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安楽死の是非について、ディベートをしようと思っているのですが、
安楽死の賛成派として、反対側に対する、何かするどくていいツッコミってないでしょうか?

リビング・ウィルについても教えていただけたらうれしいです。
どこかいいページの紹介なども大歓迎です。

A 回答 (5件)

昔、安楽死反対派側としてディベートをやったことがあります。



その時、想定していなかった相手側の反論として「家族などの経済的負担の問題」を突っ込まれました。「臭いモノにふたするように『処分』するようなことは如何なものか」とその時は答えましたが、この視点は有効だと思います。つまり、残されつつある者の側の経済的・精神的負担です。精神的負担の方を強調した方がクリーンなイメージがあっていいでしょう(不謹慎な言い方ですいません。しかし、ディベートは思想・信条とは別物だと思っていますのでご容赦下さいませ)
「介護に疲れて不治の病にかかっている親や配偶者や子供を殺してしまう事件は今までに何度も聞いたことがあるかと思います」「もしあなたなら、現実的に快復の見込みのない人をどのくらい看病していられると思いますか?」といったフレーズが有効ではないかと思います。

あとは、ディベート開始すぐに(相手側から限定されないうちに)「安楽死」ということばに尊厳死に近い部分を取り込んで定義してしまうことで、安楽死=積極的安楽死=犯罪・悪者という潜在的な意識に対する予防線が張れると思います。

そして、おそらく相手は「生きつづける権利」を主張するでしょうが、賛成派としては「安楽死に反対するということは安楽死を希望する人の決定権を侵害しているが、安楽死に賛成することは必ずしも生きつづける権利を侵害するわけでなく(安楽死を希望しない人には安楽死はほどこされない→リビングウィルや東海大の安楽死事件裁判で提唱された4原則などの説明をする)患者さんの選択肢を増やすものである」と言えばよいのではないでしょうか?

思いつくのはこれぐらいでしょうか。
リビングウィルを発行している尊厳死協会のアドレスを貼っておきますので、問い合わせをすればリビングウィルのホンモノを使わせてもらうことができるかもしれません(本物を見せることはすごく効果的だと思います)。

では、長々と書いてしまいましたがディベート頑張って下さいね。

参考URL:http://www.songenshi-kyokai.com/index.htm
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意識の無い人間がこうすれば安楽に死ねるだろうというような脳死状態における外部からの死亡宣告、


末期の病で意識を持ちつつ自ら死を望んでいることが本人から確認できる。
本人の自由意志はそれがいかなる場合、どのような種類のモラルに反していてもそこに行動がともなう場合誰もとめることはできないと思います。
つまり自殺なのか、他殺なのかという問題の側面もあり、自殺、他殺を大きく4つにわけてどっちも賛成、どっちも反対という場合、どちらなのかというと、どちらも可能性としてあり得るという意味で受け入れるというふうに僕は思います。その場合、あり得るものを否定するという意味では自殺他殺両方を認めないという立場は荒唐無稽であると考えます。よって安楽死の否定とは他者の選択の自由と可能性を疎外するという意味で人間の尊厳を無視していると考えます。
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そもそも私達は望んでもいないのに無理矢理(存在)を被ったのですからその押し付けられた迷惑な(存在)を返上するのは至極当然のことです[原状回復請求権]。


原状回復はさせない、できないと言うのであれば私達に許可なく私達を産み落とさないでもらいたい[発生拒否権]。
発生は拒否できず原状回復はならずというのならこのオトシマエはどうつけてくれるのか?[損害賠償請求権]。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/2262/ …
http://www.kt.rim.or.jp/~sugasawa/mixed/suicide. …
http://cnn.co.jp/2001/WORLD/08/21/uk.alsmdn/#2
http://homepage1.nifty.com/masada/life/suicide01 …
http://wwwhs.cias.osakafu-u.ac.jp/~morioka/repor …
http://www.bad-city.com/~yukikaze/oyaji/oyaji052 …
http://members.tripod.co.jp/hatzemi/resume/zemir …
http://www.kt.rim.or.jp/~sugasawa/mixed/suicide2 …
http://www5a.biglobe.ne.jp/~crazyboy/oripan/essa …
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 果たして、「安楽死」というのは、あるのでしょうか?


 重病等で、治癒の見込みのない人が、薬等により、苦しまないように逝かせることでしょ。
 しかし、重病等になること自体、罪業の深さからの果報であります。それで、死を迎えたとしても、堕獄は疑い無いことでしょう。
 仏教では、生前に謗法を犯せば、これが原因となって死んでから地獄に堕ち、逆に、正しい仏法を修行して功徳を積めば、不幸の業因を消滅させて、今生で幸福になれるばかりか、それを死んだ後まで持っていける。つまり、成仏の境涯といって、死後にも安息している幸福感を味わっていくことができる、と説かれています。
 そして、その証拠として、亡くなった人の遺体の上に、地獄に堕ちた場合は地獄の相、成仏した場合は成仏の相という、厳然たる違いが現われる、と示されているのです。
 具体的にいえば、地獄の相とは、遺体の目がカッと見開いて、口をあんぐり開いてしまったり、あるいは逆に、目も口も固く閉じてしまう・・・そういう凄まじい形相になってしまう。また遺体がカチカチに硬直してしまい、時間とともに、紫色の死斑が出て汚くなったり、どす黒く変色する。また腐敗臭が出る・・・などと説かれています。
 逆に亡くなった人の生命が成仏した場合、その証拠に遺体の相がどうなるかというと、まず半眼半口といって、目も口も半分開いて穏やかな表情になり、肌の色は、たとえ生前に浅黒かった人でも色白となって、艶がよい。身体は綿のように柔らかく、死後硬直が起らない。臭いもまったく出ない、等と説かれています。
 世間では、腐敗臭をごまかすために、遺体にドライアイスを乗せ、強い臭いの香を焚くのです。それから、遺体の色をごまかすために、ドライアイスに加えて、厚い死化粧を施したりするわけです。
 生命は死によって「無」になるのではなく、死んだ後も継続している、しかも、死後の生命には、全身を焼き尽くされるような苦しみで悶絶している地獄の生命もあれば、成仏の境涯を得て安息している生命もある、ということを信じられるのであります。
 如何でしょうか?
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安楽死の根拠に挙げられるのは、『個人の幸福の追求権』だと思っています。



ディベートをされるなら、「幸せとは万人に共通であるか否か」と「苦痛の状態が限りなく続くのは幸せか不幸か」を論議し、(通常この部分は問題なく、『幸せの形は人それぞれである』と『不幸』であると結論されると思う)

続いて『「現在の医療で治療法がなく、合理的に考えて、患者が死を迎えるまでの時間までに、苦痛を取り除く治療法が新たに開発されえない時」、この患者に救われることのない苦痛の時間をあえて継続させる理由を示せるかどうか』を、反対論者から教えていただいたらいかがでしょうか?

もし回答が出てくれば、一つ一つお持ちの材料でつぶすだけです。安楽死の条件に『患者が望む=患者が安楽死こそ自己の幸せと認識している』という条件がありますので有効に使ってください。
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