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とうとう最終回が終わってしまいましたね。

僕はドラマを途中から見たので最初はなんてひどい番組なんだ!と憤りを覚えた者です。

そのうち妻や子供たちからストーリーを説明され、実は愛情に裏打ちされた厳しいしつけ?みたいなものなんじゃないかな、と思いましたが疑問は晴れずにここでそのことを質問しました。

今最終回を見てまだ疑問に思う点や、この生徒管理が本当に計算されたものだったのか疑問がちょっとだけ残りました。

最終回で暴漢にからまれた子供たちも、もう少しで命の危険さえあった訳ですから、いくら監視しているから大丈夫と言われても納得できないものがあります。
まぁ、その前に親の対応も悪いわけですが。

こういう疑問点を妻に聞くとへりくつ言って見てると楽しくていいでしょ?といやみを言われますのでみなさんの多様なご意見を聞かせてください。

自分としては毎回楽しみに見ていましたので、決してドラマを批判したいわけではないです。
最終回をどの様な視点で見たのかちょっと気になるので。
よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

最終回は、爆笑と感動の渦でしたね。

(久々に気持ちよく笑いました!)
こんなに笑えて泣けるドラマは最近ちょっと見つからないと思います。


苦労を知らない「今時の子供・若者」は、逆境というものに憧れているんですよね。
自分たちに逆境を与えて、しかも自分たちが最後にはそれを越えて成長できるようにお膳立てしてほしい……というまことに注文の多い願望をもっているようです。
だから真矢先生は、最近の若者の複雑な願望の集大成なのでは、と思います。
しかし、「辛い境遇になりたいなあ」というのは、本当はおかしな発想であり、
それが年配の方々(特に望まない苦労をしてきた方たち)にとっては、なじめないのかもしれません。

結局、なぜ先生が子供たちの行くところに魔法のように現われるのか、という謎は最後まで謎でしたね。
子供たちも、問題を起こせば来てくれるかも、なんて先生をランプの精あつかいしてますし(守護霊あつかいとも言う)

あれはやっぱり「真矢マジック」?
あのドラマはファンタジーだったのか!
そう、ファンタジーと考えればすべて納得がいくんですよ。
真矢先生は、教師たちの失われた理想と情熱から生まれた「熱血教師の精霊」なんです。


ちなみに私の母は、「最近は本当に少子化なんだね。一人一人管理できるほどクラスの人数が少ないなんて」
としきりに感心していました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>そう、ファンタジーと考えればすべて納得がいくんですよ。
真矢先生は、教師たちの失われた理想と情熱から生まれた「熱血教師の精霊」なんです。

またまたうれしい新説ですね!守護霊うけました!笑
守護霊になぜ都合よく現れるのか?と聞いても無駄ですね。今度妻に言ってやります。あれはファンタジーなんだと。(自分で考えたように!)

>ちなみに私の母は、「最近は本当に少子化なんだね。一人一人管理できるほどクラスの人数が少ないなんて」
としきりに感心していました。

なるほろ~。これまた新鮮なご意見をありがとうございます、お母さんに感謝。
昔だったら一人一人のファイルなんて作ってられないかもですよね。通知表作るのも四苦八苦だったり。
まぁ、今でも真剣に管理しようとしたら過労になるでしょうが。
目の行き届く教育というものが良い教育なんでしょうね。

お礼日時:2005/09/18 16:18

>>真矢というキャラクターを貫きましたね。


>でなく教師として責任を果たしたのです。

ん?
これは私が書いた事で、質問者様が書かれた事ではありませんが?

