つい集めてしまうものはなんですか?

例によって朝青龍、ガッツポーズをしましたが横審から「物言い」が付きました。
即ち“品格に欠ける行為”ということだそうです。
人間であれば誰であっても、うれしいことがあったら無意識に悦びを表現してしまうものだと思います。
ましてや、スランプに陥っていた後の1勝なり優勝は、悦びもひとしおだと思いますが、どんな時でも、勝っても負けても「仏頂面をするのが力士の品位」というものでしょうか?

さて、朝青龍に限らず、力士が土俵上で悦びを表現するのは
“許せる?”“許せない?”

A 回答 (24件中11~20件)

 どちらかと言えば、「許せる」。

しかし、三役以上の役士は控えるべき。ましては大関、特に横綱は論外。「勝つ」事を極めた者がそれをあからさまに表現するのは見た目にもみっともない。と私は思います。まして。優勝を何度も経験している横綱なら、なおさらでしょう。ただ、まだ幕内に上がったばかりの関取が上の者に勝ったりしたなら、それが感情の極みから湧き上がったものなら、逆に拍手を送るでしょう。
 だから、朝青龍よ、もういい加減にわかってくれ・・。と・・。ここは日本国だという事を。お前さんは強いという事も・・。そして、頂点に立っているという事。それはどういう事なのか。長い歴史がある日本の相撲、とりわけ横綱。その歴代の輩たちはどんな振る舞いをしていたのか。自ら紐をとく必要があるだろう・・。わたしは思います。もう、遅いかもしれないけど。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

>だから、朝青龍よ、もういい加減にわかってくれ
なるほど。
軽卒という言い方も何ですが、もっと重厚に構えて“それらしく”ということですね。
範とならないといけませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/01 23:30

どちらかと言えば許せる方に一票。



そもそもガッツポーズとやらの定義が良くわかりません、握りこぶしで万歳のこと?私はそう言った具合に事象に対していつのまにか勝手に名称がついてしまうことが理解できません。
またいつのまにか因習が当たり前の如くマナー化し果てはルール化してしまった場合当初は持っていた合理性がその後なくなってしまっても見直そうとすることがタブー視されてしまうような風潮も理解できません。

しかし単なる格闘技に変化してしまっては存在意義が薄れてしまいただの巨漢のおしくらまんじゅうになってしまいますので品格だのガッツポーズだの大衆に通りの良い言葉を使ってパフォーマンスをするのも生き残りの為には仕方の無いことなのかも知れませんし朝青龍関の言動は確かに少々ふてぶてしく感じられますので「どちらかと言えば」と言うことで一票にさせていただきます。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

伝統や慣習を重んじる部分と、時流で取り入れていくべき部分とで、そのバランスが大事だと思いますが、以前は部屋のしごき(かわいがり)は当たり前でしたが、弟子が亡くなってしまったことを契機に、雰囲気というか鍛え方がガラッと変わってしまいましたね。
迎合化していくのが妥当なのか試行錯誤なのだと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/01 23:21

高見盛関のように嬉しさを顔で表現できるとよいのでしょうね。



お堅いことを言ってるとますます相撲離れがって思います。
この物言いの後に「大麻問題」ちょっとタイミングが悪いですね。
横審も各世代の人を揃えたら?と思います。
力士の親年齢以上の方が多いと思いますので・・・

昨年でしたか「剣道」の全国大会ででしたか勝ってガッツポーズをして
負けになった子がいましたね。ちょっと似たような感じを受けました
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この回答へのお礼

>「剣道」の全国大会ででしたか勝ってガッツポーズをして負けになった子
そうですね、剣道もそういうポーズをするといけないらしいですね!
何だか通じるところがあるようです・・・
高見盛ですが、最初はあの気合を入れるポーズも「物言い」がありましたね。でも人気が出て黙認・・・
多分、協会も人気復興にどうしたらいいかもがいているのでしょうね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/01 21:08

私個人は、許してもいいと思いますがねえ。



だって、協会が許せないのは、朝青竜本人でしょ。

あれで、昔の北の湖(古い?)みたいに、冷たい目でスタスタ歩いたとしてもやっぱり何か言うでしょう。
(もし、逆の結果だったら、フラダンスしても文句言わなかったんじゃないかな?)

