一回も披露したことのない豆知識

つい先日、2ちゃんねるの暫定管理人に対する裁判があり、400万円の賠償金支払いの判決がでました。
それを踏まえて。

みなさまは2ちゃんねるについてどのような印象をお持ちなのでしょうか?
社会悪?悪書?言葉の暴力の渦?言いたい放題?

私の印象は
「くだらない情報の中に1割くらいは役に立つものがある」
というところでしょうか?

できれば、どの程度2ちゃんねるを見た(読んだ)事が
あるか、書き込んだことがあるか、などの情報も併せて
回答いただけると幸いです。

ちなみに私は、2ちゃんねるにはそれほど悪い印象はないです。
所詮インターネットの中での情報のやり取りですから
実行力などたかがしれてますし。
余計な情報を捨てて、得た情報の真偽を確認する手間さえ
惜しまなければ、結構有益な情報源足りえると考えています。

A 回答 (37件中1~10件)

> 仮にそうだとしても、その「劣っている」という判断はまったく正しいのでしょうか?


ご指摘の通りです。
>その判断が正しいかどうかを、だれが判定するのでしょう?
国民です。この判断を保証するために.表現の自由が無条件に保証されているのです。また.強者の暴走を防ぐために.反対者の意見も導入することを必須としています(憲法の条文忘却)。したがって.賛成者だけ集まった議決は無効という内容です。2ちゃんねる参加者の何人かは「医療水準が劣っている」と考えていたようです。

>さらに、一度広報されてしまった間違いを正すことが非常に難しいことはご存知でしょうか?
存じています。天皇を中心とする人々が変な考え方を普及してしまったがために.大日本帝国は社会主義国家への道を歩み戦争へつながっていきましたから。この反省に立ち.どのようにしたら一部の人々の暴走を防ぎうるかということを考え.当時の社会科学の粋を集めて作られたのが.日本国憲法であり.表現の自由が無条件に保証されているのです。

>たとえば、ホームページという言葉の本来の意味をご存知でしょうか?
存じています。私は「サイト」と「起動直後の画面」と「トップページ」いう言葉を使っています。
>実際には、インターネット上に公開されているページはすべてホームページと呼ばれていますよね?
ご指摘の通りです。
>これも、最初に間違って広めてしまったあわてんぼさんがいたからなんですが、もはやその間違いを正すどころか、定着しきってしまいました。
ご指摘の通りです。日本への外来文化の多くは.同様な道を歩んで発達してきました。かっての.日本寺や国分寺.古くは鹿鳴館.最近では.バレンタインデーなどが相当するでしょう。

「間違っているから.削除せよ」というのではなく.正しくても.間違っていても.自由に表現できることが.一部の人間による情報の統制と暴走を抑制できるのです。司法の内容がただしいとされてしまうと.国権の暴走を押えられません。この弊害を考えれば.表現の自由の確保が最優先されるべき内容です。

> こういう司法の勘違いを正すことはできないのでしょうか?
直接行動はありません。間接的な行動としては.判例に多くの人々が興味を持ち.判例について自由に発言できるような場が確保されることでしょう。もし.法改正が可能であるならば.行政経験者や立法経験者を司法の場から排除することも必要と考えています。
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この回答へのお礼

何度も何度もほんとにありがとうございます。



>「間違っているから.削除せよ」というのではなく.正しくても.間違っていても.自由に表現できることが.一部の人間による情報の統制と暴走を抑制できるのです。司法の内容がただしいとされてしまうと.国権の暴走を押えられません。この弊害を考えれば.表現の自由の確保が最優先されるべき内容です。

目からうろこです。
私は技術系の人間ですので、「論理的に正しい」ということを最優先にするきらいがありました。
「正しい」という価値判断そのものが独善なんですね・。。、

まさにおっしゃる通りですね。
大変勉強になりました。
なるほどなるほど。

お礼日時:2002/07/04 11:32

>(精神分裂症的パーソナリティの持ち主は、十人に一人とかの高率なのです。

このうちの何%か何割かが、発病するのだと言えます。非統制放任ボードは、発病を誘導するとも言えるのです。他のパーソナリティ・ディソーダーについても、それは言えるのです)。

やたら掲示板の規制を主張しておられる方に申し上げたいのですが、貴方の言葉
を読んで傷つく人もいるはずですよ。
そういうことはお考えですか?

上記の引用した文章を読んだ統合失調症の患者さん達はいい気分はしないはずです。(現在は精神分裂症という言葉は使いません)
ただ、まだこれから一般に浸透させて行こうという段階であるのも事実ですが。

また、人格障害の患者さんを堂々と差別した発言をしています。
人格障害の場合は生育歴が問題があることが殆どです。
事件を起こした患者さんの、結果だけをメディアや一般の人達は騒ぎ立ててる
のは間違っています。そこに辿りつくまでの経緯というものを見逃してはいけません。

どちらにしても、何でもかんでも排除すればいいというものではありません。
そういうことが差別を助長し、患者さんが失望して自殺を図ったり、
受診が遅れるというような事実が多いのです。
病気が潜伏している人格障害の患者さんの発病が2chによって、誘導や
助長されているといったデーターはないはずですが。
当方はそのようなことは存じておりません。

ご自分がここの掲示板で公言なさっていることを棚に挙げて、2chをどうこう
いうことは出来ないはずです。

名誉毀損や侮辱という行為は基本的に申告罪です。
受け取り手の判断によるものです。
掲示板の場合は誰でも自分に取って目障りというものはあると感じます、
しかし、それを管理者がいちいち削除を引き受けていたら、残る内容に
掲示板の意味合いがなくなると思います。
臭いモノに蓋というのが日本人は好きな傾向があるのですが、これらが
どれだけの差別を生んできたかということも考える必要があるでしょう。

