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No.6ベストアンサー
- 回答日時:
(1) キリスト教は生け贄という概念では捕らえていませんが、実際はその概念は古代 あの地域一帯であった神への生け贄の儀式そのものです。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM …
『鞭打ちと刺殺は豊饒の呪術として、身代わりの王に涙と血を流させるために行われた[註5]。バビロンの聖典は述べている。「もし王が打たれたとき涙を流さなかったら、悪い年の前兆である」[註6]。王あるいは身代わりの王は死ぬとただちに「神になった」。彼は天界に昇り、天界の父(すなわち本来の部族の父を象徴する最初の犠牲者)と一体となった[註7]。おそらく神格化と不死性の特権を得るという約束のもとに、犠牲者は喜んで死を受け入れたのであろう。これと同様の約束がキリスト教の殉教者を引きつけたのとよく似ている。』
2)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM …
『エッセネ派の人々の間では、キリストなる者は聖職者であって、とくに、「罪をになう人」、「あがない主」と呼ばれた。すなわち、他人の罪をあがなう人であった[註4]。スラブ人の間では、キリストKrstnikは生贄になる英雄を意味すると同時に、また、「のろわれた人」をも意味した。それは、「罪をになう人」が生贄となる前に、儀礼としてその人にのろいをかける習慣が古代にあったからであった』
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM …
もっと話しは複雑なのだと思いますが、どうしてイエスが王とされ、生け贄とされたことにより身代わりの子羊となった という話ができあがったのかなんとなくわかると思います。
生け贄は神への捧げ者であり、捧げることで国が豊かになる という概念が古代にはあったんです。
3日後に生き返るというのも、その当時 生け贄とされた王は女神の生命のスープに還元され、通常3日で戻ってくるといわれていたから、そういう物語になったんだと思います。
異教の概念がユダヤ人の宗教に入ったからじゃないかと。
この回答への補足
カントーロヴィッチの「国王ニ体論」というのを見つけました。国王は不死にして不壊の第二の身体を持っている。この第二の身体(政治的身体)が,イエスさんの復活にも当てはまるような気がします。過剰に意味を組み込まれた身体。十字架をお守りのように身に付けるのも,意味過剰な行為ですね。
カインとアベルのように,神様も人によっては,いけにえをもらわないことがある。何とも不条理なことだ。もしかして,イエスさんもいけにえとして機能していないから,カインのように人類に罰が当たり続けているのかも。
ありがとうございます。
「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」
文化人類学的に,なんとなく腑に落ちました。王権神授説みたいですね。王様の力は神から授かったもの。
日本の死んだら仏さんになるというのも何か関係がありそう。
古代に行われたことは,呪術的な意味合いが多かったのでしょうね。十字架刑は,本来,鳥や野犬に召される鳥葬でしたか。しかし,イエスさんは神に召された。神は喜んで召し上がり,罪は贖われた。
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No.10
- 回答日時:
ごめんね。
死んだままではありません。と書きたかったそしてイエスがよみがえったように信じるものが
新しき人生を歩き出す。
ありがとうございます。
なるほど,そういう意味でしたか。人種差別につながる根源的な宗教のもつ負のドグマですね。
人は全て生まれながらに呪われているのですね。
罪びとはサタニズムを信仰し,神の至福の千年王国が訪れるまで,争いつづける。
最後に生き残るのは一部のキリスト教徒であるのは間違いないと思います。
そのとき人は超人,神人になるのですもの。世紀末がくるまでは,真のキリスト教が訪れることは無いのでしょう。
No.9
- 回答日時:
> 1)キリスト教徒は、イエスさんのことを...
キリストが自身を「いけにえ」とした、ということは聖書に書いてあることです。このこと自体は新約聖書にそのまま書いてあることなので(ヘブライ人への手紙7、9章の終わりの方など、参考URL「ヘブル人への手紙」)、1) は、おおよそ、そのように言って差し支えないように僕は思います。
後半部については、質問の意味は理解できたと思うのですが、キリストが自身をささげたということと、質問された方が書かれている「憎しみ...」ということとでは、「いけにえ」や「許し」の意味するところが同じではないので、前半と後半の質問に脈絡がないように感じます。
参考URL:http://www.kidok.info/BIBLE/cgi/biblevlist.php?V …
No.7
- 回答日時:
1の回答)
敬虔な人の場合(予測)
人類がいまだに犯しつづけている罪の贖罪を肩代わりしてくれている(思い込み)
一般的な教徒(予想)
白羽の矢を立てられた不幸な人を哀れんでる
ちなみにキリスト教に喧嘩を売っているわけじゃありませんよ?
