14歳の自分に衝撃の事実を告げてください

32歳男性です。末期ガンの彼女を半年間の入院の末に喪いました。今日、ご家族の方から電話で彼女の死を知らされました。最後に会ったのは3日前です。彼女とは6年以上付き合っていました。遠距離恋愛ではありませんが、互いの住まいは車で1時間半ほどの距離があります。彼女が入院する前も、入院してからも、基本的に毎週会っていました。
しかし、今日、彼女が亡くなったことを知らされても、大きなショックは受けたものの、僕は泣くことができませんでした。彼女が入院してから、病状が日に日に悪化してゆく姿を見て、何度か目が潤んだことはありますが、感情の赴くままに泣くといったことはこれまで一切ありませんでした。
6年以上も付き合った彼女の死を知らされて、泣くことすらできない自分に腹が立ちます。自分は精神的におかしいんじゃないかと怖くなります。泣けない自分が苦しくて、気が狂いそうです。
彼女とは本当に仲良くさせてもらっていたと思いますが、涙が出てこない自分を顧みて、自分は彼女に対する愛情が薄かったのではないか?と思ったりもします。しかし、6年以上も付き合い、なおかつ毎週会っていれば、恋愛関係にないただの友人であっても、悲しみの涙を流すのが普通だと思います。自分は精神構造がちょっと異常なんじゃないか?と自己嫌悪に陥っています。
僕は、彼女を喪って涙すら流せないこの事実を、どう受け止めればよいのでしょうか?本当に苦しいです。どうか助けてください。

A 回答 (12件中1~10件)

私の知ることを述べることがアドバイスだとは思いませんが、2,3事例を知ってるので書きます、私の知る方はどなたも奥さんをガンで亡くされてます、質問者のように泣くことは無かったそうです、悲しみは感じていたことは間違いないのですが、何年も前からガンで死ぬということは決定していたことなので、予定していた事実が訪れたということです、彼らは最後のそれなりに長い時間(当然短かったと思う方もいますが)できるだけのことをしてきたので事実を受け止めたのです、彼女は死ぬそのことを知っていたものは狼狽して涙にくれることはしないようです、質問者のように悪化していく彼女を見ながら覚悟を決めていたに違いありません、彼女のために泣けないと馬鹿なことに悩まず静かに彼女のことを思い出してあげていて上げなさい、彼女がこの世に生きた証は貴方の記憶の中にもあるのだから、自分の感情ばかりに気を配るのは余計なことです。

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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

>予定していた事実が訪れたということです

そうなのかも知れません。
「彼女がいなくなってしまうかも知れない」「自分はまた独りに戻ってしまう」。。。そういう狼狽や葛藤は既に自分の中では一度は処理し終えたことです。
だとすれば、あとは来るべき時を待つだけだった、とも言えます。
他の方々へのお礼で書いたことと矛盾するかも知れませんが、これはこれでひとつの真理だと思います。

>彼女のために泣けないと馬鹿なことに悩まず静かに彼女のことを思い出してあげていて上げなさい、彼女がこの世に生きた証は貴方の記憶の中にもあるのだから、自分の感情ばかりに気を配るのは余計なことです。

そうですね。仰る通りだと思います。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/09/23 21:55

「悲しすぎて涙も出ない」と考えていいと思います。


まだ昨日の今日では心の整理もつかないでしょう。
私も昨年特別な存在であった幼馴染を癌で亡くしました。
年が明け、彼女の誕生日を過ぎ、2度の彼岸と新盆を過ぎ、そして間もなく1周忌を迎えようとしています。 振り返ると様々な心の変化を遂げて来ました。
自分なりのヒーリングプロセスだったと思います。
親しい知人の中にも涙を見せない女性もいました。
泣いてばかりいる私に「私だって親しかったのよ。自分だけが悲しい顔して!」と抗議する知人もいました。彼女も人前で泣ける私がうらやましかったのだと思います。