当方は掲示板上で、ボーダーラインの患者さん同士で、コミュニケーションを
取ったり、またボーダーラインの患者さんのパートナーを持ってる方が
ボーダーラインの患者さんに理解すべく、歩みよりをしてる内容などを見てます
がとても意味がある内容と感じております。
しかし、残念ながらそういった人達の会話に対して削除依頼を出す方もおられる
のですが。。。

そういう人達は、自分達は正常だからという言い分な訳ですが、当方にはどこが
正常なのか理解出来ません。
正常な人でも一過性の精神症状が出ることもあります。
精神疾患は誰でもなる可能性があるのです。
他人事の方が?です。

当方は精神分析をやれますので、主張させて頂きますが、人格障害について
の貴方の知識は間違っています。
先ず、境界例と境界性人格障害とは違います。(人格障害は大抵ボーダーが
入っています)
人格障害で、病気に移行するという場合には元々、病気が潜伏してるケースが
殆どです。貴方が出してる人格障害は病気が潜伏してる場合のことを指します。
その場合は厳密には人格障害とは言えません。
治療者側も前もって薬を出しています。
人格障害というのは性格障害ですから、薬は原則的に禁忌です。
出しても、薬物に依存したり、悪用される場合があるので危険です。

一般の病院で人格障害の診断を貰っているクライエントに精神分析をやってみる
と統合失調症が入ってることが判明することがあります。
この時点で診断名が変る訳です。

また、精神疾患の症状は、精神科の範疇の患者さんだけではありません。
脳神経外科の患者さんでも、症状が出ます。
精神科に運ばれてきて、MRIで調べたら分かるということも多いです。
問診して?と思っていると実際には意識障害から出てるものと判明する
ことが結構あります。

精神医学の世界、特に人格障害は難しい分野です。
また、当事者も好きで人格障害をやってる訳ではありません。
申し訳ありませんが、反論を述べさせて頂きます。
もう少し理解し合えたらいいと感じます。

裁判でも残念なことに、神経科に通院しているからという理由
で信憑性がないと裁判官から差別を受けてる患者さんが多いことも主張させて
頂きます。
正常とされてる人間の狂言が通用してしまうのも事実なんです。
法の世界は道義が通るものではありません。
科学的根拠も本当に全くありません。

当方は画一化した掲示板が作られて行く事の方が不安を覚えます。
それに合わせられない人達は完全に差別の対象になることでしょう。
今回は当方の専門分野なので、専門家にチェック致します。
質問者の方へ、ご迷惑でしたら深くお詫び致します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

発端は私の発言です。
もしわけありませんでした。
想像力の限界を超えていました。
もちろんそういった観点からの意見も出て当然ですね。

>当方は画一化した掲示板が作られて行く事の方が不安を覚えます。
>それに合わせられない人達は完全に差別の対象になることでしょう。

おっしゃる通り差別という捉え方ができますね。
目からうろこです。
新しい立脚点を見つけたような思いです。
ただ門外漢ですので、現時点では深く突っ込んだ議論ができないのが残念です。
ちょっと勉強してみます。
新しい視点の提供感謝しています。


>質問者の方へ、ご迷惑でしたら深くお詫び致します。
いえいえ。
大変参考になりました。
やはり質問を立ち上げて正解でした。
自分の世界が如何に知識という檻の中にとどまっているかを実感できました。

お礼日時:2002/07/08 11:36

>ひろゆき氏もHP巡回義務


無知をお許しください。
もし、こういった義務が法制化されているのならば
2ちゃんねるは今後存続できませんね。

しかしこれはひろゆき氏だけに課せられる義務ではないのです。
このサイトも、他の掲示板運営者も、HP開設者も、自分が管理しようと思って開設したものについては自分が責任を負うとするのが自己責任の観点からは当然だと思います。


>>さらにいえば、特定個人や特定団体が不正を行った場合に、それで被害を受けた沢山の人たちが
大規模な掲示板で「被害の多寡」や「被害を受けた時の状況」や「新たな被害を減らすための啓蒙」
などを行った場合、その掲示板の管理人が
「真実を調べるひまがないので全部削除」
したとしても、なんの不服申し立てもできませんね。

「全部削除」というのも1つの道かと思います。
たとえばマスコミ等に情報をタレ込むという場合、出版社は情報がウソか本当か、または単なるガセネタのたぐいかを審査し、最終的にはすべて出版社が責任を負う仕組みになっています。

確かに情報の100%の真実性を求めるのは不可能です。
当然現在本当かウソかわからない記事の内容があることも事実ですが、しかし情報の審査は行われることで一定の歯止めをかけています。真実かウソかわからないという程度の内容の情報ならば責任を負うことはないでしょうが、もし完全にガセネタという内容であれば、名誉毀損に該当し、損害賠償の責任を負うことになるでしょう。

しかしインターネットの場合はそれはできません。
誰も審査する能力はないですし、書き込み者の情報が世間に無制限に流れてしまう。それを放置してしまうことは表現の自由を飛び越えて徘徊中傷の奨励になってしまうでしょう。

真実を審査する能力もない、一方的な書き込みがなされやすいインターネットの世界でそもそも2ちゃんねるのように週刊誌まがいの真似事をさせること自体が問題ではないかと思うのですが。
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この回答へのお礼

再三の回答いたみいります。

>このサイトも、他の掲示板運営者も、HP開設者も、自分が管理しようと思って開設したものについては自分が責任を負うとするのが自己責任の観点からは当然だと思います。
情報発信側は、「情報を発信する」という努力をしています。
情報受信側は、「真実かどうか判断する」という努力が必要なのではないでしょうか?
それこそが、対等な「自己責任」ではないでしょうか?