また、この部分は「女王の教室」というドラマ内の設定で言ったのではなく、製作サイドのキャラクター設定として、「真矢というキャラクターを貫かせた」と言っているのです。
勘違いなさらぬよう。
「教師としての責任云々」など、所詮ドラマ内の話。
私は真矢という人物がどうキャラクター設定されているか、という事を言っているのです。
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この回答へのお礼

>>真矢というキャラクターを貫きましたね。

ですねぇ。
これに関しては予想していなかった展開でした。単に読みが浅かったかな。
最後に本当はいい先生になる、だなんて甘い甘い。
彼女にとってはこの姿勢を貫くことこそが自分の理想なんですね。打算や計算ではないという理念がgimatetu様のご意見でやっと理解できたような気がします。

お礼日時:2005/09/18 15:54

一児の父です。


最初から夫婦して楽しみに見ていました。久々に見応えのあるドラマでした。見始めた最初の頃から最終回まで、評価というのは特に変わりませんでしたね。

ドラマや映画などでは、ある種のメッセージ作品のようなものが存在しますけど、これもそれに近いものを感じました。この教師像が正しいか否か?など議論しても意味がないように思います。ああいう教師像を提起することを通じ、番組制作者はどういうメッセージを伝えようとしたのか?ということなんだと思うのですね。
 彼女が生徒たちに冷たく現実とは何か?ということを話すとき、番組を見ている私たちは、既に視聴者ではなくなっています。自分も、あの教室にいて、自分に対しその言葉を突きつけられているかのような錯覚を覚えました。

「社会があなたたちに何を求めているか知っている? 何も考えず、何も知ろうとせず、戦争になったら真っ先にいって戦ってくれるような人間よ」
「世の中で幸せになれるのは6%の人間だけ」

番組を通じて、私たちはさまざまな言葉を突きつけられました。これらは、彼女を通して、番組制作者側が見ているすべての人間に突きつけてきた言葉なのだろうと思うのです。自分は、果たしてこれに答えるべき言葉を持っているだろうか? 自分は、そうしたことから目を背けて今まで生きてきたのではないか? そういうことを、かさぶたをはがすように無理矢理認識させられます。

この教師像の賛否など、実はどうでもいいことのような気がします。というより、彼女の発した言葉を真正面から受け止め答えることのできない人間に賛否を問うことなどできるのか?と、今まで醜いものを見ない振りをして生きてきた感じが強い私などは内心忸怩たる思いでいたりするのです。
 このドラマにおいて、教師とは何か?など、別にどうでもいいこと(よくはないですが(笑))だったりしませんか? それは、いわば「おまけ」の部分のように思えました。ドラマなんだから、現実にはあり得ない設定をもってきたり、極端な映像化をしたりするのは表現手法としてあるでしょう。その枝葉の部分に食いついてもあんまり意味はないような気がします。なにしろ、架空の話なわけですから。そこから得るものがある人もいるしない人もいる、「お話」ってそれ以上でもそれ以下でもないでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。みんな夫婦で見てらっしゃるのですね。

>この教師像が正しいか否か?など議論しても意味がないように思います。ああいう教師像を提起することを通じ、番組制作者はどういうメッセージを伝えようとしたのか?ということなんだと思うのですね。

確かにそうですね。もちろんフィクションですから問題提起もありますし、作品全体としてテーマがあるものだと思っています。
その上で、うちの家族では真矢がやることなすことあーでもない、こーでもないと妻や子と話すのが楽しみなんです。あまりにのめりこみ過ぎて現実との区別がつかなくなっている恐れもあります。笑


>彼女を通して、番組制作者側が見ているすべての人間に突きつけてきた言葉なのだろうと思うのです。

ですね。いちいち心に刺さる言葉が多かったです。
製作者の意図はめちゃくちゃ理解できるものばかりですが、自分でどう答えるかは難しすぎますね。

>その枝葉の部分に食いついてもあんまり意味はないような気がします。

なんか、核心を突くお言葉がグサッっときました。
重箱の隅をつつきたい性格なんです。全体像は理解しながらも、あのセリフの意味はどうなんだろう、自分ならどうしただろう?とつい考えるのが好きなんです。意味ないと言われればそうですよね。うわー、うちの奥さんにも同じこと言われたんです!