泣くのも、泣かないのも、そしてその知人のように怒りを表現するのもそれぞれの立ち直りのための方法なんだと思います。
そのうちたがが外れたように止まらない涙に出会うかも知れません。
笑顔の人が全て幸せとは限らないし、笑顔が上手でなくても幸福を感じていることもあります。 本当の悲しみは心の中に座っています。

どうしていいかわからないときは。静かに目を閉じて手を合わせ彼女の冥福を祈りましょう。 

繰り返していくうちに、何かがどんどん変わると思います。 
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

>泣いてばかりいる私に「私だって親しかったのよ。自分だけが悲しい顔して!」と抗議する知人もいました。彼女も人前で泣ける私がうらやましかったのだと思います。

今の自分は、まさにその知人の方と同じ心境です。

>泣くのも、泣かないのも、そしてその知人のように怒りを表現するのもそれぞれの立ち直りのための方法なんだと思います。

仰る通りだと思います。
だとしたら、泣くことで慰めを得たい、というのはものすごく卑しい考え方ですが、偽らざる僕の実感です。
涙ひとつ流さず、淡々と普段の生活に戻っていくのは、「気丈」と言えば聞こえはいいですが、今の自分にとってはちょっと辛いです。

少し時間を措いてみます。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/09/23 22:04

本当に悲しいときこそ、涙が出ないものだと思います。

。。しばらくして、落ち着いたら涙が出るかもしれませんよ。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

>しばらくして、落ち着いたら涙が出るかもしれませんよ。

やはり、少し時間をおかないと本当のところは見えてこないですよね。
自分は焦り過ぎている、ということは解ってはいるのですが。。。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/09/23 21:57

今受け止めることは、彼女のことであり、


涙を流せない自分のことではないと思います。
そんなことどうでもいいことです。

自分をいい人にしたいんですか?
そうじゃないですよね。

今は何も考えられないと思います。
お気持ち充分に察します。
涙なんて本当にどうでもいいことです。
時間が経てば気付くと思いますが。

今の自分の気持ちが平常に保てず、そういう風に考えてしまうだけだと思います。
きついこと書いて申し訳ございません。
慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

>自分をいい人にしたいんですか?
そうじゃないですよね。

痛烈なご指摘ありがとうございます。
本当に仰る通りなんですよね。
自分を悲劇の主人公に仕立て上げてどうすんだ?カッコつけるのもたいがいにしろ、と諭すもう一人の自分がいることは確かです。
でも、悲劇の主人公を演じることで、自分の慰めを得られるなら、それはそれでアリだとは思います。

>涙なんて本当にどうでもいいことです。

確かにその通りなんだと思います。
我ながら、くだらないことに拘泥しているとは思うのですが。。。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/09/23 21:45

彼女のご冥福をお祈り申し上げます。



心がまだ追いついてないだけですよ。大事な人が無くなったからといって涙が出ないのは、おかしな事ではないですよ。

分りやすく言うなら、きっと貴方の中で“彼女を失ってしまった”という実感がまだ起きていないのだと思います。

>本当に苦しいです。どうか助けてください。
行き場の無い感情がちゃんと心にあるでしょ?
貴方が、悲しみに苦しんで足掻いている証拠ではないでしょうか?

涙が流れないと言う理由でご自身を責めないで下さいね。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

>きっと貴方の中で“彼女を失ってしまった”という実感がまだ起きていないのだと思います。

そうなのかも知れません。
ひねくれた考え方ですが、「まだ自分には実感が湧かないのだ」と思うくらいしか、泣けない自分を慰める術がない、というのが正直なところです。

>行き場の無い感情がちゃんと心にあるでしょ?
貴方が、悲しみに苦しんで足掻いている証拠ではないでしょうか?

