自衛隊の存在は事実上の軍隊であり、護憲派も自衛隊がいらないと言う極端な人は余りいないと思います。この自衛隊の存在が軍隊であるとすると、憲法九条は違憲状態なので改正した方がいいという流れになっているように感じます。

しかし、私は違憲状態でもいいのではないかと思います。なぜかというと、理想主義(ある種のイデオロギーなど)は歴史上、たくさんの悲劇を生んできた気がするからです。

世の中には、たくさんの矛盾があると思います。しかし、その矛盾に対しても排除するのではなく、現実の一部として受け止める方が、より現実的な対応だと思います。

完璧な世の中は、頭の中だけの机上の空論だと私は思う。

憲法を改正したいと思う人の意見(哲学)が知りたいです。なぜ、違憲がいけんのか?

私には理想主義の世界は息苦しいばかりです。日本の新たなイデオロギーのようなものを感じるのですが、この流れは民主主義的なものなのでしょうか?

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A 回答 (20件中11~20件)

質問者さんは憲法改正について聞きたがっていますが、私としてはその要ありと思いますが、現今の自由民主党ごときに、憲法改正などしてもらいたくはない、と思っている一人間です。



帝国憲法は平たく言えば、「わたし(天皇)はわたしの祖先から受け継いだ大権に基づき、その支配に従う国民に憲法の成立を宣言する。私の祖先はその支配に従った人々とともに、この国を作ってきた.この国の歴史には、私の祖先が尊敬され受け入れられ、それに従う人々が、忠実で、勇ましく、国を愛し、その支配を受け入れていたことが輝かしく記されている.私と私に従うあなた達は、この祖先の子孫なのだから、このことを思い、協力してわが帝国の光栄を内外に明らかにして行こう。」と謳っており、主権国家の進路(性格表明)を明らかに打ち立てています。さて、帝国憲法には実は国民、人民という概念は存在せず、かわって臣民が存在し、これは天皇の子として取り扱われ、権利・自由は天皇によって与えられなければ、存在しないものでした。しかも、臣民は皇族からは「夷」と観ていられました。

帝国憲法 第29条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス は帝国憲法 第8条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス が根拠となる治安維持法により無効となり、すべての団体は大政翼賛会に組み込まれ、叛けば解散・拷問が待っていました。
日本国憲法 第3章 国民の権利及び義務は第13条 ・・・国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする、を根拠として制限されることを保証しています。現に日本は海外からは共益社会主義または共益共産主義と呼ばれ、完全な民主主義とは観られていません。

各国の歴史を振り返ると、自由は組織内で発令される法律上においても「制限」されており、また制限され得るものであると、認識していなければなりません。法律は哲学的意味合いとその実際的運用とは異なります。運用する者が誤る恐れが多いにあり、それは歴史が証明しています。運用誤りなきよう法律を制定するがために、ソクラテスは「哲人国家」を推奨したのです。
さて法律はいくら制定しても、守らなければ意味がありませんし、良法でも守らない人間が続出するものです。これは人間側に起因しているものであり、法律を運用するためには強制力(罰)が付加されていなければならず、現実上、法律・条例は強制力がなければ法律ではないと規定されます。

国家は主権が持ちえると誰からも保証されずに主張できます。これは個人の自由、独立から派生したものです(前回答参照)。現に国連加入においても、国連憲章第四条第一項を受け入れ、安保理の推薦を受け、加盟国投票総数の三分の二以上の同意を得れば可能であり、脱退は自由です。加入条件を見てみると、国連は紛争を解決する場でしかないとお分かりになられると思います。国連で採択する条約においては、各国の主権を重んじなければ批准されないために、調印を強制することはありません。例えば、「留保」、「解釈宣言」に見られるように、当事国の主権を損なわないように留意されています。「先進国ではない、平和趣向ではない」と、やいのやいのうるさいですが。当事国の主権を重んじるため国際法は強制力がありません。ですから国際法は法律なのかという議論がいまなお存在しています。
これらを見てみても、国における憲法が、国際を考慮するがためにそれの意義を認めなければ、内容を決める自由が制限されることはありません。「主権国家(他国に支配されたり干渉されたりしない権利、他の主権をもつ国と対等である権利)」の意味合いを学習されることをおすすめします。


湾岸戦争、アフガニスタン、イラク戦争と国際的観点からみる国の憲法とはなんら関係ありません。自国の憲法を照らし合わせて、他国の主権を侵害しても、国連軍の派兵をするに認められるものか否かを決める当事国事情しかありません。紛争が起こった理由と国連の決議、それらいきさつに関する単なる無関心、勉強不足が憲法と国際問題の疑問を産んだわけです。

自衛権や武力を保持しないと憲法に謳っても、依然、憲法停止をも含めて、それらは国に存在・所有するものです。

日本国憲法の前文、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。・・自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて・・」を積極解釈をするのであれば、わが国の憲法の特質からかんがみれば、ヘリコプター病院空母とその護衛艦隊を所有して、他国国連軍と協力・連携すればいいのであって、わざわざ9条を改正・改悪する必要もないと思っている。また、湾岸戦争時に国際的メディアから「敗戦国」と嘲笑されることもないし、イラク戦争においても、イラク国民から敵国扱いされることもなかった。他国災害時においてもこれらを派遣すれば、わが国は稀有の特色ある平和的主権国家として世界に名を馳せることが出来る。憲法とは他国に対する自国の自由を重んじる自由な意見の表明・発露であり、これを認識できないのは、勉強不足によって歴史感覚が鈍っている表れとしかいえないと思う。

