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イスラム教の女性達が被るスカーフについて教えてください。
宗教的な理由であることは分りますが、どういう意味があるのですか?
キリスト教徒の女性が現在もミサの時に被るベールとの関連性は何かありますか?
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

No.3です。



以前テレビで熱心なイスラム教徒は男性でもスカーフを被り、その意味は、、、と説明されていたのを見たのですが、どういう意味だったのか記憶が定かではないのですが、神の下にいる 神に仕えている者です と神に対しての表現として、男性もスカーフを着用する という内容だったような。

頭を出したまま、お祈りをすることは神に対して大変失礼なことだ という考えだったように記憶しています。

で、アラブ首長国連邦の人たちは国連でもスカーフを着用していますが、熱心なイスラム教徒だからじゃないかと。
あの赤と白のチェック柄も意味があるらしいのですが、覚えていません。


>女性の髪を隠す被り物は遠く旧約の時代迄さかのぼるんですね。

旧約聖書でスカーフの着用に関して、何か記述があるかは覚えていません。
が、ベールなら記憶あります。

この民族はもともと移動する民族で、神殿も担いで移動していた。
幕屋と言われるもので、布で内部が見えないように覆い隠していたわけです。
で、普通の人はその幕屋に近づくことはできなかった。
その幕屋内部に入れるのは大祭司のみだったと思います。

ちなみに大祭司は聖別され油を注がれた者 メシアとされた。
インドの風習をユダヤ人は頭に変更したわけで、聖婚のために選ばれた者は頭に油を塗られていたわけです。


福音書によってはイエスの死後、ベールが裂けたという表現があったと思います。
密教から顕教になったという意味なのか、神が暴露されたという意味で福音書作家は比喩として使ったのか?
ここのところは良くわかりません。


で、旧約聖書の中に聖婚の話があったと思います。

こういうときネットは便利で、、、見つけました。 やはりイスラエルだ。

えっと、イスラエルが聖別される前の名前は、ヤコブでしたよね。
ヤコブは妹のラケルを嫁にもらいたくて、せっせと奉公し、7年奉公したので、やっと嫁にもらった。
嫁はベールをかぶっていた。
その女の輿入れ受け入れ床を共にし、翌日ベールをとってよく顔を見たら、なんと自分が望んだ妹のラケルではなく、ラケルの姉レアだった。

どうしても妹のラケルを嫁に欲しくて、さらに7年間奉仕し、やっとラケルをもらうわけです。

で、最初の妻 姉のレアとの間には神の祝福があり、子供に恵まれた。
しかし、妹の本命のラケルとの間には、子供ができなかった。

というストーリーがあり、最初の姉によりヤコブは神の祝福を受けており、レアはダダ者じゃないと思うんですね。

結婚式では、ベールで花嫁の顔を覆ってあり、新郎が花嫁のベールを取り、相手を確認してから口付けをするという風になったのは、これが元じゃないかと。


>やはり、ユダヤを源流とする宗教社会では[原罪]からは誰も逃れることは出来ないし、それを誘発するようなものはうむを言わさず封じ込めようとしたのでしょうか?

ユダヤ教では原罪について固執していないそうです。
何故なら律法によれば、父親が犯した罪を、息子が償ってはならない としているから。
罪を犯した本人のみが償いができる と法律で決めているから、ユダヤ教では原罪についてとやかく言わないってわけです。
神のいいつけを守っている民族なので。

キリスト教の場合、神の言葉を否定することで成り立っていますので、いつまでもこだわり続けなければならないわけです。
キリスト教徒であるかぎり、神の背信し続ける運命を背負うってわけですね。

現代の法律では、父親が罪を犯した場合、その息子が責任を取って罪を償い刑務所に入るということは要求していない。
キリスト教だと息子が刑務所に入らなければならないってわけです。


現代に続いているキリスト教の開祖はイエスじゃなくパウロだと思うんですね。
パウロは律法(神からの人間に与えられた法律)をことごとく否定した人ですよね。

パウロは、束ねていない髪で女たちがいのままに操ることができる天使たち(ここでは悪魔)を極度に警戒していた。そこで彼は「女は頭に覆いをかけるべきである」と主張した。
悪魔を建物の中に入れないため、女性は教会に中で頭に何かを被らなければならないとしたんです。
パウロは男は罪を犯していないが、女は罪を犯しているとし、男を堕落させた張本人は女だとし、女を誘惑したものは悪魔だと考えていたんですね。
それで、女性が髪を隠さないで教会に入ると、悪魔が教会に侵入すると解釈したみたいです。