それが真理かどうか判りませんが、そう仰って頂けると幾らか気が楽になります。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2005/09/23 21:40

まずはお悔やみ申し上げます・・・



私は2年前に母を亡くしました。いて当たり前に思っていただけに現実として受け止められずに、葬儀中も涙一つこぼさず周りの方々に「大丈夫?」と心配されたことを思い出しました。

あまりにも近い存在だったり、突然のことだったりすると心の方が追いつかず涙が出ないことを知りました。
それから2週間くらいたったころでしょうか、徐々に悲しみや後悔や自責の念が襲い掛かり、通勤中の車の中で泣きながら運転する日が時々ありました。

悲しい出来事があったからといって、必ずしも涙が出るとは限りません、気持ちが追いついてきた時、やっと現実として頭が理解した頃に悲しみが襲ってきたりすることもあると思います。
だから、質問者様もそんなに自分を責めないでください。決して異常なんかではありません。

どうか自分を責めずに、ご自愛なさってください。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

>葬儀中も涙一つこぼさず周りの方々に「大丈夫?」と心配されたことを思い出しました。

彼女の葬儀は明後日です。僕も多分、終始涙を流すことはないと思います。

>悲しい出来事があったからといって、必ずしも涙が出るとは限りません、気持ちが追いついてきた時、やっと現実として頭が理解した頃に悲しみが襲ってきたりすることもあると思います。

現実を現実として受け容れられていない、というのは確かにあると思います。やはりもう少し時間が必要なのかも知れません。

>どうか自分を責めずに、ご自愛なさってください。

お気遣いに感謝します。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/09/23 21:35

変じゃないです。

異常でもないです。
自己防衛本能だと思ってください。

泣くことも自己防衛本能ですが、その逆もまた「あなたなりの」自己防衛です。
全ての人が同じ行動で慰めを得るわけではありません。
人それぞれ、受け止める時間も違えばその方法も違います。

「自分は異常なのではないか」と苦しむことで、最愛の方の死を受け止めるだけの時間を無意識に作ってるんだと思ってみてください。すぐに受け止めるのは無理だから、自分に対してワンクッション置いているだけだと思います。それもあなたにとって、必要な儀式のひとつかもしれません。

異常でも変でも、愛が薄かったわけでもありません。
今の時間が、質問者様にとって必要なだけです。
焦る必要はないと思います。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

>泣くことも自己防衛本能ですが、その逆もまた「あなたなりの」自己防衛です。
全ての人が同じ行動で慰めを得るわけではありません。
人それぞれ、受け止める時間も違えばその方法も違います。

自己防衛本能。。。そうなのかも知れません。自分はこれからも生きていかなければなりませんから。
でも、これが自分にとっての自己防衛本能であるなら、あまりに寂しい、とも思ってしまいます。
泣くことが自己防衛本能の発露である人、泣くことで慰めを得られる人が羨ましい、とも思います。

>焦る必要はないと思います。

そうですね。とりあえずもう少し時が経つのを待ってみます。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/09/23 21:30

私も、最愛の妻をなくしました。


本当に泣けたのは、3週間程たった夜に突然悲しみの
波が襲って来ました。
吼える様に泣き、涙が止まりませんでした。
それからは、涙が事ある毎に出てきます。
亡くなったすぐは、情報としては死を知っても、心が
その事を理解してくれないのです。
彼女がいなくなった事を、本当に理解出来た時に初め
て悲しみが襲ってきます。
まだ、人を癒せるほどには私自身がこなごななままで
すので、何と言ってよいか分かりませんが、時の流れ
に身をゆだねてみませんか。
答えをだすには、まだ早すぎますよ。
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この回答へのお礼

アドバイスどうもありがとうございます。

今日、彼女のなきがらと対面しました。その時も涙は出てきませんでした。
何というか、とても不思議な感覚です。泣き、笑い、悲しみ、怒る彼女ともう会うことができない、という事実を、心が受け付けていないような気がします。
彼女が亡くなったことを、彼女のなきがらと対峙してもなお、実感できていないんですよね。心が事実を事実として受け容れることを、頑なに拒否しているような気もします。そういう物言いは、あまりに自分を美化しすぎのような気もしますが。。。

