電子書籍の厳選無料作品が豊富!

「人生に無駄なことなんてない」ってよく聞きますが、本当ですか?なにを根拠にそう言えるのかぜひ教えていただきたいです。

私の人生は無駄だらけです。
大学受験も浪人して(しかも失敗)、
大学卒業してからもプーたろう(公務員試験専念のため)です。つまり、浪人しまくっています。しかも今年も惨敗(私の頭の悪さがいけないんでしょうが・・・)。そろそろ年齢もあるので、就職活動します。
よって、公務員浪人期は人生の無駄。
★「ほかのことに有意義に使えたであろう時間を損をした」ってところが悔しいです。。

「人生に無駄なことなんてない」んでしょうか?。

公務員試験のために大学卒業後2、3年も浪人していた私のこの時期は無駄以外のなにものでもないです。
(受かったら話は別ですが・・・)

ひきこもりの人の決め台詞
「あの時期があったからこそ今の自分がある」
というのは意味がわからないです。
そうでも言わないとやってられないから、そういうのではないでしょうか? 

質問:何年も浪人したあげく失敗した場合の
   この浪人期を今後どのようにとらえていけばよいでしょうか?

ぜひアドヴァイスおねがいします

ここまで読んでいただきありがとうございました

A 回答 (12件中1~10件)

「無駄なことがない」のではなく、


「無駄にしない」という意志があるから、「無駄にしないためので努力(考えの持ち方)」をし、「無駄にならない」のです。

ちなみに、
★「ほかのことに有意義に使えたであろう時間
って、なんですか?
そのことでは絶対に失敗しなかった、時間を無駄にしなかったと言い切れるものなのでしょうか?
私には「逃げ」のように感じます。きっと「その有意義なこと」に就いていたら、やっぱり公務員を目指さなかったのは失敗だったって言っていそうな気がします。

厳しいことをいえば、
受からなかったら無駄になると言い、無駄になるような努力しかしないから、受からないのでは?
解釈の仕方だと思いますが、世の中、白か黒か、成功か失敗かの2つに分類できるような簡単なものでは無いです。直接、又は間接的に私たち住民のために働いてくれる公務員が、両極端な考え方しかできなかったら、すごく生きにくい国ですよね。
「現状を客観的に分析し、良いところを残して伸ばし、悪いところを改善し、でも、過去は否定しない。」以前役所の仕事をしていたことがありますが、公務員に求められる資質のひとつだと思います。


質問:何年も浪人したあげく失敗した場合の
   この浪人期を今後どのようにとらえていけばよいでしょうか?

どうやったらその失敗を《有意義な時間》として位置づけることが可能か考えてみたらいいのでは。
公務員目指して勉強してきたとのことですが、なぜ公務員がいいのか、明確な志望動機がありますよね。公務員ではありませんが、民間でなにかその動機を満たせるような職業をさがしたり、逆に失敗した経験を生かせる職業を考えてみるものいいと思います。
失敗を有意義に位置づけることが出来れば、公務員に限らずどのような職業でも大丈夫でしょう。
逆をいえば、浪人した時間が失敗だったとしか考えられないなら、他の職業も難しいかも知れませんね。私が経営者なら、失敗を生かせない人は採用したくありません。

無駄にするかどうかは、紙一重、です。
    • good
    • 8
この回答へのお礼

ありがとうございます

★「ほかのことに有意義に使えたであろう時間
というのは、やはり勉強って苦痛だと思います
でも報われなかった場合、その時期は苦痛を得るためだけに時間を使ってしまったことになると思います。

なにが不満かというと、
すいすい受かっている人たちがいる一方で、
なんで私だけ・・・というのが世の中の不公平さを物語っているようです

お礼日時:2006/07/01 11:04

自分のしてきたことはやたら何でもすばらしかった!!!


たとえ無駄としか言いようの無いなことでさえも!!!

みたいに言いきったらとってもハッピーにまとめられるからじゃないでしょうか。

とりあえず、過ぎてしまった「無駄」を、
わざわざもう一度「無駄だった」と言い直す「無駄」よりははるかに建設的ですね。
「転んでもタダではおきない」の精神です。

「無駄は無駄、すり替えはゆるさない!!」
と、わざわざ正論に叩きのめされなくってもいいじゃないですか。

まあ、転ぶことは誰だってあるけど、
そこから何を学ぶかってことだと思います。
きっと今の苦しみを経験したことが次の苦しみを乗り越えることの役に立ちますよ。


なんせ人生、この先も、次から次へとど~んどん困難がやってきますから。(私も途中ですけどね)
    • good
    • 5

う~ん。

難しいですけど、個人の捉え方の問題、ということでしょう。

だから「人生に無駄なことなんてない」と思う人もいれば「人生無駄だらけ」と思う人がいて当然でしょう。

あなたにとってとても大事なことでも、駅ですれ違った見知らぬおじさんにとってはな~んの意味もない。
そんなことってあるでしょう?

