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「面八句を庵の柱に懸置」のことです。

この中の「庵」の読みが、本によって「いほり」となっていたり、「アン」となっていたりします。

当時、どのように言われていたかわかりそうなものですが、定説がないということでしょうか。
もしそうなら、「いほ」でもいいということになりますか。

A 回答 (3件)

「庵」が芭蕉庵を指すのか、採荼庵のことなのか今となっては断言できるだけの理由はありませんが、「○○庵」の読み方は、漢語的に「○○あん」と音読みします。



  http://members.jcom.home.ne.jp/michiko328/fukaga …

しかし、「面八句を庵の柱に懸置」といった文中で単独で使われる「庵」は「○○」が省略された形だと解釈すれば「あん」も絶対にないとは言えませんが、一般的日本語感覚からすれば、「いおり(いほり)」と読むと考えるのが普通です。
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この回答へのお礼

「あん」の可能性が捨てきれないということであれば、
「あん」とふりがなをつけている本が間違いだと言い切れないことになりますね。
うっかり間違えたとは考えにくいので、よほど自信のある根拠を持っているのではないかと思ったりもします。

お礼日時:2008/05/11 12:22

jo-zenです。

補足します。

>「あん」とふりがなをつけている本が間違いだと言い切れないことになりますね。
うっかり間違えたとは考えにくいので、よほど自信のある根拠を持っているのではないかと思ったりもします。

⇒うっかりではなく、その本の著者の方は「○○庵」が略されて「庵」となっているのだから、当然「あん」と読むだろうということで書かれたのでしょう。江戸時代のことで、録音が残っているわけでなし、フリガナ(ルビ)が振られているわけではないので、記録としての読みはありませんので、本当のところはわかりませんが、「固有名詞」(○○庵)が省略されて「普通名詞」(庵)になった場合、例えば「法隆寺(ほうりゅうじ)」を単に「寺」といった場合、「じ」ではなく「てら」と読むのと同じように、「いおり(いほり)」が普通ではないかと思いますよ。
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この回答へのお礼

たびたびありがとうございます。「いおり(いほり)」と読んで練習することにします。

お礼日時:2008/05/12 09:11

「面八句を庵の柱に懸置」は、俳句ではなく文章です。



従って「庵」は家を表わす言葉なので、「いおり」または「いほり」と読むのが正しいように思いますが。
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この回答へのお礼

私も「いほり」が自然だと思います。

お礼日時:2008/05/11 12:10

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Q奥の細道ー序文ー

『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
 草の戸も住替る代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置。』

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Aベストアンサー

つきひわ はくたいのかかくにして、ゆきこーとしもまた たびびとなり。
ふねのうえに しょうがいをうかべ、うまのくちとらえて おいをむこー(う)るものは、
ひび たびにしてたびをすみかとす。
こじんもおおく たびにしせるあり。
よもいずれのとしよりか、へんうんのかぜにさそわれて、
ひょうはくのおもいやまず、かいひんにさすらえ(い)、
こぞのあき こうしょうのはおくに くものふるすをはらいて、
ややとしもくれ、はるたてるかすみのそらに しらかわのせきこえんと、
そぞろがみのものにつきて こころをくるわせ、
どうそじんのまねきにあいて とるものてにつかず、
ももひきのや(ぶ)れをつづり、かさのおつけかえて、さんりにきゅうすゆるより、
まつしまのつき まずこころにかかりて、
すめるかたはひとにゆずり、さんぷうがべつしょにうつるに、
   くさのとも すみかわるよぞ ひなのいえ
おもてはちくを  あんのはしらにかけおく。

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どなたかわかる人いませんか??

Aベストアンサー

つきひははくたい(はくだい)のかかくにしていきかうとしもまたたびびとなり。ふねのうえにしょうがいをうかべ、うまのくちとらえておいをむかうるものはひびたびにしてたびをすみかとす。こじんもおおくたびにしせるあり。よもいずれのとしよりかへんうんのかぜにさそわれてひょうはくのおもいやまず。かいひんをさすらえ、こぞのあきこうじょうのはおくにくもの(ふる)すをはらいてややとしもくれ、はるたてるかすみのそらにしらかわのせきこえんとそぞろがみのものにつきてこころをくるわせ、どうそじんのまねきにあいてとるものてにつかず、ももひきのやぶれをつづり、かさのおつけかえてさんりにきゅうすう(ゆ)るよりまつしまのつきまずこころにかかりて、すめるかたはひとにゆずりさんぷうがべっしょにうつるに
くさのともすみかわるよぞひなのいえ
おもてはっくをはしらにかけおく


