不登校や学校の週5日制について意見を交換している者です。その意見交換をしているなかで、ふとわいてきた疑問です。学校って必要なのだろうか?ということ。漠然としていて回答しづらいと思いますが、こんな学校があったらいいとかこういう学校はなくていいなど気楽に意見を出していただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。

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A 回答 (17件中11~17件)

>社会が競争で成り立っているのに



例えば、ワークシェアリングというものを考えたときに、これは何を意味するものなのか?と誰もが思うはずです。私的には、過激な競争をやめたのだと理解しています。
極論で言えば、弱肉強食を繰り返すのならば、弱者は死に、強者は生き残るが、結局は強者どうしで競争すれば、そこにも弱者はいます。現実に自殺者が多数出るほど深刻な問題です。

それをしたい人もいれば、したくない人もいるという事です。

私の言っていることは、大人が破滅的な事態を排除しようとしている中、子供だけが一様に全科目の勉強で競争させられる事は不自然だという意味と考えてください。
やりたい事を競争して勝ち取るのは良い事であるけれど、同時に、参加する事に意義がある的な分野も持たなければ、心に余裕がないギスギスした社会になってしまうのではと思っています。
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学校の必要性という問いは、私の考えで言えば、アリだと思います。



学校という場に行くことは、まず個人の行動範囲が広がります。
つまり、接する人が、今までの家族や親戚、近所の人から、見知らぬ他人(異性も含めて)へと広がるわけです。そこで、勉強だけでなく、人とのコミュニケーションを教わり(いじめも含め)、それが自分自身の成長につながるのです。

本来学校は、学問だけでなく、生きるためには何が必要なのか、それを学ぶのが学校であると私は考えます。
そして、教師は教えるだけを仕事としてやるのではなく、生徒と一緒に学んでいくという気持ちで授業をすべき(生徒と接するべき)であると思うのです。
4月から文部科学省が導入する「総合的学習」というのは、そういったことも意図していると、私は解釈してるのですが・・・。(しかし、高学歴偏重社会の世界が出来上がっている状況の中で、どこまで実践できるかは疑問であり、また子ども達に教える側の教師に対しても「総合的学習」が必要な感じがします。)
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単純に考えて、学校を全廃したら読み書きソロバンを親がそれぞれ子供に教えなくてはなりませんよね。


それに賛成する人はあまりいないと思うんですけど。
取り合えず日本には文盲は殆どいないわけで、それは教育のなせる技で、評価して良いと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

一定の知的レベルを維持するには学校制度は手っ取り早いですよね。

お礼日時:2002/03/23 21:47

 一概に学校と言っても範囲が広すぎますので、義務教育期間と高等学校、大学及び大学院、専門学校等について書かせていただきます。


 先ず、義務教育ですが、これは必要であり、とても有難い教育制度であると考えます。将来の職業選択を含めた自己の有り方について、その選択範囲に対してニュートラルで在る為の最低限の基礎的教養を、ほとんど費用の心配をせずに受けることが出来ます。子供たちの多くはこの期間に、自分の将来への夢を膨らませ、具体化に向けたアプローチの手段を自分なりに考えることが出来ます。
 こんなことを書くと、あたかも私が文部省の手先のように思われるかもしれませんが、義務教育の本来の目的は前述したような事柄であり、何も間違ってはいないと思います。しかし、外形的な目的や制度がそうであっても、その内容や質といった部分の問題が現在の”登校拒否”につながっている面も有り、教職員の資質や素養、カリキュラムの構成等、これからも改善するべき点は多いと思います。
 それでも、本来、とても有難い制度である義務教育ですから、これを上手に活用することが親たちの責任義務であり、納税者としての権利であります。何も、国語や算数と言った科目の習得だけが目的では有りません。これらの科目学習は将来、上の学校へ進むときに必要になる基礎ではありますが、あくまで学習習慣を付ける為の手段であり目的ではないと考えます。
 集団の中の自分についての認識を持つ為の場所としての学校はとても重要です。自分よりも優れた者、強い者,弱い者、好きな人、嫌いな人、身近にいる親以外の大人としての教員の存在、下級生や上級生との付き合い等、家庭では学ぶことが困難な、広範囲の”人”と自分の関係について学習することが出来る場所です。
 学校は必要か?といった問いかけですが、私は必要か不要かといった議論よりは、この有難い制度を、子供たちにいかにして理解させるか、もしくは納得してもらえるかを考えるべきであると思います。大人の責任として。