髪は女神のパワーの象徴ですから、それを表に出すということは、悪魔の力を抑えずに教会に入るという解釈をしたのだと思います。

で、修道女は髪を剃らなければならなかったのは、そういう迷信を信じ、女の髪は悪魔の象徴だと思っていたので、修道女になると坊主頭にならなければならなかったみたいです。
虚勢ってわけです。(無害)

このパウロの妄想により始まった風習により、今日も女性が教会に入るとき、頭を覆うことになったらしいです。

さらにキリスト教は毛に異常にこだわったみたいで、男性の修道士にも胸毛を剃るように命令したようです。
魔女狩で、女性の陰部の毛も剃っていたそうです。
その際に初めて女性の股間の中にあるクリトリスを見ることになり、ペニスだと思って、人間の女に化けた悪魔だと思って、火あぶりにしたらしいです。

ジャンヌ・ダルクの場合、処刑前に自分で髪を切ったそうです。
教会はカンカンに怒ったみたいです。
自分達が虚勢する前に、やられたから。
ちなみにジャンヌ・ダルクは魔女だと思われていたらしい。
で、火あぶりになっちゃったんですね。

髪に関しては、イシスがオシリスを復活させるとき、自分を髪を広げ髪でオシリスの体を覆ったそうです。
で、オシリスのペニスだけ魚が食べてしまってなかったので、イシスは性交なしに子供を産んだってわけです。
だから、イシス像はマリア像と同じなわけですね。

という神話もあり、キリスト教は女性の髪について非常に畏れていたんです。


>女とはマリア・マグダレーナのことでしたでしょうか?

福音書によって違うようです。
http://shino.pos.to/magdalene/magdalene1.html

ヨハネの福音書だとベタニア在住のマリア。

罪深い女が油を塗ったとなっているのは、ルカによる福音書のみ。

使徒がイエスに対して怒ったのは、罪深い女に体を触らせたからですが、どうして使徒は罪深い女に対して物言いができなかったのか。
謎ですよね。

使徒は、その権限を持っていないので、仕方なくイエスに言うしかなかったのかも。
つまり罪深い女とされる髪を束ねず、髪を布で覆わず 一人でトコトコやってきて、使徒に制されることなくイエスに近づけた権力を持った女性だった可能性が。


マグダラのマリアと姦淫の罪で石打に刑になりそうになった女は同一人物か。

聖書からはわからないです。

ダニエル書だったと思いますが、権力を持った者が、ある女性にほれて言い寄ったが、拒絶されたため、「彼女は姦淫をした」と嘘の申し立てをして石打の刑にしようと策略したところを、ダニエルがその陰謀を暴いて冤罪を晴らしたというのがあったと思います。

冤罪を晴らされってことは、罪とされたものが罪はないとされたわけで、これは罪深い女のエピソードと同じことかもしれない。
冤罪が晴らされたので、罪は消えたってわけです。

イエスの行いは、旧約から恐らく全部きているので、イエスの言動を理解したければ、旧約のどれのことか調べたらいいってわけです。

というわけで、キリスト教はユダヤ教の律法を否定しながらも、イエスの言動を理解するためにユダヤの聖書が必須なんですね。


髪にまつわる慣習を調査しまとめたら、論文が一つ書けそうですね。
どんどん遡っていくと、古代エジプトまで行ってしまいました。
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この回答へのお礼

詳しい説明ありがとうございます。
読んでいまして、つくづくと宗教が人間に与えた影響は大きいと思いました。
好き嫌い、信じる信じないは別に、日本人にはない感覚で宗教は取り入れられて来た国が多いんですね。
その中でやはり、髪とか頭、顔は重要な意味を持つのかもしれないと思いました。
西欧の国で男が無帽でいることは無作法(一昔前)と聞いたことがありますが、ひょっとしたらこれも元をたどればそのような宗教的背景があるのかも知れません。
マグダラのマリアについては私の霊名でもありましたので非常な興味がありました。
ヨハネの福音書にあります石打の刑を受けそうになった女については女とあるだけで、素性は分らないですが、マリア・マグダレーナも罪の女という解釈なのであるいは同一の可能性はありますが専門の研究者に聞かなければ分りませんね。
しかし、この章でのイエスの教え、
[汝等の中、罪なき者まづこの女に石を擲て]はしっかりと西欧の人々の[人を裁く]という行為の土台に繋がったのではないかと、私なりに愚考します。
本当にスカーフ一つのことからこのように話が発展し、とても楽しく回答を読ませていただきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/11 16:01

私が知っているのは、バビロニア。



バビロニアでは、高貴な女性はベールをして髪を隠すということはしなかった。
一般庶民は、ベールで覆っていたそうです。
そして、奴隷の身分の女性たちや、性的職業についている女性も、ベールを使用してはいけなかった。

