位置情報で子どもの居場所をお知らせ

森鴎外の『最後の一句』を読んでいます。
解釈について疑問がいくつかあるのでどうかご意見ください。

・最後に太郎兵が死罪を免れたのは、いちの”最後の一句”のお陰なのでしょうか!?
・最後に太郎兵が死罪を免れた訳ですが、子どもたちは代わりに死んでいませんよね!?(だれも死なず…でよいのでしょうか!?)
・そもそも、こういう出来事があったということは、元の判決(死罪)は重すぎるものだったと考えて良いのでしょうか?

A 回答 (1件)

・最後に太郎兵が死罪を免れたのは、いちの”最後の一句”のお陰なのでしょうか!?



そうだと思いますよ。
いちの、どうあっても後には引かない不退転の決意と
恐れ多くも時の権威に立ち向かって放った最後の一句、
そこに込められた、献身、自己犠牲の精神(マルチリウムとかありましたね)が、
奉行、佐佐初め、役人達の胸を打ったのだと思います。
(マルチリウム=martyrium )

・最後に太郎兵が死罪を免れた訳ですが、子どもたちは代わりに死んでいませんよね!?(だれも死なず…でよいのでしょうか!?)

もちろん、誰も死んでませんよ~。
これで、子供達が代わりに死んだのでは、
正義はもっとゆがんだものになってしまいますよね。

・そもそも、こういう出来事があったということは、元の判決(死罪)は重すぎるものだったと考えて良いのでしょうか?

そうですね。元々、太郎兵衛は、主犯ではないですものね。
船頭が逃走してしてしまったために、船主の太郎兵衛が
しょっぴかれるハメになった訳です。
まぁ、お金を貰ってしまったので、全くの無罪にはならないでしょうが
太郎兵衛もある意味、商売の被害者ですので、そう考えると、
誰もが納得のいく裁判ではなかったのは確かでしょうか。

参考までに書いてみました
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Aベストアンサー

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