以上、参考までに。

Q奥の細道

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No1です。
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 詩は当然、漢詩などの教養の深い人が
読むだろうという事で、芭蕉は多分以下の
ように考えていたんだと思います。

 李白の詩に
天地は万物の逆旅、

光陰は百代の過客なり

というのがありますが、私(芭蕉)は、
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アルトリコーダー(バロック式)の初心者です。
ハ長調の簡単な曲でも吹けたらと思いつつ、ドレミファを順に吹いているのですが、添付されていた運指表の見方すら、頼りない状態です。
以下の運指は、間違っていませんか?
お教え下さいますでしょうか。

ソ … ●   ●●● ●●● ○
ラ … ●   ●●● ●●○ ○
シ … ●   ●●● ○●● ○

ド … ●   ●●● ○○○ ○
レ … ●   ●●○ ○○○ ○
ミ … ●   ●○○ ○○○ ○
フア … ●   ○●○ ○○○ ○
ソ … ○   ○●○ ○○○ ○
ラ … ◎   ●●● ●●○ ○
シ … ◎   ●●● ○●○ ○
ド … ◎   ●●● ○○○ ○

レ … ◎   ●●○ ○○○ ○
ミ … ◎   ●●○ ●●○ ○
フア … ◎   ●○○ ●●○ ○


親指(裏の穴)
◎じるしは、少し開ける

アルトリコーダー(バロック式)の初心者です。
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以下の運指は、間違っていませんか?
お教え下さいますでしょうか。

ソ … ●   ●●● ●●● ○
ラ … ●   ●●● ●●○ ○
シ … ●   ●●● ○●● ○

ド … ●   ●●● ○○○ ○
レ … ●   ●●○ ○○○ ○
ミ … ●   ●○○ ○○○ ○
フア … ●   ○●○ ○○○ ○
ソ … ○   ○●○...続きを読む

Aベストアンサー

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昔、リコーダーを小学校などで教わった時に「半分あける」と教わった人も多いようですが、実際には1~2ミリくらいのものです。

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Aベストアンサー

長所
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服装を考える手間が省ける(TPOをわきまえた服を選ぶセンスが磨かれないという短所になりえますが。プライベートで頑張るしかなくなります)

短所
洗濯の機会が減るから汚い。
気温変化に対応しきれない。(冷夏や残暑といった具合に、衣替えでは対応しきれないこといくらでもあります)
体感温度は人それぞれなのに対応しきれない。(私は極端な暑がりでした)
得てして暗色系なので、夜間の視認性がすこぶる悪し。(交通安全について考えるならまずあの制服を何とかしてくれ)

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Q『奥の細道』を『おくの細道』と表記する理由

中学校の教科書では
『おくの細道』と表記するそうです。

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Aベストアンサー

 正しくは
「おくのほそ道」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%81%AE%E3%81%BB%E3%81%9D%E9%81%93

 ウィキペディアから質問箇所の答えをコピペします。

 推敲の跡多い原本には中尾本(おくの細道)と曾良本(おくのほそ道)があり、個々の芭蕉による真筆箇所もしくは訂正箇所(あるいはその真贋をも唱える学者もいる)については現在でも論が分かれている。その後に芭蕉の弟子素龍(そりゅう)が清書した柿衞本・西村本がある。この柿衞本・西村本は共に素龍本(素龍清書本)とも呼ばれる(柿衞本の発見以前は、西村本のみがそう呼ばれていた)。

 西村本の題簽(外題)「おくのほそ道」は芭蕉自筆とされており、これが芭蕉公認の最終形態とされる。芭蕉はこの旅から帰った3年後に死去したため、「おくのほそ道」は芭蕉死後の1702年に西村本を基に京都の井筒屋から出版刊行され広まった。「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」と書くのが正式とされるのはこの原題名に基づく。この初版本は現在1冊しか確認されていないが、増し刷りされ広まったため版本は多く残る(本文に変化は見られない)。よって現在世間一般に知られる「おくのほそ道」は西村本を指す

 正しくは
「おくのほそ道」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%81%AE%E3%81%BB%E3%81%9D%E9%81%93

 ウィキペディアから質問箇所の答えをコピペします。

 推敲の跡多い原本には中尾本(おくの細道)と曾良本(おくのほそ道)があり、個々の芭蕉による真筆箇所もしくは訂正箇所(あるいはその真贋をも唱える学者もいる)については現在でも論が分かれている。その後に芭蕉の弟子素龍(そりゅう)が清書した柿衞本・西村本がある。この柿衞本・西村本は共に素龍本(素龍清書本)とも呼...続きを読む


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