何を質問するというよりも、少し、自殺について知りたいのです。なんでもいいですので。そのとき人には何が起こっているのでしょう?生物に書き込むか迷ったくらいなので、科学的な見方でもどんどん書いてください。お願いします。

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A 回答 (26件中11~20件)

ピラニア2回目です。



幅広い知識の為にも宗教的、倫理的の他に

鯨(猿・ねずみ)

アポトーシス

の見聞も必要になって来るでしょうね。
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この回答へのお礼

そうですね、なにせ知りたいのです。
二回目のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/09 07:19

3回も登場して失礼かとは思ったのですが・・・・


日本語って難しいですね。ちゃんとつたえたくても上手く伝わらない・・・・
おっしゃられるように『生きること』に意味があるという前提で書いてある。と、いわれればそうですね。この表現上手くないですね。意味のところを価値とかけばよかったと思いました。その個(自己)自身の価値を見失ってしまうから「生きること」を放棄するのではないでしょうか?
少し疑問に思ったことが・・・
生きることの意味を前提にしないとおっしゃられていましたが、個としての価値をいだくことでおのずと意味は生れてくるのではないでしょうか?その存在(個)自体に価値があるのならば、意味のあることだと考えます。
失礼になってもいけないので、これ以上差し出てきて書くのはひかえます。ごめんなさい。
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この回答へのお礼

失礼なんてとんでもないです。私のほうこそ。遠慮はしないで下さい。
>生きることの意味を前提にしないとおっしゃられていましたが・・・
重要なのは、その「意味」があっても、それが生きる「理由」になるかという点です。「意味」がなくても、「価値」がなくても、「生きる」ことを望むことはできる(「生きる」を選択しようとする)。「生きている」ということとは違います。
『生きること』に『意味』というものがあることを前提にしていない。ということですが、難しい所ですね。私の場合、自身の存在は、「私」にとって価値のあるものですから、他者にとって価値がないと私自身が判断したとしても、生きる理由は失わないということです。もちろん他者の存在は、私にとっては価値のあるものですが、たとえ、ある他者が、わたしにとってマイナスの存在で、価値がなくても、その存在は、私にとっては「意味がある」と言えることは分かってもらえますか?
3回にもわたるご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/09 07:13

>日常では、エロスなるものがでっぱっており、


>エロスが引っ込んだ、あるいは我慢しとおした、
>ある非日常の瞬間にタナトスが訪れるということに
>なるのでしょうか?

ダイレクトに「死にたい」と思わなくても、人って「あれがしたい」とか「これがしたい」という、いわゆるエロス的な欲望を現実世界との折り合いでしばしば殺していますよね。「ご飯が食べたい。でも、会議中だから、そんなことを言い出すのは失礼だ」みたいに。あと、よく分からないけど「お金持ちは、心がすさんでいる」みたいな価値基準が勧善懲悪の時代劇にあったりしますが、あれなんかも欲望を殺している気がします。つまり「お金持ちに、なれるものならなりたい」でも「お金持ちになるのは難しい」「なれない」だから「お金持ちはズルイ」。ちょっと飛躍してますが、勧善懲悪の敵役って何らかの「力」を持っていますよね。「力」を持つ者は、必ず「悪」に走るかのような価値体系を捏造している気がします。「正義」を自称するものは、その力を妬んでいるかのようです。
つまり、「力」があるのなら、それを有効利用する方法があるのに、時々、人はそれをせず、妬んだり、羨んだりして「力」あるものの足を引っ張ろうとする。これがタナトスっぽいなと思うんです。建設的じゃないですよね。
ちなみにタナトスもエロスもギリシアの神様の名前です。エロスはキューピッド:愛の神(人格化)でタナトスはニュクス(夜)の子どもでヒュプノス(眠り)とは兄弟の関係にあるそうです。
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この回答へのお礼

なるほど、そういう解釈ですか。わかりやすいです。ところで、「タナトス」がギリシャ神話の『夜の子』なのですか。なかなか叙情的ですね。二回目のご登場ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/08 02:03

