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教師は聖職だと思いますか?

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A 回答 (17件中1~10件)

広辞苑によると、


「聖職」とは、神聖な職務。
「神聖」とは、尊くて侵しがたいこと。
「職」とは、仕事。

よって、聖職とは、「尊くて侵しがたい仕事」ということだと思います。そういった意味であるなら、世の中のいわゆる「まとまな仕事」と呼ばれるものはほとんど聖職といっても過言ではないかと思います。ただ、教師は教育者であって利益追従の商人とは違います。もちろん、商人は尊くないというのではないけれど、特に教師の場合には「人を教え導く」という部分を強調したニュアンスとして使うために、聖職と呼ぶことがあるのだと思います。

しかし、尊くて侵しがたいのはあくまで「仕事」なのであって、教師自体が聖職なのではありません。というか、上の解釈を前提とすれば「教師は聖職」というのは日本語が間違っていると考えられます。教師は「人」を指し、聖職は「仕事」を指すからです。つまり、「人は仕事ですか?」というのと同じなのだと思います。

なので、「教師は聖職」ではなくて「教師は聖職という仕事を行っている人」という方がより合っていると思います。

しかし、教育者としてのプレッシャーを与えるためにあえて「教師は聖職」というある意味分かりやすい言葉を用いることもありだと思います。将来の大人達である子供達に教師が与える影響は甚大です。ですから、「俺達は聖職者じゃないんだからテキトーでいいや」となるぐらいなら、気を引き締めてもらうために自分達は聖職者なんだと自覚してもらった方がいいと思うからです。一方、子供たちも「偉い人」に教わるほうがワクワクするはずです。子供達に肩書きは関係ないかもしれませんが、一種のカリスマ性がある方が人を教え導くには必要だと思うからです。そして、親達もその方が安心できるのではないでしょうか。今バカ親が増えていると言われますが、そのバカ親たちから「聖職」カリスマ性というバリアで教師が守られる気もします。また、教師達に「俺達は聖職者なんだ」という自信を持ってもらえると思います。

ただし、自信は思い上がりにつながることもあります。しかし、それも「聖職者」とすることで逆に防げると思います。今この瞬間から、「はい、あなた達は聖職者です」とすれば問題ですけれど、初めから聖職者とすれば、教師の採用試験も変わってくるはずですし、聖職者とすれば、尊敬の眼差しが集まります。尊敬の眼差しが集まるということは、裏を返せば、皆の監視が働いているということです。皆の眼差しが集まる芸能人が離婚などすればすごいニュースになるけれど、何でもない人が離婚したって、誰も興味が湧きません。もちろん、教師が離婚してはいけないと言いたいのではなくて、つまり、眼差しを集められた教師は悪いことをするわけにはいかなくなり、結果聖職者にふさわしくなるような気がします。芸能人が聖職者とはいえないかもしれませんが、少なくとも、聖職者と扱わなければ聖職者になるわけがないと思います。そして、教師は「教育者」ですから聖職者たる行動あるいは振る舞いを多少なりともするべきだと思います。また、尊敬されなければそもそも教育が成り立たないと思います。

ですから、教育のために、「聖職」と呼ばないとしても、少なくともそういった雰囲気作りは教育の義務のある大人達がする必要がある気がします。教師は、教育の義務ある大人達の代表なのですから、教師ではない大人達は教師達のために、良き教育環境という舞台作りをしてあげるべきかなと思います。

ちなみに、「師」という字自体には、導師・牧師とう意味もあります。そこから、転じて聖職者と呼ばれたのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

>一種のカリスマ性がある方が人を教え導くには必要だと思うからです。
私もそう思います。
昔と違って今は教師の地位や威厳というものが低下著しいですね。親も大卒・院修了が当たり前で、下手すると教員よりも良い大学出てたりして教師を見下す保護者も少ないないのかもしれません。
おっしゃるように尊敬がなければ教育は成り立たないと思いますし、保護者が子どもの前で教師を蔑むような言動をするのは有害なことだと思います。重箱の隅をあげつらうのは簡単ですが、ひるがえって自分はそんなに立派な親なのかと問えば怪しいものがあると思います。
雰囲気づくり、それはとても大事なことかもしれないですね。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/02/08 08:43

いいえ


聖職=神様に仕える職業の人(カミサマというと語弊があるかもしれませんが、仏教など各種宗教含む) だと思ってますので。

汚職であって良いとは思いませんけどね!!(笑)
神聖視はしませんが、人を教え育てる立場の者としてのモラルを持ちつづけてほしい、と考えています。
八百屋さんが美味しい野菜を店頭に並べるのと同じように、それが彼らの仕事です。
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この回答へのお礼