 そこから上の学校は自由です。自分の目的に応じて、いくらでも選択が可能です。経済と学力のバランスを考え、
自己の将来に直接的に作用する勉強をすることができます。努力次第で夢を現実化させる可能性を高めることが出来ます。ここへ来て初めて自分の選択するジャンルを楽しむことが出来ます。だからこそ、義務教育の9年間が大事なのです。
 辛くても、嫌になっても、本当に自分のやりたいことを選べる場所に立つまで、泣きながらでも踏ん張ることを、
大人や教育者は子供たちに教えるべきです。子供たちは「自由」という言葉を使いたがりますが、「自由の質」について、大人たちは彼らに伝える義務があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

おっしゃるとおりですね。学校は必要かと問うより中身をどうするのかということを考えたほうがいいですよね。
ただ、前でも述べたとおり、私は学校批判があまりのも多いことがとても気になるのです。
誤解のないように、学校について意見を述べること自体を問題にしているのではなく、学校批判が批判のための批判になっていて、現実に実を結ぶような現状を改善するような批判になっていないという点を問題にしたい。
教師は国の姿勢を批判し、親は教師を批判し、地域は学校を信頼せず・・・といった堂堂巡りで何も改善が図られない。国も地域も親も教師も一体となって取り組んでいこうとする雰囲気がないことが気になるんですよね。

お礼日時:2002/03/23 21:46

例えば不登校を考えるとき、「命の危険を感じたらいつでも逃げなさい」という事と「嫌な事でも我慢してやりなさい」という事のバランスをとる事が大事なのかなと思います。



学校は、学校がある事で成り立つ家庭の事情を考慮すれば、必要ないとは思えません。勉強の事だけでなく、決まった時間、子供が家にいないという事が重要だったりすると思います。もちろん、学校に行かないからといって、将来的に不利になるような社会であっては困りますが。

個人的に学校について思う事は2つあって、1つは、競争する権利と競争しない権利です。勉強にしても勉強以外にしても、競争したい人には競争させてあげるべきだし、競争したくない人には、そういう環境を与えるべきです。
もう1つは、しつけの範囲内での体罰を受ける権利です。必ずしも言えばわかる子供だけではないし、家庭以外の環境で、やってはいけない事を痛みとともに憶える事ができるチャンスは用意するべきかなと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私は、inthefloiさんと少し意見が異なる部分があります。「競争する権利と競争しない権利」という部分です。学校はその国の社会しくみの「小さい版」にしなければならないと思うんですよ。社会が競争で成り立っているのに、学校で競争しなくても状況を作ってしまったら、その子が大人になったときに、社会に入っていけないのではないかと思うのです。いかがですか?もしご意見がありましたら書き込みよろしくお願いします。

最後のしつけについては、同感です。教育としつけは分けるべきだと思います。理屈抜きでだめなものはだめと教える事は必要だと思っているからです。

お礼日時:2002/03/23 21:35

私の独断と偏見ですが今の教育制度は富国強兵制度の一環として制定された制度が根本(戦後は企業には従順で勤勉な、国に取っては税金を取れる)にあると思いますが飽食の時代になれば個性的な、内向的な子供が子供が現れてくるのは当然の社会現象と思います。


一方子供の教育環境は極端ですが子供達を義務教育制度の名のもとに狭い囲いの中に閉じ込めて『文部省』から始まり『大学の教育学部』、『教員』『塾』、『教材会社』、『娯楽施設』、『暴力団』等等のありとあらゆる大人達が子供を食い物にしていると思います。
私の意見ですが義務教育制度を廃止して検定制度に改めればよいと思います。
従来どおりの公立の学校に行くのも良いし又、或る一定の施設及び或る一定の資格があるなら教員として認める制度にして国が認可すれば、子供達の其々の性格に合った教育の場で勉強ができるのではないでしょうか。
私も中学校の時に英語が出来なくて外国航路の船長を退職した人に教えてもらいましたが学校の英語の先生よりも面白くて行くのが楽しみだった事を思い出します。
その時の教科書はビ-グル号の航海記でした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私も、子供の学校の選択肢を増やすことには賛成ですね。ただし、さまざまな問題を「学校のせい」とか「親のせい」とか責任転嫁をせず、それぞれの立場で主体的に教育に取り組むことが大前提ですが。

