プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は18歳の男です。
人は人を見下さないものなのでしょうか?
私は人はみんな人を見下していると思っています。
というのも、次のようなことからいえます。
例えば自分にはできるがAさんにはできないことがあるとすれば、人はどういう目でAさんを見るのでしょうか?
見下す気があろうとなかろうと、絶対に見下していると思います。
私の場合だと・・・私は中学時代は成績が上のほうでした。だから自分が解ける問題が解けない人を見ると「何で解けないんだろうか?」と疑問に思うこともありました。けれど、それは相手側から見たら見下されていると解釈されてもおかしくないと思います。
皆さんはどうお考えでしょうか?
学生時代、スポーツをやっていた方などは自分が自分より下手なチームメイトをどういうように見ていたかを思い出してみるとわかりやすいと思うのですが。
ご意見をお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

一つの分野だけで見下すことはないです。


例えば簡単な漢字なのに知らなかった、或いは場の空気を読むのが極端に下手とか。
そういう短所があったとしても、その他に自分にはない長所があったりする訳です。
ファッション用語には詳しいとか、好奇心旺盛な情報通とか。
要するに得意分野はどこか、何に興味を持ち何を優先して生きてる人なのか‥って
差があるだけだと思うんです。それでバランスが保たれてれば済む訳で
みんなが同じ土俵に立つ必要はないんです。

例えば例にある、Aさんが解ける問題をBさんは解けないと。
でもそれによってAさんはとてもイライラしていて、Bさんは「できなくて恥ずかしい」と思っていたとすれば、
単純にAさんには短気というマイナス面があり、Bさんには謙虚というプラス面がある事になります。
Aさんには傲慢というマイナス面もあるかも知れないし、Bさんには努力家というプラス面もあるかも知れない。
(その後頑張ればね。)
その二人と一人の女の子と一緒に遊びに行った場合、気配りという土俵や、金払いという土俵、或いはファッション
という土俵でBさんがAさんに勝つ可能性も十分ある訳です。人間トータルしてナンボですから。
目先の、ある一点の優劣だけで自分が勝っていると考えるという事は、人として目指してる所がそれだけ低いと
いう事ではないでしょうか。
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見下す行為には相手の能力を評価していることが前提になっていると思います。

会社で仕事をする場合に、出来ない人に仕事を頼んでも仕方がないので、見下す行為の評価するという面を生かすことはとても大切なことと思います。他人に悟られないように見下す=評価することを積極的行うべきと考えています。
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他人を見下す人は自分に自信が無いからです。


本当に幸せで満足していれば、他人を見下したりはしません。そんなことをする必要がないのです。
意識的には「この人はこうなんだな」と思いますが、見下すという感情は あまり抱きません。
人を見下す必要がないですし、人から見下されるのも良い気はしないので、進んで人を見下したくもありません。

体格が小さかった小・中学の頃、クラスメイトから見下されるような扱いや態度を取られた事があります。ようするに虐めもされていました。
今となっては急激に慎重が伸び体格も良くなり、中学校で私はかなり高い方です。
その時ばかりは「どうだ。もうお前らに見下されないな」と優越感に浸り、毅然とした態度で、虐められる事はなくなり、逆にヘコヘコさえされます。
その時期ばかりは見下していましたが、そんな事で満足している自分がみじめになりました。
今の生活(友人や恋人にめぐまれ)に幸せを感じ、かつての事も良い経験になったな と思い、今では仲が良いです。

人を見下すことで得られる感覚や偽の優越感や惨めな気持ちと、本当の幸せ(というか今のことに満足できる心)を知っている人は
本当に人を見下したりはしないでしょう。

スポーツでも、本当に一生懸命やっている人は自分より能力の無い人を見下したりはしないでしょう。
見下すのは「こいつは俺より下だ」と思い安心しちっぽけな優越感に浸りたいだけの、自分に自信がない人です。