日本国憲法 第9条の2項は削除しないと、感覚乏しいものにはいくら言っても分からぬが、日本は「法治国家」ではないと明らかである。さて日本は地政学的に、これは歴史が証明しているが、強大軍事力を紛争時において維持するに困難な国である。他国侵略を可能にするための軍事力を保有することは非侵略国が内政的にひどく分裂していない限り、不可能である。また平時においてその軍事力を保有すれば、重税が国民にのしかかる。強大軍事力を国際社会から因縁つけられれば、敵国条項より、国連から、貧困ロシア(日本を酷く恨んでいることを忘れてはならない。といっても知らなければ忘れようにもないが。)から侵略を許す恐れがある。また、戦争は巻き込まれる国がほとんどである。ほとんど大国に翻弄されるのがわが国である。これを認めようと認めまいと自由であるが、厳然とした事実であると断っておく。数々の戦時特需により救われたわが国である。長いものに巻かれるのも(主権国家の名に恥ずかしいが)一策であることをこっそり、提言しておく。どこを選ぶのかが問題であるが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なかなか難しいお話ですね。私の頭ではなかなか理解できませんでした。
>根拠となる治安維持法により無効となり…
上記の部分を読みましたところ、日本国憲法、第三章第十三条は、治安維持法と同等であり、海外から日本は共産主義国と見られていると、私には解釈されました。はて?

日本は法治国家ではないという主張は一部賛同できます。最近のストーカーやドメスティックバイオレンスなどは、民事不介入の名の下、警察が職務怠慢を行ったことが原因の一つにあると思います。警察に訴えても何もしてくれないという空気が、治安悪化にも影響を与えていると思います。

ただ、法治国家でない状況が、憲法改正すればそれで法治国家になれるかといわれると、何か腑に落ちないものも感じます。憲法九条とは、別のところで法治国家かどうかの論議があるように思います。

侵略戦争を禁止している国は何も日本だけではありません。ドイツ、フランス、イタリア、スペインなどの欧米諸国は、憲法により侵略戦争を禁止しています。そのため、他国侵略のための軍事力の保有は、あまり根拠のないことです。

貧国ロシアが日本に侵略する可能性ですが、冷戦時ならまだしも、チェチェンなどの独立紛争さえ平定できない現状では、可能性として低いと思います。むしろ中国の方が危険なのではないでしょうか。現に、北海道などの自衛隊も、仮想敵国をロシアから中国や北朝鮮へシフトしているのではないでしょうか。

最後に分からない言葉があったのですが、ヘリコプター病院空母とは何ですか?これまでに自衛隊が行ってきた海外救援活動と何か関係があるのでしょうか。

国際法や各国との条約は、日本の輪郭を作るために必要なもので、国際法に強制力がないとしても、日本の主権は、日本一国で成り立つものではないと思います。アメリカでさえ、世界との関係を無視し続けることは、難しい気がします。

お礼日時:2005/10/16 00:06

私の考えで恐縮ですが、違憲である状況を放置すれば……



(1)外国の人間から『日本人は自分の作った法律を自分で破っている』という風にとられ、信用を失う恐れがある。
(2)そもそも違憲の存在である以上他の法律の規制も受けない。という無茶な論旨で軍部の独走を法律上制御することができなくなる恐れがある。

という問題があります。

言ってる事とやってる事が違う国は信用されないでしょう。
民主主義を守る上でもシビリアンコントロールが排除される可能性をつぶしておくべきと考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
(1)”自分の作った”と言うところは異論のある方もいるように思います。スーパー301条のような自国のみ都合の良い法律でも、法は法なのかな。

(2)軍部の独走はどうなんでしょう?漫画の主題としてはありだけど、現実には?

シビリアンコントロールが守られるとしても、肝心の文民が暴走する可能性は誰も否定できない。アメリカのように日本もなれるのだろうか。

お礼日時:2005/10/11 03:54

かつての天文学者に「ガリレオ」がいました。



彼は、「地動説」をとなえ、当時の国教と一体である「天動説」と真っ向対峙しました。

真理を是とするか、説諭を否とするかは、『世論形成』にほかなりません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
それでも地球は動いている、とガリレオの伝記作家が創作した言葉が、現代ではガリレオ本人が言った言葉だと誤って伝わっています。

現在では、世論の形成は、マスコミが作るものになっているのかも知れません。戦争広告代理店なんて言葉もある世の中です。

お礼日時:2005/10/11 04:40

戦前の軍国主義は軍隊を法の下に規制できなかったことから起きた暴走です。


同じように自衛隊の規定が憲法に無いことは純粋に危険なことだと思います。
見方を変えれば自衛隊を正しく縛り付けるために憲法改正は必要だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
軍部の暴走は、民主的な憲法のお手本とまで言われるワイマール憲法のもとでも起きてしまったようです。いわゆるナチスがそれにあたるのではないでしょうか。