もちろん、この理屈は振りかざせるような性質のものではないですが。
それと同様に、情報発信側のみに責任が生じるのはおかしいと思います。




>真実を審査する能力もない、一方的な書き込みがなされやすいインターネットの世界でそもそも2ちゃんねるのように週刊誌まがいの真似事をさせること自体が問題ではないかと思うのですが。

傲慢なものいいかもしれませんが。
真実を審査する能力もない、一方的な書き込みがなされやすいインターネットでの情報を信じてしまう人がとてもたくさんいるという方に問題を感じてしまうのです。
それらのすべてをたとえば、女性週刊誌なんかの
「○×は○○だったっ!?」
というような記事と同じようなレベルの信憑性に置き換えばよいだけではないでしょうか?
(ようは、間違えてても来月号でお詫びを一行入れればよいようなレベルの記事)

お礼日時:2002/07/08 10:57

 


こういう質問の場合、質問者に相当な思考の柔軟性がないと、また、最初から結論を決めていて、他の意見は聞いてみるが、要するに、そういう反論なら知っているという自己確認の自己満足のために質問を出していると、回答するだけ意味がないのだとも言えます。

ただ、このサイトの質問と回答は、質問者だけのものではないと言う考えもあり、わたしは、そちらの考えに立ちますので、何か述べてみます。

最初に、これまでの回答とそれに対する質問者のレスを一通り読んでみましたが、これが「2ちゃんねる」現象の基礎にあるものだという、或る意味勝手極まりない主張もあったということがあります。

もう少しこれが露骨になると、2ちゃんねるの罵倒悪口雑言になるだろうと言うような主張や発言もあるのです。「もう少し」というと、どのぐらいかというと、「たった一歩」の違いでしょう。

>ちなみに私は、2ちゃんねるにはそれほど悪い印象はないです。
>所詮インターネットの中での情報のやり取りですから
>実行力などたかがしれてますし。

あくまで私見ですが、これは「大きな認識間違い」です。この点で、もっと真剣にできごとを捕らえ、反省的に考えないと、問題は見えて来ないと思います。あるいは、不適切な結論へと導かれると思います。

話が大きいですが、日本国憲法は、「言論・表現の自由」を保証しています。また「思想・信教の自由」なども保証しています。しかし、同時に、これらの権利は、「濫用してはならない」とも述べており、確か、国民は、この憲法の保証する基本的人権を守るため、不断の努力が必要であるとも書いてあったように思います。

>所詮インターネットの中での情報のやり取りですから

それは認識がおかしいでしょう。「インターネットの中でのできごと」であり、かつ「巨大掲示板サイト」のなかでの問題なので、重大なのです。

「名誉毀損」というのは、どれだけ多くの人に毀損主張を伝え流布させたかが、毀損の成立の前提条件になっていません。数人の人に、ここだけの話だが、と言って、他人の悪口を言うと、それが名誉毀損罪になることもあるのです。

何かおかしく聞こえるかも知れませんが、わたし自身、法律はよく知らないのですが、「名誉毀損罪」などが制定された時は、インターネットもパソコン通信もなかった時代なのです。だから、想定している状況が全然違っているのです。

インターネット上の名誉毀損などは、今後、訴訟が起こり、判例が積み重なって行くなかで、段段、法律の適用やその内容解釈が、現実の社会の状況に合ってくるのですが、しかし、なかなかこの時間差は、埋まりません。

インターネット以前は、nifty が最大手だったパソコン通信が全盛でしたが、パソコン通信を介しての「名誉毀損」訴訟というのは、その最初のものは、確か「ニフティ訴訟」と言い、被告は、nifty のあるフォーラムで、特定個人を誹謗中傷する発言を多数書き込んだとされる人物でした。

更に、この人物の書き込みを削除しなかった、原告の削除要請に応じなかったとして、フォーラム・マネージャが管理責任を問われ被告となり、更に、nifty 社も、監督責任があるということで、被告は、名誉毀損当事者、フォーラム管理人、nifty 社の三者であったのです。

この訴訟は、高裁段階で決着し、名誉毀損当事者は有罪で罰金刑ですが、フォーラム管理人とニフティは、実質勝訴となりました。

これで、フォーラム管理人が有罪になっていたら、パソコン通信やインターネットの掲示板の管理者は、利用者の書き込みを常時監視し、不適切なものは、削除して行かないと、裁判で有罪になるという可能性ができたのですが、そうはならなかったのです。

前置きが長いですが、この訴訟で、被告となったフォーラム・マネージャは、色々な機会を捉えて、「裁判官にパソコン通信についての基本的知識が欠けている」ということを強調しました。

他にも色々アピールはしましたが、第一審地裁判決では、三者が有罪になっており、その時の裁判官は、掲示板に書き込むことと、メールを送って何か伝えること、RTチャットで発言することの区別が付いていないようで、判決文を読んでも分かっていないのは明白で、どうして、こんな無知な状態で、判決が出せるのか、おかしい、というようなアピールもあったと思います。

これは、社会状況、特に情報化社会のインターネット文化世界の発達というものが、裁判所がまだ把握できていない状況なのだという話の例として述べたのですが、名誉毀損に関する法律にしても、その他の色々な法律にしても、こういうインターネット文化状況を想定して作られていないのです。

という長い前置きで、何を述べようとするかですが、それは、「メディアのパワーと形態、ユーザビラティ」の変化という現実です。

「言論・表現・思想・信教等の自由」は保証せねばならず、また、それらを守らねばならないのが国民の責務でもあるのですが、それは「濫用してはならない」という制限があるとも言えます。

「濫用してはならない」というのは、「表現・言論・思想の自由」等に対する「統制・抑制」の根拠ともなりえます。どこでバランスを取るかということで、色々な意見が分かれるのです。

長い前置きにまたなっていますが、公人、有名人、メディア的影響の大きな人は、従来、特権的に、大規模無作為な大衆向け情報発信が可能でした。メディアの発達により、大衆向けメディアが、きわめて大規模に確立し、それはマスメディアと呼ばれ、マスコミというコンセプトができ、実体も存在し始めます。