お礼日時:2005/09/18 15:47

>あぁ、ここがちょっと違うんですよね。


自分が評価されたのではなく、子供たちが成長したことを評価した喜びと思うのです。

歌う生徒に背を向けて、あふれる涙を流さないために天を向いて平常心になるまで我慢されました。先生も人間ですから一時の感情に流されそうになる時も有ります。それに耐えたのです。

理由
教師とは子供を立派な社会人にする責任があります。
担任したのは小学校なのです。まだまた途中なのです。だから先生が最後の命令は 中学校と言われて指導されたのです。


>努力の結果をきちんと評価してあげることが教育として大事ではないかな、と思ったからです。

学校にはIQが高い生徒や運動能力に優れる等一種類では無いのです。
教育とは本来結果ではなく、その過程が大事なのです。偏差値などで結果にこだわってそれになれてしまった社会には受け入れにくい面も有るかもしれません。昔の先生は師範学校で先生とは何かを学なばれました。結果でなく過程が如何に大切かを学ばれたのです。

今 師範を受け継ぐ教育大学卒業の先生は何%おられるでしょうか。立派でも偏差値が高い大学卒業の学生と採用試験を争えば結果は出ていますね。
教育に一生を捧げようとした高い志は、試験で落ちておられるのです。

結果は先生が褒めなくても子供には理解できます。

>真矢というキャラクターを貫きましたね。
でなく教師として責任を果たしたのです。

教師とは因果な商売ですが、生徒が社会人に成って同窓会に呼んでもらって酒でも酌み交わすときに、
教師自ら自分を褒めて、生徒を心から祝福されるのです。恩師の言葉ーー教師冥利に尽きる。
このときに先生の責任が終わるのです。

我が師の言葉ーーーこのクラスから社会人になってそしりを受ける生徒が一人もでないようにーでした。

今 学校で 社会で少年院や刑事罰を受ける生徒を送り出した先生の心を知りたい。
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この回答へのお礼

再度の補足説明ありがとうございます。

>担任したのは小学校なのです。まだまた途中なのです。だから先生が最後の命令は 中学校と言われて指導されたのです。

ですね。これは理解できました。小学生で評価ではなく、まだ先は長いということですね。

>結果でなく過程が如何に大切かを学ばれたのです。結果は先生が褒めなくても子供には理解できます。

なるほど。。。大げさにほめなくても通じ合っているということですね。
この辺はちょっと理解不足でした。

>教師自ら自分を褒めて、生徒を心から祝福されるのです。恩師の言葉ーー教師冥利に尽きる。
このときに先生の責任が終わるのです。

教職にある方なんでしょうか。含蓄のある言葉です。
本当にそこまで責任を持つとしたら半端じゃないですね。真矢の老後も大変そうです。笑
今の世の中、そういう気骨のある先生が少しでも生き残ってくれていたらいいですね。
老後に同窓会に呼ばれない先生はそこで自分の結果を思い知ることになるのですね。

お礼日時:2005/09/18 14:56

学園ホラードラマとして毎回楽しみましたが、


「本当はいい先生なの?」に転換してからは
なんか騙された感じ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

そういう楽しみ方もあったのですね、新鮮です!
ということは最終回の結末はちょっと不満ですか?

お礼日時:2005/09/18 14:14

>ここはちょっと違和感を覚えたところなんですよね。

ここまで苦楽を共にして自分の教えを理解して成長した子供たちに最後までこの態度かい?と思いました。

子供は正しく育てて当たり前。だとは思いませんか。

不良教師と思っていた生徒が、立派になったときに教師を理解して、最終場面では立派な教師でしたと子供からの評価 評価に迎合し喜ぶのではなく、中学校と目標を与えたのです。これが教師像です。