シビリアン・コントロール(文民統制)は、アメリカのネオコンの動きなんかを見ますと、果たしてそんなのいいものなのかとも思います。
かわいい部下達を死なせたくない軍人よりも、戦争でビジネスをしたい人の方が発言権が強いなんてどうかと思います。パウエル(元)国務長官のような人の方が戦争に対しては慎重で冷静な判断をしていたと思う。

お礼日時:2005/10/11 03:03

憲法の発祥はもともと「法律」の発展系であり、家風、村風、社風、国風などがあるように、人が集まれば(組織)、それは「人格」に似た「性質」を帯びるようになります。

社会生活の中で様々な問題が発生し、それを解決するがために法律が出来上がりました。最小の単位である人と人の間にルールが発生するように、社会にも適用する、させるべきルールが生まれます。それが法律です。法律は人を最大限に矛盾なく制するがために父性的、母性的な「人格」が備わります。客観性が配慮されているためにそれは見えにくいです。西洋におけるルールは宗教的概念の神と人との「契約」から端を発します。これを概念として正しさ、正しく無さを構築していきました。組織に人格性があると人々は気づくと、国家にも積極的に主張しようとする機運が生まれました。それが憲法でその国の人格を法の名のもとに表明しました。
憲法に触れるのが悪いのは法律に触れることが悪いのです。法律に触れることが悪いのは社会が損なわれるから悪いのです。法律を理解できない野蛮人と他国から揶揄されるのが悪いのです。もともと日本で初めて制定された憲法は1889年で、これはイギリスの社会、法律形態を日本に会うように咀嚼され出来上がったものです。幕僚政治を脱ぎ捨て先進国の仲間入りを望んだのです。文明人(市民)はその義務として法律遵守を負います。

僭主制、寡頭制、絶対君主制と人々は抑圧され、疲弊されてきた。その学びから、神との契約を援用した高邁で、高遠な法律を制定して、それに従おうと自己に定めたのです。
以上、憲法に関しては歴史哲学になります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
憲法は自国民に対しては有効に働くが、他国との戦争などに対しては全く無意味なのでしょうか?アメリカが他国を武力によって民主化するときに、憲法はそれを規制せず、無制限に保障しているのでしょうか?

国際法に対する位置づけがよく分かりません。

お礼日時:2005/10/11 04:50

法あるいは法律に従って多数が生活する社会(法治国家)では多数が法律を解釈なく理解できないといけないと言うことだけですね。


明治に憲法が制定され、戦後に現在の憲法が出来ましたが長い期間、憲法を三種の神器のようにとらえてたふしがありますね。
憲法にしろ、一般法にしろ法律は、多くの人がそれに依拠して生活するわけですから、理想主義者や神官の神器ではないのですね。多くの人々の考え方や実態や環境が変われば法律もそれに合わせて変わっていくということでしょう。そうでなければ、民主的な法治国家ではないですね。人の生活がかわり社会環境がかわれば民意が法律を改正していくこれが民主主義の原則ですね。現実的にも、いろいろな法律改正は改正反対とか賛成という2元論では論じられていないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
日本の法律は、官僚が立法して、政府提案で議会にだしているだけのものがほとんどのようです。立法権を官僚に丸投げした状態では、三権分立を放棄しているのも同然です。

政治家の正当性も、一票の格差がある限りは、あまり100%認めるわけにはいかない気がします。そんな政治家達を生み出す日本の政治システムは、果たしてどこまで民主的なのだろうか。そんな状態で憲法をどこまで変えるつもりなのだろう。

お礼日時:2005/10/11 02:36

個人の趣味や主義主張の問題ではないからです。


#1のかたがおっしゃるように法治国家で守らなくて良い法律がある、ということでは法そのものの「権威」が無くなります。法は国の強制力によって強制されるものですが、その根本である基本法=憲法を守らなくていいのであれば、当然ながら他の法も守る必要がなくなります。
また、理想主義が悲劇を生んだ、というのほどうでしょうか?実際に悲劇を生んだのは理想主義ではなく、理想主義を利用した権力亡者なのでは?
このあたりは少なくとも意見の分かれるところでしょう。
そういう意見の違いを気にせずに表明できることは言論の自由なのですが、少なくとも第2次世界大戦以前は日本では言論の自由はなく、ある種の意見は表明するだけであるいは逮捕されあるいは殺されあるいは弾圧されていました(弁士中止!、って知ってます?)。
今でも時々政治家が自分に都合の悪い意見の表明を止めようとあれこれします。そういう行動や法律を作ろうとするとき歯止めになっている法律が憲法なのですが。
違憲で良いというのはこういう私やあなたのささやかな言論も弾圧される危険にさらすことだと思います。
理想主義の問題では全くありません。ただの詭弁だと思います。
ついでながら私は憲法の改正を主張するものではありません。違憲だから、実態に合わせて憲法を変える、というのは本末転倒だと思っていますので。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
言論の自由についてですけど、有事法案や周辺事態法、国民保護法案など、有事の際には、国民の権利は最小限に抑制される流れになってきているようです。

