ゆるやかでぃべーと すべての高校生はアルバイトをするべきだ。

自衛隊の存在は事実上の軍隊であり、護憲派も自衛隊がいらないと言う極端な人は余りいないと思います。この自衛隊の存在が軍隊であるとすると、憲法九条は違憲状態なので改正した方がいいという流れになっているように感じます。

しかし、私は違憲状態でもいいのではないかと思います。なぜかというと、理想主義(ある種のイデオロギーなど)は歴史上、たくさんの悲劇を生んできた気がするからです。

世の中には、たくさんの矛盾があると思います。しかし、その矛盾に対しても排除するのではなく、現実の一部として受け止める方が、より現実的な対応だと思います。

完璧な世の中は、頭の中だけの机上の空論だと私は思う。

憲法を改正したいと思う人の意見(哲学)が知りたいです。なぜ、違憲がいけんのか?

私には理想主義の世界は息苦しいばかりです。日本の新たなイデオロギーのようなものを感じるのですが、この流れは民主主義的なものなのでしょうか?

A 回答 (20件中11~20件)

質問者さんは憲法改正について聞きたがっていますが、私としてはその要ありと思いますが、現今の自由民主党ごときに、憲法改正などしてもらいたくはない、と思っている一人間です。



帝国憲法は平たく言えば、「わたし(天皇)はわたしの祖先から受け継いだ大権に基づき、その支配に従う国民に憲法の成立を宣言する。私の祖先はその支配に従った人々とともに、この国を作ってきた.この国の歴史には、私の祖先が尊敬され受け入れられ、それに従う人々が、忠実で、勇ましく、国を愛し、その支配を受け入れていたことが輝かしく記されている.私と私に従うあなた達は、この祖先の子孫なのだから、このことを思い、協力してわが帝国の光栄を内外に明らかにして行こう。」と謳っており、主権国家の進路(性格表明)を明らかに打ち立てています。さて、帝国憲法には実は国民、人民という概念は存在せず、かわって臣民が存在し、これは天皇の子として取り扱われ、権利・自由は天皇によって与えられなければ、存在しないものでした。しかも、臣民は皇族からは「夷」と観ていられました。

帝国憲法 第29条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス は帝国憲法 第8条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス が根拠となる治安維持法により無効となり、すべての団体は大政翼賛会に組み込まれ、叛けば解散・拷問が待っていました。
日本国憲法 第3章 国民の権利及び義務は第13条 ・・・国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする、を根拠として制限されることを保証しています。現に日本は海外からは共益社会主義または共益共産主義と呼ばれ、完全な民主主義とは観られていません。

各国の歴史を振り返ると、自由は組織内で発令される法律上においても「制限」されており、また制限され得るものであると、認識していなければなりません。法律は哲学的意味合いとその実際的運用とは異なります。運用する者が誤る恐れが多いにあり、それは歴史が証明しています。運用誤りなきよう法律を制定するがために、ソクラテスは「哲人国家」を推奨したのです。
さて法律はいくら制定しても、守らなければ意味がありませんし、良法でも守らない人間が続出するものです。これは人間側に起因しているものであり、法律を運用するためには強制力(罰)が付加されていなければならず、現実上、法律・条例は強制力がなければ法律ではないと規定されます。

国家は主権が持ちえると誰からも保証されずに主張できます。これは個人の自由、独立から派生したものです(前回答参照)。現に国連加入においても、国連憲章第四条第一項を受け入れ、安保理の推薦を受け、加盟国投票総数の三分の二以上の同意を得れば可能であり、脱退は自由です。加入条件を見てみると、国連は紛争を解決する場でしかないとお分かりになられると思います。国連で採択する条約においては、各国の主権を重んじなければ批准されないために、調印を強制することはありません。例えば、「留保」、「解釈宣言」に見られるように、当事国の主権を損なわないように留意されています。「先進国ではない、平和趣向ではない」と、やいのやいのうるさいですが。当事国の主権を重んじるため国際法は強制力がありません。ですから国際法は法律なのかという議論がいまなお存在しています。
これらを見てみても、国における憲法が、国際を考慮するがためにそれの意義を認めなければ、内容を決める自由が制限されることはありません。「主権国家(他国に支配されたり干渉されたりしない権利、他の主権をもつ国と対等である権利)」の意味合いを学習されることをおすすめします。


湾岸戦争、アフガニスタン、イラク戦争と国際的観点からみる国の憲法とはなんら関係ありません。自国の憲法を照らし合わせて、他国の主権を侵害しても、国連軍の派兵をするに認められるものか否かを決める当事国事情しかありません。紛争が起こった理由と国連の決議、それらいきさつに関する単なる無関心、勉強不足が憲法と国際問題の疑問を産んだわけです。