マスメディアの情報伝達の規模の大きさと影響力の大きさ、それに対し、マスメディアが流す情報に、どれだけ信憑性があるのか、どこか歪んでいる場合、どうするのか、この問題について、有効な回答がまだありません。

「公正中立」を大新聞社やマスコミが唱えていても、大勢の人が懐疑を抱いています。どなたか、古い世代の人は、NHKのいうことなど鵜呑みにしていたとか言っていましたが、これも誹謗中傷になるのです。NHKを信じていた人もいましたが、懐疑を持っていた人も大勢いました。

「世代」とかの問題ではないということです。戦時中のように「情報遮断」が行われて、判断情報がない状況でも、ものごとを自分で判断し思索することができる人たちは、日本は敗北しているという事実を、軍部の勝利発表と関係なく分析して把握していました。

いまの20代か10代後半かの人たちは、マスコミに踊らされない独自の「自己判断」ができるかというと、そういうことは言えないのです。できる人もいれば、できない人もおり、後者は、2ちゃんねるなどにあるデマ情報の内容などを、鵜呑みに信じるなどということも起こり得ます。

「自分で情報の判断ができる者」というひろゆき氏の言葉は、格好いいですが、間違いです。なぜなら、自分でものごとを判断しようと本当に試みると、それがいかに難しいか、実は「不可能」なのだ、と気づくからです。

デマと事実の違いなど、どこまで行っても分からないのだとも言えます。ひろゆき氏の言葉は従って、宣伝用キャッチだとも極言でき、それに共感する人は、「自分自身を知れ」という古代からの教訓がよく分かっていない人だとも言えます。

話がだらだらと続きますが、パソコン通信ができて何が画期的かというと、ハムについて述べていた方がおられましたが、その効果を百倍千倍にしたようなもので、個人が、不特定多数の他者に対し、情報発信が簡単にできるようになったということです。

従来、大メディアか、少なくとも、それに準じる規模のメディアでないとできなかったことが、個人で実行可能になったというのが画期的なのです。

2ちゃんねるだと、サイト全体では膨大なアクセスがあるでしょうが、特定ボードのアクセスはとなると、極端な場合、数人とか、ボードを立てた当人一人ということもあるでしょうが、何か面白いとなると、情報がインターネットを通じて流布し、アクセス数、何千とかになる可能性もあります。

ネオむぎ茶とかの事件の時は、アクセスが何万とか、それ以上を一挙に超えたのではないかと思います。

何を言おうとしているかは、2ちゃんねるのような、多用なボードで、多くの人の関心を集めるような「暴露情報」などを書き込むと、何百、時に、何千という不特定多数の人に、その情報が伝達されるということです。

はやらない書き方だと、アクセスする人も少ないでしょうが、少し工夫すれば、かなり多数の「不特定多数」の人に情報を送ることができるということです。しかも、誰が情報を発信したのかも分かりません。

>所詮インターネットの中での情報のやり取りですから
>実行力などたかがしれてますし。

質問者のこの認識は、甘すぎると思うのです。質問者は経験がないので分からないのかも知れませんが、2ちゃんねるまたは類似ボード・サイトで、わたしは、あるハンドルでの過去の活動経緯を、本来、そのようなものを公開するのがおかしい、個人宛メールなども含めて、勝手に公開された経験があります。

本名・住所などは公開されていなかったと思いますが、そういうものも、あるいはわたしが知らないだけで、公開されていた可能性があります。また、そういう暴露情報を集めているサイトへのリンクを、ボードに書き込んで張るなどがありました。

こういうことは、されてみないと、おそらくその不快さや、それ以上の「恐怖」を、実感できないでしょう。フリーメールを使えば、ウィルスを不快な人間に送ることもできれば、誹謗中傷や、ある人が他人に知られたくないと思っているプライヴァシー情報を暴露した、無料サイトのページURLなどを、いろいろな人に送ることもできるのです。

一般に、匿名あるいは実名であっても、ヴァーチャル空間の掲示板などでの発言は、その人の無意識あるいは前意識の抑圧的な部分が露呈される可能性があると、以前、なぜ、こう罵倒表現や誹謗中傷言説が、非統制ボードの書き込みでは多いのかということで、友人と議論したことがあります。

あるいは、普段、社会生活などで見せているペルソナ人格ではなく、その背後の自我(エゴ)が露呈しているのだという可能性もあります。特定人物への発言ではなく、不特定の人への発言ということで、ヴァーチャル感覚が増大して、現実感覚の喪失と、一種のゲーム感覚が起動するのかも知れません。

個人が作っているおびただしい数のサイトでも、そのサイトが有名になって、何千人規模の人が訪れたり、何千というリンクが張られたりすると、そこに書かれることは、2ちゃんねるでの書きこみと似たような効果を持つ可能性があります。

2ちゃんねる型巨大ボード・サイトは、「非統制的」であることが、長所であるが、しかしそれは両刃の剣であって、エゴの本音の悪意や、ヴァーチャル感覚の情報犯罪や、他人を傷つける言葉や、デマや色々と否定的なものが出現し、誘導するのだとも言えるのです。

つまり、精神的におかしい人が集まって来ている避難所だと言えますが、他方、そういう非統制ボードでの書きこみで、ヴァーチャル感覚が励起されて、精神的に、一時的におかしくなって来る人が出てくるのだとも言えるのです。

インターネット中毒になって、ボードを毎日見たり、書きこんだりしていると、一時的におかしくなっていたのが、恒常的なおかしさに変化し、罵倒や罵詈雑言や、他者を貶める表現などが、当たり前のような感覚になってきて、自分でもそれを使い、正常と異常の境界が曖昧になってくる可能性もあります。

(日常生活のなかで、ペルソナで隠されていた、異常心理構造が、匿名巨大ボードのなかで、顕在化する危険性があるのです。適応できない環境に置かれると異常性が発現する人というのは、かなり多くいるのです)。