テレビ局などのマスコミも、免許が必要な許認可制の下で行動をしているから、有事になれば大本営発表を行う可能性もある。

左翼系の新聞の雄である朝日新聞の迷走がとまりません。元々、イデオロギーに毒された人の方が何をするか分からない怖さがあります。彼等、理想主義者は嘘を平気で言い、新たな悲劇を生み出そうとしているようにも思います。

お礼日時:2005/10/11 02:16

>国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。



永久にと書かれているのに改正しようとするのですから、この矛盾も排除してはならないでしょう。
自衛隊が違憲というより、国際的な平和維持活動が出来る事を盛り込みたいのだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
永久にとか、絶対にとか言われると、何だか急に嘘っぽくなりますね。永久なんて言葉を使うのは、違和感がある。半永久的とかならまだしも…

日本国憲法とは、それ自体が一種の理念で、現実を表していないものなのかもしれません。
でも、アメリカの大統領就任式では、聖書に手を置いて、憲法守りますなんてことをやっている。
公教育で、進化論を教えられないような国もあるのだから、憲法を保障するものが、神であったり理想や理念でもいいのかもしれませんね。

お礼日時:2005/10/11 01:01

バランスを取ってくれてるだけだと思うんですけどね。



確かに杓子定規な理想論だけで世の中まわるはずもなく、目をつぶらざるを得ない矛盾も多々あるでしょう。

ただ人間というのは怠惰な生き物ですので、誰もその矛盾の問題を指摘しないと
惰性によりどんどん乱れていくのではないでしょうか(♯1さんのおっしゃるように)

「理想論を声高に叫ぶ人間もいるが、目をつぶらざるを得ない現実の矛盾点もある」
それで結構上手くいってる社会だと思いますよ。日本は。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
日本でもアメリカでも、憲法や国際法を無視した振る舞いは、探せば出てくるような気がします。結局のところ、国益により、どうとでも解釈すれば良いものなのかも。

惰性により乱れるかどうかは、私には判断できません。そこが、みなさんとの意見の違いになるのかもしれません。私は、程度の問題だと思うのですが、実際に乱れた例をご存知の方がいれば話は楽なのかもしれません。

大岡越前の裁きのような、それこそ裁量権の問題になるのかな。一党独裁国家の中国や絶対王制、絶対君主制の中東諸国では、裁量権の比重が極端に大きいのも問題か。

お礼日時:2005/10/08 22:39

憲法すら守らなくていいというのなら、法律も守らなくていいということになりませんか。


だったら何をしてもいいということになり無法状態になってもいいということではないのでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
今の日本は違憲状態だから法律を守らなくていい、と言う人は余りいない気がします。もちろん、現在の日本は無法状態にあると、そこまでは言えないと思います。

何事にも例外があり、100%達成できることはあまりないという意味で、憲法全部を無視してもよいと言う意味ではありません。何をしてもいいというのも、ある意味、極論です。そこには、例外を認めない理想主義の発想が幾分含まれているように思いますが。

お礼日時:2005/10/08 22:04

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(質問)
被告側の弁護士は、裁判に出ていると思うのですが、判決文は、裁判所で「見ない」ものなのでしょうか?
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詳しい方、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まず、「被告側の弁護士は、裁判に出ている」という点で、若干の誤解をなさっているように思います。
確かに、証人尋問など判決が出るまでの作業過程においては、原告被告の区別無く代理人たる弁護士は法廷へ出席して仕事をするのが通常です。
しかし、判決が下される日の法廷には、必ずしも弁護士が出席するとは限りません。なぜなら、そのときに弁護士のすべき仕事はほとんど無いからです(言い換えると、ただ座っているだけ)。判決文は後日送付されるのですから、法廷で判決を聞く時間を他の依頼者のために割いたほうが、よほど能率的ですし他の依頼者からも喜ばれるように思います。
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Q今の矛盾は資本主義だから?社会主義なら?

 哲学は全く無知でして、カテ違いかも知れませんがよろしくお願いします。

 うまく表現できないのですが、「現代の私たち人間って、どんなシステムの下に生きているのだろう?」と疑問に思います。

 具体的には、生きていても苦しいのです。
 生活費を稼ぐために仕事をしていても、企業は限られた社員数でもっと生産性を上げないといけないので、残業や休日出勤は当然のようになっています(そうでない企業もあるかも知れませんが)。で、休みを削ってまでガンガンに仕事をすることで疲労もストレスも溜まりますので、それを少ない余暇時間で解消しようとすればどうしてもお金で時間や娯楽を買うようなことになってしまいます。それをやろうとすることで更に給料が必要になったりしますよね。
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さて、困りましたね。
このようなご質問に対して、明快な回答を書く事の出来ない、自分の無能力さに腹立たしい思いと苦痛がのし掛かってきます。私も教えてもらいたいものです。