2の回答)虐めの生贄にされた側としてはあっても別にかまわないかと。
私の場合は社会的に制裁しましたが(生贄じゃないとは言わないで……)それでも回りに迷惑をかけられるよりはましかと。
某国二つほどが核弾頭で回りに憂さ晴らしされても困るでしょ?
特に日本が。
最後の……ふむ……憎しみの連鎖を断ち切る方法……
一番簡単な方法
他人の意見などお構いなしにスベテを滅ぼし尽くして自分も死ぬ。
一番難しい方法
人類が階梯を一つ登る
この場合の階梯は人類がお互いの心を感じ取りお互いを補完すると言う事です。
どちらにしても人類が滅ぶ事には変わりありませんが。
人類から争いをなくせばその結果は滅びしかありえません。
動かないと言う事は何も作らない、ただ朽ち果てるだけなのですから
ありがとうございます。
人柱とかお守りというものは,尊い犠牲ですよね。自分の代わりに犠牲になってくれるものがいたら,どんなに嬉しいことでしょう。お国のために死んでくれる人がいるのも,自己犠牲の尊さを物語っているようにも思います。政治家はえてしてそれを悪用しますが。ローマ教皇も政治家だったのか。
全てを滅ぼすというアイデアは究極ですね。真理だと思います。キリスト教徒だけは,最後の審判で救われるそうですしね。異教徒は殺されるしか手が無いのかもしれない。
No.5
- 回答日時:
キリスト教に興味を持ってはおりますが非キリスト教徒です。
理解の足らないところはどうぞご指摘ください。■質問(1)について
下の回答者さまも仰られてますが、キリスト教での「いけにえ」というのは、まず「私たち」が「神」に捧げる(大切な)もの、だと思います。
「敵」に殺されたもの、ではありません。
そうすれば殺されることを知っていてなお、神の意志に沿う生き方を貫き、その結果、それを気にくわないと思う人々に殺されたもの、は、自らを捧げた、という意味で「いけにえ」になるかもしれませんが。
しかし、その際、イエスを殺した人々がそれで気が晴れたかどうかは全く関係ないことです。敵の気を晴らすため、民族間の恨みや憎しみを昇華させるためにイエスは十字架にかかりに行ったわけではありません。
イエスは「(敵も含めた)私たち」や「神」のために行ったんです。彼が気にしていたのは敵のことではなく、自分の行為が神の意に適うかどうか、つまり、自分が正しくいけにえとなれるのか、ということではないかと……。
(いけにえ=捧げ物ですから、神がそれを諾と言い、受け取ってくれなければ成立しません)
イエスの死が、異なる宗教や民族間の争いに巻き込まれたものなのか、自殺なのか。それとも、神の心に沿っての行為、同朋の罪(神に対する罪ですよ)を贖うために自分の命を神に捧げるという信仰の現れ(=いけにえ)なのか、というのは、キリスト教にとっては重要なことだと思います。
信仰とはいかなるものか、ということの本質に関わってくることだと思いますので。
■質問(2)について
信仰、つまり、なにか自分たちを超えた大きなもの(神)を信じ、心を委ね、祈るという行いには、「自分の大切なものを神にささげる」というプロセスが必要なのかもしれないなあ、とは思います。
しかしその場合、捧げるものは「人の命」である必要はありません。時間でも、その日の収穫の一部でも構わない。修道士・修道女のように世俗の人間としての幸福を捧げてもいい。
(ユダヤ教の昔は遊牧民だったので、大切なもの=家畜=命=生贄だっただけで。大切なものなら何でも)
人間に信仰が必要ならば、そのプロセスとしての捧げ物・供え物の行為もまた必要であるということは言えるかもしれません。
それが特定の方法(いけにえ)である必要はありませんが。
■その下の文章について
上記のように考えますと、「やられたらやりかえす」「憎しみの連鎖」を絶つための「いけにえによる許し」というのが、どういうものかよくわからないのです。
「いけにえを捧げれば許してくれる(かもしれない)」相手は「神様」であって、敵ではありませんので。
「神の意志に沿う生き方をし、その結果、それを気にくわないと思う人々に殺されたもの=いけにえ」という図式は、「神の敵とされた人々に殺されれば、それが神の意に適う行いである」という誤解を生みやすいということはあると思います。
ゆえに、争いに巻き込まれて死んだ「自分たちの側の人」を「彼はいけにえになったのだ」と言い張ることによって、相手方に「神の敵」のレッテルを貼り、自分たちの行為を「神の意にかなう行為」として正当化することはなかなか有効な戦術ではないかと。
(敵方にとっては、そのいけにえを神が受け取る理由が成立しないので「なんじゃそら」でしょうけど)
比喩的に、「人知を超えたなにか大きなもの(歴史・運命など)の犠牲になって死んだり損なわれたりしたもの」を「いけにえ」と呼ぶことがあります。
(そのレベルまで抽象化されてしまうと、宗教色はかなり薄くなりますが)
質問者様が想定しておられるのはそのレベルの、双方が認めざるを得ない歴史上の悲劇のようなものなのでしょうか?