どんな意見でもよいことだったので、わたしが『自殺』というものに対して抱いている気持ちを書きました。

実際、自分自身がその立場にたったことがないので、『自殺』を考える当事者の気持ちは正直言ってまだわかりません。あくまでも推測の域の話で書かせてもらいます。
>安易だからこそ、自殺しちゃったのではないでしょうか?普段は、生命維持を最も重要な活動の一つと捉えていても、状態によってあっさりと、それを自ら絶つことがある。不思議ですね?
その当事者でなければその心情はわかりませんね。それを他人から見れば(経験のない者からしてみれば)不思議にみえ、思えるのでしょうね。
状態によってあっさりと、自らの命を絶つときの当事者の心理状態を推測してみようと考えてみました。もしかしたら、普段見渡せているまわりがみえなくなっているのではないか?では、なぜ見えなくなっているのだろうか?・・・・・心の中に高い壁ができて自己と外界を遮断しているのではないか?四方を壁に囲まれその中心にポツンと一人置かれたような状態になっているのではないだろうか?もしかしたら、天井までふさがれその人のもとには光さえ差し込まない真っ暗。こん状態におかれたら、おのずと絶望感が怒涛のごとく押し寄せてきてそれによって『自殺』のスイッチをONしてしまう。人は、一人では生きていけないとよくいわれていますが、自殺者が自殺をはかるとき一人ぼっちとかんじているのではないでしょうか?生きる意味を見失ってしまう。絶望感・孤独感がその意味を見失わせている。自己の心の中に少しの明かりが差し込めば、人は、またそこから生きる意味をみいだせるのかもしれません。こう考えれば、不思議ではないような気がしました。自殺をはかる人を生まないためにもそんな気にさせないように人とのかかわりにおいて言葉に魂があるように『言霊』、元気が出る、温かい気持ちが伝わるような言葉を交わしていければいいのにな、他者の存在を認められる。人を傷つけ、他者の存在自体を否定し認めないような言葉は封印しておきたいです。なにか、支離滅裂な回答になってしまいました。ごめんなさい。
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この回答へのお礼

ごめんなさいなんてとんでもないです。
私は他者の存在によってもたらされる温かみは素晴らしいと思います。だからこそ友達など大切に思うのでしょう。ただ、人は様々に別々の個性をもつ事も事実です。今回の質問は、もっぱら興味本位ですが、そのことで、より多くの人の理解につながるのかも知れません。二回目のご登場ありがとうございました。
追申(漢字に自信がありませんが)
>生きる意味を見失ってしまう
個人的には、この文の解釈として、あたかも初めから「生きる」ことに意味があるということが前提としてあり、その上で語られているとします。それを前提としない私は、「意味」がなくても「価値」があれば「生きる」ことを放棄しません。「意味を失ってはいけない」という価値観もまた、人それぞれだと思うのです。

お礼日時:2001/02/08 01:56

mamasです。


いわゆるうつ病による自殺とは他人との比較における劣等感にさいなまれて、といったものではないのです。
自分だけの世界に入ると楽になるのではなく、自分は社会にとって必要のない人間であるという感覚で「死」を選ぶことで楽になるのです。つまり生きていることに何の価値も感じなくなってしまうわけです。
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この回答へのお礼

なるほど、その人にとっては、その人のいる社会にとって必要とされることが、生きることの価値になるわけですね。その満たされない思いを消すために、社会から消えようとするのですか。少し分かったような気がします。二回目のご登場ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/08 02:11

自殺ですか……。


ふと不思議に思うのは、「すべてに落胆し、失敗した。もう死ぬしかない」と覚悟を決めて、いざナイフを手首に。そのとき、たとえば同居していた家族、または友人が、その人に向かって灰皿を思いっ切り投げつけたとします。瞬間、間違いなくその人は飛んできた灰皿を避けようとします。
あるいは、いざ手首を切ったけれども、失敗をした。気がついたら病院。今度こそは間違いなく、と思っているのに、あら不思議、傷口はどんどん塞がり、肉体はその意思に反し、どんどん治ろう、よくなろう、生き続けようとする。

もちろん、これは生理学か何かはわからないけれども、学問的にその行動(避けようとする)は説明できるのでしょう。しかし、その肉体は確実にキズ付けられるのを嫌がっているわけですよね。自分という存在は死にたいと思っているのに、肉体という存在はそれとは全く正反対の行動をする。不思議ですよね。
言い換えれば、キズ付けてほしくない、殺してほしくないと思っている肉体を、いや、必死に生きようとしている肉体を、どこから湧き出てきたのかしらん、わが意思によって殺そうとする。まるで、助けくださいと懇願している町人を、「無礼打ちじゃ」と斬り捨てる武士のようです。極端な言い方をすれば、殺人ですよね。過激な発言のように取られると困りますが。