最初に言い訳がましいことを申し上げれば、資本主義・社会主義・共産主義といった言葉で表現される観念とか概念は、純粋に理念的な存在で、実際に存在するのは、色々な資本主義と色々な社会主義・共産主義を目指した個々の国家があった、と言う事です。例えば一般に日本という国は資本主義と定義されますが、小泉改革以前は、社会主義的要素も結構有ったわけです。国有企業や生活保障制度とか累進課税制度ですが、こういった制度は社会主義的な制度と言えるかもしれませんね。それが最近、「小さな政府」と言う資本主義的な政策に大きく舵を変えたのは記憶に新しいところです。

同様に社会主義の制度と言っても、色々な考えが有ります、そしてこの社会主義的な制度はある意味ではまだ完成しなかった、と言っても良いのかもしれません。社会主義の歴史を考えても色々な人がいます、モーゼス・ヘスと言う人は「貨幣体論」において、有機的共同体を想定して、諸個人を商品化する貨幣は、有機的共同体の中では必然的に消滅すると考えました。ヴァイトリングは「労働時間」を伝票のようにして交易をすることを考えました。また、貨幣そのものを廃止するのではなく、貨幣の使用自体に利益が伴うわけですから、使用料を取る「減額するスタンプ貨幣」はセルジオ・ゲゼルと言う人の考えです。そのような訳で、実際の社会主義的な制度の中で「貨幣」をどのように扱うかは、ケースバイケースです、急進的左翼は貨幣を廃止しようとしますが、市場社会主義者は一部に市場の原理を利用できると考えているようです。

最近の議論の中では、ワーキングシェアとベーシックインカムの制度が検討されていますが、これも、経済学者や哲学者または社会学者等々の個々の立場で色々と考え方が違います。例えばベーシックインカムは「最低生活保障制度」とほぼ同義ですが、支払いを物質にするか貨幣にするか、その額をどの程度にするか、支給の対象をどう限定するか、色々な考えがあるようです。

ところで、貨幣の循環からの脱出の可能性を模索されるようなご質問の意図が見受けられますが、私たちの目的・手段の循環は、ある意味で断ち切ることが出来ません、そもそも生きる目的もなく、その都度、手段と目的が交差するようなものです、また、社会学者の今村仁司は「形式としての貨幣は廃棄不可能である。なぜならそれは、人間関係に内在する暴力の制度的回避の装置であるからだ。」としていますから、社会で交易して生きるしかない私たちには「価値尺度」と言う形式は、どうしても必要になりますね。したがって、資本主義でも社会主義でも、ご質問の循環自体は、程度の違いはあっても本質的には残ってしまうような気がします。

なお、資本主義の矛盾や論理的な整合性に関しては、アナリティカル・マルクス主義者、市場社会主義については、ジョセフ・カレンズ、このあたりで検索すると、もっと正確な情報が得られるかもしれません。

最後に蛇足ながら、個人的見解を述べさせて貰います。

ソ連の崩壊や中国の市場経済の導入と言った事実は、資本主義を擁護する立場から、社会主義の失敗として記述されることが多いです。私の狭い知見では社会主義的立場から、ソ連の崩壊について、因果関係を詳しく分析した考察を拝見する機会には恵まれていないと言った現状です。だからと言って、社会主義が失敗したから、資本主義しかないのだといった、二者択一の議論とか、適応的選好形成(AよりBの方が簡単に利用できるのなら、AよりBの方が優れていると判断してしまう非合理的な選好心理)の落とし穴に嵌って、キツネさんの「すっぱい葡萄」の理屈に納得し、問題の解決から目をそらすのも如何なものでしょうか。

「しかし、社会主義はうまくいかなかった。ソ連、中国、タンザニア、ギニア、北朝鮮など多くの国で試みられたが、すべて失敗に終わった。これをもって、市場経済の勝利、資本主義の勝利と考える人が大部分だが、それは見当はずれである。社会主義は、社会的不公平をもたらす資本主義を打開する方策として考え出されたのだから、敗北したのは人類、あるいは人知である。」(『人間性はどこから来たのか』 西田利貞)

根本的に、もしユートピア主義者でないなら、あなたはまぬけでしかない。
ジョノソン・フェルドマン
↑ご質問者様や他の回答者様に関してではなく、あくまで一般論として、長文失礼しました。

さて、困りましたね。
このようなご質問に対して、明快な回答を書く事の出来ない、自分の無能力さに腹立たしい思いと苦痛がのし掛かってきます。私も教えてもらいたいものです。

最初に言い訳がましいことを申し上げれば、資本主義・社会主義・共産主義といった言葉で表現される観念とか概念は、純粋に理念的な存在で、実際に存在するのは、色々な資本主義と色々な社会主義・共産主義を目指した個々の国家があった、と言う事です。例えば一般に日本という国は資本主義と定義されますが、小泉改革以前は、社会...続きを読む

Q判決文

先週、小額訴訟を行い判決が言い渡されました。
今週に特別送達で判決文が送られて来ましたので、受け取り
その後、被告に支払い方法の確認の電話をしましたが、携帯電話は解約さていていました。
そして被告は、まだ判決文を受け取っていないようです。(裁判所、郵便局に確認しました)
このまま被告が、判決文を受け取らなければどうなるのでしょうか?
強制執行の申立を行なう事は可能なのでしょうか?
また、私が判決に異議申し立て行い、仮執行を行なう事は可能でしょうか?
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 強制執行をするためには,判決文が被告に送達されていなければなりません。

