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最近「しゃばけ」を読み始めたのですが、一太郎の腹違いの兄に松之助がいますが、江戸時代は彼みたいに兄なのに別の場所に奉公に出されることが多かったのでしょうか。
大人の勝手な都合で産んどいて、一太郎の母親のために別の場所に奉公に出されるなんて、酷い話だなあと思いまして。
でも松之助はそのことに対して両親を憎んでるようにもなかったし、松之助を店で働かせてくれてはいますが、父親も一太郎の母も自分のしたことを松之助に謝った描写もなかったですし。
このようなことは当時は別におかしなことではなかったのでしょうか?

A 回答 (2件)

弟ならばこういったことは普通にあったようですね


家長制度では長男が何と言っても跡取りということで、大事にされる立場ですから
逆に弟はスペアでしかないから、奉公人と変わりない立場だったようですし
子がない親戚の家に養子にもらわれる方がましで、実家で飼い殺しにされる運命だったのではないでしょうか

ついでに言うなら、家長が絶対的存在だった時代には
親が子に謝罪するようなことは考えられないでしょう

蛇足ですが
あまりにも素行が悪くて親戚一同の嘆願書を携え公的機関に申し出ることで
肉親の縁を切ることはできたようで
この申し出によって帳簿に札がつくことで、「札付きの悪」といわれる由来があります
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この回答へのお礼

回答ありがとう御座います。
確かに弟が奉公に出る話はよく聞きますね。

>家長が絶対的存在だった時代
この時代は子どもよりもお家が一番だったと聞きますし、
だから松之助に対して父親達は普通の態度だったのですね。
この時代なら妾の子どもはたくさんいただろうし
気にしたらきりがないですが、やっぱ何だか寂しい気もしますね。

お礼日時:2008/09/08 11:21

松之助は一太郎の父が他所で作った子です。


一太郎の父は養子であり養家の親が健在でもあるし本当の孫ができたなら直系の孫の方が跡継ぎにふさわしいといえるでしょう。
本当の直系の子ならば何か事情がなければ他所へ奉公へ出さないでしょう。
妾腹の子ならば別にひどい話とも思えません。

昨今は子どもに遠慮する親が多いのですが
生活の厳しい時代ではまず親の都合が第一でなければやっていけません。
親が子に謝るなどは心の底では思っても、そうないことと思います。
《親の都合で仕方ない》方が先です。
昔は子どもの人権などはあまり考えられなかったように思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとう御座います。
そういえば父親は養子でしたね。
跡継ぎを望まれたけど母親の間とは中々できず、妾と子どもを作ったけれど、母親が認めなくて奉公先に出した…。
今の感覚で考えると酷い!と思いますが、お家第一のこの時代では普通のことだったのですね。
う~ん謎は解決しましたがやっぱり何だか悶々とした気持ちが残ってしまいますね^^;

お礼日時:2008/09/08 11:24

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