No.3ベストアンサー
- 回答日時:
すでに回答がありますが、紫式部の生年は三説あり、
970年(天禄元年)、973年(天延元年)、そして978年(天元元年)とあります。
一方、和泉式部は「生没年不詳」や「10世紀末」などと出ていますが、一説には979年(天元2年)出生とあります。
ですから、紫式部の三説で最も遅い978年としても和泉式部より推定1歳年上と言うことになりますね。最大で9歳年上になります。
そして、2人は実際に交流がありました。
それは紫式部日記に書かれています。
紫式部は中宮彰子(藤原道長の長女)に1005年(寛弘2年)か翌年頃出仕します。
道長から要請があったようです。当時、源氏物語の作者としてすでに評判が高く、藤原為時の娘であることを道長も心得ていました。
1008年(寛弘5年)秋、彰子は男児を出産しますが、これが紫式部日記の中心内容となっています。
そして、1009年(寛弘6年)、和泉式部が彰子のもとに出仕します。
2人の交流については紫式部日記にも詳しく記されているようです。
こちらを「紫式部日記」を見て下さい。
スクロールして暫くすると、「和泉式部の出仕」と言うタイトルがあります。
彰子に集った2人の交流が書かれた場面です。
https://history.kaisetsuvoice.com/Murasaki7.html
No.2
- 回答日時:
和泉式部は978年頃の生まれと推定され、紫式部は970~978年辺りの生まれという研究がある。
ゆえに、紫式部が最大で7~8歳年上からほぼ同い年ということになる。
ちなみに清少納言は966年頃の生まれと思われている。
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