結果がすべてだと思う人は、浪人時期を無駄だったと思う。
結果は後からついてくるもので、その努力の過程が大事だと思う人は、何かを得たと思う。

どちらでもありどちらでもない。

そんな気がしますが、でもあなたはここで、
「本当に無駄だらけだったんだろうか?」
「本当に無駄なことなんてないんだろうか?」
とどちらにも疑問を持ち、ある意味前向きに捉えているのではないかなぁと思います。

どちらでもいいと思います、別に。
自分の気持ちが楽になる方で考えていけば。
そんな言い方をすると、それで今悩んでるんだ、と言われそうですが(^_^;)

わたしも、人のことならいくらでも「浪人して勉強したことで知識が増えたでしょ」とか
前向きな意見は何とでも言えますが、
いざ自分がそっち側へいくと、例えば「夢は努力すれば必ず叶う」という言葉。
自分の努力が足らないんだろうとは思いつつも「ウソつけ!」って思いますね。

たらたらととりとめもなく書いてしまいましたが、
今は無駄だったと思っていても、年をとり価値観が変わったら有意義だったと思う日が来るかもしれない、
そう無理にどっちだと決めつけることもないんじゃないでしょうか。

変な意見?で気に障ったらごめんなさいですがわたしはそう思います。
    • good
    • 1

ずばり本人次第です。



石に躓いて転んだ時に、「何でこんな所に石が!こんなものに躓いたなんて、なんて自分は運が悪いんだ」と嘆くか、転んだ瞬間に道端の花を見つけて、「おや、こんなところに花が咲いていたのか。転ばなければ気が付かなかったな。運が良い」と思うか、ってことでしょう。

どっちがいいわけでも悪いわけでもないと思います。

目的地に着くのに最短距離が必ずしもベストなわけではないと思います。
今こうして悩んでいる事、反発している事はご自分でも気が付かないうちに人生の糧になっているのかもしれません。

あと二十年も経てば、貴方御自身で答えを見つけることが出来ると思います。
    • good
    • 3

あなたの遺伝的形質や後天的に身につけた能力は現在の日本の環境にはあまり適していないのかもしれませんね。


でも、時代や環境が変わるとあなたの遺伝的形質や後天的に身につけた能力が活きることがあるかもしれませんよ。
たとえば、結果として公務員にならずに別の職に就くことになると思いますが、公務員になったほうが幸せか別の職に就いたほうが幸せかは、後になってみないとわかりません。
ときどき例にあげられますが、化学産業が発展していた頃は成績優秀な学生が化学系に進みましたが、公害で一気に人気が減り企業も収益が悪化したりしました。現在では、また生命との関連で持ち直しています。その他、結核の話だとか、もろもろ類似の話を聞きます。
また、そういう大きな流れでなくても、新しく就職したところで親友や恋人となる人との出会いがあるとか、よい先輩に恵まれるとか、あるかもしれません。それは、ストレートに公務員になっていたら会えなかったであろう人たちです。
自分の選んだほうに進んでいければそれに越したことはないでしょうが、残念ながらそうでなかったとしても、それはそれで自分の人生として受け止められるかどうかではないでしょうか。
    • good
    • 0

私の兄は3浪して、就職、結婚、今は普通の家庭を持つ人になってます。

兄の口から「あの時は無駄だったなぁ」とは聞いたことないです。
その時勉強した事やその頃「自分だけ置いていかれてる気分」等を経験出来た事は良かったと言っていました。#1さんもおっしゃってますが、無駄な人生なんて無いわけじゃなく、無駄だと思える人生からでもいかに何かを学んだり得られるかで、無駄か、そうじゃないか、が決まってくるのではないかな?と思います。それに、あの頃の人生無駄だったと感じられる時点で、得てる物があると思いますし、今度どうやって無駄じゃない人生や時間の使い方をして行けば良いかを考える事が出来ると思います。これから先無駄だと思える事があったらに、なぜ無駄だったのか、どうしてそうなったのか、ではこれからどうやって無駄じゃない人生を過ごすのか、と言う事を考える為の材料として良い経験だったと捉えてみてはどうでしょうか?
    • good
    • 0

