
三好達治の「わがふるき日のうた」の中の「雪はふる」の歌詞、”海にもゆかな 野にゆかな かへるべもなき身となりぬ”の意味が釈然としません。
松下泰久氏によると、”海にも野にも死に場所を失った詩人には、帰るべき故郷も生活をともにする家族もなく・・”と解説している一方、口語訳として”死に場所を見つけるために海に行きたい、野に行きたい・・」と逆の解釈をしています。
http://kuradan.hp.infoseek.co.jp/siryou/wagafuru …
接尾語の「な」には否定の意味もある一方、次の歌に示すような肯定的な使い方もあるようです。
秋風は涼しくなりぬ馬並めて
いざ野にゆかな芽子が花見に(万葉集巻一〇ー二一〇三)
「雪はふる」の場合は、「帰る所もないので、死に場所を求めて海か野に行こう」なのか、それとも「海にも野にも自分が死ねる場所はない」のか、どちらをとるべきでしょうか?
それから”すぎこし方なかへりみそ”の接尾語の”みそ”についての解説も併せてお願いいたします。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
終助詞(学校文法では「接尾語」には分類しません。
)の「な」が禁止の意味を表すのは、動詞・動詞型助動詞の終止形、ラ変型活用語の連体形に付いた場合です。「行く(文語では四段活用)」は終止形が「行く」ですので、「行くな(ゆくな)」が禁止の言い方になります。
これに対して、終助詞「な」が動詞・動詞型助動詞の未然形に付いた場合は、「~したい、~しよう」という自身の希望・意志もしくは、他人を誘う「勧誘(~しようよ)」を表します。
質問者が引用されている万葉の例の場合は、はこの用法に該当します。「行く」の未然形が「行か」だからです。(「馬並めて」ですから、「みんなで」ということで、勧誘でしょう。)
参考:yahoo辞書(大辞泉)
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%A4%CA&dnam …
達治の詩も「ゆか・な」ですから、ここは後者の用法です。ここは自身の意志を示すと考えればよいと思います。
中央公論社の「日本の詩歌」の『三好達治』(解説:阪本越郎)には、該当の詩に、「海にも山にも行きどころのなくなった詩人は、終(つい)の栖(すみか)を雪の中に見出だした」として、一茶の「これがまあ終の栖か雪五尺」を参考に引用しています。
ここでも「海にも山にも行きどころのなくなった」とあるわけですが、文法的には「死ねる場所はない」ととるのは無理があります。そこで私はこう考えたいと思います。
「海にも行こう、山にも行こう」というのは、海もしくは山を望ましい場所として列挙しているのではないのです。どちらも安らかに暮らせる場所でも、死に場所として適切なところでもないのです。だから結局どこへいっても同じ。海にも山にもこだわってはいなくて、野でも川でもいいのです。ただ、例として海と山をだしただけなのです。
「どうせ私には行くところはない、だから海にでもいってしまおう。あるいは山にでもいってしまおう。どこへいったところで同じだ。もちろん帰るべき所もない身となったからには、故郷も安住の地ではないのだ。」……こんな感じではないでしょうか。
なお、「なかへりみそ」は、「な・かへりみ・そ」と三つの単語に分かれます。
「な」が副詞、「そ」が終助詞で、間に動詞の連用形(サ変・カ変動詞は未然形)をはさみ、禁止を表します。「~するな、~してくれるな」という意味です。
「過ぎこし方」=「過去」ですから、「な・かへりみ・そ」で「(過去を)振り返るな」というような意味になります。自分自身に言い聞かせる言葉でしょう。
この回答への補足
”「わがふるき日のうた」の中の「雪はふる」”というのは、多田武彦作曲の合唱曲のなかで括られた(編集された)もので、実際には「わがふるき日のうた」と「雪はふる」は独立した詩です。
補足日時:2006/02/09 09:36懇切丁寧にご教示いただき大変感謝しています。「どうせ私には行くところはない、だから海にでもいってしまおう。あるいは山にでもいってしまおう。どこへいったところで同じだ。・・・」という訳例は、作者の言わんとするところを見事に表していると感じました。「海にもゆかな」の「も」は単なる字数あわせだけでなく、「海にでも、どこにでも」というようなニュアンスを含めているのですね。
No.2
- 回答日時:
この「雪はふる」の2行目「野に行かな」は、ご指摘の万葉集の元歌を喚起させ「さあ野に行こうよ萩の花を見に」との呼びかけ誘いの意が。
3行目の「かえるべもなき身となりぬ」は、古今集歌「駒並めていざ見に行かむふるさとは雪とのみこそ花は散るらめ」の方にからめて、旧都奈良で表わされる「花は散るらめ」の「ふるさと」すなわち「帰る辺」であり、さらには桜の花が雪片と舞う「過ぎ越し方」なのだと。
この二つの詩歌の春秋をめぐる対比的境地を前提とした上で、第1行目に「海にもゆかな」と、動詞の未然形につく終助詞を上代語のままでなぞらえ、「海にも」とばかりに(秋の野の萩見や、また春の故郷の観桜でなくたって、たとえ駒並めての友との道行きでなくたって)海にだって行こうじゃないか、一人だってゆけるじゃないかと表明と哀号とが交々の切なる胸の内で、切り出しているのではないでしょうか。
越路の果て、九頭竜川を越え、東尋坊近くの海に開かれた地三国に、「雪はふる」。古の詩歌とは裏腹に、昭和17年には師であり大兄である朔太郎に長逝され、翌18年には妻子と離別し、昭和19年に三国に疎開し、昭和20年には萩原アイとも離別し、ここに今「雪はふる」のだと。
過去から引き摺ってきた故国・戦争・恩讐・愛憎の全てから解き放されたかの如く、今の私には雪だけが寄り添ってくれるのだ。この全てを失った死に限りなく近い清澄の只中にいる、それほどに今こそ「かかるよき日」なのだと。
この詩の背景となる作者のおかれた環境と心情を、いにしえの歌との対比を交えてまことに格調高い文体でご教示いただき感激いたしました。図書館で調べた「三好達治の世界(小川和佑著)」にはなかった貴重な解説です。誠に有難うございました。最近始めた男声合唱でこの歌に出会いましたが、なんとも切なく哀しいこの詩が多田武彦の美しい旋律に融け込んだ素晴らしい合唱曲になっています。
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