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銀座での強姦事件、新潟では中学生が似た事件、、、風体だけは人間のようなクズどもが起こす悲惨な事件・・・。しかし、日本の法律はそんなやつらに優しすぎる。耳を引きちぎる、目をつぶす、、、とまぁ、ハンムラビ法典みたいなことを言うのは極論でしょうが、それぐらいの罰を与えてやら無いと、被害者が浮かばれません。しかし、こういうのを「現実」というのでしょうか。仮に服役があったとしても、殺人でもない限り、しばらくすれば、のうのうとした顔をして社会にこんなクズたちが出てきます。私は納得いきません。それぐらいでは、罰が足らないと思う。この社会はなんとなく理不尽です。「正直者がバカを見る」という言葉に、最近うなずかざるを得ない状況が増えてきました。

でも、期待できるのは死後の世界。死後の世界だけは、「正直者がバカを見る」-そんな理不尽な世の中ではないですよね?

前述の輩は、いつかこういった場所(死後の世界)で、しかるべき裁きを受けますよね?

皆さんのご意見をお待ちします。

A 回答 (13件中1~10件)

そう言われると、バカでいられる人は幸せですね。


誰かもおっしゃっていますが、正直なひとにしか辿り着けない境地には
絶対に行けない、これか罰といえば罰になるかもしれません。

被害者にしてみれば、加害者の罰は熱望します。これは、人として
仕方がありません。でも、仮に人を傷つけてしまったとして、それはいろんなケースがあります。心から悔やんで、「もう二度とこういうことと縁のない生活を送りたい」と思っている人なら、改心して幸せのチャンスがあってもいいのではないか、それを見た被害者が喜べるような人なら、罰は必要ないようにも感じます。なぜなら、そこまで辿り着くまでに、自分の中のいろんな真実を受け止めていく、大変苦痛な想いを乗り越えてきたからです。

しかし、人の苦しみに対し麻痺してしまった人、悲しみを見ることが快感でしかなく、悪いとも思っていないような人は、まあそうなるまでの環境は気の毒なものだとは思いますが、
何度罰を受けても同じことを繰り返すから、罰は・・・少なくとも、人間が与える罰は、意味があるのか疑問です。
でも、自然界レベルの、生命としての罰はいつかくると思います。
人を平気で傷つける時点で十分悲しい人ですが、人を巻き込んでも
何も解決しません。本人が自覚していようとするまいと、自分のしたことはこの世でもかえってくるんじゃないかと思います。
自然にかえってくる罰は、法律の罰よりもずっと容赦なく厳しい形なんじゃないでしょうか。亡くなった後のことはよくわかりませんが、想いがすぐ環境になるときいたことがあるので、そういう人は、多分、自分の想いの世界に合った、それなりに厳しい世界に逝くことになるかもしれません・・・。そう簡単に、優しさや思いやりを持ち直せないでしょうし、大変かもしれないですね・・・。
アンデルセンの「パンを踏んだ少女」を思い出しました。
生きている間に、改心する方が楽だと聞きましたよ。
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この回答へのお礼

皆さん、ご回答ありがとうございました。

この場を借りて、一括でお礼を申し上げます。
どれも、すばらしいご回答ばかりでした。故に、甲乙をつけることはしないことといたします。

お礼日時:2008/10/14 21:31

なるほど、霊界など無いと仰る、私がそう言う方々に決まったセリフが有ります。


貴方の遺言状に、私の死後火葬にし供養せず位牌は川に流し全ての仏事はしなくてよろしい。とね 是で遺族も喜び無駄金使わなくて助かる、いや地元のシキタリだから私の一存ではと言い逃れは私は聞きません。
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念について



其の場所で強烈な想い(念)を抱いた者は場所を離れても念は空間に留まり時を経て消滅し業の深い人は其れなりに強く、街中では多種多様の念が渦巻き精神的に落ち込んでいる若しくは感の鋭い人は空間に淀んだ念に影響され時には憑依し、気分を害し一般的にどの場所にも漂い人は微妙に影響され原因が分からず何故かイライラ、酒を飲み体調を崩し果ては家庭崩壊と言う。一昔前には何処の村でも祈祷師が奇怪なセレモニーで場を清めるという、其の名残が現在でもお地蔵様の縁日として行われています。
人に知られず、こっそり悪い悪戯をする其れが何時しか露見し、被害者は怒り、憎しみ、絶叫し、例え加害者の素性を知らずとも怒りの念波が瞬時加害者に向って飛んで行き加害者の家族取分け一番弱い者、幼児、お年寄りに災いを及ぼし最後に加害者本人に其れも全く築かずジワリジワリと襲って行きます、
築いた時は既に遅く仕事、日常生活に支障を来し果ては身の破滅を招き、
人は業と言う壁に守られ個人々壁の厚みが違い其れだけ時間が掛かる、しかし人は年を重ね病、業壁が薄く成り過去の恨みの念が入り込み数々の病気若しくは人から嫌われ果ては犯罪に巻き込まれる、怒りの度合に因っては子々孫々に祟る事も有る。
一番恐ろしいのは神社仏閣の仏像を破壊若しくは盗み金品に替え後に改心し罪を償っても、
仏の罪は消えず家屋敷は火炎に包まれ末代続き一族は破滅する。
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悪事を行っている時点で、すでにその人がつらい状況にあると思います。