私は医者・弁護士・宗教者と同様に教師は専門職とみてますので八百屋さんよりも高次のプロとしての適性・能力や意識を求めますが、確かに聖職という言葉はあまり適切だとは思わないです。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/02/12 19:34

いいえ



教職が聖職なんて,ありえませんし,その必要もありません。
単なる職業です。

聖職と言えば牧師,神主の類が思いつきましたが,信仰がなければただの人ですから,全体としての聖職なんて無いのかもしれません。
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この回答へのお礼

教師も単なる職業に過ぎないということですね。
聖職という言葉自体に抵抗がある方が多いようです。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/02/12 19:24

聖職とまで言い切ると何とも言えない…。



完全ではなくても優しさと厳しさとあり、生徒からも恨まれないような教師・面白いと思われている人は聖職に近いかもしれません。

例え体罰のような行為があろうとも形式的であり、生徒がまだ笑っていられる軽度のものならばこれもまた、優秀じゃないとしてもいい教師と見ることは出来るでしょう。
ただ自分の憂さ晴らしとしか取られかねないレベルで体罰を加え、周りに不快感を与えるレベルならばそれは悪い教師じゃなくてただの失格者です。優秀な人間であったとしてもね。

自分の高校時代の師には生徒が笑っていられるレベルでの体罰を行ったり、親父ギャグを上手に使って笑いを誘う人がいました。
特に生徒から嫌われているというわけでもなく一応管理職なので他のとある不適格っぽい教員にちゃんと目をつけたりしていてなかなか頼りになる先生だと感じました。
肩書きが形式的なものに成り下がっている人間でない、こういう方はひじりに近いかもしれないと感じます。

ちなみにそういう自分の親も教員です。性格とかその他の様子を見ていると少なくとも失格者ではなさそうで、それなりに慕われているようだけど、私はそれをひじりに近い存在と思ってません(苦笑)
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この回答へのお礼

こういう質問をしておいてなんですが、聖職という言葉に拘泥するとそれは本質を物語らないでしょうし、言葉自体に対する拒否感というのは私も感じますが、私にとって教師は普通の職業ではないです。
 医師・弁護士・宗教者はプロフェッションと呼ばれ、人の不幸で生業にする特別な職業で、金儲けのみに橋ってはならない職業で、それゆえに専門職とされていますが、そういう意味では(聖職と呼ぶか否かは別の問題にして)教員も普通の仕事ではないはずだと私は思っています。
 それゆえに、教師にも弁護士や医者並みに高度の専門性が必要だと思う訳ですが、残念ながら他の職業と比べて教師のプロと呼べない教員が少なくない現状に虚しさは感じます。

ちなみに私の母親も教員やってます。
ありがとうございました!

お礼日時:2007/02/12 19:19

教職は聖職であって欲しいと思いますが


教師に聖人であることを要求はできません。
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この回答へのお礼

明快なご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/02/07 09:45

 聖職ではありません



 聖職であるべきだとは思いますがそれは理想の形でしかないように思えます
 よこしまな考え(代表例として皆さん挙げられている性職とか)で入る者もいますし 教師とは言うものの この人本当に教師?と疑いたくなるような授業しかしない者(スキルが無い・まともな授業を殆どしない)もいます みんながみんなだとは言いません 聖職の有るべき姿をひたむきに突き進もうとする熱心な方もいます しかし教師も人間ですから...辞書の意味に当てはまる人となると皆無でしょう

 こんな状況下で子供に「教師は聖職(実際はもっと噛み砕いた言い方をすると思いますが)なんだから言うことは絶対に聞かなきゃだめなんだ」なんてとてもじゃないけど言えません それは汚い世界を美しい世界だと認めさせる事になります 考え方によっては薄汚れた社会の現実とやり過ごし方をこの頃から教え込むとも取れますが
 子供は現状に矛盾・理不尽を感じた時 フラストレーションが溜まり→爆発→非行・キレやすくなる となります これは子供時代を経験した皆さんが身をもって体験していると思います  しつけと現実の違いです 嘘をつくなと教えられた数年後に嘘も方便などと言われれば戸惑うだろうし怒りを覚えるでしょう 「大人って勝手だ」となるわけです 己の都合の良し悪しだけで決める大人に問題があるのかも知れません ここまで来ると完全な理想論になりますが

 ちょっと脱線しましたがここまできても まだ教師は聖職者だと言えますか? 御世辞にも言えません
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この回答へのお礼