(精神分裂症的パーソナリティの持ち主は、十人に一人とかの高率なのです。このうちの何%か何割かが、発病するのだと言えます。非統制放任ボードは、発病を誘導するとも言えるのです。他のパーソナリティ・ディソーダーについても、それは言えるのです)。

「言論・表現・思想の自由」等の基本的な原理からは、2ちゃんねるのような非統制ボードを現代社会は、統制恣意的操作マスメディアの大衆操作に対する、個人の対抗手段として、必要としているとも言えます。

また、非統制で、しかも、不特定多数の人が読んでいるという前提があるので、非常に良質で、高度に有意味な、マスコミなどでは流れない「情報」が書きこまれ、その意味で高い価値があるとも言えるのです。そのような「場」は、表現・言論・思想の自由などの保証のため、必要であるとも言えます。

しかし、ネガティヴな問題も多数あるのであり、容易に「誹謗中傷・名誉毀損・個人情報暴露・プライヴァシー侵害ボード」などになりかねないし、現になっているという事実もあります。

インターネット文化が今後どう展開するのか、分かりませんし、現代社会はどうなって行くのかも、率直に言って分かりません。しかし「2ちゃんねるの問題」は、こういう問題スコープへと実は通じて行くのです。訴訟にしても、訴訟を通じて、新しい文化の社会的認知や、その位置付けなどが行われるのです。

パソコン文化・インターネット文化は、個人に「既存メディア」と、同等の情報発信資格と可能性を開いたという意味で、或る意味、画期的なのです。それは、善意の方向でも利用できれば、他者のプライヴァシーを暴くなど、悪意の方向でも利用でき、対象が、不特定多数で、まさに、マスメディアが行えたと同じようなことが、小規模であっても、個人ができるということなのです。

インターネット文化のポジティヴな面とネガティヴな面の両方が、増幅された形で、「2ちゃんねる」などで出ているということなのです。

従って、罵倒表現や悪口雑言や誹謗中傷言説が多いので嫌いだとか、いう表面的判断で、考える問題ではないのだとも言えます。また、自分は、そういうものは平気なので、あれはいいとかいう皮相的な話でもないと思います。

やはり、何かの「統制措置」は将来的に必要になるのであり、統制が嫌いなら、何かの「社会秩序」と言ってもいいです。インターネット世界も、一つの新しい形の「社会」だからです。

「2ちゃんねる」は一つの実験の場だとも考えられるのです。あそこにある、「厨房」などという言葉を平気で使うようになったり、あそこの罵倒言葉に対し平気だという人は、その人自身、もうおかしくなっている可能性もあります。しかし、そういうおかしさを発現させて、精神のバランスが取れているという可能性もあります。

以上、色々と書いてきましたが、ネガティヴな部分を、何とか、ミニママイズしつつ、ポジティヴな部分は残し、発展させて行くという未来展望が要請されるでしょう。それは、結局、「時が決める」のかも知れませんが。

「表現・言論・思想の自由」という民主主義の基本原則よりすれば、統制は、望ましくないでしょう。

考えられるとすれば、現在の既存のマスメディアに対しても要請されることですが、影響力がある一定以上のメディア機構には、国家権力とも、営利企業とも独立した、NGO的監視統制(権力)機構による調整を付けねばならないということだと思います。

そのような、国家権力とも、営利経済組織権力とも独立した市民(権力)機構が構成できるのかどうか、現在のNGOの延長に展望可能かどうかの問題も含め、「2ちゃんねる」の問題は考えねばならない、ということです。

注)「市民(権力)機構」というのは、市民組織などは、社会に何かの影響力が実際に行使できなければ、あっても仕方がないのです。情報流布による社会啓蒙での市民意識の変化も、誘導できれば、影響力の行使です。この場合、power が必要で、power の訳語は、「権力」とするのが、この場合、適切だと思うのです。

最後に、わたしは「2ちゃんねる」のような誹謗中傷低次元ボード・サイトは「嫌い」です。しかし、「言論の自由」をみずから確保し、尊重し、守るには、「不快さ」も遭えて我慢せねばならない場合もあるのです。「必要悪」とかではなく、いまは過渡期にあり、どうなるか、見守っているという状態でしょう。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>こういう質問の場合、質問者に相当な思考の柔軟性がないと、また、最初から結論を決めていて、他の意見は聞いてみるが、要するに、そういう反論なら知っているという自己確認の自己満足のために質問を出していると、回答するだけ意味がないのだとも言えます。

結論を決めていたわけではないのですが、スタンスは決めていました。
反論を封じるための質問というわけでもありませんでした。
そうとれうる個所があったのでしたら、私の文章力のなさ、思慮の足りなさ所以であると思います。
今後は肝に命じることとします。
純粋に、他の人間がこの問題についてどう捕らえられているのかについて聞いてみたかったのです。

私自身も

>過渡期にあり、どうなるか、見守っているという状態でしょう。

この意見に強く賛成したいものですから。


>ただ、このサイトの質問と回答は、質問者だけのものではないと言う考えもあり、わたしは、そちらの考えに立ちますので、何か述べてみます。

そう捉えていただけると幸いです。




>>ちなみに私は、2ちゃんねるにはそれほど悪い印象はないです。
>>所詮インターネットの中での情報のやり取りですから
>>実行力などたかがしれてますし。
>あくまで私見ですが、これは「大きな認識間違い」です。この点で、もっと真剣にできごとを捕らえ、反省的に考えないと、問題は見えて来ないと思います。あるいは、不適切な結論へと導かれると思います。