その場合、その悲劇が正しくいけにえとして、争いの抑止力として機能するためには、少なくとも争いの当事者たちが、自分たちの神や信仰や宗教的世界観による歴史観とは別に、そのような歴史上の悲劇を歴史上の悲劇と認められるだけの共通の歴史意識、世界史意識のようなものが備わらないといけないのではないかと思います。
……備わってないんじゃないかと思うんですが。
まとまりのない文章で申し訳ありません。
ありがとうございます。
いけにえは確かに人である必要は無いのかも。ただ,人の命が容易に手に入る場合は,ついやってしまうのかも。
例えば,戦争中,朝鮮人を人柱にして埋めて,工事の安全や建造物の安泰のために神に捧げるとか。
私の言ういけにえは,結構あいまいに使っていて,申し訳ない。尊い犠牲者くらいの意味で使っています。人柱や即身仏は,正直,気味が悪い。それだけに力があるのか。
No.4
- 回答日時:
>1)キリスト教徒は、イエスさんのことをいけにえの様にとらえているのでしょうか?
「いけにえ」とは、捧げる事を言います。
キリストの場合、捧げられたわけではありませんから、「いけにえ」とはなりません。
>2)人間には、いけにえが必要なのでしょうか?
必要ありません。
人間で生贄を要求した人は、一握りの暴君しかありません。
しかし、神の中には、生贄がいないと生存できない神がいます。
アスティカやフェニキアの神は、人間を生贄として要求しましたし、ミトラ教では、牛が生贄として捧げられました。
質問者の方は、生贄の意味を取り違えているように思います。
No.3
- 回答日時:
すみません;
あまり細かく書くと政治カテになってしまうのと、宗教の歴史は長く古く、質問者様のお気づきの通り権力闘争に利用されてる節があます。
根拠となる証拠物件も本人達の手によるものではなく、第三者によって書かれた物がほとんどです。
しかも、何世紀にもわたりかなり歪曲されてる節があり、正確に物事を捉えるには、政治・歴史・宗教といった多方面に渡る多大な資料と解釈が必要です。
それに質問者様のご質問は、心理学に近い部分が強いですので、あらぬ誤解を与えたくなかったので断片的に書いたのですが、不十分だったようで…;
あくまで私個人の意見として捉えて頂きたいのですが、全ての根底にあるのは、人間の「欲」です。
あくまで、憎しみとは事実から遠ざける為に利用される「道具」に過ぎません。
人間は感情に左右されがちな生き物ですが、欲と違って憎しみの操りやすさはまた格別です。
事実から遠ざけ、現実を無視させる働きが大きいからです。
人間が報復という行動に出るのは、最終的にそれが自衛となる為です。
報復されない暴力とは、いわば一方的に強者が弱者を潰す虐殺であり、利益を遥かに上回る反撃があるからこそ、平和が維持されるのです。
それでも紛争がなくならないのは、得をする人間がいるからです。
もし本当に、紛争が誰も得をしないのであれば、そんな非効率的システムはとうの昔に淘汰されています。
しかし、当然、大部分の人は戦争をしたがりません。
利益を誘導しようにも、パイは食べる人数が少ない方が得ですし、大部分の人は傷付きたくないと考えます。
そこで出番となるのが憎しみというわけです。
しかも、このシステムは放っておけば憎しみが憎しみを呼ぶ形で、勝手にどんどん増殖します。
仮に生贄を捧げた所で、人間の根源である「欲」は永遠に無くす事は出来ませんので、あくまで一時しのぎにしかなりません。
質問者様のいう憎しみの連鎖を断つ為には、人間の遺伝子が猿から1%以上賢くなるよう、争いの非効率さを全人類一人一人が自覚するまで、進化するしかありません。