 被告が,住所にいながら,裁判所からの送達文書を受け取らないという場合には,裁判所は,最終的に,受け取らなくても受け取ったと見なされる方法で,判決書を送達します。

 住所地にいなくて,行方不明であるということになれば,裁判所から連絡がきますので,あなたの方で,被告の新しい住所を探して,そこに送達してくれるよう裁判所に上申します。

 行方不明で,調べても,新たな住所が分からないということであれば,公示送達という特別な方法で,判決書を送達することになります。そのような場合には,裁判所からの通知がありますので,それに対応してください。

 そのようにして送達ができれば,強制執行をすることができるようになります。

Q資本主義、共産主義、次は何主義?

資本主義も共産主義も問題が多いです。もっと良い主義はないのでしょうか?

考えたことありませんか?

資本主義も修正し共産主義も修正し人口爆発、資源の争奪戦をやてますが

何か・・・ボランティア主義?世界宗教?の様な 新しい思想はないものでしょうか?

僕は存在性思想を掲げましたが 桜咲かず 梅咲かず

何か良い主義ありませんか?

ちなみに当方病人のため、要点を教えて下さると有難いですm(_ _)m

Aベストアンサー

共存共栄を願う、win-winのを目指すサナダムシイズムでしょうか。

日本周辺の海に住み、最終宿主が人間であるサナダムシは、
宿主さまから栄養のお余りをいただく代わりに、
宿主さまがガンやアレルギーなどにならないような化学物質を作り、ひそかに宿主さまの健康を守っていた。陰ながら健康に貢献させていただいていた。
宿主さまに死なれると自分もともに死ななければならないので、長い進化の過程でこのようなwin-winの関係が構築された。

このサナダムシの活動を見倣おうというのがサナダムシイズムです。
あくまで控え目で謙虚に、そして、宿主さまへの感謝の念を忘れない。

実際の人間⇔サナダムシの関係は宿主⇔寄生虫の固定的な関係ですけれども、
人間社会においては、時に、宿主がサナダムシになり、サナダムシが宿主になったりと、その都度、その役割を変えますがね。宿主とサナダムシの役割は流動的であり、同時に流動的でなければならない。固定的になってはいけない。


ちなみに、西洋の海に住むサナダムシは凶暴で宿主から栄養を一方的に搾取して宿主を劇ヤセさせたり、宿主に様々な健康障害をもたらします。
西洋のものは、思想、原理・原則だけではなく、サナダムシまで凶暴なんですよ。
Win-Winの関係を目指したりしない。
そこにあるのは一方的な搾取であり、相手を根絶やしてまでも自身の利益や正義(?)のみを追求しようとする貪欲で非情な論理。

共存共栄を願う、win-winのを目指すサナダムシイズムでしょうか。

日本周辺の海に住み、最終宿主が人間であるサナダムシは、
宿主さまから栄養のお余りをいただく代わりに、
宿主さまがガンやアレルギーなどにならないような化学物質を作り、ひそかに宿主さまの健康を守っていた。陰ながら健康に貢献させていただいていた。
宿主さまに死なれると自分もともに死ななければならないので、長い進化の過程でこのようなwin-winの関係が構築された。

このサナダムシの活動を見倣おうというのがサナダムシイズムです。...続きを読む

Q裁判の判決文について

恥ずかしい質問ですが、私の30数年ほど昔のことです。
当時、私は32歳で、ある刑事事件を起こし懲役10か月の実刑判決を受けました。それはそれで受け入れ服役しました。ところが、最近になって、考えてみると、判決文で何と言われていたのかがまったく覚えていないのです。そこで、その判決文のコピーを取り寄せることはできるのでしょうか?だれか教えてください。

Aベストアンサー

無期以外の懲役刑の場合の判決文保存期間は50年のようです。
http://www.bengo4.com/saiban/b_207133/

判決文は判決を受けた裁判所に対応する検察庁に保管されているそうです。
検察庁に出向き、閲覧するか、本人であれば1ページ当たり60円(価格は変動している可能性あり)でコピーを請求出来るそうです。
判決請求する場合には、検察官が判決日と被告人の名前を聞いてくるそうです。
http://www.bengo4.com/saiban/b_207133/


判決を受けた裁判所に対応する検察庁に出向く事が条件のようですので、取り寄せは不可能ではないでしょうか。

Q資本主義の次は○○主義、って当分資本主義でしょ!?