自衛権や武力を保持しないと憲法に謳っても、依然、憲法停止をも含めて、それらは国に存在・所有するものです。

日本国憲法の前文、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。・・自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて・・」を積極解釈をするのであれば、わが国の憲法の特質からかんがみれば、ヘリコプター病院空母とその護衛艦隊を所有して、他国国連軍と協力・連携すればいいのであって、わざわざ9条を改正・改悪する必要もないと思っている。また、湾岸戦争時に国際的メディアから「敗戦国」と嘲笑されることもないし、イラク戦争においても、イラク国民から敵国扱いされることもなかった。他国災害時においてもこれらを派遣すれば、わが国は稀有の特色ある平和的主権国家として世界に名を馳せることが出来る。憲法とは他国に対する自国の自由を重んじる自由な意見の表明・発露であり、これを認識できないのは、勉強不足によって歴史感覚が鈍っている表れとしかいえないと思う。

日本国憲法 第9条の2項は削除しないと、感覚乏しいものにはいくら言っても分からぬが、日本は「法治国家」ではないと明らかである。さて日本は地政学的に、これは歴史が証明しているが、強大軍事力を紛争時において維持するに困難な国である。他国侵略を可能にするための軍事力を保有することは非侵略国が内政的にひどく分裂していない限り、不可能である。また平時においてその軍事力を保有すれば、重税が国民にのしかかる。強大軍事力を国際社会から因縁つけられれば、敵国条項より、国連から、貧困ロシア(日本を酷く恨んでいることを忘れてはならない。といっても知らなければ忘れようにもないが。)から侵略を許す恐れがある。また、戦争は巻き込まれる国がほとんどである。ほとんど大国に翻弄されるのがわが国である。これを認めようと認めまいと自由であるが、厳然とした事実であると断っておく。数々の戦時特需により救われたわが国である。長いものに巻かれるのも(主権国家の名に恥ずかしいが)一策であることをこっそり、提言しておく。どこを選ぶのかが問題であるが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なかなか難しいお話ですね。私の頭ではなかなか理解できませんでした。
>根拠となる治安維持法により無効となり…
上記の部分を読みましたところ、日本国憲法、第三章第十三条は、治安維持法と同等であり、海外から日本は共産主義国と見られていると、私には解釈されました。はて?

日本は法治国家ではないという主張は一部賛同できます。最近のストーカーやドメスティックバイオレンスなどは、民事不介入の名の下、警察が職務怠慢を行ったことが原因の一つにあると思います。警察に訴えても何もしてくれないという空気が、治安悪化にも影響を与えていると思います。

ただ、法治国家でない状況が、憲法改正すればそれで法治国家になれるかといわれると、何か腑に落ちないものも感じます。憲法九条とは、別のところで法治国家かどうかの論議があるように思います。

侵略戦争を禁止している国は何も日本だけではありません。ドイツ、フランス、イタリア、スペインなどの欧米諸国は、憲法により侵略戦争を禁止しています。そのため、他国侵略のための軍事力の保有は、あまり根拠のないことです。

貧国ロシアが日本に侵略する可能性ですが、冷戦時ならまだしも、チェチェンなどの独立紛争さえ平定できない現状では、可能性として低いと思います。むしろ中国の方が危険なのではないでしょうか。現に、北海道などの自衛隊も、仮想敵国をロシアから中国や北朝鮮へシフトしているのではないでしょうか。

最後に分からない言葉があったのですが、ヘリコプター病院空母とは何ですか?これまでに自衛隊が行ってきた海外救援活動と何か関係があるのでしょうか。

国際法や各国との条約は、日本の輪郭を作るために必要なもので、国際法に強制力がないとしても、日本の主権は、日本一国で成り立つものではないと思います。アメリカでさえ、世界との関係を無視し続けることは、難しい気がします。

お礼日時:2005/10/16 00:06

私の考えで恐縮ですが、違憲である状況を放置すれば……



(1)外国の人間から『日本人は自分の作った法律を自分で破っている』という風にとられ、信用を失う恐れがある。
(2)そもそも違憲の存在である以上他の法律の規制も受けない。という無茶な論旨で軍部の独走を法律上制御することができなくなる恐れがある。

という問題があります。

言ってる事とやってる事が違う国は信用されないでしょう。
民主主義を守る上でもシビリアンコントロールが排除される可能性をつぶしておくべきと考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
(1)”自分の作った”と言うところは異論のある方もいるように思います。スーパー301条のような自国のみ都合の良い法律でも、法は法なのかな。

(2)軍部の独走はどうなんでしょう?漫画の主題としてはありだけど、現実には?