この部分は多少言い過ぎたかとおもいます。
ですが、ひとこと。
現在のインターネットの利用者の90パーセントはインターネットというものが、どのようにして機能しているかを理解していません。(おそらく)
インターネットにつないだ瞬間に、送受信するデータのすべては「不特定多数の人間に覗かれている可能性が非常に高い事実」など知りもしません。
そういった危険を理解するには、ある程度の学習は必要不可欠ですし、また普段の情報収集も欠かせません。
そこにある危険に意識を向け、自衛手段をとるという当たり前の自己防衛を行わずに利用しているのが、現在のインターネットの姿でしょう。
そうした状況で、なにも意識せずにインターネットを利用し、メールの内容や、場合によっては本人自身のPCから情報を盗まれその情報を公開されてしまうという事件が結構起こっています。
これは、学習をせずにインターネットを利用した人間にも非がありませんか?情報管理怠慢などで。
(もちろん盗んだ人間が一番悪いですが)

2ちゃんねるで、個人情報を漏洩されているような場合は、ほとんどがこんな例です。(ざっと見た感じですが)
そして、この程度の盗みをするためには多少の学習と2-3のツールを手に入れれば中高生にでもできるのです。
(本当に技術のある人間はこういったことはやらない、と信じたいだけかもしれませんが・・。)

このあたりの話は、
「海外にいくとスリが多いから気をつけよう」
という話と似ていると思うのです。

そしてその危険を図らずも体現しているのが2ちゃんねるになっています。
(あくまで図らずも、です。それについて賛成しているわけはありません。あしからず)

ただ。
誹謗・中傷のたぐいの情報発信によって著しい名誉毀損が発生した場合は、上記の限りではありません。
自衛のしようがありませんから。
どんなに品行方性に生きていても逆恨みはあるでしょうし。

さらに。

>質問者のこの認識は、甘すぎると思うのです。質問者は経験がないので分からないのかも知れませんが、2ちゃんねるまたは類似ボード・サイトで、わたしは、あるハンドルでの過去の活動経緯を、本来、そのようなものを公開するのがおかしい、個人宛メールなども含めて、勝手に公開された経験があります。

たしかに、そういった経験はありません。
想像力が欠如していると言われてもしょうがないかもしれません。


>ひろゆき氏の言葉は従って、宣伝用キャッチだとも極言でき、それに共感する人は、「自分自身を知れ」という古代からの教訓がよく分かっていない人だとも言えます。
恥じ入るばかりです。

そういう慢心があったのは、事実でしょう。
参考になります。

ただひろゆき氏のアレは、宣伝用キャッチというよりは
中途半端に反論してくる人間を封じるためのものという
印象をもっていました。


ポジティブ面・ネガティヴ面についての意見興味深く拝見しました。
NGO的組織は必要かもしれませんね。
ただし、powerの訳語は(意訳ですが)圧倒的なスキルとなるべきだと思います。
権力よりも、情報を抑えることができる技術が、インターネット上ではより実行力をもっています。(いまのところは)

お礼日時:2002/07/08 10:48

>どの程度2ちゃんねるを見た(読んだ)事があるか


今年の3月くらい2ちゃんにはじめて行った。噂以上に凄いと感じた(^^;)
読むだけで(眺めてるといった表現に近い)、書き込みした事はありません。

>みなさまは2ちゃんねるについてどのような印象をお持ちなのでしょうか?
matyu様のいわれる通り、「一割くらいは役に立つ情報がある」のは確かです。
特に、普通の所では満足できないような情報源が得たい時には、若しくは、相当コアな情報がほしい時に重宝してます。

もちろん、9割以上は煽りやらくだらない書き込みが多くて、そういった時に自分自身の情報の収拾選択能力が問われるのだろうと思います。

色々回答が出ていますが、実際に迷惑がかかった人や、いやな想いをした人と、そうでない人との温度差は相当なものがあります。

これもよくある、議論に議論が重なるだけの、いつまでたって解決できない社会現象の一つなのでしょう。

私個人は、2ちゃんねるは正直悪い印象です。あの世界は馴染めません。
でも、この手のものをいくら規制しても、絶対無くなりません。
そして、どうしても知りたいコアな(本音の)情報が割合入手しやすい事を考えれば、手前味噌な回答ですが、「必要悪」としては存続してほしいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>色々回答が出ていますが、実際に迷惑がかかった人や、いやな想いをした人と、そうでない人との温度差は相当なものがあります。

なるほどなるほど。これは確かにそうですね。
いかんともしがたいことですが。

利用者全員がモラルをもてればいいだけなんですがねえ。
うーん。

お礼日時:2002/07/04 10:51

今回の裁判の争点は



管理者にはどこまで真実かどうかを調査する義務があるのか

ということでした。真実であって公益性があるというスレッドの内容ならば名誉毀損にはなりませんから消す必要がないのですが、しかしスレッドだけでは真実なのか、公益をはかったものかどうかは容易に判別はできません。
そこでひろゆき氏は名誉毀損に該当するかどうかがわからないのになぜ削除に応じなければならないのかと主張したわけですね。

しかしこの判決がくつがえることはおそらくないでしょう。前述の通り一地方の、小さな動物病院を2chで全国に知らせること自体公益を図ったものか疑問でありますし、ひろゆき氏もHP巡回義務を怠ったと思われます。
それに加えて2chにはマトモな内容が書き込まれないという経験則からスレッドの真偽は疑わしい、被害者保護のために立証責任の転換という形でひろゆき氏に立証責任を負わせるのが妥当であるなどを考えると今回の判決は極めて妥当であり、くつがえることもないとおもわれます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>ひろゆき氏もHP巡回義務
無知をお許しください。
もし、こういった義務が法制化されているのならば
2ちゃんねるは今後存続できませんね。
理由は、#2のお礼を読んでいただければ分かっていただけるかと思います。
個人的に残念です。

さらにいえば、特定個人や特定団体が不正を行った場合に、それで被害を受けた沢山の人たちが
大規模な掲示板で「被害の多寡」や「被害を受けた時の状況」や「新たな被害を減らすための啓蒙」
などを行った場合、その掲示板の管理人が
「真実を調べるひまがないので全部削除」
したとしても、なんの不服申し立てもできませんね。
とても残念なことです。

私は、言葉をしらない人間ですので間違っているかもしれませんが
こういうのを、言論の統制/抑制
とよぶのではないでしょうか?