私も高校は勉強が出来る方でした。
たしかに授業を中断してまで出来ない生徒に教える担任などには不満を抱いていました。「なんで勉強しない連中の面倒見て授業が進まないの?」と思っていました。
が、勉強できない人を見下した事はなかったと思います。

遊びたい人は遊んでいるから勉強できないわけで、それはただの自己責任なので、ただ私が勉強したくてした結果だというだけだから見下す部類にも入らないと殆どの人は自覚している事なのではないでしょうか。

スポーツも、自分が努力したからそれだけ能力がついたというだけの話です。
自分より努力せず、練習を休んだりサボったりする人より能力があって当然ですし、当然のことをわざわざ他人と比較して満足しても仕方ないです。ようするに、満足したい人というのは、その面だけで自信がほしい、自分に自信のない人だと思います。

そして、自分に自信の無い人は他人と比較されることを恐れています。
幸せな人や満足している人は、他人と比較されようが、自分が幸せなので揺るぎませんし、他人を見下すという発想すら日常で芽生えないでしょう。
自信の無い人は他人と比較される事を恐れるゆえ、同時に自分も他人を見下してしまうのだと思います。いざ見下されると自分を誤魔化し、見下す方にばかり神経をすり減らし生きているのだと思います

自信がない人は、その面で他人に認められたい欲求が強いからです。
自分の顔に自信がある人が100人集まったとして、一番下の人は 顔に自信がなくなるでしょう。逆にフツーの100人の環境内では、顔に自信がないという事はなくなるでしょう。

自信がないと言うことは、他人に認められたいということです。
認められたいという事は あくまで欲求です。
その欲求が無さ過ぎても駄目ですが、ありすぎて、人を見下すようにまでなってしまっては駄目だと思います。

という事で、人を見下す人はそればかりに神経をすり減らすので
成長もありません。簡単に言えば下ばかり見て、そんなことで満足しているのですから当然です。

他人をバカにしたところでその人の価値や能力を下げることは出来ません。ようするに、人からバカにされても自分の価値は下がりませんし、そのような事しかできない人間は相手にしなければ良いのです。
能力や容姿などの、条件つきの自信(人を見下す事によって得られる人もいるでしょう)は、モロいものです。
殆どの場合いくらでも上の人は存在するでしょう。これだけなら、世界一のものをもてばいいと反論されるかも知れませんが、
逆に言えば「それを失えば価値がない人」だと言う事になります。

考え方や捉え方だと思いますが、人は生きているだけで価値があるので、そういったことに気がつけるかどうか、だと思います。
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 それって単純すぎる考えかも。

人の心はもっと複雑だよ。「イエスとノー」、「好きとキライ」しかないわけじゃないでしょ?

自分があっさり出来る問題。あの人はなぜ出来ないんだろう?→単に不思議という場合だってあるでしょうし、異人間に興味が湧いた、という事もあるでしょう。もちろん、人によっては「ばっかじゃないの?」という思考の人もあるでしょうが。

へー、あの人、あんなに勉強できるのに、スポーツは駄目なんだ。と知ったところで、「見下す」かどうか。「人ってそれぞれだなあ」って思うのがフツーの人間では。

毎日成績に追われ、点数地獄に居る生徒や会社員などは、何事に置いても「天使か悪魔」のような両極端な考え方になってしまっている人が多いように感じます。「ああ疲れているんだな」って思います。

人が自分のことを見下しているか。そんな事は歳を重ねるとどうでもよくなってきますよ。なりすぎると「オバはん」になってしまいますがネ(笑)。自分を信じて認め、日々明るく謙虚に健やかに。
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 上を見てもきりがないし、下を見てもきりがないですよね。


 この話の本質から外れるかもしれませんが、もっと昔、質問者様と同じ頃ですね、私ができることとできないこと、理想と現実がかけ離れすぎて手を焼いていた頃に言われたことは