視覚で、どの身分かわかるようにしていたわけです。

高貴な身分の人なら一見して豪華な装飾品をつけているので、売春婦じゃないとわかるので、ベールをしていなくてもいいわけです。

そして末端の奴隷や売春をする女性たちは、区分けのために、べールの使用が認められなかったので、ベールをしていない女性は奴隷か売春婦だとするわかるわけです。

で、一般の女性がもしベールをしていなかったら、「私は奴隷です」「売春婦です」と言っていることになるわけです。


イエスのところに髪を下ろした女性が一人でやってきて、髪でイエスの足を撫でたってありますよね。
一人でやってきてしかも髪を隠していないってことは、高貴な女性ってわけですね。
(当時のユダヤ社会は特権階級の女性でなければ、一人で外を歩くことは禁じられていたし、髪を束ねるか覆っていなければならなかったらしいです。
聖書に何人か一人でとことこ歩いている女性が登場しますが、彼女らはとても高貴な女性たちだったってわけですね。
だから弟子たちは、その事についてなんのとがめもしていないってわけです。


しかも足は古代ではペニスの比喩として使われていた。
このことからイエスとこの女性はある儀式を行っていたってことだと思います。


イスラム教はだんだん緩やかになり、西洋諸国の人と同じように、女性たちも自由だったそうですが、確かホメイニの時代に元に戻ったそうです。
ホメイニの命令で、女性たちは率先してベールをかぶったらしいです。
スカーフしていなかったらレイプされてもいいですってことになりますので、スカーフをすることで女性たちは身を守っていたってわけですね。
スカーフをした女性をレイプした場合、、、、コーランに背いたってことになるかもしれません。
ただし、数年前 既婚の男性が独身の女性に猛アタックして、とうとう寝ることができたそうですが、それで男性は無罪、女性は死刑になったらしいです。
女性はスカーフをしていたのか???



で、髪と爪は復活するというか伸びますよね。
サムソンだったと思いますが、切られた髪が伸びたことで、力が復活して敵を全滅させたという話が聖書にあったと思います。
この話からもわかるように、古代では神はパワーと復活の象徴で、どの時代かは忘れましたが、髪は女神のパワーの象徴とされていたようです。


ところが、キリスト教は各地にある女神崇拝の神を悪魔だと塗る変えることで、布教していくという戦略をとったんですね。
それで、女性の象徴である髪を忌み嫌った。

で、女性は慎み深くってことで、ベールを被らせたわけで、ミサの時にベールを被るってことは「パウロ様がおっしゃったとおり、私は男を堕落させたエヴァの子孫で堕落した存在ですが、こうやってキリスト教に服従し救済を待っておりますから どうか 私の祖先が犯した罪をお許しください」って服従の意志を示していると思うんですね。


ということは、バビロンでは娼婦と奴隷はペールをしませんでしたが、、、、
ペールをすることで、キリスト教会に火あぶりにされないように服従していますということをアピールし命乞いをしていた時代の名残りで教会に入るときベールをするようになったのではないかと。
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この回答へのお礼

こんにちは

ご丁寧な説明大変ありがとうございます。
女性の髪を隠す被り物は遠く旧約の時代迄さかのぼるんですね。
そういえば、映画などで見るバビロンの都には、踊り子などは長い髪を隠さずに道を歩いていますね。
やはり、ユダヤを源流とする宗教社会では[原罪]からは誰も逃れることは出来ないし、それを誘発するようなものはうむを言わさず封じ込めようとしたのでしょうか?

イエスの足を自分の髪で洗った(と私は思っていたのですが、時間の経過で思い違いしているのかも知れません)女とはマリア・マグダレーナのことでしたでしょうか?
聖書のどの部分に出てくるか記憶していらっしゃいますか?
昨日から探しているのですが見つけられません。
もし、よろしければ教えていただけますか?

お礼日時:2008/02/11 10:02

女性の髪というものは男性に性的な誘惑をもたらすと考え


られているからです。この考えはギリシア神話以来のもの
ですが、キリスト教、イスラム教にも浸透しています。
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この回答へのお礼

こんにちは

やはり性的な意味があるんですか?
誘惑をもたらすものを封じ込めることにしたのはイヴの誘惑以来でしょうか?
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/10 21:51

本来は肉親・夫以外の男性には顔を見せてはいけないということで顔を隠していたヘジャブが簡略化されたもので、いちおうはイスラム教の教えを守っているというシンボルでしょう。

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この回答へのお礼

こんにちは

やはり、厳しい戒律から来ているのですね。
それでも、時代の波には勝てず、へジャブなども簡略化されて来たということでしょうか?
ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/10 16:21

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