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今更ながらの質問ですが、「ゆれる」のラスト。
稔(香川照之)はゆっくりと微笑み、バスが彼の姿を覆います。

彼は、猛(オダジョー)を赦したのでしょうか?
そしてバスに乗らずに、猛に再会するのでしょうか?

それともバスに乗って、故郷を去るのでしょうか?
その場合、あの笑みの意味は何なんでしょうか?

考えてもよくわかりません。
あのラストの表現は、監督の「ずるい」演出とも思ってしまいます。
どう解釈すれば、納得できるでしょう?
皆様のご意見を聞かせてください。

A 回答 (2件)

私はいい演出だと思いました。

「ずるい」かな?
その後がはっきりしない分、余韻が大きかったです。

その後の解釈は人それぞれだと思います。

私はバスが去った後二人が手を取り合って再開すれば
いいのにと思いつつも
あの笑みは
「もういいんだよ」っと兄は弟の気持ちを汲み取って
許したものの
「でも、もう元の二人には戻れないんだよ・・さようなら」っと
弟を怨んではないが
町を去って行くのではないかと思います。

私の周りでは
許して再開したんじゃないかという人と
あの笑いは「ふっ・・気が付いたか・・・これから重荷を背負っていくんだな」っとバスに乗って去っていく・・・って人がいました。
あの映画の最後だけで随分会話が盛り上がりましたよ。

どれか納得のいくのがあったでしょうか?
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この回答へのお礼

個人的には、映画の結論は制作者がちゃんと提示すべきだと思います。
ラスト以降の展開は観る人間が想像するもの。と言うのなら
それ相応の材料を揃えるのも義務だと思います。
あの映画は、その提示も材料も不足して曖昧すぎると思います。

とはいうものの、心に残る映画でした。
男兄弟がいる人なら、みんな気持ちが「ゆれる」映画なんじゃないかな
とも思います。

やっぱり別れる方のイメージがみなさん強そうですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/13 09:12

私もいろいろ考えてみたのですが、



橋の上での出来事もそれぞれの回想シーンとして二転三転していくので、
結局殺したのかどうかわからないですよね。
突き落としたのか、勝手に落ちたのか、突き落としたものの助けようとしたのか(腕の傷)。
そのため、最後の兄の心境も、事実がわからないと完全に推察できないことになります。

私としては、香川照之さんの神がかり的な演技でもうどっちでもよくなってしまいました(^^)。

ずるい、とも言えますが、見た人にその後を連想させるための意図的なラストであるんだと思います。
つまり、鑑賞後も観た方は「ゆれる」状態にあるわけですね。
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この回答へのお礼

確かに、私も「ゆれる」状態になりました。
観客は、吊り橋の真ん中に立って揺れる状態で、
「渡りきるべきか(別れる)、戻るべきか(再会する)」の択一を
迫られているような感じでしょうか?
でも、もう少しその判断をするための材料が欲しいです。

「羅生門」的な内容で、事実を決めないという手法ですから
やっぱりラストの解釈は答えや納得ができないかもしれませんね。
個人的には「エデンの東」的な面に気持ちを揺さぶられましたが。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/13 09:22

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