話の方向性が少し違っていましたね。すみません。
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この回答へのお礼

すみませんなど、とんでもないことです。回答ありがとうございます。
難しい所ですね、あたかも肉体に自分とは別の人格が宿っているかのように書かれましたが、個人的には機械のように反応しているだけだと思います(誤作動もあると思いますが)。だから、我々の欲求、背をもっと高くしてと頼んでも聞き入れてくれないし、思うように走ってくれなかったり、あまつさえ「ミートボールを食え」だの「涼しい所に連れて行け」などと、ついには、頼んでもないのにガンになったりします(あとアレルギーもありますね)。ですから、「無礼うち」は、お互い様でしょう、なんていうのはありでしょうか?なんて、以上は冗談ですので、笑っておいてください。

お礼日時:2001/02/07 02:18

カミュという文学者が『シジフォスの神話』の冒頭で、「本当に重大な哲学の問題は、自殺だ」と書いたらしいですね。

これは、「人生が本当に生きるに値するかどうか」を考えるのが哲学だってことのようです。そう言えば、タレスの昔から、「世界とは?」という問いや「存在とは?」という問いを哲学者は繰り返してきたけれど、結局は、人間の存在意義を見出そうとしていた気がします。19世紀の終わりにはニーチェという退職大学教授が、「神は死んだ」と宣言して、ヨーロッパの人々が必死に信じようとしていた、存在意義であるところの「神」を消してしまった…。その「ニーチェ」はドイツの片田舎の牧師館の生まれだそうで、哲学って、「自殺」の歴史なのかもしれないと、徒然に思います。

ところで、精神分析の創始者で有名なフロイトが「死の本能(タナトス)」というのを提唱したのはご存知ですか? 僕も正確には知らないのですが、「有機体を本来の無機的状態に還元しようとする基本傾向」(「フロイト」小此木啓吾著、講談社学術文庫、78頁)なのだそうです。逆に「無機体を有機体に構成し、発展・成長させる基本傾向」は「性の本能(エロス)」の働きです。エロスの働きが行き詰まったとき、一度、その構成された有機的なものを解体しなければなりませんよね。人間の生き方って、結局、作っては壊し、作っては壊し、なんだってことなんですかね…。

「自殺」というと社会学者のエミール・デュルケムの自殺論が有名ですね。それから、生物学の「アポトーシス」とかもありますよね。僕は、この辺詳しくないので、詳しい方がいたら、書き込みしていただけると嬉しいです。(なんか便乗しているみたいですね。ごめんなさい)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。参考になります。
タナトスですか、、、初めて聞きました。しかし、いつにも人間は本能にそぐわない行動をする事もあります。ほんとは食べたいけど我慢しよう等。タナトスは、おなか減ったとか、眠たい、といったような強大な力で我々を圧倒しようという類なのでしょうか?それなら、我慢する人もいると思いますが、きっとそうではないのでしょう。なぜなら、フロイトが新たに当時、提唱することがあったほどですから、一般の人たちが日常で意識する事がなかった証拠でしょう。ということは、日常では、エロスなるものがでっぱっており、エロスが引っ込んだ、あるいは我慢しとおした、ある非日常の瞬間にタナトスが訪れるということになるのでしょうか?
難解です。
 「アポトーシス」とは少し聞いたことがあります。細胞自殺という現象でしょう。興味深い事です。元気な細胞が突如消滅するのですから。

お礼日時:2001/02/07 01:52

自分では、健康的な普通の人間だと思います。

このスレッドの中では。
 
 自殺は何回も考えますが、行動に至ったことは1度もありません。
何故?
一番は【後悔】【嫉妬】【羨ましさ】です。16才でドロップアウトしたものの理想の自分に近づいていなく、このままではごく普通に日本社会生活を送ってしまう。電卓の上ではじかれた先の暗い経済、文化環境でしか夢がなくドラマティックな生き方ができていない、その為に何もしていない、だから“人は生まれ変われる”そう思って自殺すればいいのではないか。と考えます。

二番目に【深酒】です。飲み始めたら自分で抑制できません。その為何回も次の日会社に行けず遅刻、休みました。その為に会社をクビになってきました。
ダメ人間です。直そうとしない自分に諦めてしまいました。