まぁ、簡単に言うとNo.1さんが言ったように、飽きるまで待つしかないですね…。
しかし、人間は同時に健忘症ですから…。
食う事より大好きな闘争本能を持った人間が、果たして争いを捨てられるのか…。
私は全人類が滅ぶまで無理だと思います…。
ありがとうございます。
人間は,損得だけでは無いような気がします。ただ,戦争は難しいですね。ルサンチマンが人民に充満していれば,それを政治家は利用するだろうし。
確かに,欲深いものが戦争を起こすのかもしれない。結果はどうなろうとも。その中で,ヒトラーや石原莞爾のような預言じみたことを言う人がいる。イエスさんもそういう人だったのか。
世界が実り豊かなものになるためには,自己犠牲が必要か。環境問題やアフリカの貧困問題も,自分の痛みとして受け取れる感受性が無ければ,解決できないような気がします。人類は,超人や神人にならなければ駄目なのか。
霊的な力や自然をめでる力は間違いなく現代人は退化している気がする。
No.2
- 回答日時:
1)実際、キリスト教徒といっても千差万別なので、一概には言えません。
ただ、「イエスは処刑され弟子は助かった」という「事実」があるだけです。
あとは、それを見た人々がいかにして「真実」と捉えたかです。
2)(筆問者様の言う意味での)生贄は必要ありません。それで気が晴れる人もいますが、全体から見れば極小数です。
実際にはそんなものがあっても、憎しみの連鎖は止まりません。
それは憎しみの原因となる出来事が、憎しみだけで引き起こされるからではないからです。
ただ、質問者様の言う生贄という意味が「犠牲」や「報復」という意味なら、話は別です。
「犠牲」は結果的に引き起こされるもので、最初からそれを要求するのはナンセンスです。
「報復」は抑止力という効果があり、憎しみとはまた違います。
ありがとうございます。
1)首謀者の処刑によって弟子が助かったというのはいまいち分かりません。弟子にとってはイエスさんは必要な人だったのでは。死んだら困るのでは。弟子はその後、大体は迫害されて殉教死しているようですし。
2)報復に抑止力があるのなら、なぜイスラエルの紛争は止まないのかしら。
No.1
- 回答日時:
1 生け贄とは思っていないでしょうが、イエスを身代わりにしたおかげで弟子たちは助かったと思っているでしょう。
2 生け贄は宗教上必要な民族もいれば、生け贄が必要ない民族もいます。
憎しみの連鎖と生け贄は無関係でしょう。
神というものの設定の仕方でしょうね。
肉食民族が神に捧げるものが一般に生け贄と言われています。
日本の神道では、お供え物と言って、海のものと山のものを供えて、後でそれをもらいうけ、一緒に食べることになっています。
タイやサツマイモを供えますが、それと憎しみの連鎖は別です。
憎しみの連鎖を経つためには、争いに飽きるまで待つしかないです。
厭戦気分にならないと何をやっても無駄です。
ありがとうございます。
1 身代わりですか。古代では、生け贄の身代わりに土偶などが用いられた所もあるようですが。身代わりとして犠牲になるものを生け贄と言うのかな。
2 イスラエルの紛争などを聞きますと、一つ生け贄になるようなシンボリックなことが無いと事が収まらないように思います。それがイエスさんのような十字架じゃないかなと思う。
フランス革命とかでも、王様の首を民衆が求める。首には力が宿ると信じられ、ハンカチにその血をしみ込ませたりするわけですよね。
確かに、飽きるということは以外に重要かもしれませんね。退屈ほど人間にとって、厄介なものはないのかも。
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