シビリアンコントロールが守られるとしても、肝心の文民が暴走する可能性は誰も否定できない。アメリカのように日本もなれるのだろうか。

お礼日時:2005/10/11 03:54

かつての天文学者に「ガリレオ」がいました。



彼は、「地動説」をとなえ、当時の国教と一体である「天動説」と真っ向対峙しました。

真理を是とするか、説諭を否とするかは、『世論形成』にほかなりません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
それでも地球は動いている、とガリレオの伝記作家が創作した言葉が、現代ではガリレオ本人が言った言葉だと誤って伝わっています。

現在では、世論の形成は、マスコミが作るものになっているのかも知れません。戦争広告代理店なんて言葉もある世の中です。

お礼日時:2005/10/11 04:40

戦前の軍国主義は軍隊を法の下に規制できなかったことから起きた暴走です。


同じように自衛隊の規定が憲法に無いことは純粋に危険なことだと思います。
見方を変えれば自衛隊を正しく縛り付けるために憲法改正は必要だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
軍部の暴走は、民主的な憲法のお手本とまで言われるワイマール憲法のもとでも起きてしまったようです。いわゆるナチスがそれにあたるのではないでしょうか。

シビリアン・コントロール(文民統制)は、アメリカのネオコンの動きなんかを見ますと、果たしてそんなのいいものなのかとも思います。
かわいい部下達を死なせたくない軍人よりも、戦争でビジネスをしたい人の方が発言権が強いなんてどうかと思います。パウエル(元)国務長官のような人の方が戦争に対しては慎重で冷静な判断をしていたと思う。

お礼日時:2005/10/11 03:03

憲法の発祥はもともと「法律」の発展系であり、家風、村風、社風、国風などがあるように、人が集まれば(組織)、それは「人格」に似た「性質」を帯びるようになります。

社会生活の中で様々な問題が発生し、それを解決するがために法律が出来上がりました。最小の単位である人と人の間にルールが発生するように、社会にも適用する、させるべきルールが生まれます。それが法律です。法律は人を最大限に矛盾なく制するがために父性的、母性的な「人格」が備わります。客観性が配慮されているためにそれは見えにくいです。西洋におけるルールは宗教的概念の神と人との「契約」から端を発します。これを概念として正しさ、正しく無さを構築していきました。組織に人格性があると人々は気づくと、国家にも積極的に主張しようとする機運が生まれました。それが憲法でその国の人格を法の名のもとに表明しました。
憲法に触れるのが悪いのは法律に触れることが悪いのです。法律に触れることが悪いのは社会が損なわれるから悪いのです。法律を理解できない野蛮人と他国から揶揄されるのが悪いのです。もともと日本で初めて制定された憲法は1889年で、これはイギリスの社会、法律形態を日本に会うように咀嚼され出来上がったものです。幕僚政治を脱ぎ捨て先進国の仲間入りを望んだのです。文明人(市民)はその義務として法律遵守を負います。

僭主制、寡頭制、絶対君主制と人々は抑圧され、疲弊されてきた。その学びから、神との契約を援用した高邁で、高遠な法律を制定して、それに従おうと自己に定めたのです。
以上、憲法に関しては歴史哲学になります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
憲法は自国民に対しては有効に働くが、他国との戦争などに対しては全く無意味なのでしょうか?アメリカが他国を武力によって民主化するときに、憲法はそれを規制せず、無制限に保障しているのでしょうか?

国際法に対する位置づけがよく分かりません。

お礼日時:2005/10/11 04:50

法あるいは法律に従って多数が生活する社会(法治国家)では多数が法律を解釈なく理解できないといけないと言うことだけですね。


明治に憲法が制定され、戦後に現在の憲法が出来ましたが長い期間、憲法を三種の神器のようにとらえてたふしがありますね。
憲法にしろ、一般法にしろ法律は、多くの人がそれに依拠して生活するわけですから、理想主義者や神官の神器ではないのですね。多くの人々の考え方や実態や環境が変われば法律もそれに合わせて変わっていくということでしょう。そうでなければ、民主的な法治国家ではないですね。人の生活がかわり社会環境がかわれば民意が法律を改正していくこれが民主主義の原則ですね。現実的にも、いろいろな法律改正は改正反対とか賛成という2元論では論じられていないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
日本の法律は、官僚が立法して、政府提案で議会にだしているだけのものがほとんどのようです。立法権を官僚に丸投げした状態では、三権分立を放棄しているのも同然です。

政治家の正当性も、一票の格差がある限りは、あまり100%認めるわけにはいかない気がします。そんな政治家達を生み出す日本の政治システムは、果たしてどこまで民主的なのだろうか。そんな状態で憲法をどこまで変えるつもりなのだろう。