三番目に【自殺】そのものの行動。
殺されるくらいなら自害する。自決。切腹。武士道と言ふと聞こえが良いですが、
憧れみたいなものでしょうか。

幼稚、甘えん坊、無責任、あまのじゃく、社会不適応主義、常識破壊、自己中心、
自意識過剰、目立ちたがりや、生意気、未熟者、快楽主義、夢想家、などなど
きりがないですが自分のことを嫌いなことが重なると嫌気が差します。
だから、リッセトボタンがいつも用意されてるのかもしれません。
ホントにそうかまだ疑問ですけど。
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この回答へのお礼

たまたま、ある社会が、自分に合わなかったというのは面倒くさい事ですネ。
 古い話になりますが、ファミコンのリセットボタンは、押すとまたはじめから自動的にすぐに始まりますが、人生の場合、客観的にそれが新たに再開されるのを確認することはできないので、そういうリセットボタン的発想によって自殺する人は、よっぽどの自信と確信が必要になります。リセットと電源を切る(ファミコンの話)のではえらい違いですからね。人生の場合、自ら電源を切るとこまではいいのですが、つぎに電源を入れる人がいないとゲームを再開する事は無理です。自動と手動はえらい違いです。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/07 01:31

うつ病の重傷者は何のためらいもなく突然自殺してしまうそうです。

たぶんその人に心の中は最後には死ぬことしか残っていないのでしょう。何でそんなことが言えるかというと、私もうつ病の療養中の身だからです。私はそれほど重症ではないので自殺を直接考えたりしたことはありませんが、そこに至る道は途中まで経験しました。だんだん自分の居場所というか世界が狭くなってくるのです。最初は他人と自分を比較して自分の方が劣っているように感じることから始まり、人の中にいることが怖くなってきます。自分以外の人間は赤ん坊から年寄りまで自分より優れており、幸福であり、何事にもうまくいっていると思う、というより確信になってきます。そうしてだんだんと自分だけの世界に入っていって自分がこの世にいなくてもいいような気持ちになってゆくのです。……その先にあるのは何の迷いもためらいもない自殺なのです。
そこまでの変化は他の人からははっきりとわからないのです。だから突然何の前触れもなく自殺したように見えるのです。
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この回答へのお礼

鬱になるとなにか心の中が少なくなっていき、死ぬことしか残らなくなるという事でしょうか?不幸だったから、自殺しました。というのは理解の範囲ですが、他人との比較による劣等感等を超えて自分の世界に入ってしまうと、楽になるのじゃないのですか?難しい所ですね。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/07 01:06

自分が今おかれている状況から抜け出す近道と考えます。

(現実逃避)
それが、個人にとって良いか悪いかは一概には言えないとおもいます。病魔の苦痛にもがき苦しむ患者(たとえば、ガン末期患者)がいるとしたら、その人が自分の意思で自らの命をどうするか選択すること(安楽死・尊厳死)は、私自身悪いことだとは考えていません。しかしながら、それとは別に現実の暮らしに悲観して安易に死・自殺を選んでしまうことは容認しがたいこととも考えております。生活しているなかで『どん底』を経験したことのあるものこそどんな人よりも強くまた人に優しくできる人になっていると考えるからです。本人は、気づいていなくとも自然と身に備わっているはずです。『災い転じて福となす』自分の身におこった不幸を不幸と思えば、暗く悲観的になります、しかし、その不幸を経験することによって人の優しさにふれることもあります。日頃気づかずにいたことを知るチャンスでもあるのです。人の一生なにがおこるかわかりません。時ににげだしたくなることもあるでしょ~、命を落として自殺するとそのあとにはなにがあるのでしょ-?残されたものに哀しみを与えるだけそれ以外になにもないようにおもえるのですが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。意見の分かれるところですが、様々な苦しみから逃れるための自殺ならば、倫理の許容範囲だと言う人もいますね。
>安易に死・自殺を選んでしまうことは容認しがたいこととも考えております。
安易だからこそ、自殺しちゃった、という場合があるのではないでしょうか。普段は、生命維持を最も重要な活動の一つとして捉えていても、状態によってあっさりと、それを自ら絶つことがある。不思議ですね。

お礼日時:2001/02/07 00:39

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Q夢十夜の考察

漱石の夢十夜について詳しく調べたいので、夢十夜の考察をしている雑誌や資料などおすすめのものがあったら教えてください。

Aベストアンサー

■『夢十夜』夏目漱石 金井田英津子(パロル舎 1999/03)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894192063/dablog0b-22
※考察ではないですが、絵本です。