お礼日時:2002/03/23 21:27

 集団での規律等を学ぶのに必要であり、家庭教師、塾へ通わせれないハンディキャップを補うとともに一定水準の学力を身につけるためでしょう。


 登校拒否の方に対して、特別学級というカリキュラムを設置している所もあるようです。
 どこかで学ばさせる義務があるのです。
 私もコンプレックスがあり、学校は嫌いでした。虐められてもいました。でも、唯一、絵が好きで、絵を描きに行っているつもりで通学していたようなものです。
 そして、友人もおらず、好きな彼女に会いたいがために行っていたのでしょう。
 拘束されることに耐えきれなければ離脱することになるでしょう。忍耐強ければいいのですがね。
 日本の外国語教育は駄目だそうです。6年以上やっても、会話すら出来ないといわれております。文法とかややこしくして拒絶させているんじゃないでしょうか?
 難しくさせず、遊びに行く感覚で教えれたらいいんじゃないでしょうか?
 本人の得意分野が伸ばせれる自由選択があっても良いように思います。嫌な事は厭きるし、耐え切れません。
 如何でしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
学校は必要か?という問いはあまり良い問いかけではないのかもしれませんよね。「必要ではない」と答える人はほとんどいないでしょうから。
ただ、私が気になるのは、多くの人々が学校は必要であると考えているのにも関わらず、学校に対する不満が非常に多いということ。学校に対して色んな意見をもっている人は多いのにそれが現実に反映されていないということなんです。

お礼日時:2002/03/23 21:20

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Q学校の必要性

27歳の男です。
最近、疑問に思ったんですけど
学校ってあっても意味なくないですか??
勉強なんて通信教育、塾、家庭での勉強。
これだけで十分だと思います。
小学生や中学生が学校に通ってるのに
塾まで行ってるなんて
金の無駄だし、行かせてる親もバカだと思います。
勉強だけならともかく
体育祭とか音楽会あんなのは
かなり時間の無駄です。
入学式は微妙ですが
卒業式なんて卒業証書を自宅に郵送すれば
いいだけなのになんで学校は無駄なことばかりするんでしょうか?
教育委員会や教員はよっぽど暇なんだなと思いました。
学生当時は楽しいと感じましたが
今、思えばどうでもいいし
本当に無駄な時間を過ごしました。
今ではもう元担任や同級生が死のうが
どうでもいいですね。
この考えは普通ですよね??

Aベストアンサー

普通ではないでしょう。

学校と同程度の教育を子供にさせようと思ったら、通信教育など質問にあるようなものをものすごい数こなす必要があることでしょう。費用も莫大です。
さらに、子供の教育に高額な費用負担ができない親を持つ子は、社会的弱者にもなりかねませんよ。

さらに、学校での授業等で直接社会で役立つことは少ないことでしょう。しかし、社会に出ていくための基礎力や応用力を学んだり、得意分野を伸ばし、苦手分野を減らしたり、自分の進むべき分野などを自ら考える子供中心の社会なのです。

一般的な塾などでは、体育や芸術科目(音楽・美術など)を行っていませんよね。音楽の中でもピアノなどの特定したものだけですよね。親などの方針などもあるかもしれませんが、授業などで興味をもった分野を塾などで伸ばすという意味があるのですよ。

卒業式なども、一緒に学んだ仲間やライバル、恩師などの世話になった人とのイベントです。
ただの資格検定などの合格賞の授与とはわけが違うのですよ。

私は、元担任と20年近く付き合い続けました。尊敬できる恩師であり、教え子といえども社会人となれば対等であるというのを行動で示してくれるありがたい先生でしたからね。
社会に出てからであっても、その恩師との大人の付き合いの中で教わる部分も多かったです。私の恩師が亡くなった際には、私が中心となり同級生などに連絡を取り、葬儀の際には担任としての教え子のほか、教科担任としての教え子などが100人単位で集まりましたね。