お礼日時:2005/10/11 02:36

個人の趣味や主義主張の問題ではないからです。


#1のかたがおっしゃるように法治国家で守らなくて良い法律がある、ということでは法そのものの「権威」が無くなります。法は国の強制力によって強制されるものですが、その根本である基本法=憲法を守らなくていいのであれば、当然ながら他の法も守る必要がなくなります。
また、理想主義が悲劇を生んだ、というのほどうでしょうか?実際に悲劇を生んだのは理想主義ではなく、理想主義を利用した権力亡者なのでは?
このあたりは少なくとも意見の分かれるところでしょう。
そういう意見の違いを気にせずに表明できることは言論の自由なのですが、少なくとも第2次世界大戦以前は日本では言論の自由はなく、ある種の意見は表明するだけであるいは逮捕されあるいは殺されあるいは弾圧されていました(弁士中止!、って知ってます?)。
今でも時々政治家が自分に都合の悪い意見の表明を止めようとあれこれします。そういう行動や法律を作ろうとするとき歯止めになっている法律が憲法なのですが。
違憲で良いというのはこういう私やあなたのささやかな言論も弾圧される危険にさらすことだと思います。
理想主義の問題では全くありません。ただの詭弁だと思います。
ついでながら私は憲法の改正を主張するものではありません。違憲だから、実態に合わせて憲法を変える、というのは本末転倒だと思っていますので。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
言論の自由についてですけど、有事法案や周辺事態法、国民保護法案など、有事の際には、国民の権利は最小限に抑制される流れになってきているようです。

テレビ局などのマスコミも、免許が必要な許認可制の下で行動をしているから、有事になれば大本営発表を行う可能性もある。

左翼系の新聞の雄である朝日新聞の迷走がとまりません。元々、イデオロギーに毒された人の方が何をするか分からない怖さがあります。彼等、理想主義者は嘘を平気で言い、新たな悲劇を生み出そうとしているようにも思います。

お礼日時:2005/10/11 02:16

>国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。



永久にと書かれているのに改正しようとするのですから、この矛盾も排除してはならないでしょう。
自衛隊が違憲というより、国際的な平和維持活動が出来る事を盛り込みたいのだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
永久にとか、絶対にとか言われると、何だか急に嘘っぽくなりますね。永久なんて言葉を使うのは、違和感がある。半永久的とかならまだしも…

日本国憲法とは、それ自体が一種の理念で、現実を表していないものなのかもしれません。
でも、アメリカの大統領就任式では、聖書に手を置いて、憲法守りますなんてことをやっている。
公教育で、進化論を教えられないような国もあるのだから、憲法を保障するものが、神であったり理想や理念でもいいのかもしれませんね。

お礼日時:2005/10/11 01:01

バランスを取ってくれてるだけだと思うんですけどね。



確かに杓子定規な理想論だけで世の中まわるはずもなく、目をつぶらざるを得ない矛盾も多々あるでしょう。

ただ人間というのは怠惰な生き物ですので、誰もその矛盾の問題を指摘しないと
惰性によりどんどん乱れていくのではないでしょうか(♯1さんのおっしゃるように)

「理想論を声高に叫ぶ人間もいるが、目をつぶらざるを得ない現実の矛盾点もある」
それで結構上手くいってる社会だと思いますよ。日本は。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
日本でもアメリカでも、憲法や国際法を無視した振る舞いは、探せば出てくるような気がします。結局のところ、国益により、どうとでも解釈すれば良いものなのかも。

惰性により乱れるかどうかは、私には判断できません。そこが、みなさんとの意見の違いになるのかもしれません。私は、程度の問題だと思うのですが、実際に乱れた例をご存知の方がいれば話は楽なのかもしれません。

大岡越前の裁きのような、それこそ裁量権の問題になるのかな。一党独裁国家の中国や絶対王制、絶対君主制の中東諸国では、裁量権の比重が極端に大きいのも問題か。

お礼日時:2005/10/08 22:39

憲法すら守らなくていいというのなら、法律も守らなくていいということになりませんか。


だったら何をしてもいいということになり無法状態になってもいいということではないのでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
今の日本は違憲状態だから法律を守らなくていい、と言う人は余りいない気がします。もちろん、現在の日本は無法状態にあると、そこまでは言えないと思います。

何事にも例外があり、100%達成できることはあまりないという意味で、憲法全部を無視してもよいと言う意味ではありません。何をしてもいいというのも、ある意味、極論です。そこには、例外を認めない理想主義の発想が幾分含まれているように思いますが。

お礼日時:2005/10/08 22:04

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