若手論客の方々の対談を聴く機会があって、頭の良い方々の議論を聴くのは刺激があってそれはそれですごく楽しいのですが、自分なりに色々疑問とか違和感も湧きました。

地域地域の共同体が崩れて、これから新しい共同体の形を模索できないだろうか、国家と個人の間に入る、理想的な中間共同体は無いだろうか…というような議論があって、1人の方は、ネット上で同じ趣味の人同士がつながって趣味共同体みたいなのができればそれでいいんじゃないか~みたいなことを言っていました。

またもう1人の方は、人間生活の元々の形態は農業だから、農業社会の再生を~みたいなことを言う人がいるが、難しいんじゃないか~とか、人間の歴史は○○年代まで農業社会で○○年代まで企業社会でそれもだんだん崩れてきて~みたいなことを言っていました。

やっぱり評論家みたいな人たちってこういう議論が好きなんだな~と思いながら聞いていたのですが、やっぱり違和感がありました。

ネット上で多くの人がつながれる、というイメージ自体は私も好きですが、それとは別の話で、現実の社会の大多数は、いまだに企業共同体、しかないと思うのです。

今までの時代は企業のつながり、お金のつながりを通してしか、人は徒党を組めなかったけど今からは違う~みたいなことを言っておられたのですが、実際そうかな…確かにネット等を通じて、新しいコミュニティみたいなものが少し芽生え始めているかもしれませんが、実際大多数の人は、学校を卒業したらもう企業の社会に絡めとられてしまっている、と思うんですね。

これは高度成長期、バブル前後、から、別に今もそんなに変わっていないと思うんです。

なんとなくバブルが崩壊してから何年もたって、ネットが登場して、リーマンショックでアメリカの凋落とか言われたり世の中が大変化しつつあるような印象がありますが、世の中の大多数の人は依然「資本主義」の論理の中で生きていて、組織の有無を言わさぬ圧力のもとで忙殺に近い生活を強いられている人が大半じゃないか、と思うんです。資本主義の次は○○主義だ、とか、農業社会、企業社会の次は○○社会だ、みたいな言い方をする人がいるようですが、資本主義も企業社会も全然終わっていないと思うんですね。

そういう感覚が、頭が良いはずの評論家、学者の方はもしかしたらちょっと分かっていないんじゃないかな~と思いました。

トヨタもそろそろ倒産するかもしれない、とか、日立の明日も危ないとか、そういう話、あり得ませんよね?

ですから、こういう言い方をすると共産主義の人ですね、と言われて終わりそうですが、言論で仕事をされる方に望みたいのは、いかに資本主義、企業の圧力から人々を解放するか、そしてそれ以外の共同体とか、BIなり、企業以外で生活を建てる方法がないか、そういうことを具体的に考えて欲しいんですね。

人間一人ひとり、ここの議論みたいにもっと社会はこうあるべき?とか、もっとこういうサービスを作るべきじゃない?とか、若い人でも本当は色々考えられるはずなのに、企業に入ったとたん、大抵の人は考える余裕を奪われていると思います。企業の価値観、あり方に全身染まることを要求されるのです。そういう意味でも、マルクスの時代から100何年たった今でも、資本主義、企業社会は依然問題を多く孕んでいると思います。

そういう議論、必要だと思いませんか?

若手論客の方々の対談を聴く機会があって、頭の良い方々の議論を聴くのは刺激があってそれはそれですごく楽しいのですが、自分なりに色々疑問とか違和感も湧きました。

地域地域の共同体が崩れて、これから新しい共同体の形を模索できないだろうか、国家と個人の間に入る、理想的な中間共同体は無いだろうか…というような議論があって、1人の方は、ネット上で同じ趣味の人同士がつながって趣味共同体みたいなのができればそれでいいんじゃないか~みたいなことを言っていました。

またもう1人の方は、人間生活...続きを読む

Aベストアンサー

僕が思想を始めた'70年代は、まだ学生運動の余熱が残っており、
それが次第に市民と遊離した過激派として追いやられ、消えて、
その後に三無主義(無気力・無関心・無責任)と呼ばれる波が
来ました。
それでは、その「三無主義の波」は去ったかというと、そのまま
時代の基調になって、今に至ります。

「いや無気力・無関心じゃない」と言われる人もいるでしょう。
しかしこの『無気力・無関心・無責任』というのは、自分の利益や
自分の仕事についての話ではなく、社会的な事についてなのだ。
要するにそれまでは、『社会は個人の意志で変えられる』という
通念があり、実際に学生に限らず社会人もデモやストライキで
大なり小なり世の中を動かした時代があったのだ。
しかし、次第に体制の締め付けと国民の軽薄化が功を奏し、
“親方日の丸”で国政は腹黒い政治家と官僚に任せっぱなしに
なりつつある中、その閉塞感への若い力の最後の抵抗が'70年
代の学生運動の騒乱であったのだ(そして敗れて三無主義)。

今、「哲学」ならまだしも、社会体制的なことに関わる「思想」的
だと思われる事を口にすれば、その内容の如何を問わず周りの
人から危険人物認定され、出版やネット発信が過ぎれば当局
のブラックリストに載る。
この、独裁者なきファシズム国家は、容易に変革できない(叩く
べき頭のない)粘着質の構造をつくり上げたのだ(抵抗できず
海外に逃げた派の私のような人間にも責任がある)。
これを動かすには、何か学術的な権威において証明するとか、
パブリックなブームに乗せるとかして、一気に数を集めないと、
隅っこで議論しても潰されるだけです。

僕が思想を始めた'70年代は、まだ学生運動の余熱が残っており、
それが次第に市民と遊離した過激派として追いやられ、消えて、
その後に三無主義(無気力・無関心・無責任)と呼ばれる波が
来ました。
それでは、その「三無主義の波」は去ったかというと、そのまま
時代の基調になって、今に至ります。

「いや無気力・無関心じゃない」と言われる人もいるでしょう。
しかしこの『無気力・無関心・無責任』というのは、自分の利益や
自分の仕事についての話ではなく、社会的な事についてなのだ。
要するにそれまで...続きを読む

Q判決文が間違えてやがる

判決文が間違えてやがる

判決文の文章がまちがえてやがる
これって書記官に言えばいいのか?