学校社会での人間会計により、社会に出ても仕事仲間・取引相手などとして同級生と付き合うことはありますし、社内や身近な学校外の友人に相談できないようなことも、気心知れた同級生である友人に相談でき、解決するようなこともありますね。

私は、人脈の量や深さなどでも、社会の信頼できる人物だと考えます。友人関係が少ない・尊敬できる人が少ないなどともなれば、一般社会に出てからの人脈でも評価されにくい人物となることでしょう。

日本での教育制度のすべてに共感できなくとも、必要性を感じることは出来ませんかね。
それができなくて反対をするのであれば、日本の政治を変える活動をされるか、日本から出て行った方が良いのかもしれませんよ。

私は会社経営者として、従業員を束ねる立場にあります。
あなたの様な見識の方であれば、採用をする気にもなりませんし、ビジネス相手としても考えることは出来ません。
私自身が常識人とは言いませんが、私からすればあなたは非常識に移りますね。

普通ではないでしょう。

学校と同程度の教育を子供にさせようと思ったら、通信教育など質問にあるようなものをものすごい数こなす必要があることでしょう。費用も莫大です。
さらに、子供の教育に高額な費用負担ができない親を持つ子は、社会的弱者にもなりかねませんよ。

さらに、学校での授業等で直接社会で役立つことは少ないことでしょう。しかし、社会に出ていくための基礎力や応用力を学んだり、得意分野を伸ばし、苦手分野を減らしたり、自分の進むべき分野などを自ら考える子供中心の社会なのです。

一...続きを読む

Q学校とは何をするところ?

最近思うのですが、基本的に学校とは何をする所、何を学ぶ所なんでしょうか?
それぞれ基本的な考え方があるので、教えていただきと思います。また現実とのギャップは何処にあるのか、それを知ってらっる方、よろしくお願いします。

(1)小学校
(2)中学校
(3)高校
(4)大学、大学院

Aベストアンサー

こんにちわ。
近年、多くの人が投げかける質問ですよね。
私も、大学に進むときに、「なぜ、大学?」と悩んだものです。回答というより、私の価値観でお話させてください。

(1)小学校
(2)中学校
以上の2つは、義務教育であることからもわかるように、勉強の基礎だけでなく「社会」というものを知るところだと思います。人間関係、先輩、後輩。楽しいこと、悲しいこと、うれしいこと、辛いこと、怒りを覚えること等を、他の人と共有すること。「人として生きていくうえで必要なこと」を学ぶのだと思います。
勉強のことで言えば、リテラシー、つまり、昔で言えば、「読み書きそろばん」といったところでしょうか。

(3)高校
こちらからは、高等教育となるので、「勉強をしたい」という意欲のある人が行けば良いと思います。といっても、世の中、多くの人が高校へ進学しますね。ここでも、「人間的社会」を学ぶこととなりますが、小学中学ほど、重点を置いていません。
高校では、「手に職をつける」「高校以上の教育を志願するものへの教育」でしょう。高校を出て、就職する方も、多いですしね。

(4)大学、大学院
こちらはもう、「研究」といってもいいのではないでしょうか?実際、私は、大学まで進みましたが、「勉強」というより「研究」でした。1つの分野に深く興味を持ち、その知識を深めていく。これはもう勉強の範囲以上だと思います。世の中、遊んでいる大学生はたくさんいますが、私は、それなら大学にいく必要はないと思っています。大学は、研究(勉強)するところです。やる気がないのならば、行く事はないでしょう。
さて、大学院ですが、こちらはもう、マスターですから、スペシャリストへの第一歩でしょう。私も大学院を志望しましたが、経済的理由から、現在は、職に就いておりますが、お金がたまったら、院へ行くつもりです。やはり、自分の興味を持った部門を深く極めたい方が行くところでしょう。ここではもう、「人間としての社会勉強」的要素は、少ないです。というか、ここで出来上がってないのは問題ですよね。


といったところで、私の意見ですが、反論もあるかと思いますが、一応「教職免許」と取った身としての考えです。なにか、お役に立つ一言が、このアドバイスの中に入っていればと思います。

こんにちわ。
近年、多くの人が投げかける質問ですよね。
私も、大学に進むときに、「なぜ、大学?」と悩んだものです。回答というより、私の価値観でお話させてください。

(1)小学校
(2)中学校
以上の2つは、義務教育であることからもわかるように、勉強の基礎だけでなく「社会」というものを知るところだと思います。人間関係、先輩、後輩。楽しいこと、悲しいこと、うれしいこと、辛いこと、怒りを覚えること等を、他の人と共有すること。「人として生きていくうえで必要なこと」を学ぶのだと思いま...続きを読む

Q甘やかされて育った子供と厳しく育てられた子供の性格は?