■『夏目漱石『夢十夜』作品論集成(全3巻)』坂本育雄(大空社 1996)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872368177/dablog0b-22
※これをおさえておけば十全だと思います。

■『漱石作品論集成 漾虚集・夢十夜』鳥井正晴 藤井淑禎(桜楓社 1991/05)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4273024136/dablog0b-22/

■「漱石研究」シリーズ 小森陽一 石原千秋 翰林書房
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4906424309/dablog0b-22/

Q自殺することは悪いことですか? また、自殺と他殺の相違点は何ですか? せっかくの命を無駄にしてはい

自殺することは悪いことですか?
また、自殺と他殺の相違点は何ですか?

せっかくの命を無駄にしてはいけない、などの意見をよく耳にしますが、誰にも迷惑をかけずに死ぬのなら、個人の自由な気もしますし、、

わたしの意見は、「悪とは言えない」です。

例えば、この世を1つの学校だとして、
入学=誕生 卒業=80歳まで生きて死ぬ
いじめで不登校=他殺 自主退学=自殺
転校=火星へ移住(冗談です!)

などと定義して妄想してたのですが、
自主退学することを、いけないことだ、とは誰も言えないと思います。「いってしまったな」と、残された人達全体が、さみしい気持ちになったりするのは確かですが、
本人が、学校の外に何かを見出してやめていくことや、学校が嫌いだから行かないことは、本人の自由な気がします。

わかりづらい例えですみません。。わたしのなかの、自殺のイメージです。

こんな感じで、みなさんの自殺に対するイメージとか、ご意見などを聞きたいです。どうぞよろしくお願いします!

※ちなみに、私が自殺願望があるとかでは全くありません。

Aベストアンサー

ふたたびこんばんは。

回答とは言えない意見を述べさせてください。聞き流してください(苦笑)

「自殺」は「悪いこと」であるか?という設問の立て方よりも、「自殺」についての個々の考えを問うた方が、より広い意見を聞くことが出来ると思います。というのも、既に古代から、自分の意志による「自死」というものは存在しているのですから、人間存在と自死とは不可分のものと言っていいはずです。であるならば、「悪」とか「善」といった「価値判断」は後に何らかの理由で事後的に付けられたものでしかありません。

また先にも書きましたが、「自殺」という「緊急避難」の場があるという意識が人を救っているという事実があり、「いつでも死ねるのだ」という「自由の意識」が「生かしている」というパラドクスが存在する以上、自殺を悪であると断ずることは誤りでしょう。

「自殺」というのは、この一回限りの自己の存在を永遠に放擲してしまうという判断ですから、何故人はそのような判断をするのか?どのような時にそのような思いに立ち至るのか?という、自殺者の内面を推し量ることなしに、「公共の迷惑」であるかないかという、「自殺」の本質から外れた議論は無意味だと思います。

極端なことを言えば、その人がこれまで生きてきたために使われた人の労力・時間、或いは自殺で蒙った様々な損害・被害をすべて金額に換算して、その分を充分な補償金として支払えば何の問題もない。という結果が生まれそうです。しかしそれでは「自死」の問題をすべて「ぜにかね」というような、世俗的な価値に還元・回収して事足れりとしてしまうことになる。

哲学であれば、何故人は自ら死を選ぶのかを考えなければならないし、身近な人の死であれば、その死を悼みつつ、何故彼は、彼女は、死を選んだのかをそれぞれの胸の内で、われもまた、病むこと、悩むこと、貧すること、窮することを避け得ない、自死し得る存在として深く身に引き受けること、を思うべきではないのかと考えます。

ふたたびこんばんは。

回答とは言えない意見を述べさせてください。聞き流してください(苦笑)

「自殺」は「悪いこと」であるか?という設問の立て方よりも、「自殺」についての個々の考えを問うた方が、より広い意見を聞くことが出来ると思います。というのも、既に古代から、自分の意志による「自死」というものは存在しているのですから、人間存在と自死とは不可分のものと言っていいはずです。であるならば、「悪」とか「善」といった「価値判断」は後に何らかの理由で事後的に付けられたものでしかありま...続きを読む

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夢十夜 第一夜
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回答お願いします!

