、いつも心の中に不幸を抱え込んで生きている人はやっぱり不幸な人生行路をたどりがちであると。また、人を陥れた人が、陥れられるというのも、確かに因果応報ですが、考えてみれば、陥れるという発想をする人は、そういう世界にすんでいるんですよ。だから陥れられるのも、その人らしい生き方ではあるのです。

で、普通の人間はなんとなく翻弄されて人生を過ごし終えていくんですよね。でも、たまにハタと、「俺はこれでいいのか?」と気づくときがあります。自分の人生そのものを思い返すような。それで良くも悪くも翻弄される生き方から脱出して、主体的に人生をコントロールできないものかと考えることがあります。そう考えて、座禅くんだりするんでしょうね。

私がそう思ったのは、悪夢を見たときですね。夢の中で恐ろしい目にあっているのですが、その最中はひたすら恐れおののき苦しんでいるんです。で、夢から覚めたとき、はっとしたのです。人生そのものが、夢みたいなもんじゃないかと。モノを考えて生きているつもりだったけど、実は非常に盲目的愚かに翻弄されているだけなんじゃないかと。

生きていれば、いろいろなアクシデントがありますが、重要なのは、悲嘆することではなく、なぜこういう事態に自分は直面しているのかという、その原因をさぐり、不幸の仕組みを見抜くことですね。家庭の不幸が必ずしも自分の不幸にならない方法はあるはずなのです。また、婚約者のお父さんの入院のように
「これは完全に偶然である」ということを見抜くことも大切です。因果関係のないものに因縁を求めることで、自ら不幸をつくることもあるからです。お父さんが入院した場合、まず、お医者の説明や治療プロセス、入院にかかる諸経費や手続きなどを粛々と進めていくことが重要で、ここがスムーズだと不幸は最小限ん押さえられるのです。しかし、因縁に恐れると、こういう具体的なことが出来なくなります。そして不幸を拡大再生産するのです。

幸せになれるかどうかは、ひとえに賢明さにかかっています。賢明ではないので因縁に脚を救われるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>重要なのは、悲嘆することではなく、なぜこういう事態に自分は直面しているのかという、その原因をさぐり、不幸の仕組みを見抜くことですね。

不幸の原因を知り、不幸を最小限に抑えることが幸せにつながるということですか?
悲嘆するのはよくないと、感覚ではわかるのですが、いまいち論理的に納得できずに、ついつい僻みっぽくなります。
>心の中に不幸を抱え込んで生きている人はやっぱり不幸な人生行路をたどりがちである
というのもなんとなくわかるのですが、何か具体てきな話はありますか?

お礼日時:2005/09/18 10:42

#5です。


すみません、例に挙げられた義父になる方の疾病に、tomomo_005さんが不安になられてる部分に配慮してませんでした。

「悪い事(不幸)を呼び込んでる」というのは、神秘主義的な吸引力が在ると言うのではなく、当人が「不幸を気にし過ぎて、余計に精神的なダメージを食らってる状態(そんな疲れた精神状態では、失敗も増え、更に余計な不幸を発生させやすくもなる)」を指して斯様に表現しました。

小生の見解としては、義父になる方が疾病で入院されるという事は、表現が悪くて恐縮なのですが、単なる偶然(悪くても「子供が結婚できそうなので、気が緩んでつい…」というパターン?)に過ぎないのではないか…と思う次第です。

客観的に婚約と疾病に因果関係なんかありませんし、まして子が結婚を考える年ともなれば、親だって体の不調が彼方此方出てくる・病気や怪我に対する抵抗力も落ちてくる年齢でしょうし。

人間には想像力があり、関連性を推察する知能がありますが、それを何でもかんでもくっつけて、殊更コトを大きくしてしまう悪癖がある生き物だと思ってます。
で、心に内在するイメージに合致する現象だけをしつこく憶えてしまう悪癖もある。
故に「自分は不幸になるぞ」と自ら思い込んでいる人は、例えば茶碗を落として割ろうが、一昨日の夕食の残りを食べてアタろうが、運命の所為にして不幸な目に遭った事を思い悩む訳で。

小生にしてみれば「茶碗を落として割った」というのは、単なる偶発的な事故に過ぎないし、一昨日の残り物(傷んでた食品)でアタったのは必然だと思うのですが、悲観的運命論者に至っては、それが不幸な運命の兆候だと思うだろうし?
そんな悲観的運命論者は、小さな不幸に精神的ダメージを食らうだろうし、それをいつまでもクヨクヨ気に病むだろうし、気に病んで注意力散漫になるだろうし、注意力散漫だから事故を起こすだろうし…で、これを指して「悪い事(不幸)を呼び込んでる」と表現した次第です。

気に病む前に、常に「よくない事=不幸」が起きないように注意する事で、少なくとも不注意から来る不幸は防げると思います。
流石に偶発的な・他要素に絡む現象までは予防しきれませんが、少なくとも不注意から来る不幸を被らない…故に「不注意から来る不幸までもを被ってた時よりは、相対的に幸せ」と言う次第で。

相変わらずの長文ですみません…ご容赦くださいませ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なにか、だんだんとすっきりしてきました。

>「悪い事(不幸)を呼び込んでる」というのは、神秘主義的な吸引力が在ると言うのではなく、当人が「不幸を気にし過ぎて、余計に精神的なダメージを食らってる状態(そんな疲れた精神状態では、失敗も増え、更に余計な不幸を発生させやすくもなる)」

最近は仕事にも集中できず、小さなミスが多いです。
これではだめだと思い、集中力減退の原因を考えるようになって、この質問をしました。もしかして過去の過ちからは逃れられずに、本人におこる苦痛なら時々は愚痴をこぼしながらも一生背負う覚悟をしようと思っても、それが回りにまでおよぶものであったならば。。。
どなたかも言ってましたが、すべてを因果応報に収めてしまうのは不幸せの要素を取り除くことにはならないと思いました。
幸せになりたくて、努力をするのであれば、現状が必然であるか、偶然であるかはあまり関係ないのかもしれませんね。

お礼日時:2005/09/19 02:39

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