精神的に参っているとか。
もちろんそんなこととは別に社会的制裁も必要です。程度の差こそあれそれに相応しい罰が必要。
と同時に実は人間を許すという、社会的な余裕も必要ではないかと思う。
社会がもっと個人を許し、ゆとりをもって受け入れていたら犯罪の芽はそれほど育たないのではないかと思います。

頭ごなしに人を罰するより、社会が人を受け入れる温かい世界になってくれないかと思います。その方が幸せでないかと。
秋葉原の事件もなかったかもしれません。
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どんなに悪いことをしようが、


バレなければ何も起こりません

人を殺すのも、動物を殺すのも同じことです

私たちは日々動物の肉を喰らって生きているのです
人間同士で殺しあったり犯しあったりしている人間も、誰にでも優しいけど毎日肉ばっかり食っている人間も、
地球の生命という観点から言ったら極悪非道のキワミのような生き物で


もし天罰というものがあるのならば、
汚れた下等生物である人間全体に罰がくだらなければおかしいわけです
それが今の所ないわけですから、
罰という概念は今の所確認できません
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死後の世界なんてあるわけないと思っています。


だから罰なんて当たるわけがない。
けれども、正直な人にしか与えられることのない心の在りかには、絶対に辿りつけない。
そんな心が在ることさえ気づけないかもしれない。
心が感動することのない、ある意味それも「生き地獄」でしょう。

>「正直者がバカを見る」-そんな理不尽な世の中ではないですよね?
死後の世界はありませんが、正直者はそれなりの感動が得られます。
Oヘンリーの「最後の一葉」に出てくる老人は、きっと人生最高の傑作が描けて、幸せに亡くなっていったと思います。
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そうですね。

私はぜひとも死後の世界ではしかるべき裁きがあってほしいですよ。そうでないとね、悪が勝ち、正義は報われないですから。
それにそういう考えがないと、何をしても良いことになり、モラルや秩序が崩れる(もう崩壊しかけていますが)ことになります。でもこういうことわざをご存知ですか?「地獄の沙汰も金次第」この言葉を聞くと、やっぱりあの世でも悪人があくどく善人をいじめていてそれが真実なんじゃないかな~と思ってしまいます。
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正直者はバカを見る。


これは確かに当たってますね。
死後の世界がどんなのかは知りませんが、
死んだら無じゃないですかねぇ。
悪いことをしたから必ず裁きが下るとは言えませんし。
例えば、誰でもあるんじゃないでしょうか。
ちょっとした言動で相手の心をグサッとヤッてしもたっての。
言葉の暴力っていうやつ。
気づかぬうちに相手の心を殺した場合も裁きが下るのでしょうかね。
もしそうだとしたらほとんどの人間がバチがあたりますね。
ほとんどの人間が地獄行きですね。
言葉の暴力も、肉体の暴力もいっしょですからね。
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うけないですよ。


 受けたとしても、例えるなら
・ひき逃げ犯が、散々人に迷惑をかけた末、他人を巻き込んだ事故で死亡(怪我) とかそんなもんでしょ。
 犯した罪と同等、それ以上の罰を受けるなんて事は、まずない。

 大体、「罰」なんて観念の根拠が分からない。
 「罪」は人間がその時代時代のモラルに合わせて作り出したもので、100年も経てば今の「悪い事」が「善い事」になってるなんて十分あり得る話でしょ。極端な話、戦時中は戦争反対!って言う事が悪で、人殺す事が善だったりしたわけで。

 死後の世界については分からないです。個人的に魂は信じてるのですが、死後の世界って世界中の色んな文化の色んな時代の人が集まってくる場所なんでしょ?そこでの善悪が、自分の善悪に当てはまるとは思えないです。だから死後の世界は、罰を下す為にある場所じゃないと思ってます。

 人が人を裁く事なかれとか言いますが、正直者が馬鹿を見る世の中になったのは、個人が自らの善悪で裁く事をやめて、損得に走るようになったからだと思ってます。

 例えば会社や学校で、喧嘩をしたり注意をしたりするのを「子供っぽいこと」と言いますよね。
 公共の場で注意したりするのを「大人気ない」とか言いますよね。
 された事を忘れない(流さない)事や、人(悪人)を憎む事を、「それは魂のレベルが違うのだからね、考えるとあなたの魂が汚れますよ」とか言う人も居ますよね。

 例えば近所に前科者の強姦犯が住んでたとして(コンクリ殺人の犯人のように出所後も「俺、女殺したんだぜー♪」とか調子こいでたりして)、その人に対して「このクズが」という態度を取る事が、大人気ない行動だと思われますよね。

 良い人も悪い人も一緒くたに混ぜて、同じように当たり障りなく扱うのが、大人の対応・スピリチュアルにレベルの高い人の対応だとされる風潮で。
 そんな世の中なんだから、罰なんて当たるわけ、ないです。

 私がイラっと来るのは、悪人面した悪人に対してではなく、良識人の顔をした、「悪人を許し続ける人たち」に対してです。
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死んだら終わり。

「はい、それま~で~よ~~。」です。
バカを見るも見ないもないですよ。
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