軽い恐怖を感じるのは、私がおかしいからでしょうか?
飛躍しすぎてますか?

お礼日時:2002/07/03 14:41

2chはたまに私もみることがあるのですが、やはり存在してはいけないなと思う気持ちの方が強いですね。


「2chは精神異常者の避難所」のような言い方がされますね。精神異常者を2chがかくまってあげる、自由な発言の場所を提供してあげることで精神異常者の欲求をある程度満たしてあげる効果があるのだなどといわれますがだからといって違法行為をスルーしてしまっていいのか。

たとえば2chを規制するならデタラメな新聞社や出版社も規制するべきだ、などともいわれますがしかし新聞社や出版社はもし真実を伝えなければ社会的に淘汰もされるでしょうし、出版部数にも影響するでしょう。裁判所から命令があれば名誉毀損により損害賠償を支払うこともありえます。しかし2chはそのようなことはなかったですね。いままで2chに極めて甘い基準が適用されていたということでしょう。それを考えると今回の判決は当然と考えます。

そして名誉毀損について考えてみますが、もしあるラーメン店(Aとしましょう)の店員の対応が悪かったとして2chにスレッドを立て、それを数十万人の人間が見たとします。なるほどこれは一般人に対してこの店には気をつけてと注意を喚起したものかもしれません。しかしよく考えると、この行為は日本中に「この店員は危ないから注意して」と言いふらして歩くことに等しいですよね。いくら1人の店員の対応が悪いとはいえ、日本中にこの人は危ない人なので注意とビラを数百万単位でばらまくことが単なるいじめにすぎないように、「事実だから」という理由だけで
広汎な範囲にわたって事実を知らせることはとても「公益をはかったもの」といえるとは思えません。

それを考えると今回の判決は妥当であると思えます。
社会的に大きな存在である大企業等ならばともかく、せいぜい動物傷害罪に該当するかしないかが問われるにすぎない、一地方の小さな動物病院に対して、日本中から一斉に攻撃をする行為を黙認することは管理者としての責任が問われても仕方がないと思われます。
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この回答へのお礼

>「2chは精神異常者の避難所」
たしか精神病の治療の観点から、こういう意見は聞いた(読んだ)ことがあります。
ただし、そんなに広まっている理論でもないように思いました。
だって、無理がありますから。

>たとえば2chを規制するならデタラメな新聞社や出版社も規制するべきだ、などともいわれますがしかし新聞社や出版社はもし真実を伝えなければ社会的に淘汰もされるでしょうし、出版部数にも影響するでしょう。

そうでしょうか。そうであればよいのですが。
毎日真剣に考えて生きている人が、十分な数いらっしゃればそういう原則は機能するでしょうが・・・。
実際には、惰性で生きていたり、他の事で手一杯だったり・・・。
社会が腐っているとか、政治が悪いと言われてからもうウン十年ほど経ちましたが、いまだに市民の側に立った政治団体なんてものは出てきてないようですが・・。
もっと真剣に考えている人が多いならば、いまの政治のおかしさを正すために活動を起こしてそうですが・・・。
わたしの感覚がおかしいのかもしれませんが。

すいません、話がズレました。
上記の理由で、いわゆるマスコミと2ちゃんねるとの間に大きな差があるとは思えないのです。
マスコミならば、裁判もありえるとの事ですが、実際には担当者レベルが粛清されて終わりで体制にまでメスが切れ込むわけではないですし。

>「事実だから」という理由だけで広汎な範囲にわたって事実を知らせることはとても「公益をはかったもの」といえるとは思えません。

おっしゃるとおりです。
2ちゃんねるのように影響力を持ってしまった場合は、
昔のような「狭いコミュニティでの内輪の楽しみ」などに耽ることはできないのだ、という意識改革が必要なのでしょう。
しかし、それは2ちゃんねるというものだけにいえることではなく
インターネットの全ての利用者に言えることだと思うのです。

お礼日時:2002/07/03 14:30

「国民が監視すべき医療水準」に比べて「劣っている」から「悪評判がたつ」のではありませんか



>そもそも裁判官の焦点がズレているのではないかな
そうですね。判例を読むと.この手のごまかしが結構見られますので.楽しいです。観光旅行として.ちょっと離れた地裁に出かけて.適当に判決を読んでくると.楽しく笑えますよ。
私のように.しばらくたってからでかける人間の場合.係争が終わり.50年間地裁に判決文が保存されている期間に出かけますから。
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この回答へのお礼

本当になんども回答ありがとうございます。
>「国民が監視すべき医療水準」に比べて「劣っている」から「悪評判がたつ」のではありませんか
そうでしょうか?
仮にそうだとしても、その「劣っている」という判断は
まったく正しいのでしょうか?
その判断が正しいかどうかを、だれが判定するのでしょう?

さらに、一度広報されてしまった間違いを正すことが非常に難しいことはご存知でしょうか?
たとえば、ホームページという言葉の本来の意味をご存知でしょうか?
「ブラウザが立ち上がったときに最初に表示される(自分自身が管理したりしている)ページ」
というのが、それなんですが。
実際には、インターネット上に公開されているページはすべてホームページと呼ばれていますよね?
(正確に言うならばWEBページもしくはWEBサイトというべき)
これも、最初に間違って広めてしまったあわてんぼさんがいたからなんですが、もはやその間違いを正すどころか、定着しきってしまいました。

すいません、すこし話がずれました。

>判例を読むと.この手のごまかしが結構見られますので.楽しいです。
私は、当事者ではないですし、裁判や判例について造詣が深いわけでもないのですが・・・。
こういう司法の勘違いを正すことはできないのでしょうか?