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輪廻転生した女でしょう

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不摂生な生活や病気の検診治療拒否で命を縮めた場合、これも自殺なのでしようか。

Aベストアンサー

病気になって死ぬことを目的として不摂な生活をしたり、身体の調子が悪くて何か悪い病気にかかっているかもしれない、治療しないと悪化すれば死ぬ可能性も出てくるかもしれない思っても、早く死にたいからと受診しない場合は、自殺行為に当たると思います。


先日テレビで見たのですが、白血病の人がもう薬代を支払えないからと、病院に行かなくなったそうです。
特殊な薬なので保険の対象外。
その薬代のせいで、夫婦の生活は破綻しかかったそうです。
白血病の治療で、財産を使いきり、収入を上回る薬代を請求されて、とうとう払えなくなったそうです。

それで夫婦は決断したそうです。
もう 薬は飲まない と。 薬を飲まないでやっていこうと。

奥さんが白血病で、ご主人は苦渋の選択だったでしょうし、奥さん自身も辛かったと思います。

自殺行為ですが、どうやっても払えない額。
薬を買えないので、飲めないわけです。

医療だってそうですよね。
高度医療を受ければ助かるのものだとしても、保険の対象外で払えなければ、その治療は受けられず、余命宣告をされても、何もできないわけです。

ただ思うんですね。
規則正しい生活、運動、定期健診をやってきた人でも、突然悪性のガンが発見されて、あっという間に死ぬこともある。

ほとんどの生活を健康管理に捧げたあげくに平均寿命よりずっと早く死亡し、不摂生な生活をし人生を謳歌してきた人の方が平均受容をはるかに上回っても元気に暮らしている人もいる。

生活習慣病ってありますよね。
病気に因子を持っていない人が、長年の不摂生な生活のせいで、因子を持っている人と同じ身体状態になる というもの。

どれだけの確率か今調べたんですけど、糖尿病の場合、「因子を持っていて 生活習慣がからみあって発病する人が9割」って。
残り1割が因子を持っていない人が、糖尿病になるってことでしょうか。
そうだとして、何故なるのかは明らかにされていない。


原因となる因子を持っていなければ、ならないわけで。。。
DNAを調べれば因子を持っているかどうかわかるらしいです。

で、質問者は不摂生な生活をしたり、検診を受けないと、早死にすると思ってるわけですよね。
そうじゃなくて、因子を持っていれば、不摂生な生活をしていれば、発病率をアップさせるでしょうし、因子を持っているので発病するわけで、因子を持っている人は定期健診を受けることで、早めに発見できて、治療を受けることができるってことだと思います。


「食べてすぐ横になると牛になるぞ。牛になりたいのか」と警告を受けたとする。
だけど牛になる因子を持っていなければ、どんなに食べてすぐ横になっても牛にはならない。

病気になって死ぬことを目的として不摂な生活をしたり、身体の調子が悪くて何か悪い病気にかかっているかもしれない、治療しないと悪化すれば死ぬ可能性も出てくるかもしれない思っても、早く死にたいからと受診しない場合は、自殺行為に当たると思います。


先日テレビで見たのですが、白血病の人がもう薬代を支払えないからと、病院に行かなくなったそうです。
特殊な薬なので保険の対象外。
その薬代のせいで、夫婦の生活は破綻しかかったそうです。
白血病の治療で、財産を使いきり、収入を上回る薬代を請求...続きを読む

Q漱石の「夢十夜」に影響されている文学、映画、演劇などをお教えください

漱石の「夢十夜」に影響されている文学、映画、演劇などをお教えください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

漱石の門下生、内田百・(うちだひゃっけん)の作品はどうでしょうか。
夢の記録なのか、現実の経験なのか、創作なのか。
以前、旺文社文庫から出ていた“冥途”のなかにはそんな夢魔譚作品というのでしょうか、そういうのが集めてありました。
今なら福武文庫でしょうか?
“件(くだん)”も不気味だったし、“サラサーテの盤”も面白かったです。
こちらは、鈴木清順の“ツィゴイネルワイゼン”という映画になってます。大好きです。
百・は随筆もすばらしいので多くの作品がありますが、私も夢十夜のような作品を探して、その中から幻想的なものばかり探して読んだ時期がありました。

百けんと、漢字で入力はできるのですが、送信すると変換されて“・”になってしまうようです。
けんは、門がまえの中に“月”です。

あと、河出文庫日本怪談集(下巻)・種村季弘編もおすすめです。

Q例えば仕事の面接などで 「今よりも成長したい」 という人が多くいますが。 その「成長」とは何でしょ

例えば仕事の面接などで
「今よりも成長したい」
という人が多くいますが。

その「成長」とは何でしょうか?

