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以前、ある本で「友達の総入れ替えの時期がある」というのを読んだことがあります。どちらがいいとか悪いとかではなく、「ただ違う」。

冒険する人はお互いを励まし合い、たえずいろいろな挑戦をしていきます。普通の人はリスクがすこしでもあれば、それを避けることしか考えません。この2種類の人の共通の話題は天気やスポーツぐらいで、ソリが合わないものです。どちらがいいとか悪いではなく、「ただ、違う」のです。あれはど親しかった中学校の友達とも、違う高校に入れば、それぞれで違う友人との世界ができます。

こんな文章でした。

私は10年近い海外生活を経て今年日本に戻ってきました。今まで一時帰国で年に1、2回帰ってきていて、そのときは高校時代の友人たちと会って楽しい時間を過ごしてきました。なので日本帰国を決めたとき、また同じように楽しい時間を過ごせると思っていました。ですが、実際は疎遠になる結果となりました。

私が一番仲のよかった友達は結婚と同時に仕事をやめた専業主婦。小学校5年の男の子がひとりいます。前から気にはなっていましたが、日本に戻ってきていろんなことがクリアになりました。
私はおばさんだから、と自嘲気味に笑い携帯の使い方もわからず(おぼえようとせず)「~ちゃん(自分の息子はちゃんづけです)に待ち受けかえてもらったのよ、へっへっ(笑い方もほんとにおばさんくさく下品になりました)」や会話にはかならず病気自慢。口をひらけば目が疲れて本が読めないだの、しんどいので最近寝ていたとか。
パソコンも苦手でいちいち聞いてきます。そしてできないことをはずかしいとも思わず「おばさんやからねー、笑うでしょ。へっへっ、・・・」です。私はよく「自分のことおばさんだと思ったら終わりだよ」というのですが「いいねん、いいねん」とまたへっへっ、と笑っています。
彼女の携帯メールは「おとうさんと~ちゃんが出かけるのでひまです。お茶でもしませんか」です。お父さんって??と思えば彼女の夫。人に対するメールでも子供はちゃんづけ。

ふたりの間に共通の話題等なくなってしまいました。
私は子連れ留学をして、そのあとずっと海外で過ごしていました。周りには年齢に関係なく大学や院に通い、子供を育てながら勉強や研究をする女性たちがたくさんいましたし、みんな「おかあさん」ではなく「ひとりの女性」として精神的にも自立していました。
子供がいるから時間なくて~、しんどくて~といっている私の日本の友人には共感できるものがありません。
今でも彼女たちとはSNSを通して交流しています。とても刺激をうけ、私も頑張ろうという気持になれます。

また日本に戻って今働いている職場では25歳、29歳、41歳、55歳の女性がいますが、専門職のせいかみんないろんな経験をしていて、話しもおもしろく、しょっちゅう食事に行ったり休みの日も集まってあったりしています。年齢関係なくつながりが強く、私にとっては嬉しいことです。

ところが前述の友人や似たような今までの日本の友人とはわざわざランチやお茶に行こうと思わなくなりました。
最後に会ったときもいらいらしている自分がいて、そしてずっと仲が良かった友人にそういう気持を抱く自分に自己嫌悪になったのも覚えています。

20年近くつきあってきた友達なので残念ですが、どうしても彼女たちと話しをしようと思えないのです。
縁を切ろうという積極的なものではなく、疎遠になっていくんだろうなという感じでぼんやり思っています。

これが以前に読んだ「友人のそう入れ替えの時期」なのだろうか、とか考えています。
せっかく日本に戻ってきたのに、会いたい、話しをしたいと思える友人がほとんどいなくなりました。

これは私が変わったのもあるのだと思いますが、やはり学生時代の友人とはいえ、結婚や出産、子育てをへて変わっていくのでしょうね。
枝別れ、のようなものかもしれません。

みなさんの中でこういう経験・思いをされた方はおられますか?
またそういう方はやはり疎遠になってしまいましたか?

お聞かせいただけたらうれしいです。

A 回答 (13件中11~13件)

学生の頃は趣味や興味が共通の友人が多いです。

しかしながら、社会に出ると、積む経験や生き方が多様化します。特に女性で、既婚/未婚、有職/無職、お子さんの有無はその最たるモノでしょう。

経験により造り上げられた価値観、その価値観が異なるヒトとのお付き合いは、まるで知らない外国にいるような異文化環境です。人ごとのように「そういうのもアリ」と思えなければ、拒絶するしかアリマセン。

でも大丈夫、失う物は大して有りません。「類友」ですわね。
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友人関係って実は変動的なものです。

自分が変わって相手も変わって、友情だけはそのまんま、ってのは幻想です。そのときあなたが付き合いたいと思った相手と優先的に付き合うことに罪悪感を感じる必要はないと思います。文面から感じ取れたのは、どちらかと言うと疎遠になることへの罪悪感というより、過去の友人たちをどこか見下している自分への罪悪感ではありませんか?友人たちとは今は違いがあるだけで、上下はないのだ、と思えませんか?
友人の総入れ替えって、カセットテープを入れ替えるようなものかな?と思います。新しいカセットをしばらく聴くでしょうが、一時停止して取り出しておいたテープを二度と聴かないとは限りませんよ。また自分が変わって懐かしくなるかもしれません。取り出したテープに聴き入った時があったのですから、早々に捨てることもないんじゃないですか?
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こんにちは。


質問文が大変おもしろく参考になりました。

「総入れ替え」とは乱暴な表現のような気もします。
ですが、長年つきあってきた友人とすっかり疎遠になった事はあります。

友人が精神の病になってからです。
やたら、他人を悪く言うようになり、嫌気がさしました。

私はもう、自分のやりたいことやなりたい自分がハッキリ見えているので、友人と言えども自分をコロしてでも付き合おうとは思いません。
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