お礼日時:2002/07/03 10:33

こんにちは。


僕は初めて2ちゃんを見た時は何とも言えないショックを受けました。ですが、不思議なことに何度も入っていくうちに感覚が麻痺していき、ひどい部分に対しても何の抵抗もなく、むしろ愉快的に見るようになりました。
確かに役立つ部分もあるし魅力的なのですが、小中学生の
多感な子供達が初めて訪れた時にうける影響を考えた時、どう目覚めるのかという思いがあります。
明らかに決してよくないという部分が刺激され、感覚が麻痺しないかと。(おそらくすると思いますが・・・)

いつか自分に子供ができれば、どれだけ有益な情報があれ
普通に「見せたくない」というのが本音です。大人になれば別ですが。

あと余談ですが、卑猥な顔文字はまだ少し不快な思いを感じさせられます。芸術ですがね。^^
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
たしかに多感な子供には見せたくないですねえ。
「あおりや誹謗や中傷がかっこいい!」
とかおもわれたら目もあてられません。

でも、大人ならば有効に活用できるとおもうんですが・・。
でもでも、利用者が子供か大人か判別できないし・・・。
でもでもでも、だからといってなくしてしまうには惜しいし・・・。

お礼日時:2002/07/03 10:25

まず.ご指摘の内容について


>菓子屋の閉店と暴力行為を行う不良青少年グループの発生の間には、5年の歳月が横たわっているのですよね?
ご指摘のとおりです。
> いくらなんでも代替わりしているでしょうし、
ご指摘のとおりです。

>そういったグループでの情報伝播(だが視野で先生の悪口をいいお菓子を食べて満足するという行為が後輩に継がれる、もしくは語られる)にそれほどの持続性があるかどうか疑問です。
そうでもないですよ。成人式の打ち上げを駄菓子屋で盛大にやっていましたから。選挙の応援を頼んだりもしています。

> これって、一般の社会となんらかわらない構成だとお思いになりませんか?
2ちゃんねる全体については.ご指摘のとおりです。

>しかし、一般の方や一般の企業はどうでしょうか?
米国の「タバコ製造業」は民間企業です。企業全体の代表として選択しました。

さて.今度は.財産権に関連して書いてみましょう。

牛や犬などの動物が.財産であるか.物品であるかで争われたことがあります。家畜は.代々血を受け継ぎ.良い品種を手元に残すことで育てられてきました。血統書に示されるように.長い期間かけでその家で育てられてきたものです。私は財産であると考えていましたが.獣医の医療過誤において財産であるとの最高裁判決が昭和40年代に出ました。その数年後.人の医療が財産権と同等に保護されるとの最高裁判決が出ました。

数年前.医師の創作病(健康な子宮を病気として摘出した)判決で.国県が医師に対して管理責任があるかどうかが争われた裁判で.国・県は医師に対して指導義務はなく.国民全体にあるとしました。

人の医療は.財産権と同等に取り扱われます。ですから.財産権である獣の医療と同等に取り扱われます。したがって.国・県は獣医師に対して指導義務はなく.国民全体にあるのです。
獣医師の行動に対して.良いか.悪いか.どのように判断するかは.国民全体にあるのです。
今回.獣医師の行動に関しての話しですから.国民全体が獣医師の行動を監視して行くことが必要です。同様に.各種行政免許については.国民全体が監視して行く必要にあります。

国民の中には.専門的知識を持たない人々がいます(たとえば.バファリンとアリナミンの間違いでしたか?.商品名は疑問)。これらの間違いがあっても.医師は正しい情報を聞き出す義務があります(アスピリン喘息に関係した死亡事故の判決?)。多少間違えて国民が解釈しても.正しい意味を読み取ることが行政免許者に要求されています。
したがって.実質的に.獣医師の医療過誤に関する話題は.実質的な制限はないと考えています。むしろ.2ちゃんねるの騒動は.獣医師が営業妨害と主張する前に.正しい獣医療に関しての知識を人々に広める義務があると考えています。匿名が許されているサイトですから.別人に化けて正しい獣医療を教えることを怠ったように感じます。
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この回答へのお礼

再三にわたっての回答ありがとうございます。
ソースデータを提示していただきながらの回答痛い見入ります。
ただ。
>今回.獣医師の行動に関しての話しですから.国民全体が獣医師の行動を監視して行くことが必要です。
この部分なのですが・・・。
今回の事件で、「獣医師がなにかをやっていた/やった」という部分はずいぶん受身に思えるのですが?
動物病院そのものに対する「悪評判」が2ちゃんねるで騒がれて、
その「悪評判」そのものについて「名誉毀損」を訴えたのが今回の発端ですよね?
ご存知のように、名誉毀損は事実であるかどうかは問題ではありませんから、この告訴そのものはおかしなものではないと思います。
ここで、「国民全体が監視すべき獣医師の行動」というのは、どこを指しているのでしょうか?

私には、今回の裁判の原告による「名誉毀損」や「商売上の著しい損害」などを理由にした起訴は、特に問題があるとはおもえないのです。
個人であれ法人であれ、自己を守るために裁判を行うのはそんなに悪いことではないですし。
そもそも、2ちゃんねるの書き込みの元ソースがほんとに正しくない場合
要は、単なる私怨による根拠の無い誹謗・中傷である場合には起訴すべき、とさえ思います。
逆に本当に悪徳病院で恒常的に被害に会われている無自覚な被害者を量産している病院であるなら敗訴してしまえと思います。

まあ、今回の原告である病院にはさほど悪意を感じないのですが・・・。

裁判官や裁判所には、違和感を感じます。
上記の観点ではない部分に目をむけた判決そのものに、納得がいかないのです。

法律には暗いもので、今回の裁判の焦点がどこにあったかは不明なのですが・・・。
そもそも裁判官の焦点がズレているのではないかな、と。

お礼日時:2002/07/01 16:55
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