ちなみに私の中の「成長」の解釈は、

「知識、技術を向上させて、いま、自分が感じる限界の幅を広ること」

だと思っています。

人により様々な解釈があると思いますが、
あなたにとっての成長は何でしょうか?

教えて下さい。

Aベストアンサー

「成長」っていう良さでな言葉を使っているだけですね。
特に内容はないでしょう。

これこれこうゆことを通して成長したいというのなら筋が通ってますね
私なら「先輩たちの考え方や、社会人としてどのような判断をされるか教えていただき、今までの価値観をないものを得て成長したいと思っています。」とか言いますかね?

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夏目漱石の夢十夜の第一夜は、結局なにが言いたいんですか?

Aベストアンサー

読者それぞれで感じ取るしかないですね。下はその参考です。

http://bookloid.com/dreams-in-10nights/

Q哲学の人文科学及び社会科学の中の位置づけについて

哲学を学ぶということは、人文科学の諸分野を支える根幹的な思想を学ぶということに等しいですか?
例えば、自然科学の中で数学を学ぶというように。数学のあらたなる真理の扉を開けるのは、至難の技にしても、数学は数学以外の自然科学の諸分野の基盤や基盤以上の物を提供しているように。つまり数学が自然科学の諸分野・土台を支えてるいるのとイコールのように、哲学を人文科学・社会科学の研究の諸分野を支える根幹的なものと認識についての是非を教えてください。私のこの議論が全くもって的外れなら、どれ位的外れかまたどのように的外れで実際はどうなのかをご教授ください。

もう一つだけ追加でお願いします。自然科学において真理の扉を開けるということは、その当該分野のフロンティアをまた一つ新しく開拓したと言えると思うのですが、哲学におけるそれは何をもってそれ(学問分野のフロンティアを開拓するという事象)を定義付けるのでしょうか?また、フロンティアの開拓ということ自体、哲学の学問分野にとってはさほど重要度は高くないものですか?

よろしくお願いします・

Aベストアンサー

時間があるので脱線しないように 真面目に答えてみようと思います。

まず前提として
日本では学ぶということが真剣に語られていません。

「真面目に学ぶ」が強調されすぎ、それ以外が 疎かになっています。

非効率的学習プロセスが主流になっているということです。

今 定年になろうとしている人たちは
 
勉強しなければいけなかった総量=絶対量が 圧倒的に少なかった。

日常的にそのことついては 自覚がありますが 

いざ他人の評価となると 
勉強をしなくても基本ができればいいのだとか 
いい大学を出たのはいいやつだ とかと
いうことをいいだし

 「いい加減=適正ということは=俺に従うことである」 を 基準として持ち出してきます。 

学の基準が その担当者の主観のみに左右されるということです。

つまり 質問者様の述べる 根拠 が 老人中心の身勝手な根拠 と なっていることに 問題があるのです。

本題に入ります。

科学の諸分野を支えているのは ひとです。

2000年に入ってからこの方、序文に掲げた理由で、著しく信頼関係という大事なものが破壊され続けています。

しかしそのすきを見て蔓延している害毒があります。 

『科学の諸分野の根幹をなしているのは思想であり、 
根幹的思想とは 「哲学的経済学である」 という 迷信』です。

まさに はびこっています。

たとえば 日本の哲学は 哲学学である と えらそうに いうひとがいますが、 

その根幹をなす思想は、 (学)は経済学が根幹でありその根幹は 哲学であり 
その根幹が わたくし である 

という 刹那的・唯物論的 部分意識です。匿名キリスト教の「論理的・間接的」布教です。

究極的には 学問は俺よりバカである 俺のほうが偉いという理論です。

唯一絶対の神のまえでは どんぐりの背比べである みんな馬鹿だ
という 傲慢です。

底に横たわっているのは キリスト教的 物質論=燃料資源 と 言語論理=ivGotです。

あたまのわるいおれさまも iGotをおさえていれば 基本をおさえている
どうだ!
もってるか? という のが 

基本として ひつようとされる 行動だ というわけです。

つまり 数学・哲学の素養がない人間の それでも俺様は偉い といいたいがための 言い逃れが

「(アカウントの)所有」である

という現状です。

(布教が失敗した例として セカンドライフ を あげると 
日本人はそこまで馬鹿ではなかった ということもできましょうが・・・)