共に泣き笑いは出来ないのです。遠足で子供が心から楽しんでいても、子供の健康や危険な行動を監視しているのが教師です。今の先生は子供と楽しそうですが。

次に子供の会話は子供の能力を超えて、大人でした。
作者の能力であって、子供をとらえていない部分を感じました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>最終場面では立派な教師でしたと子供からの評価 評価に迎合し喜ぶのではなく、中学校と目標を与えたのです。これが教師像です。

あぁ、ここがちょっと違うんですよね。
自分が評価されたのではなく、子供たちが成長したことを評価した喜びと思うのです。
努力の結果をきちんと評価してあげることが教育として大事ではないかな、と思ったからです。
子供たちが歌わなければ黙って出て行った場面でしたよね。

>共に泣き笑いは出来ないのです。遠足で子供が心から楽しんでいても、子供の健康や危険な行動を監視しているのが教師です。今の先生は子供と楽しそうですが。

そうですかぁ。。。
ちょっとさみしいです。確かに子供と浮かれていては監視はできませんよね。修学旅行などで教師が子供を置いて夜間外出などしていては管理できないですしね。

>次に子供の会話は子供の能力を超えて、大人でした。
作者の能力であって、子供をとらえていない部分を感じました。

同意です。
和美ちゃんは大好きでしたが、ちょっと作りすぎのところが見えましたね。でもその明るさが番組を引き立てました。
最後のアロハの意味を真矢に問うた場面は秀逸でしたね!

お礼日時:2005/09/18 13:15

最終回と、お昼にやっていたこれまでのまとめ番組を見ました。


それまで、ずっと見ていませんでした。

このOKWEBや、他の掲示板でもこの番組の内容があんまりだという意見が多かったように記憶しています。
私自身は、最後までそういう路線とは思えない、何か裏があるだろうとは思っていました。結果的には正解でしたし、けっこう多くの方がそう思っていたようですね。質問者の方はそうではないようですが。

>最終回で暴漢にからまれた子供たちも、もう少しで命の危険さえあった訳ですから、いくら監視しているから大丈夫と言われても納得できないものがあります。

その計画を立てたのは子供たちであって、真矢ではない。
都合よく真矢が助けに来るのがご都合主義であると言えば言えるが、真矢が子供たちを見守っているのが判明しているので、一応筋は通っている。
納得していないのはあなただけ。

最後の最後で、子供たちを抱きしめるとか、そういう演出があるかとも思いましたが、真矢というキャラクターを貫きましたね。
いさぎよいドラマ作りだと感心しました。

裏読みすれば、あえて極端なドラマ作りをして、話題になるのを狙ったとも言えるでしょう。
しかし、昨今の教育現場を見れば、ああいう問題提起もありだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>けっこう多くの方がそう思っていたようですね。質問者の方はそうではないようですが。

う~ん、何か裏があるというのはうすうす感じていたんですが、あまりの過激さが本能が受け付けないというか、理性が否定するんですよね。もっと妻のようにあるがままに楽しめたらよかったのですが。これはないでしょ、と否定しながら楽しむのも僕的には有りだったわけですが。

>納得していないのはあなただけ。

そうなんですよね。ドラマは面白いのに困ってます。汗
真矢が子供たちを極限状態に追い詰めていつも問題行動を起こさせていたように見えるのです。
毎回結果的にはフォローできているのですが、結果論だろ!オイ!といつも思っちゃいます。教育というにはあまりにリスクが大きいし、小学生にそこまでして、、、という気持ちもあるんですよね。
ここがいつも妻とのしこりになっちゃうんです。

お礼日時:2005/09/18 12:11

意見という事で



現実にあるダークな部分を、周りの大人は知っている。が、家族内でさえも、
親の方から子に話さない、か、遠回しな言い方でしか伝えない。
子供たちは、現実を見て聞いて知っているのに、親は「臭いものには蓋」で諸問題を隠そうとする。
で、結論だけを押し付けてくる親。(学校は私立、云々)
子供と面と向かって対話、説明、理由を論ずる親の姿が見えない。(最終話の神田家の会話は、よかったぁ)

