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親にとって自分の子供とはどのような存在なのでしょうか?

 以前読んだ本の話なのですが、落ちこぼれの子供を教えている先生が自分の授業を受ける教え子を見ながら「自分の息子だけは絶対に彼ら(教え子)のような人間にはしない」と心に誓った事が書かれていました。(この先生は教え子達から信頼されている)
 
 これを読んで親が自分の子供に抱く執着というか強烈な思いを感じました。他にも「自分の子供にだけは・・・」という親の強烈な思いを感じる時があります。

親は自分の子供をどうゆう思っているのでしょうか?
分身でしょうか?
跡継ぎでしょうか(残せる財産な無くても跡継ぎ)
他人とは思えない熱心な自分の子供に対する思いが怖く感じます。(他人の子供と自分の子供に対する思いの差が怖い。)





 

A 回答 (9件)

小さいときは、子猫が、子猫が、と良く喩えていました。


分身であり、守るべきものです。
立派な人になって、世の中を背負わなくてもいいけれど、どこかでひっそり幸せに暮らしてほしいと思っています。
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ただ、人でなしになりたくないから。

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親が子をどう思うかについては個人差がありますが、わりと普遍的に言えるのは、「世界一、責任を感じるし、世界一、愛しているが、自分ではない存在」だと思います。



つまり、自分自身のことなら、自分の努力次第でどうとでもなる面がありますが、子供は自分でないのだから、何を考えているかわからない部分があるし、行ってほしくない道に勝手に行ったりしてしまいます。

それでいて、子が間違いをおかせば、責められるのは親。子が成果を出せば、親も褒められる。また、責任もある分、愛情も強くなるので、子のことが心配でならなかったりします。

しかし、意識的に気をつけていないと、責任や愛情の意味を履き違え、自分の価値観を押し付けようとしてしまうのが親でもあります。所詮、いつの世でも、新しい世代は常に斬新なわけなので、親が付いていけない部分はあるのです。では、価値観を押し付けないように、責任や愛情はそこそこにしようかなと思うと、今度は責任放棄状態になりかねません。このさじ加減が難しく、親の成長が問われます。

跡継ぎかどうかについては、その人個人の、あるいは家としての考え方によるでしょう。必ずしも人間としての本能のせいではないと思います。

分身かどうか。何を考えているかわからない別個の存在ではありますが、そのわりには自分にそっくりだったりするので、つい、分身と思ってしまう親は少なくないでしょうね。

さて、くだんの先生ですが、悪く解釈することはいくらでもできるので、ここでは良いほうに解釈してみます。その先生は信頼されているほどの先生なので、落ちこぼれたちがなぜ落ちこぼれるのかがわかるのでしょう。例えば、親との関係がうまくいっていないとか、親は頑張っているが子のニーズを見抜けていないとか。それゆえに子は、やや手遅れ気味の年齢に達し、子ども自身も苦しみながら、その先生の指導を受けているのでしょう。となれば、「自分の子には、ここまで苦しい思いは絶対にさせないように育てる」と考えると思います。

ただし、いい先生ですから、「わが子が落ちこぼれてしまったら、それはそれで、ありのままの本人を受け止めて、導いてやり、独り立ちできるようにしたい」と思っているに違いありません。まあ、それも含めて「ありのままの自分を認めてもらえない彼らのようには育てない」ということなのかもしれません。いずれにしても、「絶対に」と言ったって、どうしてもそう育っちゃうことはありますからね。
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無償でなんでもしてあげられる唯一の存在。


例えば子どもが死にそうだったら自分の生命を差し出してもいいと思うのが親。
自分の親が死にそうなときに自分が代わってもいいと思うのはよっぽど孝行者か建前かな。
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あまり深く考えたことなかったですが 主人が1番だから次の同じ1番になるんですが・・(笑)命をやるなら子供だとすれば どーなんですかね。

(笑) 独身の頃は周りの子供も大好きだったけど できてからは余所の子供を可愛いいと思う事がなくなりました 自分の命にも人生や宝物とも比較の対象外の存在と感じます。大人になったら多少変わりましたがー
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生んでしまったが最後。