>時の流れに身をゆだねてみませんか。

この言葉こそが真理であるような気がしました。
流れに逆らうから苦しくなるのだと思います。
今は、もう流れに逆らうことはやめて、身を任せるようにしてみようと思います。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/09/23 21:21

人間って悲しすぎても涙が出ない時があります。


この悲しさ、喪失感はneo_chemさんの中で 涙では表現出来ないくらい大きいものなのでしょう。
人は安っぽいお涙ちょうだいドラマでも泣けます。
涙を超えるほどの悲しみなのでしょう。
悲しすぎて感情のコントロールが出来なくなり、爆笑してしまう人もいると聞きます。
neo_chemさんは薄情でも異常でもないと思いますよ。

私も最愛の祖母を亡くした時、ただ呆然として涙が出ませんでした。
お通夜お葬式、初七日などが終わり 普段の日常に戻りつつある日、
祖母との思い出の場面がふと頭をよぎり、堰を切ったように涙がとめどなくでました。
亡くなってからそれまでの涙がまとめて出たように、ずーっとずっと泣いていました。

neo_chemさんも時が経つと 何かの折に悲しみが襲ってくるのだと思います。
お気を落とさずに、亡き彼女のためにも幸せになって下さい。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

>人は安っぽいお涙ちょうだいドラマでも泣けます。

そうなんですよね。
僕も、そういうフィクションで涙を流すことはあるんですが、今回は何故か当事者であるにも拘らず涙が出てきません。

>お通夜お葬式、初七日などが終わり 普段の日常に戻りつつある日、
祖母との思い出の場面がふと頭をよぎり、堰を切ったように涙がとめどなくでました。

きっと、今まで積み重ねてきた思い出を、これからは積み重ねることができないんだ、ということを厳然たる事実として実感できたときに、僕の中に新たな感情が生まれてくるんじゃないかと思います。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/09/23 21:13

確かに悲しいときは涙は出るものです。



しかし、涙が出るから悲しいのかといわれたらそうとばかりはいえません。

また改めて考えれば、悲しいときに泣かなくちゃいけないということも決まりではないと思いますし、徐々に大切な人との「別れ」を覚悟していると、無意識のうちに心のどこかに「鍵」をかけちゃったのかもしれないなんて感じてしまいました。

私自身は身近な愛する人をなくした経験がありませんが、愛する人の加療中はきっと目の前でなくことができず、涙を隠してお会いになっていらしたことでしょう。きっとその「鍵」がまだ外れていない・・・つまりは心の奥ではまだ彼女がいなくなったことを認めていない感情があるんじゃないかと思います。

色んな儀式を通過し、何かの暖かい思い出に触れたとき、心の奥から深い悲しみがあふれ出てくることもあるかもしれませんが、今は無理をせず、がんばりすぎないでいいんじゃないでしょうか。

何はともあれ、大切に育て上げたお嬢さんをなくされたご両親の悲しみは推し量ることさえはばかられますが、今は、悲しみでぼろぼろになっていない自分を褒めてあげながら、ご両親を支えてあげることができれば、それがあなたの彼女への愛情ということになりませんか?

泣いてぐしゃぐしゃになるのも愛情かもしれませんが、しっかり受け止めてあげるのも愛情だと思います。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

>つまりは心の奥ではまだ彼女がいなくなったことを認めていない感情があるんじゃないかと思います。

そういう面は確かにあるんだと思います。
彼女ともう二度と会うことができない、そのことがまだ正直言って実感できません。

>泣いてぐしゃぐしゃになるのも愛情かもしれませんが、しっかり受け止めてあげるのも愛情だと思います。

そう仰って頂けると幾らか気が楽になります。
自分は、今自分ができることを精一杯やればよいのだと思うようにします。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/09/23 21:08

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