甘やかされて育った子供はわがままになると言われますが、本当のところどうなんでしょうかね?
逆に厳しく育てられた子供は、どうなるんでしょう。
単純にわがままの反対はがまんだとおもうので、がまんのできる子に育つと考えていいでしょうか?

みなさんの意見を聞かせてください。
よろしく御願いします。

Aベストアンサー

甘やかされて育つ。皆さんが書かれているように、叱られずに育つということですよね。
甘やかされた子はわがまま、厳しく育った子供は我慢が出来る、でも実際にはそれほど単純ではないんです。

まず、叱ると褒めるが表裏であると言う事をよく考えてみてください。
甘やかされて育つということは、実は叱られずに育つということになり、叱るがないから褒められるがない、つまり本当の意味で褒められた事がないと言えます。

よくあるパタンですが、甘やかされて育った人は、褒められていないので物事に対する達成感がなく(実際には分からない)、どこまでやっても『やり遂げた』という気持ちがあまり具体的にわいてこず、そのうちに『出来ていないんじゃないか』『不十分なんじゃないか』といった不安感に襲われ、やる前から諦めてしまう、さらに悪い状態なら欝になる。

厳しく育てられてきた場合は逆に、厳しい事を聞かなければならないというプレッシャーから、人の顔色を見て育つようになりがちです。求められている事をきちんとこなしているか、これで叱られないだろうか。
なので叱られる事がないようにするために褒められる事もなくなり、結果愛情を求めるようになってしまい傾向があります。

そう考えると、kiccaさんのおっしゃるとおり、やはり叱るべきところはきちんと叱り、その上で甘やかす部分も作ってあげ、そのメリハリをきちんとしてあげるというのが理想だといえますね。

叱る事によって社会のルールをきちんと理解させてあげ、褒める事によってその子のもつ才能を伸ばしてあげる。時には自分の行いを子供の前で反省する事もあってもいいですし、あえて子供を褒めるように料理のお手伝いを頼んでみたり(きれいに切れたね、上手に盛り付けられたね、など)。

それによって、自分自身の『気付き』も生まれてくるものですよ。

子供を育てるのではなく、子供の人生を育てる事が本当の意味での『育児』なんですよ。
自分の経験を見直して、『反面教師』として受け取った事に対しては『私は○○をされて嫌だったから子供にはしない』と考えて、楽しく人生を送る事が出来るように導いてあげてくださいね。

甘やかされて育つ。皆さんが書かれているように、叱られずに育つということですよね。
甘やかされた子はわがまま、厳しく育った子供は我慢が出来る、でも実際にはそれほど単純ではないんです。

まず、叱ると褒めるが表裏であると言う事をよく考えてみてください。
甘やかされて育つということは、実は叱られずに育つということになり、叱るがないから褒められるがない、つまり本当の意味で褒められた事がないと言えます。

よくあるパタンですが、甘やかされて育った人は、褒められていないので物事に対す...続きを読む

Q学校の教師てバカが多いのはなぜ?

本当に学校の教師てバカばっかりなのはなぜですか?

1)担当科目ですら知識が不十分
2)相手が言うことを聞かないとすぐに暴力
3)自分に甘く、生徒には厳しい

アホばっかりですね。なんで日本の教師はバカが多いのですか?

Aベストアンサー

一般企業を経験していないため,世間の厳しい対応をあまり経験していない。
中途半端に学歴があり,中途半端なプライドがある。でも,自分が思っているほど賢くはない。子どもの方が賢い場合も多々あり。
子ども相手なので力で押さえつけられると思っている。
簡単には左遷されたり辞めさせられたりすることがない。
こんな感じですかね。ま,外国の教師もみんな立派だとは思いませんが。


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