 人と人は地面に足がついている同じ場所に立っているけど、
 もっと上から見ると、
 映像で言えばヘリコプターの上とか、ロケットの中から地球をとかですね
 存在で言えば、人間を超えた存在、神様とか宇宙とかかな
 そういう大きな上から見たら、人の違いは大きくないって。
 身長の2,30センチの違いとか、できるできないで見える部分。
 あとは、私たちが生きていられるだろう数十年も、地球ができてからの年月を考えれば、点すらもないと。

 今の自分にとっては、とても重大で快適に世の中渡っていくためには
その小さな違いが、それこそ積もって大きく感じられるときも多いのだけど。
だから、そこだけに神経向けていないで、その中でであったんだから、見下す見上げるじゃなくて、力のある人はない人に手をかせればいいし、ないからって、存在そのものまで否定されることもないって。

 学生の頃の勉強やスポーツもそれだけをとれば
 社会に出て本当にそこだけとれば、できたからっていかほどのものよって
(私は、個人的には尊敬するけどね)いわれたら、なんていいます?。
そこ突っ込まれる前に、謙虚な人は自分で、過去の栄光にすがってはいけないとかいうよね。(笑い)

 話し飛びました。夢かな。ノーマライゼーションって概念。検索してみてください。

 あとは、自分がどう思うかとか、考えているかより、目の前のできることをする、できるってことは自分以外の人に、もちろん自分が壊れないのが前提で、何ができるかってこと?
  理想かな、みんな奪うことばかり?

 ここに何か書き込むと変な人もいるのでこわいです。

 
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見下すというか、弱い物いじめが好きなんですよ。


全員ではありませんけどね。
かなりの割合でしょう。

テレビで言えばお笑い番組が多いですよね。
男キャラの馬鹿みたいのがいて笑わせてくれます。
女キャラは苦情が殺到するので控えています
女でも一部そういうキャラもいますけど。

もっとわかりやすいのが貧乏人を紹介する番組でしょう。
貧乏子だくさんをおもしろおかしく紹介したり、えっ?こんな家に
住んでるの?とかお笑い番組になっています。

社会においては今年話題となった子供のいじめ、自殺。
いじめっ子は弱い子しかいじめません。
言葉にしろ、暴力にしろ反撃してくるような人はいじめません。

大人社会においても同様です。
ほかには労働環境、経済力で言うと一部の人が金を取ってしまうから
貧乏人ができるんです。日本には億万長者は100万人以上います。
急増しています。一方生活保護も急増し、(同じく100万以上)貧困率も世界2位になりました。
たたし勉強(成績優秀な人)でもそうなんですけど優れた人は人をあまり見下しません。
見下すのは中途半端なやつなんです。
成績で言えば真ん中ぐらいの人が底辺と比べ馬鹿にし、見下します。
金持ちも同様で1億、10億持っている人はフリーターや低所得者を見下しません。
スポーツも同様でテレビに出てくるような優れた線種は運動音痴な人を見下しません。
そう、相手にしないのです。金持ちはより大金持ちになりたい!
成績優秀者はより賢くなりたい。馬鹿は相手にしない。
スポーツ選手も自分より強い相手を目標に戦います。
学生時代のスポーツチームなど所詮、井の中の蛙、中途半端なんです。
おまえら俺より弱いだろ!なんて言ってるようでは強くなれません。

でもってこういう中途半端な人が多いからそう感じます。
成功者というか、富、成績、スポーツにしろ上位は1%、テレビに出るような
スポーツ選手にいたったは0.01%などです。
人間生きていくと多かれ少なかれストレスが生まれます。
その解消の一つとして見下したりします。

話は戻りますがテレビの放送にしてもお笑い番組、人を見下すような番組は
地上波のみです。BSデジタル、知らないかもしれないので書きますが
日本テレビ、フジテレビ、TBSなどもBS放送があります。
こちらの番組はCMの内容もどちらかというと金持ち層を相手にしているし
番組内容も欧州の風景や投資番組、外国のドラマなどです。