難しいですね。

性職などは問題外ですが、何かに多少難がある程度を殊更に保護者が問題視すれば、子どももそれを見習ってしまいます。
教師を指弾できるほど保護者が立派なのかといえばそうでもないことが多いでしょうし、なかなか難しいことと思います。
確かに一定水準に達してない教師は多いですし、現代のような複雑な社会の中で教師像・聖職を押し付けるのは酷なことなのかもしれません。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/02/07 09:44

現状では聖職者ではないと思いますし、理想でも聖職者である必要性は感じません。


但し、校内で生徒と関わることにおいては聖職であって欲しいと思います。
学校を離れれば、一成人としての道から外れなければそれで構わないと思います。

教師といえども人間ですから酒を飲んでくだを巻くことがあっても当然ですし、好きであれば賭け事をしたり女性遊びをしても構わないでしょう。

別に教師の私生活までが大人の模範である必要性は感じません。
それに大人になって恩師(?)と会ってみると子供の頃に好きだった先生はそういう人間じみた教師が多いような気がします。
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この回答へのお礼

>学校を離れれば、一成人としての道から外れなければそれで構わないと思います。
私もそう思います。
ただ線引きは難しいかもしれないですね。
いくらオフでも、町中に保護者や自分を知ってる人がいる訳ですからそういう恐さはあると思います。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/02/07 09:32

国が義務として15歳までの子供を差し出させているのに、教える側が聖職と思わなければ意味がないでしょうに。


日教組が労働者の立場で育てた今の中年世代が親や教師として最低水準であることを見ても、教師は聖職であらねばならない。
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この回答へのお礼

圧倒的に教師not聖職というご意見が多かったですが、#10さんは教師は聖職であらなければならないとお考えなのですね。
ワタミの社長さんが教師は聖職だとテレビで言っていたので本質問をしてみようと思いました。

子ども達が教師に敬意を持たなくなったことへの親の責任は大きいように思います。上下関係をはっきりさせないと、私は教育は成り立たないと思うのですが、教育困難校や学級崩壊が多発している原因はそんなところにも起因しているのでしょうか・・・

ありがとうございました!

お礼日時:2007/02/04 03:05

教師に限らず「先生」といわれる職種は、お金を頂いて「ありがとうございます」と言われる仕事です。


それは、人間にとって大切なものを預かっているからです。

医者なら命、弁護士なら名誉や財産、そして教師は親にとって大事な子供を預かっているから、「いつもありがとうございます」と接します。

大事なものを預かる人間には当然のこと責任があります。
「聖職」という意識よりも、他人の大事な子供を預かっているという意識だけは忘れて欲しくないですね。
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この回答へのお礼

>他人の大事な子供を預かっているという意識だけは忘れて欲しくないですね。
同感です。自分の言動は子ども達に与える影響力の大きさを意識して、まだまだ成熟過程にある人様を預かっているという意識は常に忘れて欲しくないと思います。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/02/04 02:57

大辞林によると聖職とは「神聖な職業」ということ。



「神聖な~」という言葉には若干宗教色が見え隠れしますよね。。

教師にこの言葉を使うのは大げさだと思います。
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この回答へのお礼

国語的な意味からすると教師に使うのは的を射てない気がしますね。

ありがとうございました!

お礼日時:2007/02/04 02:54

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また、先生が先生のことを表現する場合は、どれを使うことが一番多いですか?
先生や実習生の方からお答えいただければありがたいですm(_ _)m

Aベストアンサー

教諭は、「教育職員免許法による普通免許状を有する、小・中・高等学校、幼稚園、養護・聾(ろう)・盲学校の正教員」をいいます。

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というような文の場合,正しいのは「関わらず」「拘らず」どちらでしょうか。

国語辞典で調べてみたのですが,よく分からなくて(+_+)
すみませんがよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められているのみです。それも「かかわる」でなく「かかる」です。「人命に係(かか)る問題」「係(かか)り結び」など。前者は、「人命にかかわる問題」のように表記されることもありますが、この場合(常用漢字の基準では)「係わる」でなく「かかわる」です。

結論としては、「それにもかかわらず」などにおける「かかわらず」は仮名書きが無難でしょう。漢字の場合は「拘わらず」が正しいといえます。ただし、パソコンでは「関わらず」と変換されることが多いようですネ。

漢字の場合、「関係」という言葉があるように、「関わる」と「係わる」の用法はほとんど区別がつきません。一般的に言えることは、「関わる」「係わる」は肯定的にも否定的(「関わらない」「係わらない」)にも使いますが、「拘わらず」は、肯定的に用いられる例が少ない、ということです。

ただし、肯定的な「拘わる」が誤りだと言っているのではありません。念のため。

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

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