死ぬまで考えずにいられない存在ですね。
夫婦も長年連れ添うことで他人だったのに家族になって行きます。
子供は自ら産んで自ら育て、ずっと生活を共にしているのです。
たとえ自立して生活が別になっても、行く末をずっと見守っていたい存在。
分身…?ちょっと違う気がします。我が子であっても自分とは違う人格ですから。
跡継ぎ…。もっと違いますね。別に何かを継いで欲しいとか遺してやりたいとかは考えません。
血の繋がった最も自分に近い存在。たとえ遠く離れても。そんな事でしょうか。
子供以外にそういうふうに思える存在ってなかなかないですから。
20才を過ぎれば親に責任はないと言ったって犯罪を犯せば親の責任と言われます。
たとえ死んでも親子である事実は変わらない。
つきつめれば「自分が生み出した者」。それ以外のなんでもないと言えるのではないでしょうか。
他人の子とはそんな関わりはありませんから、比べようもなく、良しにつけ悪しにつけ、全く意味の違う存在です。
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かなり長い間、人生を共有する人です。


分身でもなく、自分の一部でもなく、
わたしは「わたしというおうち」の住人で、
娘は「娘というおうち」の住人で、
ときどき住人同士が同じ時間に同じ場所で
しゃべったりゴハンを食べたり、
泣きわめいたり、笑いあったり、怒りあったり、
じゃれあったり、見つめあったり、抱き合ったり、
いろんなことをする、そういう人のひとりです。
「わたしというおうち」と「娘というおうち」は
とても近所ですから、共有する時間は長くなります。
ですからできればお互い気持ちよく時間を共有できる方がよく、
「こうしてくれるとわたしはうれしい」みたいなことを交渉し合います。
発言権は当然わたしも娘も持っているのですが、
拒否権も当然わたしも娘も持っているわけで、
わたしが娘の望むとおりの母親になることもあり得なくて、
娘がわたしの望んだとおりの娘になることもあり得ません。

たとえばわたしが
「ヒマラヤのてっぺんから世界一美人になれる
 ミネラルウォーターを2リットル汲んできた。
 さあさあ。早く飲みなさい。」と言ったとしても、
実際、娘が飲むかどうかは不明です。
娘が「美人になりたい」と思っているかは不明ですし、
そもそも娘が「のどが渇いた」と感じているかも不明です。


ということで、わりと近いところにいる、他人です。
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 元々、子供はあまり好きではなかったのですが


(当然、わがままだし、うるさいし)
自分の子供はどんなものかと思い作りました。
(どっちかというと世の中が嫌いなんで迷いましたが)
で、結果的には、生きて来て1番嬉しい出来事でした。
保育器に入っている我が子を観て泣く父親の気持ちも良く分かります。
普段、そんなことをしない私ですが、友達に電話をしまくりました。
産院から帰る道のりは、足が地面から30センチ程浮いている感じでした。
2、3才の頃、ひとりで遊んでいる後ろ姿など
可愛過ぎて気が変になりそうでした。
それまで、公園で子供と遊んでいる夫婦の姿はあまり好きではありませんでしたが、あれほど幸せなことはないと知りました。
後は、娘がこの世で出来るだけ幸せになってくれることを願うだけです。
それと、嫁さんと死に別れるのはつらいですが
私が死んでも、娘がこの世にいると思うと
不思議にこころが落ち着きます。
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昔は自分は子供が嫌いなんだと思っていました。


でも結局自分が子供だったってだけで本当は子供好きでした。
(自分の子供はいませんが、昔バツイチ子持ちと付き合ってたので)

>他人とは思えない熱心な自分の子供に対する思いが怖く感じます。(他人の子供と自分の子供に対する思いの差が怖い。)
この部分につきましては 自分の周りに居る子供は自分の子供と同じように接してあげていいのでは?
当然、昔のように「近所の恐い大人」というのは なかなか難しい世の中になりましたが せめて 親戚だとか 近所に居る「自分の周りの人達」には 自分の子供と同じような気持ちで付き合ってあげて欲しいと思います。
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