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サリエリはなぜモーツァルトを憎んだのか?
全体を通しての感想も下さい。よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

サリエリは子供の頃から音楽の道を歩みたがっていましたが


父親に猛反対され諦めざるを得ない状況に置かれていました。
どうしても夢を捨てられないサリエリはこの父親という障害が取り除かれるように神に祈りました。
するとある日奇跡が起こりました。父親が急死したのです。
そのためサリエリは念願の音楽家になることができました。
神が自分の願いを聞き入れてくれた。自分は神に選ばれた。
自分は神に愛されている。と、少年だったサリエリは確信したのです。
けれどもモーツァルトに出会ったとき、その思いは打ち砕かれました。
神が愛したのは自分ではなくモーツァルトだったのだ。
音楽の道を歩ませておきながら、自分には音楽の才能自体ではなく
他人の、モーツァルトの才能を一番よく理解できる才能しかお与えにならなかったのだ、と。
自分は神に選ばれた。と歓喜していた分だけ
実際に選ばれた(とサリエリは思った)モーツァルトにサリエリは強く嫉妬しました。
おまけに本気で愛していた女性までモーツァルトに取られました。
しかも二股で、結局モーツァルトは本命の方と結婚しました。
モーツァルトに嫉妬しながら、神を恨みながらも
サリエリはモーツァルトの音楽を誰よりも理解し、惚れこんでいました。
憎みながらもどうしても惹かれてしまう、ジレンマをかかえた人物の目から見た
稀有な才能の持ち主を描いた映画でした。
ただ天才の作品と生涯を大々的にプッシュして描くのではなかったところに
この作品の味わいと凄みがあったように感じます。
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サリエリは、モーツァルトを憎むと同時に神も憎みます。

今まで神のために正しく生きて来た自分じゃなく、スケベで下品なモーツァルトを神は選んだからです。サリエリと神とモーツァルトの三角関係とでもいいましょうか。
それに加えてサリエリは他の誰よりもモーツァルトの才能を理解し、尊敬することができた。だから一層歯がゆかったんでしょう。

感想はNo.4の方と近いですねー。
西洋の、天才と神への考え方もよくわかりました。

本当のところサリエリは相当才能に恵まれた人だったようですが。当時のモーツァルト殺し説で、歴史の表舞台から消されちゃったらしい。
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私もNo.2の方の意見に近いです。


モーツァルトと同時に神をも恨んだと。
神はあのようなモーツァルトに類い稀な才能を与えたのに自分にはその憎むほどの彼の才能を誰よりも理解する(審美眼とでも云えば良いのでしょうか)ものを与えた。
彼自身も音楽家であったがゆえに自分が最も嫌う人種の才能を素晴らしいと感じることへのジレンマなどからではないでしょうか。
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映画に於いては(厳密に言えば)サリエリはモーツァルトではなく、神の表現者たる音楽家として、神に祈り神にすべてを捧げた自分ではなく、下品で卑俗なモーツァルトを選んだ神を憎んだのだと思います。


モーツァルトを陥れることは神に対する復讐です。
実際映像ではサリエリのモーツァルトに対する、屈折はしていても愛情や尊崇や恐れの入り混じった感情を数々の場面で感じることができました。
兎に角F・マーレイ・エイブラハムの快演に尽きる映画だと思います。
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才能に嫉妬したからなのではないでしょうか。



サリエリのモーツァルトへの嫉妬と尊敬の入り混じった
感情や、時代の雰囲気がよく表現されている
いい映画だと思います。
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