でも、そしたら、原告、被告に
訂正した判決文を再送達、になって、
送達証明書を取るのが、遅くなるのではないか?

Aベストアンサー

執行等の手続を進めるのに影響のない誤字程度のものであれば、
放置して送達証明書をとればよいのではないでしょうか。
影響が出てしまうものだとすれば、更正決定の申立てをするしかないですね。

いずれにせよ、担当書記官さんに会いに行くなり
電話するなりして相談した方がよいかと思います。

Q昭和時代、自衛隊は国民全員から嫌われていた?

40歳代より上の方に質問です。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8683872.html
これなんですが左翼が多数派を占めた時代はないにもかかわらず、反日報道に対し苦情電話も不買運動もおこらず反日新聞がたくさん売れていたのはなぜでしょうか。
その人が左翼でないことと、自衛隊や日本が嫌いだということは昭和の時代には矛盾しないのですか。
当時は国民ほぼ全員が自衛隊の敵だったのですか。
どのように理解すればいいのか教えてください。
あの当時の平均的日本人の愛国心は今と比べてどんなんだったんでしょうか。

Aベストアンサー

>40歳代より上の方に質問です。
ということは50歳以上ということでしょうか。
現在平成26年ですから、最年少は24歳で平成を向かえたことになりますね。
当時はバブル経済の真っ最中で、証券会社に入社した新入社員の娘のほうがメーカー勤務の親父よりもボーナスが多かったという時代です。
企業は次から次へと設備投資を繰り広げていました。
当然人手不足です。
いくら身分が安定していても、厳しい訓練が待ち構えている自衛隊へ入隊しようという若者を探し出すのに苦労していた時代です。
敵だの、愛国心だのとは無関係なお話になります。

1960年(昭和35年)の日米安保改定反対闘争を御存知ですか。
1965年(昭和40年)以降のベトナム戦争反対運動を御存知ですか。
世界的な規模で繰り広げられました。
1968年(昭和43年)の東大紛争を皮切りに、日本中の大学が学生の手によってに封鎖されたことがあるのを御存知ですか。
反戦フォーク集会で学生が東京の新宿駅を占拠したことがあるのを御存知ですか。
ギター片手に集まって歌いまくりました。
三里塚闘争(成田闘争)というのを御存知ですか。
あさま山荘事件というのを御存知ですか。
よど号ハイジャック事件というのを御存知ですか。
テレアビブ空港乱射事件というのを御存知ですか。
ネットでご確認下さい。
当時の画像はyou tubeでご覧いただけます。
 
同時に高倉健などの任侠映画や「ふうてんの寅さん」などの映画が流行った時代です。
機動隊と殴り合った帰りに任侠映画を観て、義理だ人情だと言っていました。
現在の感覚での左翼だの右翼だのという机上の空論の時代ではありませんでした。
良かれ悪しかれ主張には常に行動がともなっていました。
不買運動だのという生易しい時代ではありませんでした。
当然、このような政治闘争に参加しない若者も多数いました。
このような価値観の時代に自衛隊へ入隊する若者は極限られていました。
参考までに申し上げておきますが、
防衛大学校というのは、当時は、現在の偏差値でいえばトップクラスの難関校でした。
優秀な連中が集まっていました。

この時代を体験して肌で知っているのは、少なくても60歳以上の方ということになります。
やがてバブル経済の時代へと突入していきます。

昭和30年代から昭和50年代というのは、企業の中堅以上の幹部には軍人上がりがゴロゴロいました。
学生運動上がりの社員を軍隊上がりの上司が指導していました。
価値観の違いなどという生易しいものではありません。
意見が違えばどちらも簡単には引き下がりません。
このような集団が世界第二の経済大国を築き上げました。
国を愛するというのは、戦争や軍隊のお話をするだけが能ではありません。

どなたからお話を聞かれたのか分かりませんが、今一度昭和の時代というのをお調べください。
時代の価値観も社会情勢も目まぐるしく変わっていた時代です。

>40歳代より上の方に質問です。
ということは50歳以上ということでしょうか。
現在平成26年ですから、最年少は24歳で平成を向かえたことになりますね。
当時はバブル経済の真っ最中で、証券会社に入社した新入社員の娘のほうがメーカー勤務の親父よりもボーナスが多かったという時代です。
企業は次から次へと設備投資を繰り広げていました。
当然人手不足です。
いくら身分が安定していても、厳しい訓練が待ち構えている自衛隊へ入隊しようという若者を探し出すのに苦労していた時代です。
敵だの、愛国心...続きを読む


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