そんな親の・・・学校の先生の・・・周りの大人の・・・・代弁者?阿久津先生は・・・

阿久津先生のようなストレートさが、今まで、子供たちの周囲にいた大人たちには無かった。
突然、異質な先生の登場に面食らったのは子供たち。次第に周りの大人たちもそれに気づき始め、「こりゃまずい」と思い阿久津先生を排除するも。
阿久津先生の信念は動じず。孤軍貫徹。周りの応援など不要。自身で完結。簡潔。完璧に徹してました。

「いい加減。目覚めなさい。」 淡々と、感情を殺した科白。今年の流行語大賞にノミネートです。(着ボ、目覚ボにしてます。w w w)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>子供と面と向かって対話、説明、理由を論ずる親の姿が見えない。(最終話の神田家の会話は、よかったぁ)

確かによかったですね。こういう会話によって子供も自分の考え方を大人の意見と比較できるのですね。
両親が受験の練習を真剣にやっている姿は自分のことのように反省させられました。お父さんのさりげない告白、よかったですね。

>「いい加減。目覚めなさい。」 淡々と、感情を殺した科白。

いいですね。大人も真っ青って感じです。笑
こんな目覚ましあったら絶対に起きそうですね。

お礼日時:2005/09/18 12:00

最終回とその他を1回 部分的に見ました。



最初 見たときに最終回を予測していましたので、最終回を見てみました。

教師とは何かを問いかけるドラマでした。
そして その答えを出していただけです。

1 教師とは絶対的に正しい
2 無知の子供を導く
3 命を守る。

1 名監督でも70%勝てば立派です。教師も絶対的自信を持って指導する事で、生徒に迷いを与えず、不安を取り除けます。

金八先生は生徒の意見を良く聞く設定でした。
ここに現在の学級崩壊が有るのです。

2 無知だから学校で学ぶのに教師に意見をする生徒 そしてそれに同意する先生を教師でないと言い切ったのです。

3 生徒を守る為には自らの命を省みる事がない行動が、学校をクビになってもで現されていたと思います。


総論
いじめられている子供(A)が、先生に助けを求めたときに、先生はいじめっ子(B)を呼んで事実確認をします。
Bは嘘を言います。そして生徒を信じられませんか。の一言で おわりです。
生徒に迎合した先生は好かれます。が生徒を救えません。これがいじめ 自殺の原因です。

先生はAが嘘を言っているかを見抜くだけで十分です。
散歩下がって師の影をふまず。
先生と生徒の間には大きく深い溝が必要です。

あおげばとおとしと歌う子供に、感動しても涙をこらえるために上を向いて堪え忍び、子供と感動を共にしない姿こそ、聖職者と言われた教師の姿を見ました。

これは私の教師達と生徒であったときの自分と全く同じ姿でした。
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この回答へのお礼

さっそく回答ありがとうございます。

>金八先生は生徒の意見を良く聞く設定でした。
ここに現在の学級崩壊が有るのです。

なんか意味深ですね。金八先生は大人の意見を押し付けずに生徒自身に考えさせるために意見をよく聞いたのだと思っていました。ただ、単に迎合するだけでは学級崩壊にもなりかねませんね。

>無知だから学校で学ぶのに教師に意見をする生徒 そしてそれに同意する先生を教師でないと言い切ったのです。

そうですね。学ぶために先生がいる、というよりも、身近な大人という存在になっているような気がします。そこには絶対的な上下関係がなくては成立しませんね。

>感動しても涙をこらえるために上を向いて堪え忍び、子供と感動を共にしない姿こそ、聖職者と言われた教師の姿を見ました。

ここはちょっと違和感を覚えたところなんですよね。ここまで苦楽を共にして自分の教えを理解して成長した子供たちに最後までこの態度かい?と思いました。
これって聖職者なら当然なんでしょうか。
ありきたりのお涙ちょうだいでないのは分かるのですが。

お礼日時:2005/09/18 11:49

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