見下すことはもちろん私もあります。
でも昔と違い相手にしないというか、自分より優れたやつはたくさんいる。
だからそうなりたいと思っています。
自分より劣っている人と比べたりしません、相手にしなくなりました。
これを見下すと言えばそれも正しいでしょう。
でも馬鹿にはしていません。
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人を見下す・見下さないは、すべて自分の心です。


自分の心の思いで他人を判断した結果が、見下す・見下さないということになります。
私は、小さいころは虐められましたから、虐められた立場からしか考えられませんでした。
これを見下されていると判断は貴方の心ですが、私には見下されているという考えはありません。
虐める人は私には追い越す人にしか見えませんでした。

私は今50代で人を使う立場にいて、虐められた経験が役に立っています。虐められた時代に人を見ることを覚えて今役に立っています。

人には、長所と短所があると皆さんが言いますが、私は人には長所も短所も無いと思っています、あるのは長所に働くときと短所に働くときがあるだけです。
ひとつの性格があるときは、長所になったり短所になったりします。
だから使う人をよく見て、長所に働くように考えますが、たまには逆に働いて失敗しますがそれも経験です。

人を見下すことは自分の心の狭さです、相手の不得意なところを見て優越感を得るが見下すことですが、相手のいいところを見て自分もやってみようと思うことが見下すことを止めれる考え方です。

ただ私は、人を見下すことは否定はしません。
人を見下すことは、相手をよく見ているからできることです。
その後が大事です、相手の不得意なことが見えたら、それに対していじめに回るかカバーに回るかで貴方の心が変わります。
いじめになれば心の器が小さくなりますが、カバーに回れば心の器が大きくなります。
人を見下すという言葉は心の小さいときに使う表現です。
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見下す


[動サ五(四)]1 下の方を見る。みおろす。「山の頂上から下界を―・す」2 相手をばかにして見る。あなどりみる。見さげる。「人を―・した態度」

類義語
敬う 蔑(さげす)む 蔑(ないがし)ろにする 舐(な)める 馬鹿(ばか)にする 軽んじる 見縊(みくび)る 見下げる 見下す 踏み付ける 軽視 軽蔑(けいべつ) 軽侮 侮辱 侮蔑 蔑視 


上記から解るように「見下す」とは馬鹿にする気持ちが含まれています。
よって、その人を否定する気持ちが少しでもあれば「見下す」となります。
つまり、人は心のどこかで少しは否定の気持ちがあると思うので殆どの人は人を見下しています。
悟りを開いた方のみがそれに当てはまらないのではないのでしょうか。
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見下すって実力がない場合にするものだと思います。


例えばテストで100点をとったらそれ以下の人を見下したりしませんでした。しかし60点だったら50点の人をや~い♪と思う自分がいました。

見下すということは自分に実力がないまたは努力をしていない人がするものだと思いますね。
少なくとも今の自分は人に対して見下す気持ちは持っていません。努力していて自分に自信が持てると、いい意味で他人を気にしなくなるんですよ。
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見下すというと相手を軽視しばかにする気持ちが強いと思いますが、できない人全てをばかにしているわけでもないですよね。


できる人は優越感を感じ、できない人は劣等感を感じるということでしょうね。
NO1の方のいうように態度に出すことはとても醜い行為です。
誰にでも得手不得手があります。誰にでも長所短所があります。
英語は得意だけど数学は苦手、そんな人もいるでしょうし、歌はうまいがスポーツはできないという人もいます。勉強はできないけれど
人を笑わすセンスがあってどこへいっても人気者という人もいます。
できないところだけ注目するのではなくできるところをもっと評価してあげる気持ちがもてるといいと思います。要は思いやりです。
失敗が多い人ほど、うまくいかなくて苦しんだり引け目を感じたりしている人の気持ちがわかり、心から励ましてあげられる豊かな人になれるのです。人は補い合いながら生きるものですよね。
私もできないことはたくさんありますが、できることを一生懸命やって生きています。できる人が偉いというのは傲慢です。
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