でも、そういえば一時期高校野球(甲子園)で、ガッツポーズ禁止ってあったなあ。
嫌いな人も多いのかも知れない。
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この回答へのお礼

>協会が許せないのは、朝青竜本人
根底ではそうなのかも知れませんね。
高校野球も全員スポーツ刈りですが、これもしきたりというか「○○らしさ」の強調なのでしょうね。
そこから逸脱すると特異に見えるものですが、まさに今の朝青龍なのかも・・・
>フラダンス
その節は回答ありがとうございました。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/01 21:04

「神事」としての相撲なら「論外」です。


許せるとかどうとかではなく「失格」です。
「興行」としての相撲なら「うーん、まぁ出たのは仕方ないか?」くらいですね。

相撲の行司さんは腰に「短刀」を差しています。
これは「差し違え」のときに切腹も辞さないぞ!という「心がけ」として、現在でも残っている「しきたり」です。

本来、相撲と言うのは文字通り神聖なものでした。
相撲が神事を離れつつあるのは、今回の件のみならず強く感じるところです。
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この回答へのお礼

神事か興行か、というのは難しいですね。
どちらかが飛び出れば、必ず「ひずみ」が出ますからね。
ファンを増やしていこう、というのなら興行的に振ってもいいのでしょうが、そうすると伝統とかしきたりとかが邪魔をする・・・
難しいですね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/01 20:59

許せるか許せないか、というなら、オレは「許せない」な。


それはな、「許せない」ほうが、見てて面白いからだ。

例えばさ、エロだって、昔の「乳首が見えるだけで発禁!」って時代のほうが、エロ本見るのもものすごく興奮したんだよな。今みたいにそこらじゅうに裸が氾濫すると、裸の価値が下がっちまう。見てもたいして興奮もしない。

最初から「スポーツなんだから品格なんて関係ない。強い奴が勝てばいいんだ」だったら、朝青龍も、ただ強いだけでそれほど面白くなかった。「横綱は品格が大切なんです。ガッツポーズなんてもってのほか!」というから、あのヒールな言動が、見てて面白くなるんだよな。

しょせん、見世物なんだから、どういうスタイルが見てて一番面白いか、ってことが一番重要だと思うんだよ。「ただ強けりゃいい」だと、最近の格闘技のほうがはるかに魅力的だ。とても勝てやしないさ。相撲という、旧態依然、化石同然、生ける屍のごときスポーツをどうやって盛り上げるかったら、今の時代「ありえない……」というほど時代錯誤なアナクロさを追求するしかないぜ。そして、その上で、その枠組みをぶち壊すようなヒールが登場する。筋書きとしては、そう悪くない演出と思うんだがな。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

なるほど、よく分かります。
相撲には「強さ」+の部分が重要なんですね。
その辺が“沈黙の美学”みたいなことになるんでしょうか。
昔、“男は黙ってサッポロビール”というのがありましたが、強い力士は何もしなくても、勝った喜びは伝わるんでしょうね。
ただヒール役?の朝青龍がやるから面白いんですね、きっと。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/01 20:56

アンケートですよね。



許せません。
理由は「相撲だから」です。
単なる格闘技やイベントではないからです。
そもそも相撲とは…であるからです。

あれがガッツポーズではなく、うつむいて我慢しつつもほろほろと涙を流す…または満面の笑みでじっと…であれば、大拍手ですが。
大体がダメ押しはする、負かした相手をなおも張り手、睨みつけ威嚇する、見えない場所で弱いものに傲慢な態度を取るなどそういう事がわかっている力士ではなおさらです。
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この回答へのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。

>そもそも相撲とは…
なるほどですね。
「耐える美学、抑制の美学」みたいなものでしょうか?
複雑なスポーツですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/01 20:50

よく分からないけど過度に悦びを表現するような行為はしてはいけないって決まってるのかな?決まってるならダメなんじゃないの。

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この回答へのお礼

>過度に悦びを表現するような行為はしてはいけないって決まってるのかな
横審とか協会にきちんと文書化されているのか分かりませんが、結構ファジーな部分もあるような気がします。
そこまで、ギチギチに縛っていいものかどうか、という気も少しします。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/01 20:47

相撲は、スポーツではなく、興行でしょう。



神事的な要素を持った興行です。プロレスに近いものです。

こうして、ガッツポーズでニュースになることすら、興行サイドからすれば「興行的に良いこと」であるのです。
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この回答へのお礼

>神事的な要素を持った興行
そうなってくると、どちらに軸足を置いた方がいいのか、また難しいですね。
興行的にはガッツポーズがあった方が盛り上がりますね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/01 20:45

スポーツだ、神事だ、またドル箱だ等々論議はいろいろありますが、それはこの際横に置いといて


あの場面では自分の強さのアピールとしてのガッツポーズではなく、優勝できたことに対して(休場明け、身体が掛かっていた)感極まって手を上げたのだと私は思います。
そこまで追求するのはやりすぎではないかと・・・・
(朝青龍憎し的な感じを受けます)
朝青龍の大相撲への貢献度は判断できないのでしょうか?
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この回答へのお礼

外国人ということもあるのでしょうか。
それと一連の不祥事とかもあって、横審としてはムチを入れておこうということかも知れません。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/01 20:01

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