「人生に無駄な時間など無い」は 成功した人か 忙しい人の台詞ですよ。



些細な事ですが, 私 お仕事が16:00~24:00なので 中途半端な夜型なので
お休みの日 良いお天気になる事を事前に知っていたのに
うっかり 夕方まで寝てしまい お布団を干せなかった と いう事が頻繁に…。

もう1つ 余談です。
実は 私も 高校中退なんです。
そういう観点で 高校生活は 無駄だった と 思った事はありません。
まず 高校へ進学した理由は 運動会の応援団長になる為でした。
女子高へ行けば 絶対になれる と 思いまして。
ですから 実は 運動会の翌日に 学校を辞めたんですよ。
ですが 辞める勇気は 別の所で得ました。
小・中・高と ずっと 苛められっ子でした。
たったそれだけの事で 生きている理由や意味を見出せませんでした。
ですが 高校生になり アルバイトを始めて 変わりました。
私でも 人の役に立てる と 気付いたからです。
それから お勉強を捨ててでも すぐに働きたい と 思う様になりました。
だから あっさりきっぱり 退学できました。
応援団長になれたのですもの, 高校生活は 無駄だとは思いませんよ。

余談が長くて 恐れ入ります。
ですが いつか 成功して振り返った時に
「あの時の挫折は 今の自分の糧として 必要だった」と 思える日が来ますよ。
今はまだ 軌道に乗っていないだけです。
ですから どうか 諦めないで下さいね。
    • good
    • 3

  こんばんは。



 人生に無駄なことはないというのは当たっていると思います。

 有意義に過ごせればそれは理想です。貴重な時間をうまく使うなど、自己啓発本や成功本が沢山出ています。そういうものをうまく取り入れれば、なかり自分を高めることが出来るでしょう。

 
 その逆に、遊んでばかりで就職もせず、プー太郎からやがてはホームレスに落ちて行き、ダンボールの家に寝る日々を過ごす。
 そうなるのにもマイナス方向に有意義に過ごしたからの結果だと思います。

 人生の大事な時間を無駄にした結果がホームレスになるのであれば、それもホームレスになるために時間を費やしたことになります。

 使ってきた多くの時間がすべて良くも悪く自分のも経験となってきます。

 
 大切なのは、使ってしまった時間と経験をどうやって将来自分が納得できるようにしていくかだと思います。

 公務員が良いのか、それとも国の公務員削減でますます狭くなる受け皿よりも、自分が納得できる起業するとか可能性はいくらでもあると思います。
    • good
    • 1

それは、本人の心がけ次第ですよ。


どんなに有益なことしても、価値を見出さなければ無駄なことになります。
無価値だと思うことでも、活用次第では有益なことに変化する物です。
ただ、それだけです。
    • good
    • 2

根拠を提示するのは難しいですが、


私も「人生に無駄はない」という考えに近いです。

ひとつ私が確実に思えるのは、
無駄じゃなかったと思えるようになるまでは、
かなりの時間がかかるということです。

たとえばあなたの小学生のころを思い出してください。

私の場合、勉強が嫌いで遊んでばかりいました。
もっと勉強できただろうに、非生産的なことばかりに
時間を費やしていました。

では、あのころの時間のすごし方は無駄だったかというと、
無駄だとはまったく思いません。
あのころの遊びがいまの自分を形成したとも思います。
(もちろんそれだけが自分を形成したわけではありませんが)

あなたの小学生時代はどうでしたか。
無駄でしたか。

これには当然、曲解や思い込み、記憶の浄化作用などが
働いているとは思います。
しかしそれでも無駄じゃない、と私は思います。

たとえば料理のときに使う調味料。
調味料だけ口に入れれば、塩辛すぎたり甘すぎたり、
どれもおいしいものじゃありません。
でも、いろんなものが混ざって、その塩辛さや甘さが
ひとつの要素になったとき、
「ああこの料理っておいしいな、あのときの調味料って必要だったよな」と思える。

浪人の事実だけを口に入れて味わっているうちは、
それがおいしいものになるとは思えないでしょう。

何年も経って、浪人時代に得たもの、失ったものがわかるようになってきて、
いろんな角度から浪人を見られるようになってきて、
初めて、無駄だったか、無駄じゃなかったかがわかると思います。
    • good
    • 5

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!