つまり 簡単に表現するとすれば、

所属と思想 という 中世的思考が 今の世の中では 所有と偶像崇拝 に とってかわられたのです。

書面としては ドグマが 神学から 情報科学 へと移りました。

そういう意味で 質問者様が感じ取った 他人を弾圧し、加害者側となって阻害されないための教義
そして
その根本はどこにあるか という 点では 的を射ているということができるでしょう。

しかし その数学は 情報科学としての 数学 であり

哲学も 情報科学としての 哲学です。

中世では 1教会 2キリスト教 3聖書(神学) であったものが
形を変えて 存在し続け
現状としては
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(情報科学 別しては自然=数学/人文=哲学/社会=経済学) に 変化しました。

新たな真理とは いまでいうと
表現的焼き直しです。

馬が車に 書物がデータに 変わった というだけの 言語的・論理的修正です。

忘れてはならないこととしては
支えているのが「底辺」であり、
上記IT三学
(情報工学としての数学・
ネットオントロジーとしての哲学・
社畜管理のための経営学)を修めているのは

WASPシンパの指導者たちです。

なにも支えてはいません。

「B層には なるな」ということだけが最低限の教訓として存在します。

時間があるので脱線しないように 真面目に答えてみようと思います。

まず前提として
日本では学ぶということが真剣に語られていません。

「真面目に学ぶ」が強調されすぎ、それ以外が 疎かになっています。

非効率的学習プロセスが主流になっているということです。

今 定年になろうとしている人たちは
 
勉強しなければいけなかった総量=絶対量が 圧倒的に少なかった。

日常的にそのことついては 自覚がありますが 

いざ他人の評価となると 
勉強をしなくても基本ができればいいのだとか 
いい大...続きを読む

Q夢十夜について

第一夜を読んでとても気に入ったので夢十夜を今呼んでいるのですが、三夜、六夜の内容はよくわかるのですが、他のは読めても何を言いたいのかいまいちわからないのです・・・。 

簡単でいいので分かる方いたら教えてくださいm(__)m

Aベストアンサー

 なにがいいたいのかよくわからない、ああ、気になって気になって仕方がない、気持わるい~~~~~~~。
 と読者に思わせるのが漱石の目的だったのかもしれませんよ。『夢十夜』を一生懸命理解しようとしているわれわれは漱石の罠にはまってしまっているのではないでしょうか……。だって、夢って「見ていること(書いてあること)はなんだか理解できるけれど、それがどういう意味を持っているかがよくわからない」ものじゃありませんか? 漱石はそういう夢そのものを書いてみたかったのかもしれない。
 『夢十夜』はそこからなにかを読取るよりも、雰囲気をたのしんだり、ふしぎな話だなあ、背筋がさむくなる、という感じを味わったりするような類の小説だとぼくは思いました。第一夜なんか、ここからいなくなってしまったいとしい人をずっとずっと待っている男のあわれな気持がつたわってくる。それでいいと思うんですが……。
 それでもなお探究心がおとろえなければ、たしかに『漱石論集成』はおすすめです。専門の学者の論文ばかりで多少難しいですが。「漱石研究」という雑誌もあって、すでに『夢十夜』の特集号が出ています。

 なにがいいたいのかよくわからない、ああ、気になって気になって仕方がない、気持わるい~~~~~~~。
 と読者に思わせるのが漱石の目的だったのかもしれませんよ。『夢十夜』を一生懸命理解しようとしているわれわれは漱石の罠にはまってしまっているのではないでしょうか……。だって、夢って「見ていること(書いてあること)はなんだか理解できるけれど、それがどういう意味を持っているかがよくわからない」ものじゃありませんか? 漱石はそういう夢そのものを書いてみたかったのかもしれない。
 『...続きを読む

Q【幸福の科学って創価学会の教えのパクリでは?】 創価学会の教えを参考にして幸福の科学は出来てますよ

【幸福の科学って創価学会の教えのパクリでは?】

創価学会の教えを参考にして幸福の科学は出来てますよね?

両方、幸福はどのように実現するのか?という人生の問いに答えを出すための宗教ですよね。

Aベストアンサー

「創価学会の教えを参考にして幸福の科学は出来てますよね?」
→それは、あなたの勉強不足でしょう。
ご質問には、具体的な内容が書かれていませんが、それらのほとんどは幸福の科学、創価学会でなくても一般常識として当たり前のことなのです。


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